『いろ鬼』
  

基本ルール
まず、鬼役はを指定する。他の参加者は鬼役が指定した色を探し出し、その色に触れていれば鬼役は捕まえることができず、鬼役はまだ触れていない人を追いかけなければならない。指定された色に触れる前に鬼役に捕まえられた場合には鬼役を交代し、逃げ手の全員が指定された色に触れることができた場合には鬼役は別の色を指定する。  (参照:Wikipedia)



昔よくやりました。このルールを考えた人、最初にやろうと思った人が何を思って始めたかはわかりませんが、とてもいい遊びだなと最近思いました


“カクテルパーティー効果”といわれますが、

人は様々な音の中から、自分にとって必要な音を取捨選択して聞いていると言われています。


これは、聴覚だけでなく、視覚にも言えるのではないかなと思います。


目の前にある膨大な色や形などのなかから、自分が求めているもの、興味関心があるもの、注意が向くものを選択して見ている 

と思うんですね。

特に、年代を重ねれば重ねるほど、経験をつめば積むほどに、その見方の偏りって出てきてしまいがちになることが多いかと思います。


幼い子のように、偏りなく見るもの全てに興味を持って、いろいろな興味・疑問を持ち、そしてそれが経験・知識として積み重なっていくような

真っ白な紙の上に絵を描くように、そんなニュートラルな状態でいられたら、見えるもの、聞こえるものも、また違ってくるのではないかな~と思いました。


毎朝、1時間くらいかけてバイクで移動しているのですが、

朝の時間帯の渋滞がほんとにすごい

どうにかこの渋滞を避けたいと思っても、どの道も混んでいて同じような状況


どうしたって、避けられないのなら、せめて、なにかプラスになることしよう

なんて思い、ちょっとした練習?というか実験的な遊びを日々しています。


差を認識する事。違いを理解すること。

この中でもありましたが、

【スムースにストレスを感じずに運転する】

のように、少し“決める”訳ですね。

昨日は、

【移動中にエネルギーが満ちるような時間を過ごす】

といった感じに。

そのせいなのかもしれなし、たまたまかもしれなですが。。。


毎日通っている道で、何度も何度も見た景色なのに、何故かなにやら新しく新鮮な感じがするんですよ


何かな~?なんでかな~?と、考えると。





目の前にある情景の中の、赤いモノにやけに目がいくんですね。

こんな看板あったんだ~

こんなところにこのマーク見たことなかったな~


赤いマークや赤い文字を見てたら、なんだかエネルギーが沸いてきました(←単純構造笑


こんな感じに、周りの情景が変わったわけでも、環境が変わったわけでもないけれど、自分の見かたが変わると、こんなにも景色って変わるものなんだな~とつくづく思いました。


なので、ときには『いろ鬼』でもやって、いつも目には入っているけど、見えていないものをみることによって、少し気持ちが変わったり、気分が変わったりするかもしれませんよね。


自分自身の内側にあるものが変化していくと、目の前の現実も少しづつ変化していきます。


体の歪みのや症状を引き起こす原因はほんとに一様ではありません。


自分自身の中にある“物事の捉え方”を少し修正することも、大切な施術の一つと考えておりますうんうん