はじめに

少し空いてしまいましたが、今日も今日とて。

前回までの投稿にもあるように、これまで書いてきたブログの記事を本のようにまとめています(まるで自費出版でもするかのように笑)。

 

自分で言うのもおこがましいですが(本当に!笑)、英語学習・教育とidentityについて書いた本の中では、結構充実した内容になっていると思います(まず日本語になっているものが少ない)。

 

これまでの流れを踏まえて読んでくださる方は以下のリンクからお読みいただき(THE 書き途中という感じで恐れ入りますが・・・)、今回書き足した部分のみを読まれたい方はその下から読んでください。

 

 

  ELF/WEの方向性へ

ELF / WE の方向性へ

    ここまで第二言語学習(ここでは英語学習)とidentityの問題について見てきました。それは(人種)差別といった大規模な問題から、身近なところの小規模な(だけど重大な)攻撃、すなわちマイクロアグレッションのような小規模な問題まで様々な形態で我々に関わっています。そこで、これから英語学習・教育がどのようにあるべきなのかについて考えていきたいと思います。先に結論から述べると、これからの英語学習・教育でキーワードになるのは"ELF"と"WE"ということになると思います。    

    ELFとは、English as a Lingua Franca の略で、「(主に非母語話者の)共通語としての英語」のことを指しています。いわゆるネイティブの英語をモデルとし、それを基準に「合っているか間違っているか」を考えるのではなく、共通語として機能しているかどうかを重視しています。英語が非母語話者同士のやり取りに当たり前のように使われる現代において、この考え方はある意味「自然」なのですが、英語学習・教育の現場ではそうではありません。依然としてネイティブをモデルとし(極端に言えば崇めるように羨望の眼差しを向け)、それを基準に「正誤」を問うような思想が蔓延しているのです。特に学校教育現場は、定期試験や入試試験のような「選抜」のために英語が学ばれている環境であるため、「ネイティブ基準の正誤」という考え方は根強く残っています。学校教員として、ネイティブというわかりやすい基準やゴールがある方が指導しやすいという「学校の現実」は理解しやすいのですが、これは「世界の現実」には明らかにマッチしていません。現場の指導者の知識や思想のアップデートにより、学校と世界の現実をうまくすりあわせていくことが求められています。

    もう一つの方向性、WEとは、World Englishesの略であり、「世界の英語」とも訳されています。WEの考え方はELFとも通じるところがあるのですが、世界にはいろいろな種類の英語があることを認めようという考え方です(そのため、通常不可算名詞のEnglishが複数形になっています)。これも「自然」のように思うかもしれませんが、学校教育現場では当たり前ではありません。僕自身も、「僕自身のidentities」に書いたように大学時代にこの考え方を知るまでは、まるで英語は一様なものであると考えていました。教科書や英検教材で聞く英語が僕にとって唯一の「英語」だったからです。実際にはイギリス英語やアメリカ英語を見聞きしていたはずなので、最低でも2種類は知っていたはずなのですが、このようなことを気に留めたことがなかったですし、先生も教えてくれなかったように思います。それから20年近くが経っているので、学校教育現場も変わりつつあると思いますが、これからの英語教育は、イギリス英語とアメリカ英語(+せいぜいオーストラリア英語やカナダ英語)といったいわゆるネイティブの英語を教えるだけでなく、先にも書いたシンガポールの英語やその他の英語種についても触れさせていくことが大切です。

    このように、英語が一様でないという現実を知ることは、初学者においても重要なことだと考えています。その一つの理由は、学習者のidentityを尊重することにつながり、その後の英語学習へのポジティブな影響が期待できるからです。「日本語の影響のある英語でも共通語として機能すれば良い(ELF的な考え)」、「日本語の影響のある英語も英語の一つだ(WE的な考え)」と思えれば、学習者はのびのびと英語学習に携わることができるでしょう。

    そしてもう一つの理由は、先に書いた「日本語の影響のある英語でも共通語として機能すれば良い(ELF的な考え)」、「日本語の影響のある英語も英語の一つだ(WE的な考え)」をもって他者に目を向けると、より寛容になれる可能性があるからです。「英語とはこういうものだ」と、いわゆるネイティブの基準を持って考えてしまうと、いわゆる非母語話者の英語は「誤り」「異端」「教養不足」といった発想をもって他者に接してしまうでしょう。一方、ELFやWEの考え方を持ってすれば、他者に自分との共通点を感じ取り、同じコミュニティーに属する「仲間」として互いを認めあえるでしょう。こうなれば、この章を通じて書いてきた英語学習・教育とidentityの問題を軽減する道筋が見えてきます。

僕はこの2点目のポイントは、1点目のポイントである「英語学習が促進されること」よりも重要なことだと捉えています。なぜなら、この「他者理解」「仲間意識」を養うことは、AIが言語的な障害を取り除いていくことになるであろう現代における英語学習・教育の重大な意義であり、英語学習・教育に携わるからこそ得られる経験になると考えるからです。