家の中では、ムツっとして、外では、ニコニコしている。
こういう人のことですが、これもどうも本物でない気がします。
今回はそういうお話です。
福は外、鬼は内タイプ
昔は二月の節分の目には、内なる鬼を外に追放して、福を内に呼び入れるということで、夕方になると家中の窓を開け「鬼は外、福は内」と大声で叫んで、豆をまいたものです。神社、仏閣では毎年行われますが、一般家庭からはそうした風習もいつしか消えて、「鬼は外、福は内」の声も、聞えなくなりました。
ここに例として上げた「福は外、鬼は内」のタイプは、外面はおだやかで人当りがよく親切。友人知人らは「あのご主人は素敵」と、奥さんが羨まれていふかもしれませんが、そのご主人が家庭の中では、いつも不機嫌で気難かしく何かと小言が多い。そんな人のことを言います。
内面と外面が違う人です。自分が人様から善く思われたい。その心がはたらくから、人には優しく親切に振舞い、善人を演じる、それが本音でないから、家では仮面をぬいで、自我を裁き出し、家の者には辛く当る、そういう人もいるのです。
素敵なご主人と言われているけど
テレピなど見ています。私の知りあいの人からは『おだやかな善いご主人様ですね』と言われますが、何故この人が・・と思います。私のなにが気にいらないのでしょう・・・。」
「あなたはダンスはなさらないのですか。」
「はい、私は不器用だし、それにああいう華やかなものは苦手なんです。」
「ダンスが駄目なら、何か他に趣味はないのですか。」
「そうですね、これといって趣味は持っていません。本を読んだり、映画を観たり、お友だちとお喋べりしたりは好きですけど、特別にこれといった趣味はありません。」
「ご主人はダンスが何よりも好きだということは、かなり華やかなものを求める性格だと思います。あなたは真面目で、どちらかといえば地味な性格ですよね。ですから家に帰ってくると、まるきり違う現実がそこにあります。ご主人としては自分の夢が壊されるような気がするのじゃないでしょうかね。それに、自分をつねに善い子で、人様から悪く思われたくない。そこで、かなり無理をして、自分で善人像をつくりあげていると思うのです。ご主人も家に帰ると、外では善い子であった分だけ疲れますから、家では不機嫌で、現実とのギャップの不満が、あなたに口うるさく、辛く当る、といったことになるのだと思いますよ。ご主人は女性との交際も多いのでしょうから、そちらのほうは・・・。」
「主人は、夜も遅くなることが多いんです。何をやっているか私にはわかりません。それに、そんなこと尋ねようものなら、怒って口もきかなくなります・・・。
でも、私の感じでは、誰か女のひとがいるように思います。」
「あなたはご主人と別れるつもりはないのですか。」
「はい、何度かそのことを考えましたが、私は主人のことを嫌いではありませんし、別れてもどうやって生活していってよいかわかりませんので・・・。」
「あなたにはお子さんもいらっしゃらないから、あなたが自立していく覚悟さえすれば、別れることはできますよね。でもあなたにはその気がない。だからといってそのままでは、ご主人の性格が変るものでもないでしようし、このままでいけば、いつか離婚という形忙なりかねません。そこで、あなたとしては、相手の変ることを望むのではなく、あなた自身をまず変えてゆく努力をしないといけません。 ご主人の性格が変らないのであれば、あなたはそれを受け入れることです。そのうえで、あなた自身が積極的に何かのサークル活動に参加してみるとか、何かに趣味を持ち、ご主人にそそいでいたエネルギーを、そちらに向けるのです。或いはあなたがご主人と別れるようなことがあっても、自立していけるように、何か仕事を探して働いてみるとか、このように自分の生きかたに変化をつけることをやってみてはどうでしょう。
あなたに出来ると思われるものを選択して、それに向って一歩踏み出す、と決断してごらんなさい。 相手を変えるためには、自分か変らないといけません。自分を変えるには勇気がいります。自分を変えようとしないで、まわりが変ってくれることを望んでも、それは無理です。何故なら、その人自身も環境も、自分の因縁生と思いによってつくっているからです。私がお話したことをよく胸にとどめて、ご自分の生命を生かすにはどうあったらよいか、をよく考えてごらんなさい。そして決断をなさい。決断することによって道はひらかれてくるのです。』
浮気タイプ
次から次へと女性遍歴をする男性、或いは男性遍歴をする女性もいます。
この人たちは、一人の異性では満足できないところから、いかにも精力旺盛のように思われていますが、実は幼児の時の家庭に起った大きな出来事や、両親の不和などが原因して、その人自身が愛情不足に育ったため、子供の時の基礎的な人格形成の土台に歪みが生じ、その歪みを内に秘めて大人になってしまったのです。「自分は愛されていなかった」という想いがトラウマとなっているのです。ですから一人の愛で満足できないのではなく、自分がどれだけ愛されているかが不安になるのです。そこで次から次へと相手を変え、愛されているという実感を求めて遍歴をするのです。いくら求めても自分の愛が欠けているので、他からは満たされないのです。自分自身の愛は、体験を通して充実させていくことによって満たされていくものなのです。
大方の人々は皆自分に都合のよいようにしか愛しません。つまり自己愛の延長としての相手への愛であって、こうした自己満足のための愛のありかたでは、その人の愛は成長しません。
人間は輪廻転生を繰り返しながら、男となり、女となり、親となり子となり、恋人同士となり敵同士となり、様々な愛のありかたを学びながら、真実の愛の人へと成長してゆこうとしているのです。
赤ちゃんとしてお母さんのお腹の中にいる時から、生れて三才位までに、その子の基本的な性格はつくられる、といわれています。その最も大事な時に、性格に歪みをつくる愛情不足の体験は、自分でも気がつかないで、或る出来事をきっかけとして、病気やノイローゼや様々な不幸な現象を引き起しかねません。そうした不幸な出来事を体験として生かせる魂の強い人ならよいのですが、魂がそこまで成長していない人は、性格の歪みに支配され、物事に対しても誤った選択の仕方をして、不幸な人生を歩んでいく人も多いのです。
浮気タイプの男性、或いは女性の人は、そうした自分の性をよく自党することです。でないとただ自己満足のために、求め歩いているようでは、多くの因縁生をつくっていくことになります。人間関係というものは、すべて因縁生によって起ってくるものです。ましてや真実の愛でないにしても、男女か結ばれるということは、それだけの責任を背負わねばならないのです。その覚悟も無しに、ただ一時の欲望のために、相手を自分のものにするというありかたは、相方共に不幸な因縁生をつくっていくことになるのです。
もし、そういう因縁生かあったとしても、相手の魂の成長の助けとなり、因縁生を愛に生かしてゆける人は、業に負けない魂の大きな人だと思います。