原子力ムラの総帥?安倍総理閣下に忖度?し、新聞・テレビは、
危険な原発「汚染水」を、安全?な原発「処理水」に昇格??させてしまったが・・ 

処理水とは 原発事故の汚染水を浄化した後の水・日本経済新聞

東京電力HP 処理水ポータルサイト


安全?な原発「処理水」を擁護する甘利
松井大阪市長の「メディアは汚染水という表現はやめた方がいい。あれは処理水」との暴論を推奨する現代ビジネスの記事は、流石に行き過ぎだろう。

トリチウム以外を除去した安全?な「処理水」は、真っ赤な嘘だし、
現在の技術では、トリチウムの「分離は困難」も嘘。
ポンコツALPSで、危険な原発「汚染水」を無害化できる?というのも嘘。
<福島第1>ALPS処理済?汚染水100万トン超え  うち85%から基準値超の放射線が・・
「目からうろこ」・・ALPSで取り残した核物質を完全分離する方法
【用意するもの

ポンコツALPSで取り損なった放射能汚染水、蒸留キット 以上
それから、核物質の濃度・線量を計測する装置、それだけ。】
高校化学 蒸留装置について


タンク中の「処理水」も、捨てる前提でなく 保管が前提の「処理水」だから、
基準値超にはならない?と屁理屈を捏ねるが、

タンク中の「処理水」は、トリチウム以外を除去した安全?な「処理水」だから、
薄めて海に捨ても安全?と、胸を張っていたのは、何処のどなただったろうか?
アンダーコントロール宣言で?? 「原発浄化水 海洋放出への理解を促せ」と、産経

世界中の原発から、トリチウム水が捨てられているのは本当だが、
捨てても安全」というのは嘘。

本当は、トリチウムの「分離は簡単」に出来るのだが、「分離は困難」でなければ、
世界中の原発から、薄めるだけで捨てられなくなる。だから惚けているだけなのだ。

トリチウムは除去できない、だから海洋投棄というが・・超簡単、一瞬で分離できる方法が


海洋投棄ありきの原発(未)処理水問題ー蒸留し凍結するだけで、完全に解決するのだが・・

 現代ビジネスより
原発「処理水」を、なぜマスコミは「汚染水」と呼び続けたのか「科学を振りかざすな」に対する違和感
【福島原発の処理水…
松井市長「自然界レベルの基準を下回ったものは、科学的根拠を示して海洋放出すべき。政府が国民に丁寧に説明し、決断すべきだ。それが政治家の仕事。これからの日本を引っ張る小泉さんに進めてもらいたい。メディアは汚染水という表現はやめた方がいい。あれは処理水」〜囲み会見

「処理水」と「汚染水」の違い

 本題に入る前に、まずは今回話題となっている「処理水」、そして「汚染水」がどのようなものであるかご存知でしょうか。

 未処理の「汚染水」と最終的な「処理水」とでは、健康や環境に与えるリスクが全く異なりますから、これらは明確に別物であると言えます。

 簡単に説明すると、「汚染水」とは原子炉内で溶けて固まった燃料を冷却するために使用した後の水、及びそれらが建屋内に流入した地下水や雨水と混ざったものです。燃料由来の有害な放射性物質が含まれているため、そのまま海洋に放出すれば相応の「汚染」が起こります。

 一方の「処理水」とは、汚染水から有害な放射性物質を除去し、無害化させたものです。自然界のあらゆる水の中に存在する三重水素(トリチウム)だけは除去が難しいものの、これは適切に希釈すれば、海洋放出しても健康リスクを上昇させるような「汚染」は起こらないため、世界中で大量に海洋放出され続けています。

 原田前大臣や松井市長が言及した「処理水」とは、このように世界中で環境処理されている状態のものを指しています(東電福島第一原発のタンクに現在貯蔵されているトリチウム総量は約1000兆Bqとされており、世界で日常的に排出されている量と比べても極端に多いとは言えません。トリチウムの詳しい性質については、資源エネルギー庁のページで解説されています)。

 実は、現在福島第一原発から発生し続けている汚染水のリスクも、 2013年から本格稼働しているALPS(多核種除去設備・Advanced Liquid Processing System)によって、最終的にはこれらの「処理水」と同等の水準まで無害化することが可能になっています。

 下記は厳格な定義ではありませんが、「処理水」と呼ばれるものを大きく3つの段階に分類してみると、理解の手助けになります。

 1つ目の段階は、2013年頃までに貯蔵された「放射性セシウムのみを除去された初期の処理水」です。これは、現在稼働しているALPSの開発以前にタンクに貯蔵された処理水で、未処理の汚染水に比べれば放射線量は大幅に低下しているものの、依然として比較的高い値が検出されます。

 2番目と3番目の段階は、いずれもALPSで処理をした「ALPS処理水」と呼ばれるものです。初期処理水に比べて放射線量は大幅に低下しているものの、これも「応急処理を行い、タンク貯蔵基準のみを満たした処理水」と、それを追加処理し「環境処理可能な水準まで有害放射性物質が除去された、最終的な処理水」とに分類できます。



 つまり、「タンクに溜められている処理水は元々、敷地での作業員の被曝量を減らすことを最優先として処理を施されたもので、そのまま海洋に放出することは想定していない」のです。そして前述の通り、この不完全な処理水も、最終的には世界で日常的に行われているのと同様の環境処理ができる水準まで、無害化することが十分に可能です。


新聞報道のミスリード
 ところが、これまで縷々説明したような事実は、まだ広く知られていないのが現状です。

 特に、本来これらを周知する役割を担うはずだったマスメディアがこの8年間以上の間、福島や原発事故に関する正しい情報を十分に伝えてこなかったばかりか、むしろ誤解を拡散させてきたケースも珍しくなかったことが問題に追い打ちをかけています。

 一例として、昨年2018年9月に朝日新聞が報じた「汚染水」に関する記事を確認してみましょう。

 タイトルには「東電、汚染水処理ずさん 基準値超え、指摘受けるまで未公表」とあり、「汚染水の8割超が基準値を超えていた」「東京五輪に向け問題を矮小(わいしょう)化してきた」と、極めて強い論調で批判を展開しています。

 ただし、いままで解説した内容を踏まえれば、この記事が性質の異なる「汚染水」と「処理水」を混同した報道の典型であることが、すぐに判るのではないでしょうか。

 記事には「放出基準に比べ最大2万倍の放射能濃度が判明」「処分の場合は再処理が必要」とありますが、タンクに貯蔵された環境放出基準を前提としない処理水が「環境放出基準を超えている」ことも、「処分の場合は再処理が必要」なのも、すでに説明したように当然のことです。

 しかし、記事にはそうした解説も見られず、これではまるで「基準値超えを隠蔽していたタンクの汚染水を、そのまま海洋放出しようとしていた」かのように読めてしまいます。これはいわゆる、「ウソはついていないが、本当のことも言っていない」記事であると言えるでしょう。

 一部のメディアが繰り返してきたこのような報道姿勢に関しても、松井大阪市長は今回の会見の中で「メディアは汚染水という表現はやめた方がいい。あれは処理水」と発言したうえで、朝日新聞や毎日新聞などを名指しして批判していることも動画で確認できます。

 ところが、この会見を報道した朝日新聞記事のタイトルには、今回も「福島の汚染水、大阪湾で放出?」などと掲げられていました。

 残念ながら、こうした報道手法は、処理水の現状や松井市長発言の主旨をなかば意図的に無視しており、誤解と風評被害を拡散させかねないものだと言えるでしょう。


「科学を振りかざすな」?
 偏見と風評の問題は根深いものです。いくら科学的には安全であろうとも、「事故を起こした原発からの処理水」に対して素朴な不安や疑念を感じてしまうのは自然な感情の一面もあります。そうした感情を科学的な安全性で否定されることに、「冷たい」「不愉快だ」と感じる方も少なくないかもしれません。

 科学振りかざすだけではなく…増え続けるタンクを考える #原発 #電力

― 朝日新聞 原発・電力情報 (@asahi_energy) September 26, 2019 しかし一方で、客観的事実に耳を塞ぎ続け、こうした自然な感情に過剰に「寄り添う」ことは、不当な差別や風評の正当化と固定化につながりかねない危険なものです。

 どんなに対策を重ね、事実や成果を積み重ねようとも「福島は汚染されている」と否定されることを、人間の出生にあてはめてみればどうなるでしょうか。科学的な事実が明らかにされることが、たとえば、過去に起こったハンセン病当事者と家族への差別を緩和してきた歴史なども軽視できません。

 科学、ひいては客観的な事実や証拠を「振りかざす」などとネガティブに捉えて、人間の「素朴な感情」の正当性や無謬性を過信するべきではありません。

 すでに事実がほぼ明らかになった、終わらせるべき議論を終わらせず、「誰もが納得し安心できるまで念のため警戒すべき」と保留し続けること自体が、当事者をさらに苦しめ、偏見を長期化・固定化し、損害をますます大きくします。

 このままでは、処理水問題は莫大なリソースを浪費した末に、その代償は国民へとかかってくることが避けられません。「なんとなく不安だから」という根拠で、処理すべきものを処理せず溜め込むことにより、数十兆円規模にまで今後膨らむと言われるコストを、国民が電気料金や税金などで全て負担することにもなりかねません。

 健康リスクを上昇させない「処理水」を海洋放出することで懸念されるのは、科学的に観測できる「汚染」ではなく、人の感情の問題、偏見と風評被害の拡大です。

 東電福島第一原発に溜められている処理水はこれまで、環境処理可能なレベルまで無害化できること自体が周知されないまま、「処分できないもの」「溜め込むしかないもの」という誤解が既成事実化してしまいました。この誤解は時が経つとともにますます広まり、固定化され、状況はさらに悪化しています。

 また、「海洋放出さえしなければ、リスクと風評拡大を防げるというわけではない」という視点も忘れられがちです。処理水を放出せず溜め続けることで生まれるリスクと風評もあり、しかもそれは処理水がある限り悪化するのです。

 もしそれらを放置した果てに、タンクの老朽化、あるいは事故や災害などで中身が溢れたりしたらどうなるでしょうか。「流すも風評、流さぬも風評」という厳しい状況の中で、損害を最小限に抑制するための戦略が求められます。


 残念なことに、現状ではまだ、諸外国と同様の処理を行うだけでも誤解と風評がさらに広がるであろう状況に見えます。福島への誤解や風評とは、基本的に「県外からの視線」が主ですから、県内の当事者ができる対策には限界があります。

 そのような状況を創り出してきた原因を是正し、社会に正しい情報と理解を広め、多くの国民が解決に向けて協力することこそが「当事者の苦労をこれ以上大きくさせない」ため、そして日本全体の損失を拡大させないために不可欠と言えるでしょう。

 その点では、今回起こった「汚染水」「処理水」をめぐる論争は、まさに「科学的根拠を無視した風評被害を払拭する突破口になる」のかもしれません。この閉塞感が打ち破られることを、私自身も福島に暮らす一人の個人として切に願っています。】一部抜粋