鏡に映したように、甘利にソックリな、
甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか

20歳の若者が強要されたという「反則命令」を、全力否定で逃げ切ろうとする
日大アメフト部のドンと、

総理&総理夫人を守るため?成された財務省の文書改ざんを、
役人が勝手にやったこと」「膿を出し切る」と責任転嫁する、
日本の最高権力者の醜い姿。

テレビは、日本の最高権力者をサンドバックのように滅多打ちにしたい願望を、
日大アメフト部のドンを叩くことで昇華?させているかのようですね。



ITmediaより
なぜ日大は炎上したのか? 原因は「オレはそんなこと言っていないおじさん」の存在
【日大アメフト部の悪質タックル問題が、大騒ぎとなっている。

この社会現象を眺めていると、ここまで世間が高い関心を示している最大の理由は、日大の危機管理うんぬんというより、

日本社会に溢れかえっている「あの人々」に対する嫌悪感に突き動かされているからではないかと感じている。

 それは、「オレはそんなこと言っていないおじさん」だ。

だいたいこういう人は、「やってみろ」「挑戦を恐れるな」「責任はオレがとる」とやたらとカッコイイことを言って、とにかく自分の思うままに人を動かしたがる。

 それでいい結果がでれば「だろ?」と得意満面で自分の手柄。が、もしもそこで望むような結果が出なかったり、問題が発生して責任を問われたりすると、内田前監督のように速やかに前言撤回で、こんな見苦しい言い訳で頬かむりをしてしまう。

「そんなことを言っていない。オレが伝えたかったことの真意を誤解している」

 「まんまウチの部長だよ」と具体的な顔が思い浮かぶ方も少なくないのではないか。なかには、ミスや失態を押し付けられた苦い記憶が蘇ったという方もいることだろう。

「オレはそんなこと言っていないおじさん」に対する不満

 このようなどこの会社、どこの組織、そしてどこのコミュニティーにもひとりはいるであろう「オレはそんなこと言っていないおじさん」に対して不満や怒りを感じる人は多い。そんななかで、20歳の若者が強要されたという「反則命令」を全力否定で逃げ切ろうとするおじさんたちが連日のように報じられば、日頃のフラストレーションを彼らにぶつけるのも当然である。

 実はこれこそが、日大にもアメフトにも危機管理にもそこまでたいして関心の薄い一般人が、ここまで本件に熱い視線を送っている理由なのではないか――。

 代表的なのは、テレビ朝日の女性記者からセクハラを告発された財務事務次官だ。ご本人はそんなエロトークはホステスかキャバ嬢としかしないと突っぱねたが、録音されたデータには生々しいやりとりが残っていて、次官の座を失い減給処分にまでなったのはご存じのとおりだ。

「オレはそんなこと言っていないおじさん」に優しい社会

 このように「オレはそんなこと言っていないおじさん」に対して厳しい視線が注がれるようになったひとつの要因は、2013年に大ヒットしたドラマ『半沢直樹』(TBS)の影響もあるのではないかと考えている。

 二枚舌のパワハラ上司に「倍返し」するサラリーマンの復讐劇は、年齢・職業問わず多くの人たちが留飲を下げた。

 10年くらい前まで、組織人が「下」に責任を押し付けるのはそこまで後ろ指を指されることではなかった。もっと言ってしまうと、「上」を助けるため「下」が罪をかぶるのは、日本人の美徳とさえ考えられていたのだ。

「上」に罪が問われぬように、「上」が口走ったことや、やってしまったことを「下」が全力でもみ消すのが、「世界に誇る日本のチームワーク」だった。

 つまり、日本社会というのは伝統的に「オレはそんなこと言っていないおじさん」たちに優しい社会であり、日本型組織というのは、この手のおじさんたちが生き生きと過ごせるためのシステムだったと言っても過言ではないのだ。

多くの日本人は「権限」と「責任」を履き違えている

 組織内で「ドン」だとか「最高権力者」だとか呼ばれるようになったところで、しょせんは権限が肥大化しているだけの状態であって、その組織の進むべき道を自分の判断で決められる「責任者」になっているわけではないのだ。

「あのタックルはオレがやらせた! 周りに聞かれたらそう言っておけ!」

 そんな風に男らしくたんかをきった内田前監督が、なぜ人が変わったように、「信じてもらえないかもしれませんが、私は指示してないんですよ」と弱々しい釈明に終始しなければいけなくなったのかというと、彼が日大という巨大組織の「責任者」でないことに尽きる。

 「人事を掌握する常務理事」「ドンの片腕」など、勇ましい評価はいくつもあるが、そのパワーはあくまで日大という「ムラ」の内部に限定される。

 外の社会、そして大学として顔色をうかがわなくてはいけない文部科学省に対して、「そうです、私が相手にケガをさせてこいと命令した、反則おじさんです」なんて傷害の教唆を軽々しく告白して全責任を負うほどのパワーは持ち合わせていないのだ。

「責任はオレがとってやる」と口走る人

 日本型組織には、内田前監督のように「ムラ」のなかで、それなりの権限を与えられただけなのに、組織としての「責任」をとれる立場にあると、自分のパワーを過大評価している組織人が多い。だから、こんなことを口走ってしまう。

「責任はオレがとってやる」

 与えられているのは権限だけなので責任などとれるわけもなく、「ほら、だからあれはお前のやる気を出すためにだな」なんてむにゃむにゃと言葉を濁すしかない。かくして、日本社会には「オレはそんなこと言っていないおじさん」が溢れかえって今日に至るというわけだ。

「権限だけの人」がたくさんいる業界

日本の組織には、「権限」や「役職」は与えられてはいる者は掃いて捨てるほどいるが、そのなかで自分の発言や行動に「責任」を持てる者などほとんどいない。ないものを連れてこい、と言われることほど困ることはないではないか。

 責任者を出せ――。このお約束の文句がここまで社会に普及したのは、実は日本人のほとんどが、「日本人のなかで“オレが責任をとる”と胸を張って言えるのは超少数」という事実を無意識で認めているとしか思えない。

 いずれにせよ、今回の問題によって「オレはそんなこと言っていないおじさん」はさらに生きにくい世の中になった。

 20歳の若者だって、あれだけしっかりとした態度で「言ったのはお前らだ」と反論ができた。彼の姿に勇気をもらった組織人も多いはずだ。

 「オレはそんなこと言っていないおじさん」が肩で風をきって歩ける組織というのは、日大のように新陳代謝のない閉鎖的なムラ社会が多い。

 そうなると思い浮かぶのはスポーツ、公務員、教育現場、そしてマスコミあたりか。

 このあたりの業界で内田前監督や米倉顧問を彷彿させる強烈なキャラクターが登場して、新たなヒールとしてマスコミをにぎわす日もそう遠くなさそうだ。】一部抜粋