【神は死を創造されてはいない】
みなさま、本日もこころのエステ・フィットネスに
立ち寄ってくださり、有難うございます。
「生」を考えるために「死」を考える・・・続きです。
キリスト教圏では、
春には「イースター(復活祭)」
があります。
お花見を楽しまれた方もいらっしゃるでしょう。
こちら、広島のチベット、大和町のキャンパスは
まだ、桜の開花はもう少し先のようです。
「復活祭」
冬の向こうに春があるように
死の向こうに「神の国(天国)」が
備えられている・・と信じている
のですが
そうであっても、やはり「死」の
現実は、過酷 なものです。
どうして、このような死があるのか・・・
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わたくしどもの考える立場を申し上げると
聖書のいうところの神、「創造主」は
「死」をお創りにはなっていないということです。
注意深く、聖書を確認してみますと、
聖書の創造主は、死を「創造」しておられないことが
わかります。
最初、創造主なる神が創造された世界には、
「死」はなかった・・・のです。
・・・こう申し上げても、にわかには
お信じになりにくいことと思いますが。
なぜ、死があるのか・・・
答えが見つけにくいテーマではありますが
【創造主なる愛の神は死を創造されてはいない】
ということを、死を考えるにあたっての大前提とし
聖書の記しているところの「死」について
引き続き、記していこうと思っております。
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本日も、お読みくださり、有難うございます。
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