本当は「となりの山田くん」について語りたいのですが「山田くん」は言わば「本丸」なので、なかなか攻める決心がつきません。なので、前振りとして「もののけ姫」を語ります。(前の「火垂るの墓」も「山田くん」の前振り)
「もののけ姫」も一回では語り切れないと思いますので、何回かに分けます。
今回は「神殺し」と言うモチーフについて、私なりの所感を述べて見ます。
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ニッポンの神様については、「古事記」にて初めて明文化されましたが、それ以前にも神様はいたハズです。
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まず、石器時代・縄文時代ですが、同時代は狩猟採集文化なので、狩猟採集文化に基づくアニミズム的な神様観だったと思います。
つまり、天には天の神いて、地には地の神がいて、火には火の神がいて、水には水の神がいて、山には山の神がいて、川には川の神がいて、木には木の神がいて、動物、魚にもそれぞれの神がいて、果ては石にも石の神が宿るというものです。アイヌのイヨマンテなんかはその名残りだと思います。
次に弥生時代になると、農耕牧畜文化となるので、縄文の神々に加えて、農耕牧畜文化を司る神が加わります。田の神、諸々の作物の神、竈の神など。
また、従来から居た、火の神、水の神、太陽の神、海の神、雨の神、風の神、嵐の神などは農耕牧畜文化に伴い性格が変わっていったんじゃ無いかと想像します。
以上の縄文・弥生のアニミズム的な神様を便宜的に「地霊」と呼ぶことにします。
邪馬台国なんかも後期ではあるけれども弥生時代に当たるわけで、卑弥呼は「魏志倭人伝」に依れば”鬼道で衆を惑わしていた”と書かれていますから、予言を司ったり、運命を左右する神が現れていたことを示しており、今で言う所の「宗教」に当たる物がこの頃から現れ始めていたと言うことが出来ると思います。(鬼道が何だったのかは現在でも謎)
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その後、所謂「古墳時代」となりヤマト政権が誕生します。
(日本史上は「古墳時代」「飛鳥時代」「奈良時代」「平安時代」と区分されますが、メンドクサイから、「ヤマト政権時代」と括ってしまいます)
ヤマト政権によって「古事記」が編まれ、ニッポンの神様達が「日本神話」として整理・再命名されます。
例えば太陽の神様が天照大神となり、夜の神様が月読命となり、海を納めるハズだったのが素戔嗚尊(結局暴れ者になってしまうが)、等々。いちいち挙げられないので原典:古事記上つ巻に当たって下さい。岩波文庫版だとP19~P88。中つ巻冒頭の神武天皇もヒマであれば読んでも良いと思う。
「古事記」で整理された神々を便宜的に「ヤマトの神」と呼びます。
これがニッポンの皇室史観の原理となる訳です。
古事記から漏れてしまった地霊達は、地霊として残ったり、柳田国男に依れば妖怪に零落してしまったりするのです。
更に、飛鳥時代になると仏教が伝来してきて、数々の仏様が出てくると同時に、ヒンズー教の神々も連れてきちゃいます。”××天”というのは元々ヒンズー教の神様なのです。例えば帝釈天はヒンズー教のインドラだし、大黒天なんかはヒンズー教の暗黒神マハーカーラなのです。だから、大黒様はホントは暗黒様なんだよ。
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以上が私なりのニッポン神様史観です。
(続く)