【死とは何か・・・】
本日も心のエステ・フィットネスに
立ち寄ってくださり、ありがとうございます。
只今、こちらでは、
少々、ハードなエクササイズメニュー
を提供しています。
にもかかわらず、こちらをお読みくださる皆様には
感謝申し上げます。
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「死」について。
しかし、このことをお伝えする目的は
「生きる」を考えること
ただ、それもわたくし個人的には・・・
あまり、大上段に構えず・・・
みなさまが、
「こころからの笑顔で、
”今”を安心して生きていただくため」
に何かお役に立てるなら・・・と思っています。
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「死」・・できたら、あまり考えたくないもの・・・
しかし、これは、いつか必ずやってくる「現実」です。
厳しいですが、その「現実」について
何らかの備えが必要ではないでしょうか。
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しばらく、「死」というテーマを扱いますが、
わたくしが「死」と使う場合、次のような概念を
もとにお話しをしていることを知っておいて
いただけたらと思います。
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Ⅰ. 3つの死について
3つの死とは・・・
(1)「霊」の死について
(2)「魂」の死について
(3)「身体」の死について
聖書によると、人を構成している大切な要素として
「霊」「魂」「身体」というものがあるという考えに
基づいています。
また、聖書のいうところの「霊」「魂」「身体」
の概念の大切なところをまとめますと
霊とは・・「愛」のことです。また、
愛とは何らかの「関係」のことです。
魂とは・・「判断」のことです。
身体とは・・「行動」のことです。
よって、
(1)「霊」の死とは・・・「愛の関係」が断絶している状況
(2)「魂」の死とは・・・「間違った判断」がもたらすもの
(3)「身体」の死とは・・・「心肺停止、呼吸が止まること」
を意味しています。
聖書的に考えますと、「死」とは
単に「心肺が停止し、生物学的な行動が停止」することを
意味していません。
心臓は動いているけれども、
「死」んでいる状況はある・・・のです。
このことについては、また後日、
実際の聖書のことばをもとにお話します。
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Ⅱ. "愛”のゆえの死 と ”破壊的”な死
さらに、死について、聖書では
愛のゆえの死と 破壊的な死
という2つの質のことなる「死」があります。
愛のゆえの死とは・・・「犠牲」、「身代わりの死」といわれるもの
破壊的な死とは・・・「破滅」、「滅亡」、「腐敗」・・と同義語の死
聖書の原語によると、それぞれ
愛のゆえの死を表す言葉としては 「アポスネスコー」という死
破壊的な死を表す言葉としては 「ネクローシス」という死
があります。
日本語では、どちらも「死」と訳されるのですが
「アポスネスコー(アポトーシス)」と「ネクローシス」はそれぞれ
意味するところ、本質は全く異なります。
このことについても、後日、説明できればと
思います。
少々理屈っぽくなってしまいました。
申し訳ありません。
聖書によると、
決して、”破滅”や”滅亡”ではない「死」がある
というあたり、を少し、胸に留めていただけるなら
幸いです。
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本日もお読みくださり、ありがとうございます。
皆様のご健康、ご家族、お仕事すべてが守られますように。
どうぞ、よい一日をお過ごしください。
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