魂からみた恋愛・結婚 #20・・・貸し借りのある親子タイプ | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

この肉体の世界は、業生といって、未完結の想い、行為を完結するということが、奥深い動機となって、その人の駆り立てています。
それは、貸し借りの世界です。貸した人は取り立てに来ます。借りた人は返しに来ます。恩を返す、あるいは復讐に来る、ということです。それは魂が知っていて、見るだけで憎い人もいれば、一目あっただけで懐かしい、慕わしい人もいるわけです。それはあらゆる人間関係に当てはまります。今回はそういうお話です。


 貸し借りのあるタイプの親子

 生命は神によって生かされているものですから、人間が自分の力でどうこうできるものではありません。従って魂の親は守護霊であり、肉体の親は両親ということになります。
 親子の関係は、大方は親のほうが子供に借りがある場合が多く、その借りを返すうえでも、子供を一人前に育てていく義務があるのです。子供は育てられてあたりまえ、我儘をして親に苦労かけたりしています。
 親が子供に、育ててやったことを恩着せがましく言って、親孝行を要求し、老後のめんどうをみるのは当りまえ、などと思っていたら、借金を返しているのに、貸したのだから利息をよこせ、と言っているようなものです。
 もし逆に子供のほうが親に借りがある場合は、親が要求しなくとも、親を人事にし、よくめんどうをみます。ですから「子供は預かりもの」と言うように、子供は自分の子ではあっても、自分のものではないのです。善い子を預かれば幸せですが、悪い子を預かった場介は苦労が多いのです。これもその人の因縁生によります。
 ここで問題になるのは、過去世において、ある事情によって、母親が子供を捨てた、或いは子供を置いて家を出たなど、子供を育てる義務を放棄した場合、当然子供に対して借りをつくります。その借りはどこかで返さなければ、いつまでも因縁生として自分の中に
あります。
 人間関係というものは、すべて因縁生によって起ってくるもので、それが善い関係だったり、悪い関係だったり、愛し合ったり、憎み合ったり、と様々な姿で現われてきます。
 例えば、過去世において捨てた子に、今世めぐり会ったとします。お互いの因縁生によって引きつけ合います。そしてそれが恋愛感情となり、周囲の反対を押し切っても結婚します。ところが結婚してみたら、過去世においての因縁生の貸し借りを、清算するべく状
況が起ってきます。
 この場合、妻が母親であり、夫が捨てた子であったとします。はじめは好きで一緒になったのですし、無意識のうちにも過去世に果し得なかったものを清算しようと、妻は夫の要求に応じながら一生懸命尽します。
夫は夫で過去世にかけてもらえなかった愛情を取りもどそうと、無意識のうちに我値な行動を取ります。尽しても見返りがない愛に妻は疲れ果て、夫は欠けた愛情不足が満たされることなく、ますます欲求をつのらせていく。子供が母親の愛情欲しさに駄々をこねるようなものです。次のような例があります。

 髪結いの亭主      

 俗に「髪結いの亭主」という言葉があります。
 かみさんが髪結いという職業を持ち稼ぎがあるために、亭主が仕事もしないでぶらぶらしていることですが、まさにその言葉のように、奥さんは美容院を経営し、ご主人は什事もせず家に居て、売れない小説ばかりを書いていました。時々「おかあちゃん、お金をくれ」と、奥さんから小遣いをもらっては一杯呑みにゆく。そんな生活を十六年もつづけてきたのです。
 奥さんが私のとこに来ては、亭主の働きのないことの愚痴をこぼしていきました。
 ある時、その奥さんがニコニコしながらやって来て、 「先生、うちの人がとうとう賞を取りました。」
そう言って、新聞の切抜きを私に見せてくれました。
「河出書房・新人賞・○○○○」と大きな顔写真と名前がのっていました。
 「今まで私は、この人のために苦労してきたけど、これから私は楽ができます・・・。」
と、有頂天の喜びようです。
・・・どうも女がいたようです・・・。私か長いこと面倒を見てきて、折角賞を取ってこれからというのに、三ともあろうに女をつくって逃げるなんて・・・。」
と、後は悔し泣きです。
 それから彼女は気性の強い女性でしたから、彼の行きそうな処を探し廻りました。時々報告のために私のところに来ては、無念の想いを語っていきました。彼母行方は杏として知れません。そこで彼女は思いあまって、丘井先生のところにゆきました。五井先生は彼女の話を聞くなり。
 -あなたのご主人はね。実はあなたの捨てた子だったんだよ。だから十六年間育てる義務があったんだよ。」
と、おっしやいました。今は二十一才で成人と認めら極ますが、昔は十六才で元服し大人の仲間入りをするわけですから、十六才までは子供として親が責任をもって育てる義務があったのでしょう。その親としての責任を放棄したがために、その捨てた子が生れ変って矢となった。だから彼女は母親として果さねばならなかった義務を果すため、夫を養ってきた。十六年経って。人前になったから、女の人をつくって独り立ちをした。ということになるのです。
 彼女は五井先生のお言葉によって、自らの因縁生の深さを識って、その日以来すぱっと彼への想いを断ち切ることができました。
 それから数年経ち、聞くところによると、駆落ちし夫二人は、心中したとのことでした。小説家として家をなすには、それだけの力を持っていなければなれません。もともと働く意欲もないような人だったから、生活にゆき詰って心中をしてしまったのでしょう。

 因縁生が浄化されていないと…

 見ず知らずの他人が不思議なご縁によって、夫婦となって共に生活する。善いにつけ悪いにつけ余程の縁がなければそうなりません。今までお話してきました夫婦の種々相は、悪い因縁生の結びつきばかりでした。
まだまだいろいろなタイプがあると思います。上げた例を見ればわかりますように、悪い因縁の結びつき七は、両方、あるいは片方がまだ魂が未成熟で、自我を押し通そうとしたり、因縁生に振り回されてしまい、さらなる因縁生を深めていくような人々です。
 といって因縁生が悪いのだから仕方ない、と諦めて投げ出してしまったら、折角夫婦となった意義を学べません。それでは因縁生も浄化できず、身内に残したままです。嫌だからと別れても、自分の中にある因縁生か、また次に同じような相手を引きよせます。
 ある女性が離婚の相談にやつてきました。夫婦共に幼い面があって自我をぶつけ合っている状態です。これ以上夫婦生活をつづけていても、かえって業を積み重ね、深めていくだけだとみて、どうしても別れたい、という彼女の意志に同意しました。
 彼女は離婚し独り身になって、私のお話の集会に姿を見せていましたが、なんだか浮き浮きした感じでした。
 それから暫く月日が経ち、好きな彼氏ができたからといって再婚の相談に来ました。
 今度こそ幸せな結婚ができると思っていたのかもしれません。私は彼の写真を見るなり、
 「この男性は、前の別れた彼と同じじゃない・・・。」
 「いいえ違いますよ、全然違います・・・。」
 「いいや、同じだよ。私は姿形を言っているのではなく、同じような魂の人だと言っているんです。この人と結婚したら、また前の彼の時と同じように我儘をぶつけ合い、あなたは彼にもの足りなさを感じて、別れるはめになりますよ。それでもいいの・・・。」
 「だってー・・・。」
 私の言葉が意外だったのでしょう。彼女は絶句したまま、不服そうな顔をしていました。
 この例でもわかりますように、二人の因縁生が浄化されないまま、嫌だからといって別れても、次に選んだ人が前の彼と同じような魂の人であるということは、また同じ繰り返しをして学びなおすものがあるからです。
 たとえどのような悪い因縁生の結びつきにしても、それは守護霊様がその人の因縁生を浄化させようとして結んでいるのです。ですからそうした因縁生の浄化で苦しんだり悲しい想いをしたとしても、それは善くなるための浄化の姿であって、その人の意識を高めていくための大事な学びなのです。
 ですから別れ話で相談に来られる方の心境をみて、別れることをすすめたり、もう一度やり直しをすすめたりしているのですが、例に上げた彼女のように、学ぶどころかますます因縁生を深めていってしまうような人には、離婚をすすめてやり直しをさせる必要もあるのです。    
 もともと因縁生による結びつきですから、お互いに学び合えるものがあったら、別れるものは別れたほうがよいのです。また、因縁生の仕組みがよくわかって、相手との関係が因縁生によるものとわかったなら、結婚して苦労をする道を選ぶ必要はないのです。
 この肉体(三次元)の世界は、因縁生(カルマ)の浄化と学びの次元なのです。
 「迷を大悟するは悟りなり」という道元禅師の言葉がありますように、業の正体、つまり因縁生の仕組みがよくわかった人が、悟った人だということなのです。