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tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

このお話は以前アップロードしてありますが、連載の流れで今回再度アップしておきます。
セックスというと、だれもが経験して、自分は知っていると思っていますが、いやいや、これはとても奥深い内容を持っていると思います。
生命現象ですから、いくらでも深い次元が、この中に隠されているのです。
呼吸と同じほど深いものだと思います。
呼吸の奥には『神』が在ると、ラマナ・マハリシが云っていましたが、『セックス(陰陽合体)』の奥には、確かに神がいると思います。
しかし、現代では宗教と政治があまりにもタブー視して、また非難、批判、反発、抑圧、倒錯して、もうその純粋性を体験する土壌が失われてしまっているのです。
一度、あかちゃんの状態に、人間のマインドをリセットしなければならないのですが、今の地球の文明の中では、それができません。
 これは、もうすこし先の時代の課題になるでしょう。

 セックスレス

 夫婦間の軋轢を引き起す原因に、セックスが絡んでいる問題がけっこう多いのですが、セックスは多分にタブー視されているため、身内にも親しい夫にも、自分の恥部を曝け出すような恥かしさがあって、容易に相談もできず、悶々と胸の奥に悩みを抱えている夫も多くいると思います。
 その問題も様々で、浮気は勿論のことですが、例えば、夫の強引で異状な性欲に耐えきれず、セックスが恐怖となって悩んでいる女性や、逆に奥さんの性潔癖症に、欲求不満をつのらせている男性。また、暴力的に犯されたそのショックがトラウマとなって、結婚できずにいる女性。近年問題となっているセックスレスの問題などなどがあります。
 現代の社会は物質文明の進化と共に、夫間関係においても仕事においても複雑になり、ストレスやプレッシャーが多く、若い夫のなかにもセックスレスが多くなってきている、と聞いております。男性が女性化してきていることも感じられます。独身でいる場合はそれでもよいでしょうが、結婚となると問題です。
 ある女性が結婚の相談に来ました。彼女はたいへん美しく、年の割にはまだ幼さが残っていて、可愛いお嬢さんでした。
 結婚相手の男性は、年令もだいぶ上で一見、男性っぽく、頼り甲斐のありそうな印象でしたが、何故か私はその男性との結婚を反対しました。が、親御さんは、別に反対する理由も無いということで、彼女を結婚させたのです。
 結婚が決まった以上、私も彼女の幸せを祈り祝福しました。彼女も明るく幸せそうに見えました。が、これから三年位して、彼女が私のところに来て、実は夫との間に、未だにセックスが無いのです、と告白をしました。事情を聞いてみますと、彼も自分のそうした状態を、負い目に感じているのでしょう、彼女のことをとても大事にし、可愛がっているようですし、彼女も性格がおっとりとしたところがあって、セックスレスにそれほど悩んでいる様子でもありません。
 両親に告げると心配をかけるから、絶対内緒にしてほしい、ということでしたので、彼のことは仕事のストレスなどで、一時のことであろうからと慰めて、帰しました。
 しかし、セックスの欲求の強い相手であったら、悩みも深刻となり、離婚ということにもなるでしょう。
 また、あるカップルが新婚旅行に、憬れのフランスヘと祝福されて旅立ちました。帰ってくるなり女性は黙って実家に帰ってしまい、いくら親が説得しても、口もきかず、お婿さんに会おうともしません。結局離婚ということになってしまったのですが、その原因は、彼女のほうの性潔癖症にあったのです。
 彼女の幼児期に、何かの性的なショックとなる体験があったのでしょう。それが彼女のなかに精神的外症となって、男性に触られるだけで拒絶反応を起してしまうのです。彼女は結婚生活をどのように考えていたのでしょう。母親がそうした娘の状態も気づかず、結婚に対する予備知識も与えずに、結婚させてしまったことは、ほんとに理解に苦しむところです。こうして、セックスに関する問題は、表に出せないだけに、深刻な問題なのです。

 セックス性について

 本来セックスは、男(陽)、女(陰)の合体によって、大間が全体性に目覚め、完全性に向って次元上昇していくための、大切な行為なのです。
 セックスは、高い周波数へと肉体を繋ぐ絆となるもので、男女が共に夫婦生活のなかで、お互いの性を通して吸収し合い、学び合って、その愛の結実として子供を生み、自らの愛を成長させていくための、大切な行為なのです。
 また個人においても、生れ変りの繰り返しのなかで、男性となり女性となり両性を学び、自己のなかに男性北と女性性を融合させて、完成された人間へと、自己々高めていくようになっているのです。
 男性、女性というセクシュアリティーは、神から与えられた素晴しい贈り物なのです。従って、性エネルギーは純粋なエネルギーなのです。そのエネルギーをどう使うかは、自己の責任なのです。性エネルギーの流れは、高めていけば、大いなる生命の本流に遡り、合流することもでき、低く流せば、暴力的に人間性を蹂躙することにも使うことができるのです。こうしてセックスは、本来神から与えられた神性なものなのに、何故これほどまでにタブー視され、淫靡なものとされてきてしまったのでしょう。
 性欲は、人間の持つ欲望のなかでも最も強いものですから、それを押さえこもうとしても、逆に翻弄されて押し流されかねません。宗教者は自分達を聖なる者とするために、セックスはすべきではないと思い、修行として精神的に最高のレベルに達するためには、性的な欲望を超越しなければならないとして、性に関する独善的なルールを作ったのです。
 そうした禁欲的な生き方をすることはよいのですが、それを社会的なルールとして一般民衆まで、神の名において強制したことによって、セックスは多くの社会的な制約を課せられ、過去数千年間、公にはできず、密室での秘め事として、タブー視されてきたのです。
 こうした規制を設けてきたのも、人間がセックスを通して自らの霊性を高め、神性に目覚めていくことを恐れ、それを阻止し、コントロールしやすくするためのものだったのです。それは権力者が宗教を利用し、セックスを罪悪として、人間の自由を奪ってきたからです。
 中欧の暗黒時代、神の名において人間は隷属され、性道徳によって束縛され、違反すれば地獄に堕ちると威されてきました。そのため人間は素直に愛を表現し、愛し合うことにもどれほど罪の意識を感じ、本来神聖であるべきセックスさえ、淫靡なものに堕落させ、自我欲望を満足させる行為となり、性を商品化させてきてしまったのです。
 といって、今現在、道徳や倫理といった枠を外してしまったら、人間は無軌道になり、誤った自由から何をやりだすかわからない、という人もいます。人間の意識がまだまだ低いから、それもごもっともなことです。しかし、それは人間自身を、自分をふくめて信じていないからです。どんなに規制しても犯す人は犯すのです。
 人間は神の分霊として、どのような人の内にも神性が秘められているのです。人間は宇宙の法則に則って生かされているのです。ですから、何か真実で、何か偽りであるかを知る能力は、性来的に備わっているものなのです。そこで、人間の本質は善なるものであることを信じ、それを正しい方向に導いていけば、性エネルギーは人間にとって偉大な味方となり、霊性を高めるために使えば、人間をより美しく、感受性豊かな人になることもできるのです。真の聖者としての威厳と美しさは、性エネルギーを断ち切ったからではなく、昇華させたからです。
 今この世界は三次元の物質波動の時代から、精神波動の世界へと次元上昇しつつあるのです。そのための波動調整から、大浄化の変革期に入っているのです。従って人間の意識も目覚めてきて、全体性へと意識が広がっていくのです。今、新しい精神的な革命がはじまったのです。自分自身の性に目覚めるときがきたのです。自分にとって、男であり、女であるということはどういうことなのか、自分の役割を正しく果たせるようになれば、道徳も倫理も必要なくなるでしょう。
 セックスが密室から解放され、本来の機能に目覚めていけば、人間の霊性は著しく高められ、個としての愛から普遍的な愛へと大きくひろがっていくでしょう。
 人間は様々な人間関係のなかで愛を学び、自己を成長させていくのです。私たちが愛をどのように探求していくかが大事なことなのです。
 そのための男性性と女性性の統合なのです。
今までは仲の悪い夫婦のご相談内容でしたが、仲の良い夫婦は、どんなタイプがあるのでしょう。
今回はそういうお話です。

 合理的タイプ

 夫婦間の問題で相談に来られる方々の中から、タイプ別に例をあげてお話してきました。相談に来られるくらいですから、夫婦円満の方はいらっしゃいません。
従って、悪い因縁生による結びつきの例が、多くなるのはやむをえません。
 因縁生はお互いものですから、一方的にどちらが悪いとは言えません。夫婦どちらかが、或いは相方共に魂が幼いか、子供の時の愛情不足な育ち方によって、性格的な歪みを持っている人たちが、今生で浄化と学びのために、夫婦という形をとっているわけです。ただ感性が合わないから、嫌だから別れますでは、卒業できないのです。卒業できないということは、また遣り直しをすることになります。だからといって、悪い因縁生だから仕方ない、と諦めてしまうのではなく、諦めるというのは、明らかに見ることで、そうした因縁生の現われをよく識って、どうしたらそれを超えられるかと考え、自分の生き方をそのようにしてゆくことです。
 百人百様ですから、まだまだいろいろな夫婦の在り方があると思いますが、このくらいにして、次の合理的タイプをみていくことにしましょう。
 合理的タイプの人との結びつきは、必ずしも悪い縁とはいえません。
 合理的とは、道理や理屈にかなっていることであり、物事の進め方に無駄がなく、能率的であるのです。こういう人は至極真面目で誠実な人柄ですから、人様から好感をもって受け入れられると思いますが、融通性がなく、自分の生き方を曲げようとはしません。また、自分の合理性を乱す者があれば我慢ならず、厳しく批判もし、相手を強制しようとするでしょう。他人なら付き合わなければよいでしょうが、家族となったらそうはいきません。当然金銭的にも一切の無駄をしない、させないでしょうから、他から見たらケチという印象を与えるでしょう。
 「ご意見はまことにごもっとも、でもそういかないのが人闇でしょ」と、反発したくなると思います。ですから、そういう人をご主人に持った奥さんは、四角四面の見えない空闇に閉じ込められたような、圧迫感を感じるかもしれません。
 人闇はどこかファジー(曖昧さ)なところがあったほうがよいのです。それは融通性というか、何から何まで形に嵌めて、こうでなければならぬという生き方は、その人にとっては、道理にかなった生き方をしているつもりでしょうから、まことに気持がよいと思いますが、一緒に住む者にとってはやりきれません。
 人闇の生き方には、どこか抜けたところがあったほうが、付き合いやすいと思います。よく言えば融通性、相手を赦し、包みこむようなものがあったら、その人は多くの人々を癒すでしょう。
 人方の人々は、自分の形(その人の意識のありかたや、想いの癖など、自己像のパターン)に当て嵌めて、相手を見ようとします。例えば、自分が三角なのに、四角の人を見て自分の形(三角)に当て嵌めようとして、想うようにならないと、あの人は闇違っている、と批判したり怒ったりするのです。要するに人間は、自分の都合のよいようにしか物事を見ないということで、自分が三角なのに四角を自分の中に入れようとしているようなものなのです。
 四角とか丸とかは、その人の性格的なものですから、四角でも丸でもよいのです。その枠が人きければ、たとえ相手がどんな形であれ、自分の中に入れることがきるし、遊ばせることもできるのです。それがその人の心のゆとりであり、そういう人を魂の人きく深みのある人というのです。
 男であれ、女であれ、そういう伴侶を持った人は幸せな人です。
 さて、ご相談には来ませんが、仲の良い夫婦には、どのような過去生の因縁生があるかをみてみましょう

 親子タイプ

 過去世で親子だった因縁生かあって、それが今世で夫婦となった場合、貸し借りのある悪い例は、先にお話しました。この親子タイプは善因縁による結びつきですので、どちらかが前世で親で、子供によく愛情をそそぎ育てたか、子供が親によく孝行したか、などの
恩義があったりして、今世で夫婦となった場合。例え低奥さんが母親で、ご主人が子供であった縁の場合、子供は可愛いし、尽そうという思いがあるから、ご主人が少々我儘を言っても、少々遊んでも、奥さんがご主人をつつみこんでカバーしようとします。
 その逆もそうです。ご主人が親で奥さんが子供だった場合も、奥さんがご主人に頼りきって我憐言っても、ご主人はそれを善しとして、よく面倒を見ています。
 片方が母親であったか、父親であったかによって、愛情のかけかたに少し違いはあると思いますが、いずれにしても仲の良い夫婦です。

 兄弟(姉妹)タイプ

 兄弟、姉妹、或いは兄妹、姉弟などの過去世に仲の良かった縁によって、今世で夫婦となった場合。夫婦といいうより、兄妹のようなさっぱりとした感じの関係です。
 普通、夫婦の場合は、ご主人のほうが主導権を持ち、奥さんがそれに従うという形です。(その逆もありますが)兄弟(姉妹)タイプの場合は、お互いに遠慮なく言いたいことは言い合い、時には喧嘩もしますが、いざという時には共に助け合い、問題を乗り越えてゆくといった夫婦です。

 友人タイプ

 友人タイプとは、お互いに自立していて、それぞれに仕事や芸術活動などに情熱を持ち、お互いの生き方に干渉しないで、自由を認め合います。生活は什事が中心で、家は憩いの場、癒しの場で、夫婦であるというより、いつも新鮮な恋人同士のような感じです。
 こうした夫婦の在り方はなかなかいません。大人同士の結びつきで、信頼がなければ成り立ちません。未来の夫婦の在り方が、そうした生き方の中から生れてくるのかもしれません。

 恋人タイプ

 もう一つ付け加えておきたいのは恋人タイプです。 過去世において、愛し合っていた魂が、今世でまた一つに結ばれた、或いは、何らかの理由で実らなかった恋が、今世で引きつけ合い、成就して夫婦となった場合。まことに仲の良い夫婦となりますが、そうした
熱々の仲で一生を終ればよいのですが、いつまでも燃えているわけにもいきませんパ折角の恋の実りをさらに豊かなものにしていくかは、そうした状態の中で、そのふたりが何を学んでいくか、にあるわけです。幸せの時には学びも疎かになりがちです。
 精神性に目覚め、自らの意識を高めていく努力は、どのような状態の中におかれても大切なことです。

 離婚について

 夫婦のいろいろな在り方についてお話してきましたが、ここで離婚についても触れておきたいと思います。離婚の相談に来られる方の相方の魂を見ますと、大体が女性のほうが魂が大きいのです。ということは何らかの因縁生かあって、自分より魂の幼い男性を受け入れたのです。幾つも例をあげてお話してきましたように、因縁生がなければそうなりません。 
 そこで、 「あなた達は恋愛結婚ですか。」
と聞きますと、
「はい、そうです。」という答えが返ってきます。
勿論お見合い結婚だったら離婚もない、ということではありません。恋愛結婚に比較的破綻が多いのは、先にもお話しましたように、因縁生の浄化のために引きつけ合い、好きだ、どうしても一緒になりたいという感情になり、いざ結婚してみると、夢に描いていた結婚生活と違い因縁生の浄化のために様々な業が現われてきて、こんなはずではなかった、という失望感と業の浄化に耐え切れなくなって、離婚ということを決意しはじめるようになるのです。
 もともと過去世での悪い因縁生の浄化のために、お互いがその縁によって引きつけ合い恋愛感情となり、結婚にまで踏み切ったのですから、別れなければならない時がきたら、いさぎよく別れたらよいと思うのですいが、因縁生の浄化のために守護霊様が二人を結びつけたのに、まだ因縁生か浄化されないまま別れたのでは、残った因縁生はいずれまた何らかの形で浄化しなければなりません。ならば、折角結婚したのですから、その結婚生活の中で、どんなに辛いことや苦しい悲しいことがあったとしても、ただの苦しみ悲しみに終らせないで、それらの体験から何かを学ぶことが人切なのです。それは愛です。
 様々な体験を通して、どれだけ自らの愛を成長させていくかにあるのです。そういうことが自覚できたなら、別れるものは別れたらよいし、因縁生を乗り越え、二人で真実の愛を築いてゆくことも可能なのです。
 だから悪い結婚をしたからといって、運命のせいにし、嘆くだけでは魂の成長はありません。結婚は陰陽が合体することによって、お互いに霊性を高めてゆくために大切な行為なのです。 (つづく)
この肉体の世界は、業生といって、未完結の想い、行為を完結するということが、奥深い動機となって、その人の駆り立てています。
それは、貸し借りの世界です。貸した人は取り立てに来ます。借りた人は返しに来ます。恩を返す、あるいは復讐に来る、ということです。それは魂が知っていて、見るだけで憎い人もいれば、一目あっただけで懐かしい、慕わしい人もいるわけです。それはあらゆる人間関係に当てはまります。今回はそういうお話です。


 貸し借りのあるタイプの親子

 生命は神によって生かされているものですから、人間が自分の力でどうこうできるものではありません。従って魂の親は守護霊であり、肉体の親は両親ということになります。
 親子の関係は、大方は親のほうが子供に借りがある場合が多く、その借りを返すうえでも、子供を一人前に育てていく義務があるのです。子供は育てられてあたりまえ、我儘をして親に苦労かけたりしています。
 親が子供に、育ててやったことを恩着せがましく言って、親孝行を要求し、老後のめんどうをみるのは当りまえ、などと思っていたら、借金を返しているのに、貸したのだから利息をよこせ、と言っているようなものです。
 もし逆に子供のほうが親に借りがある場合は、親が要求しなくとも、親を人事にし、よくめんどうをみます。ですから「子供は預かりもの」と言うように、子供は自分の子ではあっても、自分のものではないのです。善い子を預かれば幸せですが、悪い子を預かった場介は苦労が多いのです。これもその人の因縁生によります。
 ここで問題になるのは、過去世において、ある事情によって、母親が子供を捨てた、或いは子供を置いて家を出たなど、子供を育てる義務を放棄した場合、当然子供に対して借りをつくります。その借りはどこかで返さなければ、いつまでも因縁生として自分の中に
あります。
 人間関係というものは、すべて因縁生によって起ってくるもので、それが善い関係だったり、悪い関係だったり、愛し合ったり、憎み合ったり、と様々な姿で現われてきます。
 例えば、過去世において捨てた子に、今世めぐり会ったとします。お互いの因縁生によって引きつけ合います。そしてそれが恋愛感情となり、周囲の反対を押し切っても結婚します。ところが結婚してみたら、過去世においての因縁生の貸し借りを、清算するべく状
況が起ってきます。
 この場合、妻が母親であり、夫が捨てた子であったとします。はじめは好きで一緒になったのですし、無意識のうちにも過去世に果し得なかったものを清算しようと、妻は夫の要求に応じながら一生懸命尽します。
夫は夫で過去世にかけてもらえなかった愛情を取りもどそうと、無意識のうちに我値な行動を取ります。尽しても見返りがない愛に妻は疲れ果て、夫は欠けた愛情不足が満たされることなく、ますます欲求をつのらせていく。子供が母親の愛情欲しさに駄々をこねるようなものです。次のような例があります。

 髪結いの亭主      

 俗に「髪結いの亭主」という言葉があります。
 かみさんが髪結いという職業を持ち稼ぎがあるために、亭主が仕事もしないでぶらぶらしていることですが、まさにその言葉のように、奥さんは美容院を経営し、ご主人は什事もせず家に居て、売れない小説ばかりを書いていました。時々「おかあちゃん、お金をくれ」と、奥さんから小遣いをもらっては一杯呑みにゆく。そんな生活を十六年もつづけてきたのです。
 奥さんが私のとこに来ては、亭主の働きのないことの愚痴をこぼしていきました。
 ある時、その奥さんがニコニコしながらやって来て、 「先生、うちの人がとうとう賞を取りました。」
そう言って、新聞の切抜きを私に見せてくれました。
「河出書房・新人賞・○○○○」と大きな顔写真と名前がのっていました。
 「今まで私は、この人のために苦労してきたけど、これから私は楽ができます・・・。」
と、有頂天の喜びようです。
・・・どうも女がいたようです・・・。私か長いこと面倒を見てきて、折角賞を取ってこれからというのに、三ともあろうに女をつくって逃げるなんて・・・。」
と、後は悔し泣きです。
 それから彼女は気性の強い女性でしたから、彼の行きそうな処を探し廻りました。時々報告のために私のところに来ては、無念の想いを語っていきました。彼母行方は杏として知れません。そこで彼女は思いあまって、丘井先生のところにゆきました。五井先生は彼女の話を聞くなり。
 -あなたのご主人はね。実はあなたの捨てた子だったんだよ。だから十六年間育てる義務があったんだよ。」
と、おっしやいました。今は二十一才で成人と認めら極ますが、昔は十六才で元服し大人の仲間入りをするわけですから、十六才までは子供として親が責任をもって育てる義務があったのでしょう。その親としての責任を放棄したがために、その捨てた子が生れ変って矢となった。だから彼女は母親として果さねばならなかった義務を果すため、夫を養ってきた。十六年経って。人前になったから、女の人をつくって独り立ちをした。ということになるのです。
 彼女は五井先生のお言葉によって、自らの因縁生の深さを識って、その日以来すぱっと彼への想いを断ち切ることができました。
 それから数年経ち、聞くところによると、駆落ちし夫二人は、心中したとのことでした。小説家として家をなすには、それだけの力を持っていなければなれません。もともと働く意欲もないような人だったから、生活にゆき詰って心中をしてしまったのでしょう。

 因縁生が浄化されていないと…

 見ず知らずの他人が不思議なご縁によって、夫婦となって共に生活する。善いにつけ悪いにつけ余程の縁がなければそうなりません。今までお話してきました夫婦の種々相は、悪い因縁生の結びつきばかりでした。
まだまだいろいろなタイプがあると思います。上げた例を見ればわかりますように、悪い因縁の結びつき七は、両方、あるいは片方がまだ魂が未成熟で、自我を押し通そうとしたり、因縁生に振り回されてしまい、さらなる因縁生を深めていくような人々です。
 といって因縁生が悪いのだから仕方ない、と諦めて投げ出してしまったら、折角夫婦となった意義を学べません。それでは因縁生も浄化できず、身内に残したままです。嫌だからと別れても、自分の中にある因縁生か、また次に同じような相手を引きよせます。
 ある女性が離婚の相談にやつてきました。夫婦共に幼い面があって自我をぶつけ合っている状態です。これ以上夫婦生活をつづけていても、かえって業を積み重ね、深めていくだけだとみて、どうしても別れたい、という彼女の意志に同意しました。
 彼女は離婚し独り身になって、私のお話の集会に姿を見せていましたが、なんだか浮き浮きした感じでした。
 それから暫く月日が経ち、好きな彼氏ができたからといって再婚の相談に来ました。
 今度こそ幸せな結婚ができると思っていたのかもしれません。私は彼の写真を見るなり、
 「この男性は、前の別れた彼と同じじゃない・・・。」
 「いいえ違いますよ、全然違います・・・。」
 「いいや、同じだよ。私は姿形を言っているのではなく、同じような魂の人だと言っているんです。この人と結婚したら、また前の彼の時と同じように我儘をぶつけ合い、あなたは彼にもの足りなさを感じて、別れるはめになりますよ。それでもいいの・・・。」
 「だってー・・・。」
 私の言葉が意外だったのでしょう。彼女は絶句したまま、不服そうな顔をしていました。
 この例でもわかりますように、二人の因縁生が浄化されないまま、嫌だからといって別れても、次に選んだ人が前の彼と同じような魂の人であるということは、また同じ繰り返しをして学びなおすものがあるからです。
 たとえどのような悪い因縁生の結びつきにしても、それは守護霊様がその人の因縁生を浄化させようとして結んでいるのです。ですからそうした因縁生の浄化で苦しんだり悲しい想いをしたとしても、それは善くなるための浄化の姿であって、その人の意識を高めていくための大事な学びなのです。
 ですから別れ話で相談に来られる方の心境をみて、別れることをすすめたり、もう一度やり直しをすすめたりしているのですが、例に上げた彼女のように、学ぶどころかますます因縁生を深めていってしまうような人には、離婚をすすめてやり直しをさせる必要もあるのです。    
 もともと因縁生による結びつきですから、お互いに学び合えるものがあったら、別れるものは別れたほうがよいのです。また、因縁生の仕組みがよくわかって、相手との関係が因縁生によるものとわかったなら、結婚して苦労をする道を選ぶ必要はないのです。
 この肉体(三次元)の世界は、因縁生(カルマ)の浄化と学びの次元なのです。
 「迷を大悟するは悟りなり」という道元禅師の言葉がありますように、業の正体、つまり因縁生の仕組みがよくわかった人が、悟った人だということなのです。
人間も動物から進化した肉体を持っていますので、美しい女性、自分のハートに響く人を見れば、どんな男性も、「いいなー、この人と付き合えれば幸せだろうな」と思うに違いないと思いますが、社会的なことがありますから、行動に移すかどうかは別ですが。
また、母親の愛情を十分に感じ取れなかった男性は、どうしても心の中に、その代償となるものを求めていると思います。それがないと生きている意味を見出せないように。>
今回はそういうお話です。


 男はみな浮気性か

 五十才前後と想われる女性が、相談に来られました。
「先生、男の人というのは、一人の女性では満足しないものなのですか。どうして我から次へと浮気を繰り 返すんでしょうか。男の人の性とはそういうものなのですか・・・…。」
 「私も男なんですけど・・・。」
 「あら、ごめんなさい。」
 「男性がすべてそうだ、ということではありませんよ。女性だって次々と男性遍歴をするひとがいますからね。男性の性としては、あなたのおっしゃるように、確かに多かれ少なかれ、浮気心は持っているかもしれません。それは、男性の本来性として、獲物を求め、狩りをして歩くのに対して、女性は大地に立って守り育むといった特色を持っていますからね。しかし男だから女だからではなく、そのように次から次へと異性を求めていくタイプの人は、一人では性欲が満足できないからではなく、自分の愛情不足を補って欲しくて、異性を求めて渡り歩くのです。これは性格の歪みからくる病気のようなものです。あなたのご主人はそういう方ですか。」
 「はい、そうなんです。はじめの時は私も、私というものがありながら、と頭にきて大喧嘩をしました。その時は主人も謝って、『わかった、もうやらない』と言いましたので、そのつもりでいましたら、またいつの間にか別の女性と出来てしまっていたんです。
  悔しくて『あなたがそういう人なら、私は別れます』と言いましたら『悪かった。もうしない。おまえとは 別れるつもりはない』と言って詫びますから、今度こそ本気かと思っていましたら、またはじまったのです。私にわからないようにやってくれたらよいのに、うちの主人は不器用な人ですから、すぐばれるようなことをやるんですよ 私はいつもこんなことで神経を使っていることに疲れて、この頃は諦め半分でいますけど、主人の浮気癖はいつか収まるものなんでしょうか・・・。」
 「ご主人はおそらく、子供の時に愛情不足で育っているんだと思いますよ。自分が愛されていないのではないか、という不安が、つねに潜在意識の中にあるのだと思います。だから次々に女性を求めて、自分がどれほど愛されているかを試して歩くのです。それでも、あなたと別れたくないのは、彼にとってあなたがいなくては困る、つまり母親のような存在で、愛を探し疲れて、帰ってくるところなのですよ。でも彼はこのままでは、一生愛に満たされないままで、人生を終らなければならないでしようね。それは彼が、自分に欠けている愛を、他の人の愛で満たそうとしているからです。人間は様々な体験を通して、自らの愛を成長させていくものなのです。与えることをしないで求めるだけの愛では、その人の愛は成長しないのです。他人から見れば、いつも女の人を追いかけて好き勝手をしているように見えるでしょうが、実は、いつも愛に飢えているかわいそうな人なのです。そう理解してあげて、改めてご主人を見たら、見方もまた少し変ってくるのではないですか。そのうえで、一緒にやっていくか、それとも別れたほうがよいかを、決めたらよいと思いますがね・・・。」

 逆縁タイプ

 逆縁タイプというのは、お互いが過去世で敵同士であったり、最も仲が悪い者同士が、因縁生の浄化のために結びつくことです。
 他人の関係では嫌なことは逃げてしまい、因縁生の浄化がしきれないと、守護霊がみた場合、夫婦や親子の形で二人を結ばせます。逃げ場のない、まるでリングに上った二人のボクサーのように、相手をどうノックアウトするかで殴り合うのです。休憩をはさんでゴングが嗚ると、また猛然と殴り合う。実は一つ殴るたびに一つ、因縁生を消しているのですが、本人同士は相手に負けまいと闘志を燃して、怒りや憎しみをぶつけ合うのですから、一つ消えると同時に、また新しい因縁生をつくっていくことになります。
 これが逆縁タイプの夫婦です。

 私・・・家出してきました
 三十代後半の、色白でなかなかの美人の奥さんでした。
 「私・・・家出してきました・・・。」
思い詰めた顔をして、そう切り出しました。
「そう・・・何処から・・・。」
 「秋田から来ました・・・。」
 「お子さんは。」
 「はい、十才と五才の男の子と女の子の二人です・・・。」
 「すると、あなたは二人のお子さんを置いて家出をしてきたんですか・・・。
 二人のお子さんに対する責任は、お母さんとしてどう考えていらっしゃるの・・・。」
と聞きましたが、黙って下俯いたまま返事がありません。
 何故子供を置いてまで家出してきたのか、聞きだした彼女の話をまとめてみますと、望まれて結婚したのですが、新婚旅行のその晩から、自分に気にいらないところがあると、殴る蹴るの暴力がはじまり、時には髪の毛を掴んで雪の中を引き摺りまわす。あまりの暴力に耐えかねて実家に逃げ帰ると、泣いて詫びにくる。仕方なく帰ると、また暴力がはじまるで、十才になる男の子が『ぼくがお父さんをぶっ殺してやる』とまで言った、と、いうことで、話はまことに深刻です。
 「話はよくわかりました。あなたもよく耐えてきましたね。あなたが決心して家出してきた以上、まずあなたの落着き場所と働き口が必要ですね。そこで、私の知り合いに料亭のおかみがいるから、そのひとにあなたのことを頼んでみましょう。仕事は大変だろうけど、そこなら部屋も与えてくれるでしょうから、そこで働いて、暫らくしたら子供たちを呼んだらどうだ・・・。」
と、すすめてみたのですが、彼女は良家の娘さんで、嫁にいった先も病院を経営していて、家ではお手伝いさんがいて、お炊事一つ出来ないひとでした。これでは料亭の下働きなど勤まるはずがありません。
 私も思いあまって、この女性にはご主人との因縁生がどういうものかを、教えたほうがよいと思い、故村田講師に相談することをすすめました。村田講師は特殊な霊能力をお持ちの方で、過去生の因縁生のありかたもよくおわかりになる方でした。
 彼女は親切な会員さんの家に泊めてもらい、市川に在った本部に通い、村田講師はじめ幾人かの講師方に相談し、最後に故瀬木理事長に説得されて、丁度秋田から来た会員さんに連れて帰ってもらいました。そしてそのことを、五井先生にご報告申し上げたところ。
 「この女性は危ないよ、家に帰ったら殺されるよ、逆縁だからね・・・。」
と、おっしやいました。驚いた理事長は、急いで秋田の会員さんの家に電話をし、彼女に五井先生の言葉を伝え、家に帰らないようにと言いましたが、彼女はその言葉を聞いて、逆縁で過去世において、私が主人を酷い目に合わせていたのだったら、殺されてもよい、と覚悟したのでしょうか、その日のうちに家に帰ってしまいました。
 そのことを再び五井先生にご報告しましたら、五井先生は。
 「ああ、そうかい、それでいいんだよ。」
と、おっしやいました。それでは「逆縁だから帰ったら殺されるよ」と、わざわざ彼女に伝えた意味は、どういうことだったのでしょう。
 彼女がご主人との逆縁の因縁生を清算するのに十年暴力に耐えてきました。そして家出をすると決断したことによって八十パーセント浄化したのです。そこで五井先生が「逆縁」という言葉で夫婦の因縁生を教え、「帰ったら殺されるよ。」という言葉で、彼女の決断を迫ったのだと思います。ですから彼女が覚悟して家に帰ったことによって、このすさまじい因縁生は乗り越えることができたのです。すべてお見通しのうえで、五井先生はご指導をなさったのです。
 それから二十数年ぶりに、私か秋田に出張した時に、彼女が訪ねてきました。昔のことは忘れてしまったような、年相応の一家の主婦としての貫禄を身につけていました。
 聞くところによると、彼女のご主人は脳卒中で倒れ、彼女のお世話なしでは生きていられない状態でしたし、息子さんは立派な医者となって病院を嗣いでいるようでした。

家の中では、ムツっとして、外では、ニコニコしている。
こういう人のことですが、これもどうも本物でない気がします。
今回はそういうお話です。


 福は外、鬼は内タイプ

 昔は二月の節分の目には、内なる鬼を外に追放して、福を内に呼び入れるということで、夕方になると家中の窓を開け「鬼は外、福は内」と大声で叫んで、豆をまいたものです。神社、仏閣では毎年行われますが、一般家庭からはそうした風習もいつしか消えて、「鬼は外、福は内」の声も、聞えなくなりました。
 ここに例として上げた「福は外、鬼は内」のタイプは、外面はおだやかで人当りがよく親切。友人知人らは「あのご主人は素敵」と、奥さんが羨まれていふかもしれませんが、そのご主人が家庭の中では、いつも不機嫌で気難かしく何かと小言が多い。そんな人のことを言います。
内面と外面が違う人です。自分が人様から善く思われたい。その心がはたらくから、人には優しく親切に振舞い、善人を演じる、それが本音でないから、家では仮面をぬいで、自我を裁き出し、家の者には辛く当る、そういう人もいるのです。

 素敵なご主人と言われているけど

テレピなど見ています。私の知りあいの人からは『おだやかな善いご主人様ですね』と言われますが、何故この人が・・と思います。私のなにが気にいらないのでしょう・・・。」
 「あなたはダンスはなさらないのですか。」
 「はい、私は不器用だし、それにああいう華やかなものは苦手なんです。」
 「ダンスが駄目なら、何か他に趣味はないのですか。」
 「そうですね、これといって趣味は持っていません。本を読んだり、映画を観たり、お友だちとお喋べりしたりは好きですけど、特別にこれといった趣味はありません。」
 「ご主人はダンスが何よりも好きだということは、かなり華やかなものを求める性格だと思います。あなたは真面目で、どちらかといえば地味な性格ですよね。ですから家に帰ってくると、まるきり違う現実がそこにあります。ご主人としては自分の夢が壊されるような気がするのじゃないでしょうかね。それに、自分をつねに善い子で、人様から悪く思われたくない。そこで、かなり無理をして、自分で善人像をつくりあげていると思うのです。ご主人も家に帰ると、外では善い子であった分だけ疲れますから、家では不機嫌で、現実とのギャップの不満が、あなたに口うるさく、辛く当る、といったことになるのだと思いますよ。ご主人は女性との交際も多いのでしょうから、そちらのほうは・・・。」
 「主人は、夜も遅くなることが多いんです。何をやっているか私にはわかりません。それに、そんなこと尋ねようものなら、怒って口もきかなくなります・・・。
 でも、私の感じでは、誰か女のひとがいるように思います。」
 「あなたはご主人と別れるつもりはないのですか。」
 「はい、何度かそのことを考えましたが、私は主人のことを嫌いではありませんし、別れてもどうやって生活していってよいかわかりませんので・・・。」
 「あなたにはお子さんもいらっしゃらないから、あなたが自立していく覚悟さえすれば、別れることはできますよね。でもあなたにはその気がない。だからといってそのままでは、ご主人の性格が変るものでもないでしようし、このままでいけば、いつか離婚という形忙なりかねません。そこで、あなたとしては、相手の変ることを望むのではなく、あなた自身をまず変えてゆく努力をしないといけません。 ご主人の性格が変らないのであれば、あなたはそれを受け入れることです。そのうえで、あなた自身が積極的に何かのサークル活動に参加してみるとか、何かに趣味を持ち、ご主人にそそいでいたエネルギーを、そちらに向けるのです。或いはあなたがご主人と別れるようなことがあっても、自立していけるように、何か仕事を探して働いてみるとか、このように自分の生きかたに変化をつけることをやってみてはどうでしょう。
 あなたに出来ると思われるものを選択して、それに向って一歩踏み出す、と決断してごらんなさい。 相手を変えるためには、自分か変らないといけません。自分を変えるには勇気がいります。自分を変えようとしないで、まわりが変ってくれることを望んでも、それは無理です。何故なら、その人自身も環境も、自分の因縁生と思いによってつくっているからです。私がお話したことをよく胸にとどめて、ご自分の生命を生かすにはどうあったらよいか、をよく考えてごらんなさい。そして決断をなさい。決断することによって道はひらかれてくるのです。』

 浮気タイプ

 次から次へと女性遍歴をする男性、或いは男性遍歴をする女性もいます。
 この人たちは、一人の異性では満足できないところから、いかにも精力旺盛のように思われていますが、実は幼児の時の家庭に起った大きな出来事や、両親の不和などが原因して、その人自身が愛情不足に育ったため、子供の時の基礎的な人格形成の土台に歪みが生じ、その歪みを内に秘めて大人になってしまったのです。「自分は愛されていなかった」という想いがトラウマとなっているのです。ですから一人の愛で満足できないのではなく、自分がどれだけ愛されているかが不安になるのです。そこで次から次へと相手を変え、愛されているという実感を求めて遍歴をするのです。いくら求めても自分の愛が欠けているので、他からは満たされないのです。自分自身の愛は、体験を通して充実させていくことによって満たされていくものなのです。
 大方の人々は皆自分に都合のよいようにしか愛しません。つまり自己愛の延長としての相手への愛であって、こうした自己満足のための愛のありかたでは、その人の愛は成長しません。
 人間は輪廻転生を繰り返しながら、男となり、女となり、親となり子となり、恋人同士となり敵同士となり、様々な愛のありかたを学びながら、真実の愛の人へと成長してゆこうとしているのです。
 赤ちゃんとしてお母さんのお腹の中にいる時から、生れて三才位までに、その子の基本的な性格はつくられる、といわれています。その最も大事な時に、性格に歪みをつくる愛情不足の体験は、自分でも気がつかないで、或る出来事をきっかけとして、病気やノイローゼや様々な不幸な現象を引き起しかねません。そうした不幸な出来事を体験として生かせる魂の強い人ならよいのですが、魂がそこまで成長していない人は、性格の歪みに支配され、物事に対しても誤った選択の仕方をして、不幸な人生を歩んでいく人も多いのです。
 浮気タイプの男性、或いは女性の人は、そうした自分の性をよく自党することです。でないとただ自己満足のために、求め歩いているようでは、多くの因縁生をつくっていくことになります。人間関係というものは、すべて因縁生によって起ってくるものです。ましてや真実の愛でないにしても、男女か結ばれるということは、それだけの責任を背負わねばならないのです。その覚悟も無しに、ただ一時の欲望のために、相手を自分のものにするというありかたは、相方共に不幸な因縁生をつくっていくことになるのです。
もし、そういう因縁生かあったとしても、相手の魂の成長の助けとなり、因縁生を愛に生かしてゆける人は、業に負けない魂の大きな人だと思います。

家庭内でも上下関係があり、いじめのようなことがあり、自我の葛藤があります。
学校でも会社でも家庭でも国家でも、劣等感と優越感というものが人間の中にあるかぎり、弱いものいじめはなくならないように思います。

 暴君タイプ

 昔は家族制度が厳然としていたため、家族は家長の強い統制下にありました。家では父親は絶対の権威保っていました。子供たちも母親からそのように教えられて育ちました。
だから父親は恐い存在でもあったのです。それだけに亭主関白だったわけです。
当然、家族を養うという責任も果たしていました。 
 戦後、アメリカナイズされてきて、男女平等はよいのですか、家長としての権威もなくなり、男性がだんだん女性化してきているようです
 暴れタイプは亭主関白とは違います。自己中心的で、自分を高しとし、侵されまいとして、自己防衛のために怒り、相手に罵詈雑言を浴ぴせたり、暴力を振うといった人で、性格的には、気性が粗雑で浅く、攻撃的なものを持った魂の人です。特に妻や子供とか自分より弱い立場の者に対して、暴力的であるということは、自分自身が意気地無しで弱いからです。そうした自分を認めたくないから、暴力的に出て、自分は強いのだと自己欺瞞をしているのです。
 幼児の時の性的虐待などのトラウマによって、生来加虐性を持った人もいます。
 暴君タイブといってもいろいろですが妻を虐待するというケースが社会問題になるくらい多いのです。そういう人と夫婦になったということは、相方共に因縁生的に何らかの深いご縁かあったからでしょうから、一方的に加害者だけを責めても、問題が解決することでもありません。

 夫に暴力を振われました

 お化粧で隠すようにしていましたか、左目のこめかみの所が青黒く脹れて、うっとうしそうな感じのご婦人がやって来ました。
 「どうなさったのです・・・。」
私はその顔を見るなり聞きました。
 「はい・・・お恥かしいのですが、夫に暴力を振るわれまして・・・。」
と言うと、下俯かれて、言葉が途切れてしまいました。
激してくる感情を押さえようとしているのでしょう。
 「たびたびそういうことがあるのですか。」
 「はい・・・自分に気に入らないことがあると、会社のこと、仕事のこと、人の悪口。汚い言葉で次から次へと・・・。もう耳を被いたくなるほどで、私もつい嫌だっという想いが顔に出るのでしょうね。そうすると今度は私の欠点をあげつらって、文句をならべます。私がそれに言い返そうものならたいへんです。側にある物を投げつけたり、逃げると追っかけてきて暴力を振います。お酒が入ったときなど、いつそれが始まるかと思うと、とても恐いのです・・・」
 「お子さんは。」
 「はい。八才になる男の子が一人ですが、子供にまでは暴力は振いませんが、気に入らないと言葉で詰ります。それがいつまでも続くんで、もういいかげんにしてください、と言おうものなら、私に矛先が向いてきます。ですから子供も。パパを嫌って避けるようにしています。」
 「あなたは、ご主人と別れる気は・・・。」
 「はい。できたら別れたいのですが、それを言い出したら、何をされるかわからないのです。しつこい人ですから・・・それが恐くて・・・そんなこと言えません。」
 「ご主人は、子供の時にどんな育ちかたをしたんでしょうね・・・。」
 「お父さんが、とても厳しい人だったと聞いています。」
 「その厳しさも、愛情があっての厳しさではなく、自分の意識の範疇にそぐわないものに対しての辛辣な厳しさだと思います。ですから、彼に対しても、お父さんの要求が大きくて、それに応えられずに、ますますいじけた性格をつくってしまったのだと思います。それにお母さんがカバーしてあげるだけの強さがなく、おどおどして生きていたんだと思います。当然彼は愛悍不足に育っていますから、心の中は何もかも不満だらけなのでしょう。自分より強い者や権力ある者には弱いでしょうから、その鬱憤した分、捌口として、あなたたちにエネルギーをぶつけるんでしょう。罵詈雑言や暴力でしか、自分を表現できないなんて、かわいそうな人ですね。おけさんが自分を庇ってくれなかったことに対する憎しみを、彼は母親に対して持っていると思うのです、それがあなたという対象に置き替えられているのでしょう。
 あなたは辛いでしょうけれど、彼のそうした生い立ちを想像し、理解したうえで、彼の天命が完うされるよう、毎日祈ってあげなさい。彼のためにもそうですか、あなた自身がご自分の中に彼との因縁生がなければ、結婚しないはずですから、ご自分の因縁生を浄化してゆくつもりで、彼の暴力に対して対抗したり、恐れたり、逃げたりしないで、吸収してしまうつもりで祈りに変えていきなさい。今別れ話をしようものなら、百分は見捨てられたと思って、余計に荒れ狂うでしょうからね。

 ご主人と同じような因縁生を子供に残さないように、あなたは精いっばいお子さんに、愛情をそそぐようになさい。あなたの中の因縁生か浄化されてくれば、状況は変ってきますよ・・・。がんばってください・・・辛くなったらまたいらっしゃい・・・。」
 「はい。ありがとうございます。なんとかがんばってやってみます。また来てもいいですか。」
そう言って、そのご婦人は帰っていきました。

 私の居場所がない

 風采も上らない五十代前半の男性がやって来ました。
 「女房と娘が、私を邪魔にして、事毎に私に意地悪をするんですよ・・・。
 仕事で遅くなって帰っていくと、夕食のおがずがほとんど無かったり、私の下着は汚ない、といって一緒に洗ってくれないから、自分で洗っているんですよ・・・。」
 「ちょっと待って・・・奥さんは働いているの・・・。」
 「いいえ、家にいます。働いていません。娘はやっと働くようになりました。」
 「あなたは働いて家族を食わしている。なのに食事の仕度もろくにしない奥さんに、何故文句を言わないの・・・。」
 「ええ・・・文句言うと、稼ぎも少ないくせに、何言うの、と怒鳴られます。娘も一緒になって私を馬鹿にします・・・。」
 「ちょっとあなた、確りしてよ・・・男でしょう。奥さんに怒鳴られて、おとなしく黙ってんの・・・。そんな女房の面ひっぱたいて、誰のために食ってけるんだ。気に入らなきゃあ出てけって、言ってやったらどう。」
 「ええ・・・女房のほうが体がでっかくて、力も強いから怒りだすと恐いんですよ・・・。」
 私は暫く唖然として、その男性の顔を見詰めていました。こんな男性もいるんだ・・・男のくせになんて情け無いんだ、と思っても、それは私の立場で見ていることで、彼にとっては真剣な悩みで来ているんだ、と思い直したとき、ある男性のことを思い出しました。
 その男性は四十代後半で、身長も一七〇センチ以上ありそうな大きな男ですが、どことなく女っぽい。私のところに相談に来る度に、妻が私にこう言った、とか、長男が私を苛めるんです、とか、まるで女の子がクラスの苛めっ子のことを訴えてくるように、拗ねたような顔をしてきます。私もはじめはその対応にとまどったり、「大の男が自分の子供に苛められたといって訴えてくるなんて、なんて情け無い、父親らしくもっと確りしろ」と怒鳴りつけてやりたい思いでしたが、「ああ、この男性の魂は女性なんだな、男性にまだ成りきれないまま生れて来てしまったんだな」そう思うことで、相談にのってあげることができました。
 今、目の前にいる男性は見たところ、女性っぽいところは見えませんが、彼の奥さんのほうが、よほど男性的なのかもしれません。彼は働け慟けと尻を叩かれ、家では邪魔物扱いされ、彼の居場所も無いありさまです。
 「それで、あなたはとうするつもり・・・。」
と聞いても、彼が何かを決心した様子もありません。ただ、漠然と愚痴をこぼしに来た、私のところに愚痴をこぼしにくれば、何とか変化でも起るとでも思っていたのでしようか。自分を変える努力もしないで、自分に不都合な状況のほうか、変ってくれることを期待しても無理というものです。彼の一方的な話では判断がつけかねます。

“祈りとは、魂の階段を昇ることである”


人間は、誰でも肉体にいながら同時に幽界にも霊界にも神界にも住んでいます。
そして肉体にいながら、その人の魂の位、霊の階層が厳然と決まっています。

それを霊位と呼びますが、祈りとは、神界の根源からの響きに同調して、その創造の光を横に流してゆくことをいいます。

それが、その人のこの波動宇宙に対する奉仕、貢献となります。

それが、あらゆる生物からの感謝となって、その人の徳になります。

その徳と自己を修め養ったことの徳の両方が、その人のトータルした徳分となり、霊位に反映されます。
だから、祈りを実行している人と、しない人では、まったく徳分が相異してきます。

祈りとは、そういうものなのです。

“祈りとは、過去、現在、未来を浄めるものである”


この言葉は、昭和44年6月の五井先生のお話の中の一説ですが、とても深い意味があります。

人間の運命というものは、過去に行ったこと、想ったことによって80%が決まっています。

人を殺めた人が、来生も幸せで、人格も完全円満で、満ち足りている、ということはありえません。

やましさ、自己処罰の想い、影が付き纏っているのです。

生きる意味がわからないのです。

生きることが苦痛なのです。

理由は本人もわからないでしょう。

それが精神的な病になったり、自殺願望になったり、迫害される境遇のなかに入ってゆくのです。

歴史をみれば明白です。

祈りは、そういう過去を浄め、過去を浄めることで、未来を良くし、現在をよりクリアーな、良い生き方へを導きます。

だから祈りを知らないと、とても損になります。

一例を挙げてみましょう。


「生命光り輝け」から


“或る日、屠殺を仕事としている人が私のところに来て「先日、牛を殺したところ、倒れた牛が目をあけて、二、三歩私のほうへ這い寄ってから死にました。どうも気分が悪いから、先生お浄めして下さい」というのです。私がみると、そのような仕事の人にはよく迷った魂がついているのに、その人には何もついていない。不思議に思って聞いてみると、その人はいつも南無阿弥陀仏を唱えて生きものを殺している、というのです。
同じ動物を殺すにしても、或る人にはそれが業として残り、或る人には残らない、というのはどういうわけかというと、それはすべてその人によるのです。たとえば豚なら豚を殺して食べれば、ふつうならそれだけ少しづつ殺したという業が分けられて、食べた報いがくるわけですが、「この豚肉が私の栄養となりまして、人類のために働けますように、豚さん有難うございます」と感謝して食べるようにしますと、死んだ豚が生きて来ます。そうすると業にはならないのです。
なんでも、ものが生かされるか、犠牲になるかは、その人が感謝するかしないかによって左右されるので、屠殺を仕事とする人は「南無阿弥陀仏、世界人類が平和でありますように」と祈って殺せばよく、肉屋さんは「どうかこの肉が人類のお役に立ちますように、世界人類が平和でありますように」と祈りながら売ればよく、また肉を食べる人は「この肉が栄養となって人類のために生きますように、豚さん有難う、世界人類が平和でありますように」と感謝を捧げて食べればよいのです。
なんでも感謝の心をもってやれば業は消えてゆきます。すべてを生かしていくのが人間の使命ですから、私たちは日常茶飯事に、すべてに感謝の祈りを捧げていかなければなりませんね。”

ということで、祈りの中で、すべての命が活かされ、光り輝くのです。

だいたい女性が強い家庭のほうが、家の中が収まっている場合が多いと思います。
だんなは適当に、面倒をみて、おだてて、金さえ持ってくれば、帰ってこなくてもいいわ。
亭主は丈夫で留守がいい。
ただし生命保険はしっかり入っといてね(^_-)-☆・・・なんて家庭がだいたいなんじゃないでしょうか。
今回は子供のような幼い夫のお話です。


 子供タイプ

 子供タイプの人は、態は大人ですが精神年令が、まだ子供のままで成長していないところがあります。我儘で自己中心的なところは、魂の幼い人に共通するのです。
責任感にも欠けます。        
 子供タイプ、と定義づけてしまうと、子供に失礼になるかと思います。子供たちの中には、魂的に大きく素晴しい素質を持った子が大勢いますから。ですから、魂が成長していない人のことを言っていると理解しでください。自分に不都合なことは、すべて人に責任転嫁をしますし、拗ねたり、八つ当りをします。
 こういう人を夫に持った奥さんは、ご苦労が多いと思います。これが逆で奥さんが子供タイプの場合もありますが、そういう奥さんは夫にとっては、ある意味でかわいいところがあって、我儘も許せるのですが、とかく夫の足を引張る形になります。男性は仕事があり一家を支えてゆかねばなりません。当然生活も仕事か第一という形になります。それが魂の幼い奥さんは、放ったらかしにされ、自分をかまってくれないと思うのです。愛情不足を感じ、自分に注意を向けさせようと、駄々をこねたり拗ねだり、いろいろと問題を起したりします。夫の運命を損ねるタイプの人です。   
                                
 好きな女性が出来たから別れてくれ

 見たところ、服装のセンスも良いし、やさしそうな感じの若奥様といったタイプの女性でした。
 「夫が最近、帰りが遅くなることが多いので、理由を聞いてもぶすっと不機嫌で、黙っているんですよ。食事の仕度のこともあるし、子供たちも。パパを待っているのだから、と言っても黙っています。私もつい責めるつもりはないのですが、言葉が強くなってしまうのでしょう。そうすると怒りだして『もうお前とはやってゆけないから別れよう』と言い出すのです。何回もこんなことがあると、私もどうしてよいかわからなくなってしまうんです・・・夫の言う通り別れたほうがよいのでしょうか・・・。」
 「子供さんは・・・。」
 「はい、三人います。上の子が女の子で今年小学校に入りました。次女は四才で、長男はまだ一才三ヶ月です。」
 「ご主人が離婚したいというその理由は・・・。」
 「はい、何回目かに言いました。好きな女性が出来たから、お前とはもうやってゆけない、と言うのです。」
 彼女の話を聴きながら、「なんて身勝手な男だろう」と私も腹が立ってきました。
 「幼い子供が三人もいて、子供たちに対する責任はどう感じているのでしょうね。」
 「ええ、子供たちのことはとても可愛かってくれるんです。ですから予供たちも。パパに懐いているんです。」
 「離婚する、ということは当人同士は話し合ってお互い納得すればよいことですが、子供たちにとっては不本意なことですから、子供に対する責任は大きいのですよ。
 本当に子供たちが可愛いのであれば、そんなに簡単に別れようなどとは言えないはずですよ。それであなたは、離婚するつもりですか。」
 「いいえ・・・離婚しても子供を三人抱えて、どう生きていったらよいかわかりません。」
 「そう・・・それならあなたは辛いでしょうが、離婚の話に応じないでがんばりなさい。
 彼は、あなたと比べると幼い魂で、まだ成長しきれていないところがあります。おそらく親が過保護に育てたのでしょう。欲しい物は何でも、泣きわめけば買ってくれ、駄々を捏ねれば思いが通ったのでしょう。子供が一つのおもちゃで遊んでいて、別のおもちゃに興味が引かれたら、それが安物であろうと、今までのおもちゃをぽいと捨てて、そちらと遊ぶようなものです。彼には子供に対する責任など、頭にないと思いますよ。自分が子供だから、一緒に遊んでいる、といった愛しかたでしょうから、子供を可愛がっているといっても、それは愛している、ということではないでしょう。彼が好きになっている女性も、おそらく彼以上に幼い魂だと思います。それもおもちゃと同じですから。飽きたらぽいっと捨てるでしょう。或いは、相手のほうから捨てられるかもしれません。その時、行き場がなければ、またあなたのところへ、子供が遊び疲れて帰ってくるように、帰ってきますよ。そういう人を好きになって結婚したあなたにも、因縁があるのですから、辛くても、その嫌な想いをする度に、一つ一つ、あなたの中の因縁生か消えてゆくのですから、そのつもりで、ご主人の天命の完うを祈りながら、家族が仲良く暮している姿をイメージして 、彼がなんと言おうとがんばりなさい。」
そう言って帰しました。
その後、幾度かこの女性は私に相談に来てその都度、恚に励まされて帰っていきました。本当は、彼女が自立出来れば彼と別れたほうがよいのです。たとえ今の問題が納まったとしても、彼の自分勝手な性格は、何度も同じような問題を引き起すことでしょう。しかし養女は幼い子供を三人も抱えて、別れるとしたら余程の覚悟が必要です。
その後、彼女はどうなったのか、彼の浮気が納まったのか、それとも離婚に踏み切ったのか。結果はわかりません。

  そのうえ大きな子が一人

 「先生、うちのお父さんときたら、自分の好きな遊びのほうはゴルフだ、釣りだ、パチンコだ、と出掛けるんですよ。休みの日には少しは体を休めたら、と言っても、遊びのほうは骨身惜しまずやるくせに、家のことは何もやってくれないんですよ。女遊びもけっこうしているみたいですけどね・・・。
 あまり自分勝手な人なので、初めは私も腹が立って、けっこう喧嘩もしましたけど、今はもう諦め半分。まったく、どういう性格なんでしようね。」
 なかなか体格も良いし、元気な奥さんというよりお母さん、と呼んだほうがいいようです。
 「子供は何人・・・。」
 「四人。長女と長男はもう社会人になりました。次男三男は大学二年と高校です。」
 「あなたは五人も子供を抱えてよくがんばったね・・・。」
 「先生、子供は四人ですよ・・・。」
 「うん、子供は四人でしょ。その上に大きな子供が一人、あんたのご主人は大きな子供なんですよ。そう思わなければやっていけないよ。一番手の掛る子供なんだよ、そうでしょ。」
 「そうか、やっぱり! ・・・それで納得。何か困ったことがあると、私のところに持ってきて、結局、私か尻拭いしてきたんですよ。そのくせ亭主だといわんばかりに威張っていますからね。割り合い子供たちは順調に育ってくれたので、ありがたいと思っています。いつも問題はお父さん。私だって自分のやりたいことは、少しはやってみたいですよ。だからお父さんの生きかたを見てるとつい腹も立つんですけどね・・・そうか、大きな子供なんだ・・・。」
と、妙に感心しています。
 「お仕事は・・・。」
 「仕事は親の代からの職人だけど、仕事だけは真面目に何とかやっています。」
 「四人も皆大学にやるまで育てていくのは大変なことだ。お父さんの稼ぎがあるから出来ることでしょ。それを思ったらありがたいと思わなきや。あなたが太っ腹だから、お父さんも安心して、遊んでいるんですよ。それに子供たちも素直に育った。それを考えたら幸せな一家だと思いませんか・・・。」
 「ほんとだ・・・お父さんの悪口言ったら罰が当るかな。お腹ん中じゃわかっているんだけどね・・・でも、うちのお父さんは徳な性分だよね。自分の好きなことをやってさ、それで威張っているんだものね・・・。」
まだ、ご主人に対する憤懣が消えないようです。
 「そう・・・幸せな人ですよ。それもあなたというお母ちゃんがいるからでしょ。
 あなたが前世で、お父さんに何か借りがあるんですよ。だからあなたがお父さんの面倒を見なきゃなんないし、お父さんはお父さんで、それを当然のこととして、威張って亭主でございでいられるんですよ。」
 「なるほどね・・・そういうことか・・・。先生、なんか気持がさっぱりしたよ。ありがとうございました。来てよかった。」
と言って、帰っていきました。
 子供タイプの亭主でも、奥さんのほうが魂が大きく太っ腹で、文句言いながら、どこか許しているから、お母さんが中心で一家がそれなりにうまくいっているのでしょう。  
それは
自分をごまかさないこと
常に裸の自分をさらけだすこと
常に自分を客観的に観ること
自分を正当化しないこと
そして自分の心に恥じるものがあれば
祈りつづけること
愛の方に、誠の方に、美の方にすすむこと
そして、愛は最高の美なのだ