実以のブログ -69ページ目

2014年の観劇より『鷗外の怪談』

2014年は1月の母の入院、手術にはじまってなぜか予定外のことが多かったように感じています。2月に地方に住むいとこの結婚式で予定外の旅。それからなぜか予定外の観劇?もいくつかありました。


考えてみると母の病気以外は楽しい予定外ばかりだったかしら? 経済的にはちょっと大変でしたが。10月の二兎社公演『鷗外の怪談』も予定外。幸徳秋水ら12人が処刑された大逆事件を扱っていることを夕刊で知りました。新聞に出る頃にはたいていチケットは売り切れているものですが、今回はたまたま代休消化を予定していた平日にチケットが取れたのです。


主人公は陸軍軍医総監で作家の森鷗外、彼の書斎を舞台に出産を控えた妻しげ、母峰、この事件の担当弁護士の平出修、若き日の永井荷風、そして国家権力を代表する立場の鴎外の親友賀古鶴所らが登場します。時は明治43年10月から翌年2月。セリフの中に語られるそれぞれの立場から見た大逆事件とは―


峰:これ、お上が秘密にしたことを知りたがったりするんじゃない。逮捕者の名前を見れば、大方の予想はつくだろう。なにせ、あの有名な無政府主義者の、ナントカカントカという男が…


平出: そうなんですが、爆弾も未完成、いつ、どこで、どうするといった計画そのものがない。まだ陰謀にもなり切れない淡い夢のようなものでして…ところが捜査当局は、これを国家転覆の一大陰謀事件と見て、無政府主義者・幸徳秋水がその首謀者であると断定した。


荷風:僕が住むだだっ広い父の屋敷は、市ヶ谷監獄署の裏手にある。今、その監獄に幸徳秋水と仲間たちがつながれている。僕は昔、彼らには全く興味がなかった。だが今は窓を開け、目の前の獄舎に彼らの影を見ようとする。囚われの心を想像する。僕がこんなふうになったのは、何のせいだと思いますか?




クリスマスイブ、森家の新入りの女中スエはシチューを作ります。そのレシピは身に覚えのない罪で捕らわれた大石誠之助に学んだものでした。




スエ:先生、ドクトルを助けてください。先生は、あの裁判の弁護の相談に乗っている。その上、なぜか処罰の相談にも乗っている。どっちの相談でもええですから、先生、ドクトルを助けてください…。


この事件をきっかけに社会主義者、無政府主義者を弾圧しようとする権力者の腹心でありながらも「かくも愚かな不自由を押しつける国が、栄えていくはずはないんだ!」と考える鷗外こと林太郎。しかし結局政府に対して行動を起こすことはできず、作家としての作品の中でしか訴えることはできません。その作家活動さえもじわりと締めつけられて―。


世の中が危ういと痛感しながらも、嫁姑問題に振り回され、家族サービスに頭を悩ます鷗外。何かよくないことが進んでいると感じながらもクリスマスを祝い、子供の誕生を喜び、暮らしていく人々。この事件から100年余りたった現代の私たちの姿に重なります。世界では女学校から多くの少女がさらわれ、恐ろしい状態におかれたり、小学校が襲撃されて子供たちの命が奪われたりしているのに―勤めをこなし、家事をし、クリスマスの飾りつけをしたり、年賀状を書いている日常が不思議でなりません。




大逆事件に興味を持ったきっかけはこの出来事の舞台の一つがたまたま私が暮らしたことのある街だったからです。ある人からは「大逆事件は日本の近代の最深の暗部である。お前のようなオタクが扱うべきでない」と叱られました。でも歴史オタクだからこそこの事件を理解したいし、私より若い人々にも知ってほしいと思うのです。



ホームドラマタッチ、コメディータッチの中に歴史的な大事件を浮き彫りにした『鴎外の怪談』。この芝居の作者永井愛氏には絶対かなわないとは思いつつ、自分も将来何かこの事件について創作が出来たらと考えている私、この戯曲が掲載されている『悲劇喜劇』11月号を買いました。














新横浜ラーメン博物館にて洋風?ラーメンを味わう

新横浜ラーメン博物館の「NARUMI-IPPUDO」でミニ・ベジタリアンヌードルを頂きました。

ミニサイズにしたのは食欲と懐具合?の関係です(笑)


なんとスープはフランス料理のブイヨンと日本の和だしの融合だそうです。麺はフランスパン

専用粉とのこと。これまで味わったことのない独特の味がしましたが、おいしかったです。

次はこのお店のコンソメヌードルを頂きたいと思います。



お店の壁にはあの助六?さんがラーメンを召し上がっていらっしゃいます。

歌舞伎の『助六』にはうどん屋が登場しますが、そのうちラーメン屋も

吉原に現れるかしら?




博物館の中は昭和30年代の街。

映画館で上映中ということになっている映画は

『地球防衛軍』

アメンバーの皆さんにはご存知の方がいるかしら?

円谷探偵事務所?の看板もありました。本当に営業している

駄菓子屋さんもあります。




以前祝日に来た時は人でいっぱいでどうにもなりませんでした。

特に外国人観光客に人気があるようです。

この日は平日だったのでゆったりとして、子供に戻った気分

にひたりました。




クリスマスの武将たち―平清盛VS真田幸村


クリスマスのテディ幸村

テディ幸村: キリシタン大名じゃないのに、どうしてぼく、クリスマスオーナメントにされているんだろう? 





サンタの一人: そりゃ、しかたないよ君、赤い服着ている上に頭がトナカイみたいなんだから?





テディ幸村: これ鹿の角です。トナカイのじゃありません。





サンタの一人: 実は私もねえ―(帽子とひげを取る)





テディ幸村とキューピー清盛

テディ幸村: もしかしてあなたは…平清盛?






キューピー清盛: いかにも―赤をイメージカラーにしていることにかけては君の数世紀先輩だ。国営放送のドラマの主役も2度やっているから心配なことがあったら相談にのるよ。






テディ幸村: ぼくちょっと不安なんです。一人で主役が務まるのかどうか? 政治家としては親父や兄貴の方が、現代の政治家に見習ってほしいようなところあるって言う人がいるし……。




キューピー清盛: うーん、まあその点、お宅は我が平氏に比べるとどうもこう、そのこのう…スケールが今一つというか…






テディ幸村: それにね、上田に海外から来るお客さんの中には山極勝三郎氏(注)の名前は知ってても大坂の陣って何?真田幸村って誰?って言う人もいるし。






キューピー清盛: そりゃ幻のノーベル賞候補にはかなわんよ。






テディ幸村: まあ、これからこの国ではぼくみたいな人生を生きなきゃならない人はなるべく出さないようにして山極さんのような世界中の人のために活躍できる人を育てるべきなんでしょうね。




キューピー清盛:大河ドラマもオリンピックも、終わった後が大変なんだよなあ。2014年の人たち、みんなそれわかってんのかなあ?





山極勝三郎(1863-1930

長野県上田市出身。ウサギの耳にコールタールを塗る実験により、世界で初めて人工的に癌を発生させることに成功。ノーベル賞候補となる。くわしくは下記サイトで。


http://museum.umic.jp/yamagiwa/
































山種美術館『輝ける金と銀』





夏から秋にかけて観劇や展覧会や旅などブログに書くべきことがたくさんあったのですが

なかなか落ち着いてPCに向かう時間が取れませんでした。これからもしかすると日時は前後してしまうかもしれませんが、頭の中でまとまったことから書いていきたいと思います。


11月7日、山種美術館の特別展『輝ける金と銀』を鑑賞しました。以前に美術番組で視た速水御舟の『名樹散椿』、ぜひ現物をこの目で見ようと決心していたのです。期待した通りの名品でした。ただの金箔よりもよりきめが細かい金砂子の「撒きつぶし」に描かれた椿の大木の幹、枝、葉、花々の生命力。眺めていると心の中のうじうじが消えていく気がしました。自分にできることは思いきって実行してみなさいと背中を押されているようで力がわいてきました。


大河ドラマ『軍師官兵衛』にも子役で登場した岩佐又兵衛の源氏物語絵図。荒木村重の一族ただ一人の生き残りで浮世絵の祖とも言われる又兵衛。やはり美術番組で紹介された

流血と復讐の『山中常盤物語絵巻』の画家とあって強烈な作風なのかな?と思っていましたが今回観た絵は源氏物語がテーマとあってのんびりしていて、すねを出した白い服の人物がちょっとユーモラス。




他に印象に残ったのは牧進の「春飇(はるはやて)」銀箔地よりもずっと輝きの強いプラチナ地の美しさももちろんですが、白い牡丹の花や葉が強い風をうけて揺れて形をゆがめる姿をしっかり捉えて描きだしているのが凄いと思いました。




実は広尾駅から美術館へ行く途中、明治通りと駒沢通りをまちがえて歩いてしまって、疲れたからこのまま帰ってしまおうかと迷ったのですが、足を運んでよかったと思います。どうやら注意力や判断力が落ちているようなので、これからは何をするにも下調べをちゃんとしなくては。




風林菓山?(風林火山じゃなくて)



テディ信玄: 疾きこと風の如く、しずかなること林の如く……お菓子はいつも山の如し…
あれ、ちがったっけ?


キューピー謙信: (おせっかいな感じで)虫歯になるよ。

月に祈る―嫦娥と南夕子




9月9日夜半、ベランダで月を仰ぎました。女優の星光子さんがご自身のブログにアップされた写真と同様の月です。雲の間からですがさすがはスーパームーン、まばゆい輝きを放っていました。

中国の若い女性で『ウルトラマンA』を視聴した方とネット上でお話しする機会がありました。彼女は星光子さんの演技に感銘を受けています。中国人の眼からみると北斗星司と南夕子の関係は日本人とはまたちがって不可思議に見えているようです。

私は拙い中国語で海外にも『A』を名作と認める人がいてうれしいこと、70年代の子供番組なので恋愛ははっきりと描かれていないのだろうということ、最近中国の昔話『嫦娥奔月』を読んで『A』を思い出したことを伝えました。

写真は『嫦娥奔月』の絵本の表紙です。満月に向かって美しく舞い上がっていく白い服の女性。『ウルトラマンA』のファンの方なら見覚えはありませんか。

昔、天には太陽が10個もあったので地上は暑すぎて怪物がはびこり、人々は苦しんでいました。神々の一人で弓の名人の後羿は天帝の命により一つだけを残して太陽を射おとします。地上は平和になりますが後羿は他の神々の嫉妬によって天帝の怒りをかい、神から人間にされて不老不死でなくなり、地上に落とされてしまいます。



後羿には嫦娥という美しい妻がありました。後羿は女神の西王母から天にもどれる薬をもらっていましたが一人分しかないので隠していました。夫の留守にそれをみつけた嫦娥は天界恋しさに服用します。すると彼女の体は軽くなって舞い上がり、月まで飛んでしまいます。天界には昇れたものの月には友人も楽しいこともなく、嫦娥は夫を思い慕って寂しく暮らします。夫の後羿が妻恋しさに満月の晩に月に団子を供えて妻の名を呼んだのが「お月見」の始まりだとか。

後羿と嫦娥のお話について詳しくは下記のサイトをごらんください。

http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter16/chapter160110.htm

現在、中国と日本は仲がいいとは言えません。私も今の中国政府のやり方には賛成できないけれど、領土や歴史の問題は武力以外の解決方法を探るべきだと思います。『A』が二つの国の魂をつなぎ、平和的な解決に導かれますように。月に祈りました。


オルセー美術館展

友人に誘われて国立新美術館の『オルセー美術館展』を鑑賞しました。


入口でオルセー美術館の外観の写真を見て友人が「これはセーヌ川ね」

とつぶやきました。


http://orsay2014.jp/highlight.html


そう彼女はパリへ行ったことがあるのです。20回以上ヨーロッパを訪れたことのある友人は大きなお屋敷に生まれ育ったお嬢さん。今もリッチな専業主婦です。90年代に一緒にイタリアのツアーに行きましたが、今後はもうおそらく海外旅行へ行く経済力が持てそうにない私には羨ましい限り。入場で待たされはしませんでしたがお盆休み中とあって人だかりがして近づくこともできない絵もありました。看板になっている『笛を吹く少年は』はじっくり観ましたけど。



別の展覧会でも観たことがあるけれど、ジャン=フランソワ・ミレーの『晩鐘』が胸にせまりました。


http://orsay2014.jp/smartphone/highlight_works02.html


暮れてゆく空の下で脱いだ帽子をつかんで静かにうつむく男。頭を垂れて手を組む女。特に現在の世界情勢を考えながらこの絵を見ると、まるで絵の中の二人が私たちのために祈ってくれているように感じられてきます。領土でもめて飛行機で脅しあったり、街が爆撃されたり、多くの人が殺されたり―世界中でひどいことが起きているのは「祈り」が足りないからではないのでしょうか? 祈りというと神頼みだとか迷信だとか、「祈るだけじゃどうにもならないじゃないか」とか、バカにしたような言葉や視線が向けられそうです。でも実は必要なことなのではないでしょうか。政治家たちに本当に祈る心を取り戻してほしいと思います。



風景画のコーナーで雪景色の絵がいくつか並んでいるのを観て涼しさと静けさを感じました。じっと見入ってしまったのはオーギュスト・ルノワールの『イギリス種のナシの木』。



http://yomiuri-eg.jp/goods_detail.php?id=523

どこがイギリス種なのか?ナシの木なのかどうかさえ判然としないのですがとにかく画面いっぱいに緑がうねって、樹木のエネルギーを感じるのです。ルノワールというと可愛い少女像やぽっちゃりした色っぽい女性像の画家というイメージを持っていたのですが、自然を描くのにも情熱があったのですね。他にバレリーナばかり描いているイメージのあるドガの歴史画『バビロンを建設するセミラミス』を見られたのも貴重な経験でした。





展覧会の後、ミッドタウンへ歩いていく途中でイタリアンレストランに入り、ベーコンとコーンのパスタを頂きました。バラバラでなく粒が並んだ状態のまま芯から切って柔らかく似たコーンがおいしかったこと! 甘味があって、日頃食べている冷凍のミックスベジタブルに入っているのとは比較になりません。デザートは友人がティラミス、私はマンゴーのパンナコッタ。ティラミスは自家製なのか、高さと直径が10センチ前後の小さなパッキン付の容器に入ったまま出されたのにびっくりでした。



友人が久しぶりに六本木の交差点へ行きたいというので、そこまで歩いて別れました。アマンドはあるけれど、私の学生時代とは印象が変わっていました。「ここがかの有名な六本木交差点ですよ」と親切にガードにローマ字で表示されているのが笑えます。















『マクベス』観たい方います?

初めての新装歌舞伎座、初めての幕見席

7月の歌舞伎座夜の部を幕見席で鑑賞しました。歌舞伎座が新しくなってから初めての観劇。新歌舞伎=明治以降の近代的教養のある作者による歌舞伎を上演すると知って観たいとは思っていたのですが観劇日を決めあぐねているうちに私に無理なく買える3階席はどの日も完売になってしまいました。それで今回初めて幕見席を利用しました。

一番観たかったのは岡本綺堂作『修禅寺物語』でしたが劇場に着いた時、夜の部最初の演目『悪太郎』の幕見は既に売り出されていましたのでそれと通しで買ってしまいました。

『悪太郎』が1000円、『修禅寺物語』は1200円。幕見席は料金が手ごろですが上演前に専用の出入り口で並んだり待ったりしなくてはならないので今まで尻込みしておりました。でも利用してみると予想外に快適。劇場職員の人がチケットの整理番号順にとてもかいがいしく案内してくれるので、早めに買いさえすればちゃんと着席できます。確かに舞台からは遠いけれど高いところからなので舞台全体が見渡せて芝居がしっかり分析できます。オペラグラスさえ持っていけば表情や衣装の細かいところもわかるので学生が歌舞伎のレポートなどを書く際などにはお勧めですね。

幕見席の観客には旅行者らしい外国人が目立ちました。私の隣に坐っていたヨーロッパ人の青年は腕に弁天小僧と義兄弟になれそうな派手なタトゥー。でも国籍も年齢も性別を問わず時間と体力をかけてでも歌舞伎を観たい者ばかりが集まっている雰囲気、悪くありませんでした。互いに話をするわけでもないのですが一体感があって集中して観られたのです。以前、新橋演舞場の二階席で『助六』を観た時は隣の席のカップルの女性の方が芝居に飽きてしまったのか、化粧室へ行ったりアイスクリームを買ってきたり、出入りを繰り返していたのが少々気になりましたから。

『悪太郎』は酔っ払いの乱暴者が旅の僧と出会ったことから仏門に入ってしまう顛末を描いた喜劇風の舞踊。外国人にもわかりやすいのでしょうか?

『修禅寺物語』は上演時間1時間少々の中に人間の愛やあこがれ、芸術にかける思いなどを描き出した名作。偉大な父親に及ばない自分に悩み、親族の策謀によって破滅する日本版ハムレット源頼家の死を描いている点、典型的な新歌舞伎。シェイクスピアの影響が感じられるのです。

今回の上演は歌舞伎界に入ってまだ年数の浅い市川中車が面作師の夜叉王。以前にテレビで視た吉右衛門の夜叉王にはもちろんかなわないし、他の配役も若手中心だったようですが、生で観られてラッキー。

冒頭、夜叉王の家で桂(かつら)と楓(かえで)姉妹の会話。十八歳の妹の楓は父の弟子と夫婦になっているのに二十歳の桂は独身のまま華やかな世界へ出て高貴な人と会う夢を追い続けています。十代でこの戯曲を読んだ時、生まれ育った田舎町に居場所がないと感じていた私は桂に共感していました。自己主張の強い桂に比べると楓はいわゆる良妻賢母型の女性と思っていましたが、今回の上演で楓にも強さを感じました。夜叉王が頼家に迫られ、出来に満足できていない面を渡してしまったことに絶望し、今までの作品をこわそうとする時、楓は止めに入ります。そして「つたない細工を世に出したを、さほどに無念と思し召さば、これからいよいよ精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥をすすいで下さりませ」と自分の考えを述べるのです。夜叉王は娘たちを「姉は母の血をうけて公家気質、妹は父の血をひいて職人気質」を評しています。楓は桂に比べて受動的な女性なのではなく、職人気質を貫いている女性なのかもしれません。あるいは楓のように親の代から引き継いだものを守っていく人生も弱くては歩けないことを私が学んだのでしょうか

歌舞伎座が新しくなって一年以上、観劇しなかったのは仕事の変化や家族の病気などで落ち着かなかったせいもありますが、何よりチケット料金が高くて。今回も1等席なら取れなくもなかったのですが、なんと18000円! 2等席でも14000円! 歌舞伎通の方のブログによれば、3等席はもともと数が少なくて取るのが難しいのだそうです。

以前着付けを習っていた時、呉服屋の女将でもある先生から「歌舞伎は舞台が華やかだからそれに負けない装いで、舞台を盛り上げてあげるような気持ちで」といわれました。つまり正絹の染めの着物に織の帯、フォーマルに近いドレスコードなのだそうで。特に1等席なら結婚式に出てもいいくらいな感じにしなさいとのこと。紬の類はどれほど高価でももとはといえば野良着なので一階席にはそぐわず「3階席ならまあいいかな」。



しかしこんなに高価だと、私の場合今後歌舞伎座一等席に盛装して行く機会はそうそう得られないでしょう。一年に一回でも難しくて何かの記念の時だけ、例えば還暦とか古希とか?これからの私の歌舞伎人生は普段着で幕見席なのでしょうか。

本当の国の誇り

平和憲法を守ろうとしたり、集団的自衛権を持たないでいると「中国になめられる」とか

「中国の属国にされてもいいのか」とおっしゃる方々がいます。確かに今の中国政府のやり方は周辺諸国の領土問題についても、国内の人権問題についてもひどいと思います。私も全く共感できません。でも集団的自衛権を容認して再軍備に向かうことは、この好きになれない国の政府を喜ばせてしまうことになると思います。



こんな風に天下国家を論じるに値しない人間だと自分のことを思っていました。でも教養や認識が足らないという指摘も受ける覚悟で、今自分に見えている景色をお話ししようと思います。



私は仕事上の理由でこの10年来、一般的な日本人より中国人と多く接する機会を持ってきました。中国語で本音を言い合えるほど語学はできないのですが、それでも一緒に働いたり、取引したりする経験を通して実感してきたことがあります。



私が交流した中国人は幸いにしていい人が多かったのですが、時にはまゆをひそめさせられる人もいました。しかし全ての人にまちがいなく共通していたことは日本を自分の国よりもよい国だと思っていること、生まれながらに日本人である私たちを羨ましいと感じていることです。中国人の中でも日本に定着することができて基本的に自分の国に帰らない決心をしている人しか、はっきりとそう口にはしませんでしたが。



今の中国政府が日本を忌々しいと敵視する理由はそれなのです。第2次大戦の敗戦国でありながら平和憲法のもとで軍事に国家予算を多く費やすことはなく、礼節があって勤勉な国民性を発揮して経済大国になったこと、まだまだ問題はありますが中国に比べると福祉も教育もいきわたっていること。そう「負けた国」のくせにです。中国は戦勝国でしかも大国なのに、皇帝政治や他国の支配から解放してくれた英雄その人の暴走のために大混乱をきたし、それがおさまった後、経済発展はしましたがその恩恵に浴している人よりもそうでない人の方が今も圧倒的に多いのです。そういう人々を抑えるために日本が再軍備し、戦後70年培ってきた言論や表現の自由を失っていく姿をみせて「ほらやはり日本は帝国主義の国だろう、民主化したって結局はこうなるんだから」と言い聞かせたいのです。




アヘン戦争以来の歴史の中で中国には列強といわれる他国から食い物にされていた時期がありました。でも食い物にしていた国は日本だけではないので日本だけに謝罪を要求したり、尖閣諸島を返せと言い出したりするのは不当です。でもそのことにたいして武力で対抗しようとすることは相手の思うツボで、私たちの国の誇りを傷つけることになるのです。そのことを正したいのであれば、武力ではなく実証的な研究を進めて正すべきです。





私は「中国なんて一回たたいてやればいいんだ」という意識も含めて、国の誇りを守るためなら戦争も―と考えてしまう人たち、特に若い人々の気持ちはわかります。たぶんそういう方々は今自分をとりまく現状に満足していないのですね。客観的に見て本当に恵まれてない状態なのかどうかは別として本人は恵まれてないと感じているはず。彼らにとっては戦後の平和を守ってきた年長の人々は自分たちに仕事や居場所などを与えてくれないと思っているかも。だからその平和をちょっとぐらいなくしてみてもいいのではないかと考えてしまうかも。





私も子供の頃からずっと自分のことをどちらかというといろいろな点で恵まれていない人間だと感じてきました。それをはっきり感じたのは高校を出た後の進学の際、望むところはたいてい学費が高すぎたこと、就職活動をした時いわゆる大企業に入れなかったこと。そういう自分に

劣等感を持っていたのですが、3.11の震災以来、妙なことにいくらかその劣等感が不要になったのを感じています。というのは私よりもはるかにすぐれた人々が治めていたはずの世の中がひっくりかえりつつあるのですから。なんとなく自分を入れてくれなかった城が落ちていくのを見ているような。とはいってもそれを見ている私が昔よりいい身分に

なっているわけではないので全然幸せな気分ではありません。


平和が続いているのは幸せなことですが固定しきっていて、自分の立場に満足できていない人にとっては気に入らない場所にしばられている気もしてくる―そういう人間にとって「乱世」という言葉は甘い響きを持っています。何かが固定されているものをつぶしてシャッフルするようなこと、例えば戦争が起これば自分にもビッグになれるチャンスがめぐってくるのではないか、財産や命を失う危険もあるだろうが不満な現状のままよりもいいような気がしてくる―実際、戦国時代なら秀吉のように平和な時代なら不可能な出世をする人はいます。第2次大戦をきっかけに財を成した人もいるでしょう。でもそんなチャンスをつかめる人はほんの一握り、ほとんどの人にとって他国との武力でのぶつかりあいは恐ろしい災難でしかありません。



本当の国の誇りを守るために、現政権の人々には冷静になって考え直していただきたいと思います。