木下英範のブログ -9ページ目

実務を伴う感謝

実務を伴う感謝でなければいけないと思っている。


心の中で100回「感謝」と唱えるのもいいかもしれない。しかし何かしてもらったら、その人にちゃんとお返しをしようではないか。


確かに素振りは練習の基本だ。素振りをしていても力はつく。だが私はいつもバッターボックスに立っていたいと願う。ときには暴投が来るかもしれない。みじめな凡打を繰り出してブーイングを受けるかもしれない。ダサい三振に終わるかもしれない。でもときにはヒットを打てるかもしれない。たまにはホームランもあるかもしれないではないか。


心の中で思うだけでなく、直接お世話になった人の所へ行って感謝を伝えたい。途中でうまい物でも買って。言葉で言うだけではなく、その人のニーズを探り、ほしがっているもの、情報を提供しよう。


時には嫌がられるかもしれない。とんだ有難迷惑だと思われるかもしれない。その人にとってみたらゴミのようなものを提供してしまい、その人も捨てるに捨てられず、大変お困りになられるかもしれない。それはそれで仕方がないではないか。気にすることはない。次のチャンスを待て。たまにはホームランも出るはずだから。

おカネの歴史② - 金属貨幣の登場

金属が貨幣になるまで


貨幣として望ましいのは、
①誰もがほしいと思うもの
②集めたり分けたりして、みなが納得できる値打の大きさを表現できるもの
③持ち運びが容易で保存のできるもの
でした。最初は米や貝が使われていましたが、金属の発見により次第に金属貨幣に移行していきます。


『金属製の貨幣は、紀元前7世紀前後に中国やリディア(現在のトルコの西部)などで出現したとされています。西洋最古のコインは、紀元前670年ころ、リディアで作られたエレクトロン貨であるといわれています。また東洋では、刻印や銘のない鋤(すき)の形をした「布幣(ふへい)」が、紀元前770年ころの中国・周王朝時代に作られたとされています。』(貨幣博物館)


ここで、米や貝などの物品貨幣がどのように金貨(コイン)へと移り変わっていったか、当時の人の気持ちになって想像してみましょう。まず、金がコインとして使用されるずいぶんと前から、金の発見はあったでしょう。最初は落ちているものを誰かが見つけたのだと思います。


ちょっときれいな石だから家に持ち帰った。ずっしり重いし、磨いてみるともっときれいな色に輝いた。友達に見せるとだれもがほしがり、かなり良いものと交換できた。しばらくしてまた拾った。今度は首飾りにしてみるとなんだか女性にもモテるようだ。ずっと変色しないし、表面に絵を描くこともできる。また小さく切り分けることも可能であった。めったに落ちていない希少なものだがみんなが集めだした。


こんな感じでしょうか。ここで大事なのは、金も米や貝と同じように商品であるということです。金の使用価値がその価値の担保にされていることです。現在の紙幣のようにクレジット(信用)というものはまだ発生していません。そして金はその生産労力が多大なため(まず見つけるのが重労働)少量でも非常に高価です。先に書いた3つの貨幣に望ましい特性を高いレベルで満たしているため次第に金や銀が貨幣になっていったのでしょう。


そしてこの貨幣というものを使うと、今日とった魚を貨幣と交換(価値の交換)して、1年後に貨幣を服と交換する(価値の保存)ということが可能になったのです。また魚何匹が服何着に相当するか(価値の尺度)ということもわかりやすくなりました。
(1)「価値の交換」
(2)「価値の保存」
(3)「価値の尺度」
というおカネの3大機能を満たすようになったのです。貨幣を使うことによって、いろいろな見知らぬ人と取引ができるようになり、「経済」が本格的に動き出していきました。


エレクトロンの由来


余談ですが、世界最初の貨幣「エレクトロン貨」の名称の由来、これは発明者のギリシャ人が「エレクトロン」と呼んでいたからです。ギリシャ語でエレクトロンとは琥珀のことです。エレクトロン貨は金と銀の合金で薄いセピア色=琥珀のような色をしているところからそう呼ばれました。


一方、電子のこともエレクトロンといいます。琥珀と布をこすりつけると静電気が発生します。このことから電気のことをエレクトロン、エレクトリックと呼ぶようになりました。


また最近では電子マネー=エレクトロニックマネーが浸透してきていますね。奇しくも古代ギリシャ人が初めて作ったおカネと同じ名前なのです。電子マネーで買い物をするとき、2700年前の古代に思いをはせてみるのも一興かもしれません。あなた方が考案したものを、形は変わっても、今でも同じ概念、同じ名前で使っているよ、と。


木下英範のブログ-エレクトロン貨
   エレクトロン貨


【参考文献】

日本銀行貨幣博物館

日本銀行貨幣博物館 - 貨幣の散歩道

コインの散歩道(しらかわ ただひこ)

おカネの歴史① - 貨幣の発生

日本銀行の貨幣博物館 を見学して来ました。


貨幣の成り立ちにつての展示が非常に興味深かったので、ほとんど受け売りになるかもしれませんが自分の考察も交えて書きます。もしかしたら間違って解釈している部分があるかもしれませんので、下記の参考文献か、貨幣博物館でご確認ください。


物々交換の発生


貨幣ができる前の経済は物々交換の経済でした。ではなぜ物々交換が発生するのかから見ていきます。物々交換はすべての経済の根本をなしていますから(今の経済も本質は物々交換です)、貨幣の生い立ちを考察する上でも欠かせないのです。だから少し詳しく考察します。


原始時代、まだ人が狩猟採集をしていた頃は、一番大事なものと言えば食糧でした。生き延びるために生きていたわけで、いかに安全を確保しながら食料を獲得するかが一番の目的でした。そのうちに稲作などの技術が発展し、だんだんと人口が増えて村を形成するようになると、村同士の物々交換が始まります。


たとえば海辺に住んで漁をして暮らしている村の人(Aさん)と、稲作を営んで暮らしている村の人(Bさん)が出会ったとすると、互いのものがほしくなるわけです。そこで魚と米を交換しようという気持ちが生まれます。しかしこれだけではスムーズな交換はできません。


現代であれば、たとえばサンマ一匹=100円だからジュース一本と同じくらいか。というようにすぐに価値が推測できます。これはおカネというものが「価値の尺度」として存在するからです。しかしおカネのない時代にはどうやって価値を判断するでしょうか。


古代の人になりきってみましょう。たとえば自分がAさん(漁師)だとして、サンマ一匹を米に交換しようとしていたとします。その場合に自分の捕ったサンマの価値は「自分が苦労した量」というように判断するはずです。しかし相手の米の価値は(相手の苦労はわからないので)「自分に対する使用価値」で判断します。


つまり、Aさんは「サンマ(製造労力):米(使用価値)」を天秤にかけているわけです。Bさんから見れば「米(製造労力):サンマ(使用価値)」となりますね。ここから双方のずれが発生します。価値の判断として自分の主観が多大に入っているからです。


たとえば、Aさんは今日は日和がよくてすぐにサンマを捕ることができたので、サンマ1匹=米つぼ1杯の交換に応じていいよ、と思ったとします。しかしBさんは、日照り続きで大変な苦労をして作ったので交換には応じられない。というように取引が失敗する可能性も高いのです。


貨幣の発生


Aさんは魚と交換で手に入れた米を村に持ち帰りましたが、今度は服がほしくなりました。そこでCさんの作っている服と米が交換できることを発見します。また、Dさんが持っている釣り道具との交換もできました。ここで、

魚(何匹)=米(何杯)
服(何着)=米(何杯)
釣り道具(いくつ)=米(何杯)

が成り立っていることに気づきます。つまりあるモノ(米)がいろいろなモノの価値の仲介をしているわけです。ここで初めてモノの価値が客観的に判断でき、交換がスムーズに行われるようになってきます。これが貨幣(物品貨幣)の始まりです。


貨幣として望ましいのは、
①誰もがほしいと思うもの
②集めたり分けたりして、みなが納得できる値打の大きさを表現できるもの
③持ち運びが容易で保存のできるもの
です。魚だと腐ってしまいますから、米のほうが向いています。日本では米や矢じりが一番最初に使われた貨幣であったといわれています。


世界の物品貨幣


余談ですが世界には面白い物品貨幣があります。


中国では貝が貨幣として使われました。特にきれいな宝貝の貝殻が装飾品として珍重され、貨幣として出回っていたようです。おカネに関する漢字に「貝」のつくものが多いのはこういった理由からです。「財」「貯」「販」「賃」「買」などがありますね。


ローマでは軍人の給料として塩が支給されたそうです。ラテン語で「塩を支給する」ことを「サラリウム」といったそうです。それが給料を意味する「サラリー」の語源です。


ヤップ島では3mもある大きな石で造られた貨幣、石貨が使われていました。そして現在でも冠婚葬祭の時などに使われているそうです。あまりに大きくて重いため動かすことができずに、その場に置いたまま所有権だけを変えるとのこと。そしてすべての石貨に物語があり、「これは先祖のだれだれが、苦労して遠い島から運んできたものだ」というように説明がついているそうです。そしてその物語の壮大さによって価値がきまるのだそうです。なんともロマンチックですね。


【参考文献】
貨幣博物館 展示
日本銀行 - 季刊誌にちぎん - 貨幣の歴史学
おカネの発想法(木村剛)

経済予測 - 希望的観測を排した予測を

各ステークホルダーの経済予測


10~12月期のGDP(年率換算)はマイナス12.7%と発表されました。かなりのマイナス幅です。もっともこれは四半期の数字ですので、年間にすればもっと平たくなると思いますが。しかしこれは市場予想を上回るマイナス幅だったので、各経済予測機関は年度のGDP予測の修正を余儀なくされていると思います。


これを受けた修正予想はまだ出そろっているわけではないですが、過去にどのような予測をしていたかを確認することはできます。それを持って各ステークホルダーの思惑やバイアスのかかり具合などを観察することができます。では各機関はどう予測していたでしょうか。


政府:        08年度マイナス0.8%、09年度0.0%
JPモルガン証券: 08年度マイナス1.3%、09年度マイナス1.5%
日本銀行:     08年度マイナス1.8%、09年度マイナス2%


政府は甘めの予測をしています。そちら方向にいろいろなバイアスがかかっているからでしょう。一方、日銀は民間をも上回る悲観的な予測をしています。政府の予測からこんなに離れるのはまれなことです。今のところ日銀が政府のバイアスから解放されていることを物語っていると思います。私はこれを見て日銀の予測は(日本の中では)なかり信憑性があると判断しました。


経済予測の難しさ


経済の予測というのは大変難しいと思います。その理由は3つあります。


1つに、経済というのは人の心理が動かしているものだからです。人は気まぐれであり、また地球上にはあらゆる価値観を持った人がいて、違う価値観を持った人の気持ちを慮(おもんぱか)るのは容易ではないからです。


2つ目に、技術の発展というのはイノベーション的に起こることが多く、一気にに変化を加速します。これも予測は容易ではありません。


3つ目に、市況と市況予測はフィードバック回路になっているということです。これはたとえば政府が経済予測を発表したとすると、その予測により実体経済が動いてしまうということです。政府の発表が思っていたより下振れしていた場合には、企業は生産を抑えようとか、賃金を抑制しようという決定材料になります。個人においても買い控えや、投資資金の引き上げにつながります。政府の発表が上振れしていた場合は逆のバイアスが働きます。これを解こうとした場合には再起回路の無限ループに陥り、解くことはできません。


ヒューリスティクス(希望的観測)を排した経済予測を


予測が実態に影響を与えるということは、実体経済を操作できるということです。景気は良いほうがいいことは確かなので、多少かさ上げしてでもよい予測を発表していれば、実態にも良い影響を与えるのではないか、と思うこともあります。


ところがそうではありません。


恣意(しい)的な希望的観測を発表したとして、たまたま当たればそれでいいかもしれません。しかし外れた場合、または希望的観測をしていることがばれてしまった場合の損害は多大なものとなります。


オオカミ少年症候群、疑心暗鬼になってしまいます。経済にとって疑心暗鬼=信用の失墜ほど恐ろしいものはありません。金は借りられなくなり、誰も将来に向けて投資しなくなります。証券は売られ下げ止まらなくなり、深刻な不況となります。


疑心暗鬼とは文字通り、暗闇に鬼が潜んでいるのではないかと疑うことです。子供はお化けを怖がります。それはまだ世の中を正確に判断できていないからです。でも大人は怖がりません。暗闇にお化けはいないことを知っているからです。恐怖を克服する方法は実態を正しく知ることです。


予測が観測対象に影響を与えるというフィードバック回路になっている系では、楽観的観測や、悲観的観測、恣意的観測をしてはいけません。経済予測機関や格付機関はとくにそうです。データを基にした客観的計測ができなければなりません。予測者はアンカリングやバイアスを排し、ある意味機械的にロボットのように予測を抽出していく能力が求められます。


その点において、日銀は公平で中立的な判断ができていると思われます。別に私は日銀の関係者ではないので肩を持つわけではありませんが、日銀の一番の能力はその情報分析能力であるということを認識しました。白川総裁はなかなかの切れ者かもしれません。



【参考文献】
日本銀行ホームページ
日本銀行 - 当面の金融政策運営について

ライバル同士?のネズミ

トイレ清掃員の貼り紙

ある企業が、七階建てのビルを持っていました。各階に社員用のトイレがあるのですが、それがいつも落書きで汚されてしまいます。


 社長自ら注意をするのですが、一向に効き目がありません。
「おまえたちは、なんという馬鹿者か!」と怒鳴りたいのですが、

「その馬鹿を選んだのは、あなたですよ」と言われたらおしまいです。ストレスは溜まる一方。とうとう社長もさじを投げてしまいました。


 ところが、それでもあきらめない人がいたのです。トイレ掃除の女性です。女性は西洋紙を四つ切りにした小
さな紙にお願い状を書き、全てのトイレの入り口に貼りました。するとどうでしょう。あくる日から、いっさいの落書き
が消え去りました。


 驚いた社長が見に行くと、そこにはこう書いてありました。


「ここは私の大切な職場です。この職場を落書きで汚さないでください」


-------------------------------------------------------------------

・ 仕事への誇り、プロ意識。肩書きではない。思いが人を
動かす。
女性が、「トイレ掃除はたいした仕事ではない」と思っ
たら、たいした仕事ではありません。反対に、「トイレ
掃除は、私のとても大切な仕事なのだ」と思えば、すば
らしい重要な仕事となるのです。そして大切にしなけれ
ばいけない。


(以上、「Dr.テラのエピソード通信 」メルマガより)

長い目で見た雇用ルールを作るべき

現在、日本の経済体制は資本主義を選択している。資本主義とは「資本主義というルール」に従って活動することである。だからルールを定めるための法律は欠かせない。このルールというのはみんながハッピーに活動を回し続けていくためのルールである。資本主義というのは「市場経済」+「ルール」といえる。


しかしルールを適用したとたんに市場には歪みが組み込まれることになる。必ずどこかにしわ寄せがいく。資本主義はゆがみと一体だ。だからできるだけゆがみを分散させ、小さくするようにルールを適用させていくのが望ましい。


たとえば経営者には解雇制約が課せられるが、これが強すぎると雇用市場の回転率や継続性が失われる。また弱すぎても搾取が横行し破綻してしまうだろう。市場は技術の発展や人間の思惑(おもわく)によって変化していく。だからルールも柔軟に対応していかなければならない。


ではルールは誰がどう決め、適用させていくのか。


法律は立法機関(国会)で作られる。法律を解釈し実際の社会事例に当てはめていくのは司法機関(裁判所)である。立法機関が作った法律の条文ではすべての事例について記述することはできないので、あくまでもガイドラインとして使用される。このガイドラインを参照しながら実際の事例に当てはめていくのは司法の役目である。


では実際の事件に対してどう法律を適用させていくのかというと、法律(の条文)を重視するのか判例を重視するのかに分かれる。現代の法律解釈は判例を重視する傾向にあると思う。したがって、ある判例が一度出てしまうと、それを参考にして以後同様な事例においては同様の判決が下る傾向がある。


しかし判例を次々と継承させていくと、法律判断者の思考にアンカリングができて時代の変化を見逃してしまう事態が生じる。それがたとえば、
「今から30年も前の東京高裁の判例によって、企業の解雇権は著しく制約され、業績が悪化しても従業員を実態的に抱え続けねばならないような社会制度になってしまっている」という事態だ。
このアンカリングを気づかせて、環境の変化に適応させるには法律を改正する必要がある。しかしこれは不況対策ではない。


たしかに不況のときには、限られた労働分配を広く薄く延ばして全員が生き延びるということが重要である。しかしその意味で正規雇用・非正規雇用というのは本質的には問題ではない。なぜならルールがうまく適用され、同一労働・同一賃金が成り立つ仕組みになっているならば、解雇しやすくなると同時に雇用しやすくなるからだ。


緊急時の応急処置的雇用対策と、通常時まで通用する本質的な雇用政策は分けて議論するべきだ。


文化が発展し、人々の持つスキルや価値観が多様化してきている。そしてこれからも多様化していくのは明らかだ。それなのに働き方が画一的では無駄や摩擦が生じ生産性が損なわれる。働き方も多様化させるのが望ましい。その意味で正規雇用・非正規雇用の意義を考えるのが正しい。正規雇用を増やすべきだ論と、非正規雇用を増やすべきだ論があるが、本質を忘れて、今のこの異常事態に合わせてルールを作ってしまうと後で後悔することになるだろう。


【参考文献】

竹中平蔵のポリシー・スクール──雇用は健全な三権分立から

リスペクトコレクター

私はリスペクトコレクターです。
たくさんの人からリスペクトを集めます。
いやいや、私が人からリスペクトされるのではありません。

スーパー先輩ではありません。
誰かの尊敬できる部分を見つけて収集するのです。
私が今まで出会ってきた人の中で、完璧な人間は一人もいません。
でも尊敬できる点はからなず持っています。
よく観察すると、これは敵わないなぁという点をたくさん持っています。
私はそれを収集するのが好きです。
技術をよく観察してどうやったらああいう具合にできるのか研究します。
そして自分に適用していきます。
私の周りにいる人全員が先生です。
ですから私には尊敬する特定の人物はいません。
あえて言うならば全員です。
もしくは、みんなのリスペクトを寄せ集めて作った完璧人間がいるとしてそれです。
これは人間関係を良好にするコツでもあります。

Signs - VOSTFR

お気に入り - グリムス

グリムス - http://www.gremz.com/index.php


記事をエントリーするごとに木が成長して、大人の木まで育つと、世界のどこかに実際に植林してくれるというブログパーツです。


普通の会社員である有志5人で開発したそうです。サーバや植林にかかる費用は広告で賄っているようです。つまり、ブログに張り付ける人が多くなるほど人々の目に触れることになるから、登録しようと思う人が増える、よってサイト訪問者が増えて、広告対価が得られるという仕組みですね。


これはつまり、企業価値(=商品にわれわれが支払う値段)をうまく環境改善費用に変換しているシステムだと言えます。しかも開発はボランティアでやっている。なぜボランティアでできるかというと、普通に会社に所属し食いぶちがあるからです。いい意味で力が抜けているのはここから来るのでしょう。


植林はNGOと提携して行っているようです。また、環境にかかわる言葉を使うと木の成長が速くなるアイデアはうまいですね。環境に関する言葉が多くなると環境問題が人々の潜在意識に留まりやすくなりますから。環境問題の啓発になることが真の目的だと思いますのでそこにベクトルがあっています。


登録数はS字理論によってやがて飽和状態になるでしょうから、そこからいかに広告価値を担保する仕組みを取り入れていくか、あるいは広告以外の資金調達先を見つけるか、そこからが本当の勝負所かと思います。


会社では利益を生まない仕事はできませんが、本業で食べていけているならば、本業以外では利益は追求する必要はありません。したがってすべてが自由です。


開発ツールやサーバ費用が安くなって、誰でも自宅に居ながらシステム開発ができる時代になってきました。ちょっとアイデアがあれば仲間で集まってすぐに開発できてしまいます。ITを活用すれば集まる必要すらないかもしれません。


そして何より、「気の合う仲間と意義のある仕事をする」というのは人生の中でも最高峰の楽しみですから。


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