前倒しで生きる
朝早く起きて、早く出勤し、予定より少し先の仕事をし、早く帰って、早く寝る。前倒しで前のめりになって生活することで人より少し早く進む力が出てくる。スピードに乗ってくるとさらにスピードが出てくる。体を前に傾ければ自然と走り出してしまうように。
前倒しで生きている人は何事も真っ先にやりたがる。人より先にチャンスにあずかるだろう。前倒しで生きている人はじっくり吟味して選ぶことができる。人より確実にチャンスをものにするだろう。選択肢が多くなるので自由を手にし、心に余裕が出てくる。余裕によって生じたスペースには他人を思いやる心が芽生えるだろう。それは確実に自分の器量を大きくする。
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投資は「動き」を見ることが重要です。ともすれば、目の前の資産やキャッシュフローだけに集中しがちです。投資とは現在の価格にするのではなく将来の価値に投資するのです。よって将来に向けた価値の「変化率」を読むのが投資と言えるでしょう。変化を知るにはその時点時点での現在価値を計算しなければなりません。手計算では膨大な手間がかかり、うまく変化をつかむことができないでしょう。このツールは各種指標の面倒な計算を自動化してくれます。日々の変化を読み取り、将来を予測することに集中できます。
心の鍛え方
頭で考えたことのアウトプットは筋肉しかありません。声を出したり、目線を送ったりもすべて筋運動の結果です。すなわち気持はすべてまず筋肉運動に現れるのです。感情に反応して体が動いてしまいます。逆もまたしかり。筋肉に刺激を与えると感情に変化が現れます。こぶしを握り締めて奥歯をかみしめ、しかめっ面を作ってみると何とはなしに怒りの感情が出てきます。
これはモーターと発電機の関係、またはマイクとスピーカーの関係に似ていますね。筋肉と心は密接に関係しています。だから鍛え方も同じだと思うのです。筋肉は負荷をかけなければ強くなりません。マラソンは家でじっとしていても決して速く走れるようにはなりません。だから心も積極的に使って、悲しい思いや苦しい思い、楽しい思いや感動を得ることによって、初めて鍛えられて大きくなる。ちょっとやそっとのことでは折れなくなります。
しかしマラソンだって走りすぎると肉離れになってしまうように、心も負荷をかけすぎると壊れてしまいます。適度なインターバルが必要です。それはスポーツにおける体の鍛え方に非常によく似ています。心は見えない(ブラックボックス)からわかりづらいですが、体は目に見えるのでわかりやすいです。ですから体の鍛え方を参考にすれば間違いありません。自分の限界を良く知り、ぎりぎりまで負荷をかけたら休養する。毎日の行いを習慣化する。そして筋肉と心は密接に関係しているので心(頭)を鍛えたかったら体も鍛える。体を鍛えたかったら頭も鍛える。
外部情報と脳をつなぐインターフェースは五感です。情報を正しくインプットするには健全な体が必要です。ですからどちらもおろそかにせずバランスを取ってうまく鍛えること。
「健全なる魂は健全なる肉体に宿れかし」という言葉があります。これは本来、健全なる魂が健全な体に宿ってほしいという願望を表わす言葉ですが、体が健全なだけではだめで、筋肉と心の関係を知って制御できるようにならないとだめだということですね。
行動派と理論派
①実践派の主張
旅行は素晴らしい。写真や百科事典では決して得られない体験が得られる。この地球にはすばらしいところがたくさんある。感動的な景色や、素晴らしい人々とのふれあいがあなたを待ってくれているのに、見ないで死ぬことはない。
今の若者は旅行に行かなくなってきているという。嘆かわしいことだ。何より景気に悪影響である。もっとエネルギッシュに働き、どんどん稼いで旅行もどんどん行く。日本で家に閉じこもっていたのでは視野が狭くなる。日本のビジネスモデルは世界のお客さんを相手に商品を売ることだ。ますますグローバル化していく世界でこのままでは日本のビジネスが危ない。どんどん外に出て世界を学ぶのだ。
家に閉じこもって、愚にもならない本やマンガばかり読んで何が楽しいのだろうか。本から得られることはない。
いくら知識を詰め込んだところで行動に移さないのでは、価値はゼロだ。時間と金の無駄。書いてあることが正しいかどうかもわからない。実際に自身の目で見て判断することが重要である。
形あるものはいつか壊れる。しかし旅行で得た思い出は消えることはない。一生残り続ける。
本当に物より思い出だと思う。
なまじ考えないことだ。考えれば考えるほど行動することに憶病になる。だいたい理論派は言い訳の天才だ。言葉ばかりで行動に移すところを見たことがない。その考えがいいと思うならば自分でやればいいのに。
潜在意識が行動に影響を及ぼすならば、行動も潜在意識に影響を及ぼす。怒った顔で心から笑うことはできない。意識して笑顔を作れば自然と心も上向いてくるというものだ。これと同じで旅行に行って実際に現地を経験することで心に変化を及ぼし、日々の思考によい効果を与える。思考は行動から生まれる。
旅先での出会いはいつも心に新鮮な風を送り込んでくれる。また誰かと行けば絆が深まることは間違いない。
五感から得たものしか脳へインプットできない。体も頭も心もいろいろな意味で刺激になるのが旅行である。
さあ、旅に出よう。
②理論派の主張
本は素晴らしい。過去から醸成されてきた貴重な知恵が詰まっている。先達が成功も失敗も体験して残してくれたのだからこれを利用しない手はない。
今の若者は本を読まないという。嘆かわしいことだ。本は最小の投資で最大の利益が得られるのに。旅行なんかに行って遊んでいてばかりでは視野が狭くなる。これからの情報化時代に武器となるのは自らの知だ。ネットや流通の発達によって知識は誰でも手に入れることができるようになった。だからこそ、さらに多くを学んで自分なりの知恵を醸成しなければならない。
詰め込み旅行の何が楽しいのか。ハードスケジュールで名所を回り、楽しむ暇もないまま写真だけを撮って帰ってくる。そして記憶にはなにも残っていない。残るのは疲労と高額のレシートだけだ。時間と金の無駄。
しっかりと吟味して自分に必要な物を買うことは一生残る。物を大事にするという喜びが生まれる。
これこそが自分投資だと思う。
誰かに聞く前に脳に汗して自分で考える。考えもしないでものをいう人がいる。深く考えないで周りに流されてばかりの人がいる。周りがやっているからと言って自分もやればいいというものではない。その行動は本当に正しいのか?ちゃんと検証したのか?軽率な行動は周りにも自分にも悪影響を及ぼす。そして失敗から自分を臆病にしてしまう。
人間は想像の中で成長することができる。頭の中でイメージすればそれがあたかも体験したかのようにニューロンにインプットされる。成功者の伝記を読んで成功者になりきれば、成功者になるための心が作られるだろう。小説を読んで人物になりきれば、人々の心のひだを知る手助けになるだろう。行動は思考が作る。
無意識はいくら学んでも自分でコントローすることはできない。しかし意識は自分でコントローすることができる。無意識に頼るのではなく、ちゃんと自分で考えて計画を立てて行動することが結局は一番の近道である。
さあ、本を読もう。
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さて、どちらの主張が正しいのでしょうか。
答え:
どちらかが正しいなんてことは言えませんね。どちらかに決めつける必要もありません。
文献を読んでから現地に出向けばいっそう楽しめるでしょうし、旅行から帰ってきてから現地のことをさらに学んでもより一層充実するでしょう。旅先に本を持っていってもいいですね。
ただ、この議論が無駄なものかというとそうではありません。議論は自分が気付かなかったことを気付かせてくれる有意義なものです。大いに議論すべきです。ただし、自分がどちらかの側にいつもいなければならないわけではありません。議論と自分の行動をまったく一緒にする必要はありません。それは自分で決めればいいことです。議論は議論。自分は自分。今日はこっち派、明日はあっち派なんてやってもいいわけです。だから誰かがいいことを言ったら素直に受け取りましょう。
語録
逆説の十カ条
1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
2.何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
3.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。
4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
5.正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6.最大の考えを持った最も大きな男女は、
最小の考えをもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
9.人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。
10.世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
(ケント・M・キース)
