【こころのエステ・フィットネス鹿児島】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~ 聖書のことば・智 慧[EQサプリメント] -10ページ目

【キリストの生涯<2>~”知ってるつもり”より~】

【イエス=キリストの生涯<1>~”知ってるつもり”より~


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本日もお読みくださって、有難うございます。


今日もみなさまの一日が良い日でありますように。


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【重罪人カインに対する神の配慮】

みなさま、本日も心のエステ・フィットネスに

立ち寄ってくださり、ありがとうございます。


梅雨明けまでは、あと少しかかるのでしょうか。

各地で大雨の被害が出ております。


また、気候が蒸し暑く、鬱陶しいと、

気分も晴れない日が続くと思いますが

くれぐれもご自愛ください。


さて、

カインとアベルのお話をしておりました。

今回は、この物語に記されている

神様の配慮についてお伝えしてみたいと

思います。


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「カインは、主に言った。


『わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地

から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者

となってしまえば、わたしに会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう』


主はカインに言われた。

『いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ7倍の復讐を受けるであろう』


主はカインに会う者がだれも彼を撃つことのないように、

カインにしるしを付けられた。


カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。」


(創世記 4章 13-16節)


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カインは、弟を撲殺するという重罪を犯してしまいました。


自分のやってしまったことの重大さに気がついたカインは

「わたしの罪は重すぎて負いきれません」と

心から神に後悔の念を言い表します。


こころから、神様に「すみませんでした。どうしたらいいでしょうか」

と悔いる魂を、主なる神は、決してお見捨てにはならないのです。


人は犯してしまった罪について、人間としては

当然、それ相応の罰を受けなければなりません。


カインは、自分のやってしまったことのゆえに、

住みなれた故郷には住めなくなり、そこから追放され、


親族、友人、親しい人々からは、隔絶され、

自分を知る人は、全くいないところで

さすらい、さまよわざるを得なくなるのですが、


神様から見捨てられる、見放される・・・

ということはなかった・・・ということが

記されているのです。


さらに、主のご配慮は、

驚くべきことに・・・

殺人という重罪を犯したカインに対して


「カインに会う者が、誰もの彼を攻撃しないように、

『印』(なんらかの保護、補償の象徴)

をつけられた」


と記されています。


殺人者ですから、

「死刑」を宣告されてもよかったところですが・・・。


この神様の配慮については、

人間的に、また、常識では、また、人間的な感覚、

感情では、理解に苦しむところです。


殺人者を保護される神・・・


この神様の御心は測りがたいのですが


神様は、すぐに罪びとを断罪、処罰される方ではなく

罪人が、しっかりと自分の犯してしまった罪を悔いる期間を

そして、回心(神様の愛を知り、愛に立ち戻る)することを

信じ、待ってくださる方であることを表しています。


また、カインが重罪を犯したのち、住まざるを得なかった

場所を「エデンの東」になさったと記されています。


ここにも、大切な意味と、神様の深い配慮があると

言われています。


『エデン』とは、「失われた楽園」のこと、

聖書では「神の国」(神様の愛に満ちるところ)

『天国』を意味します。


また、『東』についてですが、

北半球において、太陽、「東」より昇り

夜明けは、「東」より始まります。


東、それは、もっとも早く太陽が昇るところ

「光」が射す場所の象徴です。


聖書で、「光」は神様の「救い」、

そして「希望」を象徴しています。


主なる神は、カインを「エデンの東」に置かれた・・・


このことは、

重罪人カインに、最も先に天国がやってくるように

希望の光が与えられるように・・・との


神様の深いご配慮なのです。


聖書の神様は

苦しみ悲しんでいるもの、

こころの重責に苦しんでいるものに

一刻も早く、「神の国」があることを

「希望」があることをお伝えになりたい

神様なのです。



【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]


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【カインとアベル:聖書に記される最初の殺人事件】

本日も、こころのエステ&フィットネスに

立ち寄ってくださり、有難うございます。


また、大阪で悲しい事件が起きてしまいました。

心斎橋での通り魔事件、特異な例であることと

思いますが、その動機、短絡さに深い悲しみを

覚えます。


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聖書に記されている最初の殺人事件から

考えてみようと思います。


その事件は、アダムとエバの息子たちの間で

おきました。


【夫婦関係】が崩れた夫婦の間の

息子たちの間に起こった事件・・・。


兄弟間の殺人事件だったのです。

兄が弟を殺してしまいました。


その原因を辿ってみると

兄の弟に対する

『妬み・嫉妬心』であることが

見えてきます。


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今回の通り魔、犯人の動機について、

知る由もありませんが、


社会を恨む、逆恨み・・・そこには、なにかを

妬ましくおもう、思いはなかったでしょうか・・・


「妬み・嫉妬心」:人に巣くう感情の中で

聖書が最も警戒している感情です。


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【旧約聖書 創世記 4章1節~16節より】


「さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもって

カインを産み、『わたしは主によって男子を得た』

と言った。


彼女はまたその弟アベルを産んだ。

アベルは羊を飼う者となり、

カインは土を耕す者となった。
時を経て、カインは土の実りを

主のもとに献げ物として持って来た。

アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。

主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
カインとその献げ物には目を留められなかった。


カインは激しく怒って顔を伏せた。
主はカインに言われた。

『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはず

ではないか。


正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、

お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」

カインが弟アベルに言葉をかけ、

二人が野原に着いたとき、

カインは弟アベルを襲って殺した。

主はカインに言われた。

『お前の弟アベルは、どこにいるのか。』


カインは答えた。

『知りません。わたしは弟の番人でしょうか。』

主は言われた。

『何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中から

わたしに向かって叫んでいる。
今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、

口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。

土を耕しても、土はもはやお前のために作物を

産み出すことはない。お前は地上をさまよい、

さすらう者となる。』

カインは主に言った。『わたしの罪は重すぎて負いきれません。
今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、


わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者と

なってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、

わたしを殺すでしょう。』


主はカインに言われた。

『いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐

を受けるであろう。』


主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、

カインにしるしを付けられた。

カインは主の前を去り、エデンの東、

ノド(さすらい)の地に住んだ。」


(旧約聖書 創世記4章1-16節)


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【関係の死】

本日もこころのエステ・フィットネスに

立ち寄っていただき、有難うございます。


「死」を考えることは「生」を考えること


少々難しいテーマが続いておりますが

お読みくださり、有難うございます。


さて、前回の記事で、

聖書に記される「死の始まり」

創世記 3章の物語を一部ご紹介しました。


最初の死は、聖書によると最初の人類とされる

アダムとエバの中に入ってきました。


その死とは「関係の死」です。


”善悪の木”を口にしてしまったアダムとエバが

失ったものそれは

「神様と自分たちとを結ぶ関係」でした。


その関係とは「信頼」という言葉に

置き換えられるものです。


【関係の死】とは【信頼関係を失う】

ことなのです。


その結果として、アダムとエバの間に

芽生えたものは【神様への「不信感」】でした。


この「不信感」がさらに、アダムとエバの

【人間関係】まで崩壊させてしまった・・・と

記されているのです。


聖書の言うところの

【関係の死】とは【信頼関係の崩壊】

【人間関係の崩壊】

を意味しているのです。


その結果・・・

アダムとエバの心を支配し始めた

感情がありました。


それは「恥」と「恐怖」の念です。


「恥ずかしくなって・・・」

「恐れて・・・」

「神の目、人目を避けて」


隠れながら暮らさざるを得なくなった

とも記されています。


悲しみのループの始まりです。


しかし、創造主は、その悲劇を放置される方ではなく、

その悲しみのループに歯止めをかけ、

その混乱から引き上げてくださる救済策を

立てられたのでした。



【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-アダムとエバ

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本日もお読みくださって、ありがとうございます。

今日もみなさまの一日が良い日でありますように。

神様の祝福、愛が皆様の上に満ち溢れますように。


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【死の始まり・・・】

みなさま、本日もこころのエステ・フィットネスに

立ち寄ってくださり、有難うございます。


ここちよい春の日に重たいテーマで

申し訳ありません。


しかしながら、先日より重なっております

京都祇園や亀岡で起きた交通死亡事故


また、もう7年も経ったのかと思いますが

尼崎福知山線脱線事故の7回忌のニュース報道

を目にするとき、

どうしても考えておかなければならない

テーマだと考えています。


実は、このブログに こちらのブログテーマ

「死」を考えることは「生」を考えること

を追加したのは、福知山線の脱線事故発生を

巡ってのことでした。


わたくしは転勤族で、その脱線事故が起きる

1年前まで、当時住んでいた西宮から勤務地の

大阪まで、尼崎乗換えで大阪東西線に入っていく

当該の列車には よく乗る機会がありました。


それだけに、とうてい他人事とは

思えなかったのです。


7年経った今も、その事故で大切なご家族を亡くされた方の

悲しみは決して癒されていない、問題は何も解決されていない

ことを感じます。


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聖書によると、聖書の神、創造主は「死」を創造されて

いないことが確認できます。(創世記1章 2章)


しかし、一方、世の中の現実に目を向けたとき

悲しい悲劇、「死」が存在しています。


一体、死はどのように始まったのか・・・

聖書はその始まりについて

創世記3章に記しています。


長い箇所ですので、その要点をお伝えするなら


愛と命の源、創造主である神と人との

【愛の関係の喪失】

【愛の関係の断絶】が

死を招くことになった・・・


というのです。


死の始まりは【愛(の関係)を失うこと】

なのです。


死とは「愛の関係を失っている状態」

なのです。


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主なる神が造られた野の生き物のうちで、

最も賢いのは蛇であった。


蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、

などと神は言われたのか。」

女は蛇に答えた。

「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、

 触れてもいけない、死んではいけないから、

 と神様はおっしゃいました。」

蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、

 神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、

賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、

一緒にいた男にも渡したので、

彼も食べた。

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、

二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

その日、風の吹くころ、

主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。


アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」

彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、

隠れております。わたしは裸ですから。」

神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。

取って食べるなと命じた木から食べたのか。」

アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、

木から取って与えたので、食べました。」

主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」


女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」

主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は

あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。

お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。


(旧約聖書 創世記 3章1-14節)


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【神は死を創造されてはいない】

みなさま、本日もこころのエステ・フィットネスに

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「生」を考えるために「死」を考える・・・続きです。


キリスト教圏では、

春には「イースター(復活祭)」

があります。


お花見を楽しまれた方もいらっしゃるでしょう。


こちら、広島のチベット、大和町のキャンパスは

まだ、桜の開花はもう少し先のようです。


「復活祭」

冬の向こうに春があるように

死の向こうに「神の国(天国)」が

備えられている・・と信じている

のですが


そうであっても、やはり「死」の

現実は、過酷 なものです。


どうして、このような死があるのか・・・


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わたくしどもの考える立場を申し上げると


聖書のいうところの神、「創造主」は

「死」をお創りにはなっていないということです。


注意深く、聖書を確認してみますと、


聖書の創造主は、死を「創造」しておられないことが

わかります。


最初、創造主なる神が創造された世界には、

「死」はなかった・・・のです。


・・・こう申し上げても、にわかには

お信じになりにくいことと思いますが。


なぜ、死があるのか・・・

答えが見つけにくいテーマではありますが


【創造主なる愛の神は死を創造されてはいない】


ということを、死を考えるにあたっての大前提とし

聖書の記しているところの「死」について

引き続き、記していこうと思っております。


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【「死」(に伴う悲しみ)のレベル】

みなさま、本日も心のエステ・フィットネスに

立ち寄ってくださり、有難うございます。

 


今という時を大切に、「命を大切に」

生きていただきたいという願いで

「死」を考えています。

 

 

いましばらく、少々ハードなエクササイズが

続きますが、お読みくださること有難うございます。

 

本日は『死のレベル』についてです。

 

わたくしは、牧師という職務の中で

お亡くなりになった方の葬儀を執り行うこと、

司式をする時がございます。

 

葬儀は何度行っても、決して慣れるということは

なく、毎回毎回、ご遺族の方の悲しみや痛みに

触れる中で、焦燥感にかられるものです。

葬儀の後はしばらくは、憔悴しきって

何もできません。

 

「死」というものは、本当に人を悲しみに閉じ込めるもの

です。「死」というものは決してあってはならないものだ

と思っています。

 

さまざまな方の死に直面させられる中で

わたくし側では、次のような指標をもっています。

 

それを「死のレベル」

死にともなう『悲しみ』のレベルとして、

それぞれの段階を考慮して

わたくし側では、ご遺族の方々と接するのです。

 

 

「死のレベル」とは・・そのレベルが高くなれば

なるほど、「納得できない」感、「理不尽さ」

が増すことを意味しています。

 

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【レベル】   <事例>

 

【レベル1】105歳で祖母は、自宅の畳の上で眠るように安らかに

      家族に見守られながら、老衰で息を引き取った。(自然死)

 

【レベル2】65歳で父が、心筋梗塞で突然と亡くなった。 (病死)

       

【レベル3】45歳で友人が、脳出血で他界した。

 

【レベル4】22 歳で娘が、白血病で亡くなった・・・。

【レベル5】5 歳の息子が 白血病で亡くなった・・・。

 

【レベル6】生まれてわずかの赤ちゃんが病死した。

 

お亡くなりになった時点の年齢が、若年化すればするほど、

病気で仕方がなかった・・・と考えつつも、

ご遺族、関係者の戸惑い、混乱、苦しみ、悲しみは

大きく深いものになります。

       

【レベル7】 自然災害による死等

【レベル8】 20歳の青年が自転車で転倒し、打ち所が悪く亡くなって

       しまった・・・。

 

【レベル9】 40歳 妻が運転を誤って 事故死

 

【レベル10】 幼稚園の子どもが、園庭でジャングルジムから転落し、   

         死亡

 

【レベル11】 石油コンビナートで働く主人が、爆発事故に

        巻き込まれて死亡


【レベル12】 16歳の少年が、通学中 飲酒運転の車に跳ねられ死亡

        交通事故死

 

【レベル13】 自 殺

 

【レベル14】 殺人による死

 

 

【レベル9】以降の苦しみの解決については、

たいへん困難で複雑な要因が入り込んで

参ります。

 

社会的なもの、法律的なものが関わってきます。
 

なんとか、人が自分自身のこころの中で

解決を試みられるのは、


個人的には・・・【レベル2】までは

ないだろうかと考えます。

 

それ以降は、故人が亡くなったという悲しみ

に加えて、別の苦しみが加わってくるものです・・・。

 

その苦しみとは、こちらが気をつけておきさえすれば・・・

あの時、そうしなければよかった・・・

というような「深い後悔」や「自責の念」が

大切な人が亡くなったという悲しみ

に加わってきます。

 

【レベル9】以降は、

加害者や関係する相手が存在し、

その人々に対しての複雑な関係と

思いが生じてくる・・・。

 

 

 

個人的な悲しみを超えて,

事故や事件を起こした相手や責任者に対する

責任の追及・・怒り等が加わってくる・・・。

 

賠償問題、裁判等に巻き込まれ、

遺族の疲労が大きくなる・・・。
 

それらが人々の心を苦しめるようになり、

押しつぶすものになります。

 

 

**************************

 

わたくしが実際、葬儀に関わった経験上

【レベル6】【レベル13】の死が

あります。

 

この時は、ご関係者の方々には

何をどのように申し上げていいのか

本当に苦しい思いをいたしました。

 

また、間接的には

【レベル11】【レベル14】が

あります。

 

関係者のお話を間接的に聞いただけでも

心が激しく動揺、混乱してしまいます。

 

十数年前 某市某小学校で起きた事件が、


先輩の娘さんの所属するクラス

でのことだったのです。

 

事件は風化して、人々から忘れ去られている

かもしれませんが、当事者の方々の

心の傷は癒えることはありません。

 

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どうして、このような悲惨な死があるのか・・・

神様がおられるなら、どうしてこのような

悲惨な出来事が赦されるのか・・・

 

解決の見えない難問ではありますが、

引き続き、「死」について見つめ続けていきたいと

思います。

 

いかなる死をも、本来、受け入れがたく、

悲しみを相対的に計ることはできませんが

 

死を考える一つのステップとして

考えてみました。

 

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皆様のご健康、ご家族、お仕事すべてが守られますように。

どうぞ、よい一日をお過ごしください。

 

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本日もお読みくださり、ありがとうございます。

 

【ドラマ『奇跡のホスピス』】

本日もこころのエステ・フィットネスに

立ち寄っていただき、有難うございます。


「死」を考えることは「生」を考えること


今、こちらでは、大切な人生という時間を

「生きるため」に「死」を考えていますが、


ちょうど今週

『奇跡のホスピス』というドラマが放映される予定です。

http://www.mbs.jp/hospice/


3月28日(水) 午後9時~

TBS系全国ネットです。


ぜひ、ご覧になってみてください。


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【死とは何か・・・】

本日も心のエステ・フィットネスに

立ち寄ってくださり、ありがとうございます。


只今、こちらでは、

少々、ハードなエクササイズメニュー

を提供しています。


にもかかわらず、こちらをお読みくださる皆様には

感謝申し上げます。


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「死」について。


しかし、このことをお伝えする目的は


「生きる」を考えること


ただ、それもわたくし個人的には・・・

あまり、大上段に構えず・・・


みなさまが、


「こころからの笑顔で、

”今”を安心して生きていただくため」


に何かお役に立てるなら・・・と思っています。


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「死」・・できたら、あまり考えたくないもの・・・


しかし、これは、いつか必ずやってくる「現実」です。


厳しいですが、その「現実」について

何らかの備えが必要ではないでしょうか。


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しばらく、「死」というテーマを扱いますが、

わたくしが「死」と使う場合、次のような概念を

もとにお話しをしていることを知っておいて

いただけたらと思います。


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Ⅰ. 3つの死について


3つの死とは・・・

(1)「霊」の死について

(2)「魂」の死について

(3)「身体」の死について


聖書によると、人を構成している大切な要素として

「霊」「魂」「身体」というものがあるという考えに

基づいています。

また、聖書のいうところの「霊」「魂」「身体」

の概念の大切なところをまとめますと


霊とは・・「愛」のことです。また、

      愛とは何らかの「関係」のことです。

魂とは・・「判断」のことです。

身体とは・・「行動」のことです。


よって、


(1)「霊」の死とは・・・「愛の関係」が断絶している状況

(2)「魂」の死とは・・・「間違った判断」がもたらすもの

(3)「身体」の死とは・・・「心肺停止、呼吸が止まること」


を意味しています。


聖書的に考えますと、「死」とは

単に「心肺が停止し、生物学的な行動が停止」することを

意味していません。


心臓は動いているけれども、

「死」んでいる状況はある・・・のです。


このことについては、また後日、

実際の聖書のことばをもとにお話します。


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Ⅱ. "愛”のゆえの死 と ”破壊的”な死


さらに、死について、聖書では


愛のゆえの死と 破壊的な死

という2つの質のことなる「死」があります。


愛のゆえの死とは・・・「犠牲」、「身代わりの死」といわれるもの

破壊的な死とは・・・「破滅」、「滅亡」、「腐敗」・・と同義語の死


聖書の原語によると、それぞれ

愛のゆえの死を表す言葉としては 「アポスネスコー」という死

破壊的な死を表す言葉としては 「ネクローシス」という死


があります。


日本語では、どちらも「死」と訳されるのですが

「アポスネスコー(アポトーシス)」と「ネクローシス」はそれぞれ

意味するところ、本質は全く異なります。


このことについても、後日、説明できればと

思います。


少々理屈っぽくなってしまいました。

申し訳ありません。


聖書によると、

決して、”破滅”や”滅亡”ではない「死」がある

というあたり、を少し、胸に留めていただけるなら

幸いです。


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-夕焼けと十字架


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