お亡くなりになられた小澤征爾さんについて文字として残しておかなければならないのはマーラー録音についてです。

 高校生の時から小澤征爾さんは僕にとって途方もないアイドルでした。

 そして、音楽として今もそうですが生涯追い続けているのがマーラーとワーグナーの演奏を聴くことです。

 

 マーラー演奏ですが、小澤さんは相当の数の演奏会を行っています。

 ボストン交響楽団に30年間シェフとしてつとめあげていましたが、合計2ツィクルス(3ツィクルス?)全曲演奏をされているようです。

 一方、他のオーケストラへの客演でもマーラーを一定数取り上げています。

 ただ、マーラーの音楽の市民権を得た(誰でも鼻歌で歌って聴くようになった)のは80年代後半以降であり、早い時期での録音を行うことができませんでした。

 

 マーラー録音と言えば、60年代にバーンスタインが初めて全集を製作し、その後ショルティ、ハイティンクが続き、70年代はアバドがグラモフォンの看板をかつぎ、さらにそれが当時の手兵のロンドン交響楽団ではなく、シカゴsoやウィーン・フィルといった一流オーケストラを使い、大きな遺産を残しています。80年代はマゼールが手兵のウィーン・フィルを使って録音しています。

 一方でマーラーのスペシャリストであるインバルやギーレンは放映等が可能であったため、採算をある程度度外視できるドイツの放送オーケストラを使い、80年代に駆け込みのように録音を行なっています。

 

 小澤さんは70年代こそグラモフォンの録音を行っていましたが、その後フィリップスで録音を続けました。

 録音ではマーラーに限らず、全く恵まれておらず、グラモフォン時代、ベルリオーズの大曲の録音もバレンボイムに奪われ、70年代にはベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーといったポピュラーな交響曲をほとんど録音できないでいました。

 70年代にあったのは、ボストン交響楽団によるブラームスの交響曲第1番、ニューフィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番、チャイコフスキーはパリ管弦楽団による交響曲第4番、シカゴ交響楽団とボストン交響楽団による交響曲第5番で得意の第6番はパリ管弦楽団を指揮したものがありました。

 

 小澤さんがベートーヴェンやブラームスの録音を始められたのは90年代のサイトウキネンオーケストラまで待つこととなりました。海外のメジャー・オーケストラに一度も全集を残せていないのは本当に不幸な出来事です。

 シューベルト(未完成のみ)もほとんどなく、モーツァルトも若い時期に名刺代わりに録音したもの(第29、35番)が少しあっただけです。

 ベートーヴェンの5番もテラークでやっと録音しており、ここでルドルフ・ゼルキンとピアノ協奏曲全集を録音できたのは奇跡的なことでした。

 

 さらなる不幸は、80年代後半(カラヤン時代の終焉)になるとレコード会社もコストに見合う製作ができなくなり、録音自体を減少する状況になりました。誰でもベートーヴェンの5番が録音できる時代ではなくなりました。

 音源もレコード、CDではなく次の媒体に移る過渡期に入ってしまっていました。日本ではかろうじてCDセールスが残っていましたが、世界的にはパイが縮小する方向に移り、新たな録音を積極的に製作する方向でなく、1950年代後半からおこなわれてきたステレオ録音を企画ものにして再販する方向に変わりつつありました。

 カラヤンが去り、バーンスタインも亡くなられ、スター指揮者が減少していく中、アバドやテンシュテットなどがギリギリ「録音の灯」を残す状況となりました。

 

 マーラーについては。小澤さんが録音の中心に置いたフィリップスも既にハイティンクとの全集が製作されており、すぐに再製作はできませんでしたが、80年代になり、なんとか小澤さんの録音をもぐり込ませることとなりました。

 これも残念なことに89年以降はスタジオ録音ではなく、すべて製作コストを削減したライブ録音です。

 小澤さんはスタジオ録音よりもライブが素晴らしいという評価でしたが、80年当時のボストン交響楽団はとても非力で米国ビッグ5の末席どころか、セントルイス交響楽団やロスアンジェルス・フィルよりもオーケストラ機能が劣るとも言われる時期でした。枯渇感が半端なく、金管の張りもありませんでした。90年になり飛躍的に機能が増し、小澤さんが退任される頃は金管も強力で弦も厚みのある美しいものに変貌していました。

 本当であれば、この頃から本格的に録音できていたら良かったかもしれません。

 

 ボストン交響楽団の音楽監督はレヴァイン、ネルソンスと続き、すっかり同団の音色は素晴らしくなりました。ミュンシュの頃は品のある音(艶やかな弦に特徴)を出していましたが、現在の音は近代的な幅広い音楽に対応できる音に変貌しています。ネルソンスがショスタコーヴィチを録音していますが、いぶし銀の音を出せるように変貌したと思います。

 小澤さんがオーケストラを変えていく中、クラウス・テンシュッテットやクルト・マズアなど東ドイツ出身のドイツ音楽本流の指揮者も客演されるようになり、音の質は変貌していきました。

 

 それは当時、小澤さんがめざしたドイツ的弦の厚みのあるインストリングスという音にコンサートマスターであったジョゼフ・シルヴァースタインを中心としたミュンシュ、モントゥー時代(1950年代~1965年頃)のフランス的な音を守ろうとする一派からかなりの抵抗に遭い、オーケストラそのものが緊迫した状況にあっただけでなく、外部からはボストングローブ紙の有名な主筆からも小澤攻撃を受け続けた状況にもありました。ニューヨーク・タイムズは当時も小澤さんに肯定的な記事を書いていましたが、地元紙からはねちねちと突き上げを受けていました。

 小澤さんが製作する録音は十分に評価されず、2016年にグラミー賞(オペラ部門)を80歳になるまで得られなかったのは残念なことです。受賞作品はラヴェルの歌劇「子どもと魔法」でしたが、オーケストラは結局サイトウキネンオーケストラのものでした。

 僕にとっても小澤さんが録音するCDの中で本当につまらないと思うのは最も好きな曲の一つであるR・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」です。1981年12月のものですが、ただまとまりのある出来栄えで、小澤さんの熱がちっとも感じないものでした。80年代のボストン交響楽団の録音はこのようなCDが出されてきました。実演の迫力がどれも欠落していました。

 こんなCDなら文句は言いませんけどね!

1990年 小澤征爾&バイエルン放送響 R.シュトラウス「英雄の生涯」 (youtube.com)

 

 小澤さんのマーラー演奏はブザンソンのコンクール段階では全く知らない状況でしたが、欧米で活躍すると早くからレパートリーに入っていきます。それはニューヨーク・フィルでバーンスタインの副指揮者となったことも関係していると思います。

 大曲である第8番を1975年にベルリン・フィルで指揮しています。ボストン交響楽団の録音は1980年で前年の79年に「グレの歌」を録音しており大曲の指揮が定着化した中での録音でした。

 しかしながら、この第8番もショルティの万全な音作りとは程遠く、歌手も貧弱な状況でした。

 この録音の前後にフランスのサンドニ・ホールで演奏したフランス国立管弦楽団と放送交響楽団の合同演奏の方が躍動的で優れた演奏でした。NHKFMで放送されていました。

 第7番の仕上がりなどはさらに貧相な感じです。キズは非常に多かったですがベルリン・フィルとのライブ演奏(1989年)の方が推進力がありました。

 ボストン交響楽団の録音時期に演奏しており、聴き比べることもできます。

 

 Mahler: Symphony No.7 - Seiji Ozawa & Berlin Philharmonic Orchestra - 1989Live (youtube.com)

  (upいただいたYou Tuberさんに感謝します)

 

 

 第3番は1986年2月13日、東京文化会館における小澤指揮/ボストン交響楽団により演奏されており、93年に録音したものも相当オーケストラ機能が向上して良いものになっていますがさらにすぐれた演奏に仕上がっています。ちょうどこの時期、FM横浜で小澤征爾ボストン交響楽団の演奏を、米国の放送局の音源を使って早朝に放送していましたが日本公演は同じ解釈でした。

 

 CDで残されたマーラー録音はやっつけ仕事感いっぱいで、残念ながら本来の小澤さんの音楽ではないように感じます。

 ちなみに小澤さんのマーラー録音は以下のとおりです。

 

(1) 第1番 ボストン交響楽団(1977年10月_グラモフォン)

(2) 第8番 ボストン交響楽団(1980年10,11月_フィリップス)

(3) 第2番 ボストン交響楽団(1986年12月_フィリップス)

(4) 第1番 ボストン交響楽団(1987年10月_フィリップス)

(5) 第4番 ボストン交響楽団(1987年11月_フィリップス)

(6) 第7番 ボストン交響楽団(1989年3月_フィリップス)LIVE

(7) 第9番 ボストン交響楽団(1989年10月_フィリップス)LIVE

(8) 第10番アダージョ(発売は第9番とカップリング) 

         ボストン交響楽団(1990年4月_フィリップス)LIVE

(9) 第5番 ボストン交響楽団(1990年10月_フィリップス)LIVE

(10)第6番 ボストン交響楽団(1992年1,2月_フィリップス)LIVE

(11)第3番 ボストン交響楽団(1993年4月_フィリップス)LIVE

(12)第2番 サイトウキネンオーケストラ(2000年1月_ソニー)LIVE

(13)第9番 サイトウキネンオーケストラ(2001年1月_ソニー)LIVE

(14)第1番 サイトウキネンオーケストラ(2008年9月_デッカ)LIVE

 

 交響曲第1番「巨人」は3回も録音しています。これとは別に、ベルリン・フィルとの演奏がNHK_FMで演奏されましたが、すこぶる素晴らしいものでした。第4楽章の終局部分も変にテンポを変えず、王道を歩む音楽でした。

 この日(同じ週だったかもしれません)の放送で同曲をマゼールが実演したものも放送され、聞き比べの形になりましたが、小澤さんの演奏が比べ物にならないぐらいみずみずしく整然とした演奏でした。

 

 第9番も89年のライブ録音がありますが、You Tubeでも視聴できるボストン交響楽団との最後の公演録音(2002年)が発売された方が良かったですね。というか今からでも発売してもらいたいです。第4楽章だけはNHKのブルーレイでベートーヴェンの交響曲第7番のカップリングとして販売されていますが、全曲をブルーレイだけでなくCDとしても出してもらいたいです。

 

Mahler Symphony No.9 | Seiji Ozawa & Boston Symphony Orchestra | マーラー:交響曲第9番 小澤征爾 & ボストン交響楽団 (youtube.com)

Mahler: Symphony No. 9 Seiji Ozawa & B.S.O (youtube.com)

 (upいただいたそれぞれの You Tuberさんに感謝します)

 

 2010年のウィーンフィルとの来日公演でも第9番を演奏する予定でしたが、食道がんでキャンセルになってしまいました。

 この演奏もウィーン国立歌劇場退任ということからも名演が期待されたので残念です。

 

 小澤さんは大変に偉大な指揮者でしたが、録音、とりわけマーラー録音では実力通りの力量を残せなかったことをとても残念に思います。

 本音を言えば、万全な体制で、サイトウキネンoやウィーン・フィル、ベルリン・フィルを利用してもう一度全集を録音し直して欲しかったです。第1,2,9番の3曲はかろうじてサイトウキネンオーケストラで再録音がかないましたけど、「大地の歌」の演奏は何度もやっているにも関わらず、録音媒体が残っていません。

 

【参 考】

巨星逝く_「英雄の生涯」小澤征爾さんの訃報を聞いて(その1_ベルリン・フィル編) | めぐみさんが帰ってくるまで頑張らなくちゃ (ameblo.jp)