祈りとは #12 | tablaboyの道日記

tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

“祈りとは、過去、現在、未来を浄めるものである”


この言葉は、昭和44年6月の五井先生のお話の中の一説ですが、とても深い意味があります。

人間の運命というものは、過去に行ったこと、想ったことによって80%が決まっています。

人を殺めた人が、来生も幸せで、人格も完全円満で、満ち足りている、ということはありえません。

やましさ、自己処罰の想い、影が付き纏っているのです。

生きる意味がわからないのです。

生きることが苦痛なのです。

理由は本人もわからないでしょう。

それが精神的な病になったり、自殺願望になったり、迫害される境遇のなかに入ってゆくのです。

歴史をみれば明白です。

祈りは、そういう過去を浄め、過去を浄めることで、未来を良くし、現在をよりクリアーな、良い生き方へを導きます。

だから祈りを知らないと、とても損になります。

一例を挙げてみましょう。


「生命光り輝け」から


“或る日、屠殺を仕事としている人が私のところに来て「先日、牛を殺したところ、倒れた牛が目をあけて、二、三歩私のほうへ這い寄ってから死にました。どうも気分が悪いから、先生お浄めして下さい」というのです。私がみると、そのような仕事の人にはよく迷った魂がついているのに、その人には何もついていない。不思議に思って聞いてみると、その人はいつも南無阿弥陀仏を唱えて生きものを殺している、というのです。
同じ動物を殺すにしても、或る人にはそれが業として残り、或る人には残らない、というのはどういうわけかというと、それはすべてその人によるのです。たとえば豚なら豚を殺して食べれば、ふつうならそれだけ少しづつ殺したという業が分けられて、食べた報いがくるわけですが、「この豚肉が私の栄養となりまして、人類のために働けますように、豚さん有難うございます」と感謝して食べるようにしますと、死んだ豚が生きて来ます。そうすると業にはならないのです。
なんでも、ものが生かされるか、犠牲になるかは、その人が感謝するかしないかによって左右されるので、屠殺を仕事とする人は「南無阿弥陀仏、世界人類が平和でありますように」と祈って殺せばよく、肉屋さんは「どうかこの肉が人類のお役に立ちますように、世界人類が平和でありますように」と祈りながら売ればよく、また肉を食べる人は「この肉が栄養となって人類のために生きますように、豚さん有難う、世界人類が平和でありますように」と感謝を捧げて食べればよいのです。
なんでも感謝の心をもってやれば業は消えてゆきます。すべてを生かしていくのが人間の使命ですから、私たちは日常茶飯事に、すべてに感謝の祈りを捧げていかなければなりませんね。”

ということで、祈りの中で、すべての命が活かされ、光り輝くのです。