はじめに

今日も今日とて、性懲りもなく書いていきます。

前回までの投稿にもあるように、これまで書いてきたブログの記事を本のようにまとめています(まるで自費出版でもするかのように笑)。

 

自分で言うのもおこがましいですが(本当に!笑)、英語学習・教育とidentityについて書いた本の中では、結構充実した内容になっていると思います(まず日本語になっているものが少ない)。

 

これまでの流れを踏まえて読んでくださる方は以下のリンクからお読みいただき(THE 書き途中という感じで恐れ入りますが・・・)、今回書き足した部分のみを読まれたい方はその下から読んでください。

 

 

 

 

  東京都高校入試のスピーキングテスト

コラム:スピーキング試験の採点者について 〜東京都の公立高校の入試から〜

 

    2022年度から東京都で実施されることになった、高校入試でのスピーキングテストに関して、第2章で書いてきたことと関連づけながら論じていきたいと思います。

    このテストには運用面などさまざまな問題があったようですが、僕がここで書きたいのは採点者についてです。採点はフィリピンの英語指導資格のある人に委ねられたのだということですが、SNS上で「ネイティブじゃないと」といったことを綴られている方が多数いました。僕が尊敬する先生もそのようなことを言われており、少し違和感を覚えました。英語教育に熱心で、英語や英語教育に精通しているであろう人でもこのような考えをされており、そう考えると専門外の人やそういった知識が乏しい人は、「ネイティブ信仰」を今もなおされているのではないかと推察します。このような思想・イデオロギーを英語教育界ではnative-speakerismといい、世界的には見直さなければいけないという流れになってきています。

    確かにスピーキングの採点は、実際にどう英語が使われているのかを知らないと採点するのが難しいので、いわゆるネイティブといわれる人がいいといわれる理由は理解できます。ですが、もしこの考え方に則るなら、極端に言えば以下のようになってしまいます。

 

英語や英語教育に精通したいわゆるノンネイティブの人 

< 英語教育を全く知らないいわゆるネイティブの人

 

これが正しくないということは、多くの人が納得されると思います(たとえば日本語のスピーキングテストを、日本語指導のできない日本語母語話者に採点ができますか?)。僕自身、英語で授業を行う大学院を卒業した経験から考えても、これは正しくないと思います。実際僕は日本や他国出身の教授の指導を受けてきましたが、彼らは英語で論文を書き、博士号を取得し、いわゆるネイティブと言われる人々を指導した経験があります。このような方々が「ノンネイティブ」というだけの理由で、スピーキングの採点に関わるべきではないというのであれば、やはりおかしいことに思えます。

結局この考え方は、第2章で示した同心円のinnner circleの人以外はスピーキング指導に相応しくないという差別的な見方を反映しているといわざるを得ません。実際、このような「差別」はより大きな問題となっています。たとえば、英会話教室の雇用に現れています。いわゆる「白人」で、「アメリカ人」「イギリス人」のようなinnner circleの人が雇用されやすいのだといいます (Hooper, 2023)。確かに、英会話教室のキャッチコピーには「ネイティブによる指導」とあったり、いわゆる「白人アメリカ人」のような人が広告に出ていたりします。ビジネスをする側の目線に立つと、そうすることでお客さんが集まるのであればそれでよしなのでしょう。実際お客さんとなる一般人にもnaitive-speakerismが浸透しているので、いわゆる「白人」以外を広告に載せたり、いわゆるinner circle以外の人を講師として雇うのはマイナスに働いてしまうのかもしれません。

しかし、こういった行為がnaitive-speakerismを蔓延させているともいえます。一般人とビジネス、どちらを非難すべきとは一概には言えませんが、いずれにせよこの状況が続くのは問題であると言えます。これまでの投稿にも書いてきたように、naitive-speakerismは日本語コミュニティに参加しようとする人々にも向けられることになり、差別や排除といった問題につながってしまいます。これは必ず取り組まないといけない問題です。