おカネの歴史① - 貨幣の発生 | 木下英範のブログ

おカネの歴史① - 貨幣の発生

日本銀行の貨幣博物館 を見学して来ました。


貨幣の成り立ちにつての展示が非常に興味深かったので、ほとんど受け売りになるかもしれませんが自分の考察も交えて書きます。もしかしたら間違って解釈している部分があるかもしれませんので、下記の参考文献か、貨幣博物館でご確認ください。


物々交換の発生


貨幣ができる前の経済は物々交換の経済でした。ではなぜ物々交換が発生するのかから見ていきます。物々交換はすべての経済の根本をなしていますから(今の経済も本質は物々交換です)、貨幣の生い立ちを考察する上でも欠かせないのです。だから少し詳しく考察します。


原始時代、まだ人が狩猟採集をしていた頃は、一番大事なものと言えば食糧でした。生き延びるために生きていたわけで、いかに安全を確保しながら食料を獲得するかが一番の目的でした。そのうちに稲作などの技術が発展し、だんだんと人口が増えて村を形成するようになると、村同士の物々交換が始まります。


たとえば海辺に住んで漁をして暮らしている村の人(Aさん)と、稲作を営んで暮らしている村の人(Bさん)が出会ったとすると、互いのものがほしくなるわけです。そこで魚と米を交換しようという気持ちが生まれます。しかしこれだけではスムーズな交換はできません。


現代であれば、たとえばサンマ一匹=100円だからジュース一本と同じくらいか。というようにすぐに価値が推測できます。これはおカネというものが「価値の尺度」として存在するからです。しかしおカネのない時代にはどうやって価値を判断するでしょうか。


古代の人になりきってみましょう。たとえば自分がAさん(漁師)だとして、サンマ一匹を米に交換しようとしていたとします。その場合に自分の捕ったサンマの価値は「自分が苦労した量」というように判断するはずです。しかし相手の米の価値は(相手の苦労はわからないので)「自分に対する使用価値」で判断します。


つまり、Aさんは「サンマ(製造労力):米(使用価値)」を天秤にかけているわけです。Bさんから見れば「米(製造労力):サンマ(使用価値)」となりますね。ここから双方のずれが発生します。価値の判断として自分の主観が多大に入っているからです。


たとえば、Aさんは今日は日和がよくてすぐにサンマを捕ることができたので、サンマ1匹=米つぼ1杯の交換に応じていいよ、と思ったとします。しかしBさんは、日照り続きで大変な苦労をして作ったので交換には応じられない。というように取引が失敗する可能性も高いのです。


貨幣の発生


Aさんは魚と交換で手に入れた米を村に持ち帰りましたが、今度は服がほしくなりました。そこでCさんの作っている服と米が交換できることを発見します。また、Dさんが持っている釣り道具との交換もできました。ここで、

魚(何匹)=米(何杯)
服(何着)=米(何杯)
釣り道具(いくつ)=米(何杯)

が成り立っていることに気づきます。つまりあるモノ(米)がいろいろなモノの価値の仲介をしているわけです。ここで初めてモノの価値が客観的に判断でき、交換がスムーズに行われるようになってきます。これが貨幣(物品貨幣)の始まりです。


貨幣として望ましいのは、
①誰もがほしいと思うもの
②集めたり分けたりして、みなが納得できる値打の大きさを表現できるもの
③持ち運びが容易で保存のできるもの
です。魚だと腐ってしまいますから、米のほうが向いています。日本では米や矢じりが一番最初に使われた貨幣であったといわれています。


世界の物品貨幣


余談ですが世界には面白い物品貨幣があります。


中国では貝が貨幣として使われました。特にきれいな宝貝の貝殻が装飾品として珍重され、貨幣として出回っていたようです。おカネに関する漢字に「貝」のつくものが多いのはこういった理由からです。「財」「貯」「販」「賃」「買」などがありますね。


ローマでは軍人の給料として塩が支給されたそうです。ラテン語で「塩を支給する」ことを「サラリウム」といったそうです。それが給料を意味する「サラリー」の語源です。


ヤップ島では3mもある大きな石で造られた貨幣、石貨が使われていました。そして現在でも冠婚葬祭の時などに使われているそうです。あまりに大きくて重いため動かすことができずに、その場に置いたまま所有権だけを変えるとのこと。そしてすべての石貨に物語があり、「これは先祖のだれだれが、苦労して遠い島から運んできたものだ」というように説明がついているそうです。そしてその物語の壮大さによって価値がきまるのだそうです。なんともロマンチックですね。


【参考文献】
貨幣博物館 展示
日本銀行 - 季刊誌にちぎん - 貨幣の歴史学
おカネの発想法(木村剛)