先週、小澤征爾さんが心不全でお亡くなりになったことが報道されました。享年88歳でした。

 どのマスコミもまずは「世界のオザワ」という表現を使われました。

 世界と言えば、ナベアツもあるわけですが、小澤さんは本当に「世界のオザワ」でした。

 20世紀後半から21世紀初頭にかけてクラシック音楽界を牽引していたのは間違いないです。

 フルトヴェングラー、カラヤン、バーンスタインといった指揮者は別格としても、間違いなくそれに続くグループに属していますし、ウィーン国立歌劇場の音楽監督をつとめたことは音楽史に刻まれることです。

 

 マスコミ報道でもあったように、ウィーン国立歌劇場やボストン交響楽団のトップになり、またそれぞれの声明があげられたことがこのマエストロの立派な評価であったわけですが、小澤さんの指揮活動のなかで僕が一番評価したいのは1970年代後半から2010年頃まで毎年のように、ベルリン・フィルに2~3回の定期公演に必ず招かれたことです。

 毎年でも立派なことですが、特にカラヤンが音楽監督だった頃はずっと3回公演を行っていました。

 

 ベルリン・フィルは僕の中では世界一のオーケストラです。ウィーン・フィルでもなければロイヤルコンセルトヘボウoでもなくシカゴsoでもありません。間違いなくベルリン・フィルが世界一のオーケストラだと考えています。

 

 フルトヴェングラーがまたカラヤンがそしてマゼールやバレンボイムが欲したベルリン・フィルの音楽監督の意味を十全に表わしています。

 そこで100公演を超える演奏会をやってきました。

 さらにこのオーケストラで重要な演奏会を数多くこなしています。

 1975年のマーラーの交響曲8番、ベルリン・フィルの100周年を記念したガラコンサート、カラヤン追悼のための演奏会などです。

 

 残念ながらベルリン・フィルの来日公演はカラヤンの代理をおこなった1回のみでしたが、FM放送では相当の音源を我々音楽ファンに提供してくれました。 ベルリン・フィルとの関係が濃厚ではあったのですが、レコード、CD録音も多かったわけではありません。

 

 チャイコフスキーの序曲集が初録音で、その後ガーシュインやプロコフィエフの交響曲全集、カルミナ・ブラーナ、プロコフィエフのピアノ協奏曲2番とラヴェルのピアノ協奏曲、チャイコフスキーの単発交響曲(4、5番)、ブルックナーの1番程度で晩年の演奏会がブルー・レイディスク(チャイコフスキー6番等)と合せて提供されています。

 小澤さんと同時期に活躍したアバド(音楽監督の時期以外の録音として)、マゼールなどと比較して極端に少ないものでした。

 もちろん、カラヤンオーケストラでしたからしょうがないですが、ムーティやバレンボイム同様限られた録音しかありません。

 

 僕は小澤さんにベルリン・フィルとの競演で是非残して欲しかったのはベートーヴェン、ブラームス、マーラーです。

 演奏会では結構やっています。

 ベートーヴェンの9番は演奏していないかもしれませんが、7番は演奏しています。そのほかは若い時期に演奏していたかもしれません

 ブラームスは多分全部やっていると思います。1,2、4番は音源を有しています。

 特に4番は演奏当時、批評家からフルトヴェングラーと比較されるほどの名演でした。

 但し、小澤さんが50歳頃、ベルリン・フィルから「オザワがやるブラームスは我々とは少し違う」とオーケストラ内から言葉が漏れており、ベートーヴェンの解釈を含め少し気になっていた言葉でした。

 そしてマーラーですが、これは演奏機会自体が少なかったです。僕の知る限り、1,7,8番の3曲しか演奏していないと思います。

 ウィーン・フィルで絶大な評価を受けた2番もなければ、ボストン交響楽団の音楽監督退任最終演奏で屈指の名演奏9番もありません。

 

 本来なら2010年以降ブルックナー演奏も含めこれらの演奏が行われたであろうに返す返すも残念でなりません。

 

 今後、ベルリン・フィルとのどの音源がCD化されるのでしょうか。

 僕の希望は以下のとおりです。

 

・マーラー/交響曲第8番

・チャイコフスキー/交響曲第6番(80年代のもの:3楽章後拍手が入っています)

・ラヴェル/ピアノ協奏曲(アルゲリッチとの競演)

・ブラームス/交響曲第4番

・マーラー/交響曲第1番

・メンデルスゾーン/オラトリア「エリア」

・R・シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」(来日公演)

 

 ウィーン国立歌劇場退任後、本当はたくさんの遺産を残せる立場にいました。

  トスカニーニやワルターのように寄せ集めオーケストラでレパートリーあるいはステレオ録音記録を残す例もありますし、アバドのように自身に集う優秀なオーケストラ(ルツェルン祝祭管弦楽団)で本当に優れた記録を残す方法もありました。小澤さんの場合、サイトウキネンオーケストラに水戸室内楽団といった高水準のオーケストラがアバドのようなスタイルで小澤さんの芸術を残せるチャンスがありました。

 さらにベルリン・フィル、ウィーン・フィル、バイエルン放送oといった超一流オーケストラへの定期公演の出演が目白押しの状況で、ここでも、小澤さんがやりたい曲で多くの音源を残せるチャンスがあったのにも関わらず、ほとんどすべてが消えてしまいました。

 

 ブロムシュテットやインバル、朝比奈さんの活躍を見るに、小澤さんの若い頃のスリリングな音楽ではなく、75歳以降10年の小澤さんの大家となったいぶし銀の音楽の再生を心底期待していたのですが、本当に残念でなりません。

 70歳代後半以降実現したであろう、R・シュトラウス、マーラー、ブラームス、そして1つずつレパートリーを広げたであろうブルックナー(5、6、8番)やワーグナー(「ニーベルングの指環」4部作は無理としても「指環」から単発の「ワルキューレ」を含め「ローエングリン」「パルジファル」)シェーンベルクの「グレの歌」の再演が我々のもとに来なかったことは失望に近いものです。

 

 小澤さんがやり残して逝ってしまったことは今さらながら大きなものだったように思います。

 

 僕は長らく小澤さんの演奏を聴き、演奏後にサインをもらいに行ったりしたとき、一言二言のやりとりをさせていただいたこともあるのですが、新たに演奏する予定の演目をにこやかによくお話してくれました。オペラでは「サロメ」を始めとした後期ロマン派やヤナーチェクなどの民族派のオペラを順次やっていきたいことも語られており、そのやりとりを思い出すだけでつらい気持ちになります。