Mac話が出たついでに忘れないうちにMacで病院のCDを見る方法を記載します。
他にもあるのかも知れませんが私が使っているのはフリーウェア(無料の)「OsiriX」。
http://www.osirix-viewer.com/ContributionOsiriX.html

上記のホームページに英語用とその他言語用が用意されており、ダウンロードして
インストールしたら終了。写真の右側をダウンロードすると自動的に日本語版が入る。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-OsiriX090618

病院でCDを貰ったら、中身をMacにコピーし、OsiriXの「データ読み込み」で
適当に選択すると、簡単に見る事ができる。
(勿論CD-Rドライブから直接読む事もできるがコピーした方がデータベース化できて便利)

旧Macはシステムが古かったせいか動作が不安定な事もあったが、現在のMac OS X 10.5.7では
すいすい動くようになった。Mac好きの人にはむしろこちらの方がお勧めかも知れない。
この1~2ヶ月は治療や調査などで不在になる事が多く、かつ、パソコンの移行作業などで
殆どブログは放置状態だった。古いパソコンのデータやソフト、ネットワークの再設定や
再申請などを断続的に進め、ほぼ完全移行することが出来た。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-time090618

私のような末期癌患者がブログを更新しないと「やっと死んだか??」と思われがちで、
ご心配をかけた向きもあるのですが、なんとか体調は維持しております。

メールが全て消えたショックが大きかったので、遂にMacの「Time Capsule 1TB」を買った。
1時間毎に自動的に無線でバックアップを取ってくれるオシャレさで、非常に気に入った。
こんなに便利なら早く買っておけば良かった。

ストレージのご多分にもれず、机に置いていると底板と天板がヤケドするくらい熱々になる。
で、写真の様に台所にあった網型の「鍋敷き」の上に置くと解決。

バックアップが完璧になると思い切った事が出来るようになり、以前から考えていた、
「Parallels Desktop for Mac」もインストールした。マックのデスクトップで
Windowsがシームレスに使える様になった。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-parallels090618

病院でもらう検査データなどはほぼ全て「DICOM形式」な為、windowsで見ることになる。
Macでも何とかはなるが、Viewerはwin仕様の方が便利な事もある。他にもwinしか動かない
ソフトは結構あるので、これは便利である。非常に気に入った。
各位

長期に不在だった為、1ヶ月以上更新が滞りました。
(ワイツゼッカーの記事は5月8日の自動upでした)
Ta2O様、ヒロ様、KANA様、他ご訪問頂いた皆様、レスポンスできず申し訳ありません。

雑事を処理致しましたら、また更新しようかと思っております。
下記は1985年5月8日に西ドイツの連邦議会でワイツゼッカー大統領が行った敗戦40周年を
記念する演説の全文。恐らく歴史上最も優れた演説の1つであるし、教育の規範であるべき
と考える。森、小泉、安倍、麻生氏ら首相が続いたことの恥ずかしさを再認識させられる。

万一、自公政権が続くと何年か後には検閲の対象になりそうなので5月8日の今日upしておきます。
study2007

ーーーーーーーーーーーーーーーー以下 引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。

われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべておりす。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。

ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。

虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。

銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。

ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス——これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。

積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。

はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。

死者への悲嘆、
傷つき、障害を負った悲嘆、
非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
空襲の夜の悲嘆、
故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆——こうした悲嘆の山並みです。

今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。

歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪——これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。

この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。

シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。

良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。

物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか—— このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)——われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。

ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。

ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。

しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。

しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。

故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。

何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。

五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること——これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。

これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。

1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった——こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。

ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。

いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。

      
戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる

五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。

戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。

傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

——第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。

——人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

——独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

——中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。

——東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。

ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。

東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。

人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

人間は何をしかねないのか——これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。


道徳に究極の完成はありえません——いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
とは言え、私も癌患者なので感染症については敏感になっており、ド素人ではあるが、
ネットやテレビでインフルエンザに関する可能な限りの調査は行った。

当初は入院中という事もあり(ネットが遅く)テレビ報道にかなり頼る事になった。
その中で何人もの「専門家」が登場しており、非常に興味深く拝見した。

本ブログは私人としての「個人」は原則として取り上げない方針であるが、公衆衛生に
関わる報道で専門家としての意見を述べた方達であるので何人かは実名を挙げる事にする。

興味があったのは情報が乏しい報道の初期段階において、この分野の「専門家」の方々が
どの様な説明と助言をするか?という点である。先ず、卓越していたのは、
・根路銘国昭(元WHOインフルエンザ・呼吸器ウィルス協力センター長)氏と
・尾身茂(元WHO西太平洋事務局長)氏だと思う。

(特にメキシコにおける)感染者数や死亡数、ウィルスの特性に関して、
明らかになっている事実と推測を明確に区別しながら、感染力と毒性の推定、
及び死亡者比率が不自然に多い事の疑問、などを的確に示したと思う。

国、自治体、個人、会社や学校、医療機関が取るべき対策も具体的かつ適正に
指針を示しており、解説のほぼ全てが有益なモノであると感じられた。

両氏がこの分野でどれ程多くの仕事をしてきたか、常日頃からどれ程科学的に物事を
捉えているかが、言動や考察の端々に滲み出ており、非常に信頼性が高いと思われる。

確か尾身氏は以前NHKの医療問題を扱った番組にも出演しており、国内の医療問題、
とりわけ医療資源の偏在と、その土壌になっている開業医制度を極めて明確、かつ強く
批判しており、医療や公衆衛生に真摯に向き合っている印象を持った。


それに対して非常に深刻に感じたのは(元?国立感染症研究所の)岡田晴恵氏。
パンデミックに関する一般向けの著書が多く?、その道では有名な研究者なのかも
しれないが、業績や論文は検索してもなかなか見つからない。

特に初期の1~2日間は、何度もテレビに出演し、現状についての分析は殆ど無く、
ひたすらH5N1並のインフルエンザが、それもヒトからヒトへの連続した感染を
始めた場合の「考えうる最悪の」予測を根拠無く繰り返していた。

ワイドショー的には岡田氏の方が「美味しい」らしく、キャスターやコメンテーター
におだてられ、毎回スペイン風邪の話題で盛り上がっていた。

パンデミックやウィルスに関する科学的な知見は当然、多くの真面目な研究者により、
相応のコストと時間をかけ積み上げられてきたと想像する。膨大な数の感染者と死者の
上にその成果はある。

が、恐らく彼女にとってはそれらは単なる商売道具に過ぎず、
世間で話題になる事こそが第一義の様である。

彼女の口から出る単語は確かに「科学の産物」である。その点においては根路銘や尾身氏
とそれ程違わない。しかし彼女の思考や表現は短絡的、恣意的かつ不公平である。
最も「科学から遠い」人間の一人であると言わざるを得ない。
職場のメーリングリストに時々「訃報」が流れる。だいたいは職員の親が亡くなった、
というお知らせで「□□部の○○さんの御尊父が永眠されました。通夜は~~で」といった案内。

実は私はこの「訃報」メールが来た瞬間、毎回かなり「どきっ」とする。
何故か判らないが「自分の訃報」がメールで流れた様な気がして、パソコンを操作しながら、
「えっ?あれっ?俺って死んだんだっけ、、?いつ?!」と毎回びっくりしてしまう。(^_^;)

今回の忌野清志郎さんの訃報もそれに近い感じがあった。
自分の骨転移が判明したのと同時期に、同じような場所の転移が公表され、
癌腫は違えども経過には注目していた。ただ殆ど治療情報は無く、よく判らないでいた。

・原発は制御できていたのか?
・放射線を照射した腸骨の経過は?
・他の骨転移は?
・肺転移は?
・抗がん剤のセカンドラインはやったのかどうか?

あたりが気になっていた点である。が、死因が癌性リンパ管症との事。
昨年暮れには飛び入りステージなどもこなした事から、
やはり最終的には肺、それもかなり急だったか、、という感じがする。

生前の筑紫哲也さんとの対談では「初回の抗がん剤は劇的に効いた」と話しており、
セカンドラインに何をやり、どうダメだったかなど、やはり気になる点は多い。

何かの教訓を得るには情報不足ではあるが、やはり可能性のある抗がん剤は
できうるなら「肺のため」に温存したい気がする。

重粒子ですら確実に呼吸機能は削られる。やはり肺は「消耗品」という感じがする。
下図は5月2日土曜午前の渋滞情報である。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-jh090502

個人的には今年のGWの渋滞状況は見所が多く、非常に楽しみにしていた。
結果はいくつかの想定の中で最悪だった様である。

1.もしかすると4月24日から5月8日までは「休日扱い」にでもするかと思ったが、
  利便性や排出ガス削減など本当は全く考慮していない事が明らかになった。

2.混むとしても中央道に少しは廻るかと思ったが、この有様である。

3.また、5月1日は平日だったが例年なら20~40km程度は渋滞する予測である。
  が、今年はかなり多くの人間が土曜日に廻った。

これほど明確に将来予測が可能な事象は珍しく、2日は「間違いなく渋滞する日」である。
にも関わらず、政策側も利用者側も絵に描いた様な失敗を演じてみせた。

現在は有り余る程の情報と知識が溢れている。皆すっかり頭が良くなったつもりになっているが、
これほど単純な失政を平気で起こすし、また個人個人は回避もできない。
自分を含め、如何に人間の判断力が低いかを再認識させられる1例である。
他の癌患者さんに推奨できない考え方なので「世間話」のテーマに含めるべきかも知れないが、
今回の新型インフルエンザに関しては「罹患するなら今がチャンス」と考えている。

例えばIIIb期以上の肺がんで手術や放射線の履歴があり、かつ再発や転移に対して抗がん剤。
あるいは放射線化学療法、、といった状態になると呼吸機能や血液状態は非常に厳しくなる。
G-CSFでなんとか治療を維持している時にインフルエンザに罹るのは絶対に避けねばならない。

その時の肺炎はいつ致命傷になってもおかしく無い。一切の計算も約束ももはや通用しない。
昨年のシスジェムの際には炎症と発熱が続いた。体力が「ある下限」を下回ると、抗生剤を
どれだけ入れても全く回復しない。

つまり癌治療の考え方の中心に置くべきは「次回治療中、風邪を絶対にひかない」という事
だろうと思う。

しかしながら、病院には毎日数百人もの見舞客が来る。10人程度の医療関係者とも必ず
接触せざるを得ない。自宅や職場より遙かにハイリスクな環境を生き延びねばならない。

予防接種も製造されれば当然受けるが、比較的体調の良い今の時期に罹患し、
抗体ができれば「本当に危ない時」の罹患リスクを下げる事ができるかも知れない。

季節性のインフルエンザの関連死亡率はおよそ0.2%とのことである。
今回の新型インフルエンザH1N1は現状では弱毒性と考えられており新規性を含めても、
およそ2~3倍と推定される様である。「今なら死亡率1%以下」と推定される。

現在私の呼吸機能はベスト時の85%には回復している。白血球系は100%。
赤血球系は90%の状態である。40度の発熱が3日続く程度のリスクなら
すでに慣れっこである。私に言わせれば致死率1%などリスクの内にも入らない。

恐らく1ヶ月以内に今回の騒動は収まるであろう。梅雨がくれば感染は一時収束し、
次のピークは11~12月頃であろう。私的には丁度なんらかの抗がん剤と
場合によっては胸部に放射線をやってる頃かも知れない。

その段階で罹患するリスクを仮に10%下げられるなら、むしろ今が「チャンス」である。
すなわち「常に」気をつけるのは間違いではないが正しいとも限らない。

癌治療は、常に利益とリスクのトレードオフの中でバランスを取りながら進める必要がある。
ましてIV期ともなれば通常、絶対に正しいと思われる常識や原則も単純には通用しない。

結局、私の対応をまとめると(積極的に感染するのも難しそうなので)
・手洗い、うがいは習慣なので続ける。
・マスクは花粉症なので結局せざるを得ない。
・必要な移動、電車の利用はする。
・食料の買い込みなどはしない。
という程度である。私にとっては「特別な何か」をする理由も意義も無いと思っている。
最近スーザン・ボイルという人が英国のオーディション番組に出て話題になっている。
YouTubeやテレビでも取り上げられているが、何故だか私的にはイマイチ、、、。

実はつい先週、同番組の決勝大会?で2007年に優勝したポール・ポッツを知った。
「今さら、、」という感じだが、偶然テレビで特集されていた。近々来日するらしい。

なにがどう違うのか判らないが、こちらは圧倒的にリアリティーがある。
当然番組制作者の意図や計算もあるとは思うが、たぶんその「枠」を超えている。

いずれにせよ、埋もれた才能というのは、こういう番組でしか日の目を見ないモノらしい。
面白いのは二人とも不遇な環境で過ごしながら、教会で歌に出会っていること。

中世ではヨーロッパでも日本でも文化や学問、教育のかなりの部分を宗教施設が担った。
場合によっては雑賀衆や根來衆の様に、最先端の兵器産業や傭兵部隊すら「宗教団体」
によって運営されている。

セーフティーネットからこぼれた階層を労働力としてくみ上げるシステムとして
「宗教」の役割は大きかったし、近世でのそれは「社会主義」だったのかも知れない。

ここ20年程は「良く考えたら、くみ上げるのも無駄なので海外進出だ」という流れ
の様だったが、内需があまりにも細くなり、なかなか回復基調に乗れないでいる。

私的には「エコの流行」は偽善的で気に入らないが、
・エコカー助成には賛成である。(エコポイントには大反対)
・同様にエコ電力への助成も当然すべきだろう。
・エコ家電へのポイント付加は反対である。
・介護報酬の加算には賛成だが、景気浮揚を期待するのはスジ違いだろう。
・住宅建設を条件とした相続税減税は論外。最低限の知能とモラルも無くなった様である。
・高速道路は明日にでも全面無料化すべき。
・重粒子、高額検査機器を含む医療用具・サービスの商品化の推進。
・農業「会社」の解禁。
・道州制、地方分権は理想に近いかも知れないが、地方公務員の80%は要入れ替え?
、、、、、キリがないので止めますが。

こうして考えても確かに「オペラ歌手の育成」はかなり後回し、という感じですな。

<ポール・ポッツ発見の瞬間>
女優の審査員に至っては「カエルが王子に変身、、、」とか言ってやがるし、、


<決勝大会の様子。相当ベタな番組らしい?、、>
先日、広報した国立がんセンターの「患者・市民パネル」応募の結果、
4月上旬に「採用」の通知を頂いた。

私の様な予後も態度も不良な患者を採用頂き有り難かった。が、結果として辞退させて頂いた。

理由は、
・交通費とは別に、謝金が年2万円程度出る規約になっており、辞退が出来なかった事。
・個人情報秘匿や意見表明に関する規約が若干気になった事。による。

何度か電話で交渉したが結局折り合いがつかず参加辞退となった。
本ブログでも情報の公開と意見募集などするつもりだったが非常に残念である。

私の勤務先では「兼業(バイト)」に関する規定があり、恐らく許可は貰えるとは
思うが、面倒な手続きが発生してしまう。謝金を辞退した方が遙かに楽なのだが、
がんセンターも「国立」なので、そうそう簡単に規定は曲げられない。

また、パネル活動で知り得た情報(個人情報を含む)の秘匿義務があり、
当然尊守には務めるものの、「○○患者会からの意見は、、」などと公表してしまうと、
規約違反であるし、間接的に個人を特定してしまう恐れもある。

国立病院が主催する会である以上、ある程度の規定や約束事は必要と思うが、
「知り得た情報の秘匿に関する承諾書」には若干の抵抗を感じた。

応募時の私の理解では「癌情報の精査・整理と発信」が目的だと思ったが、
送付されてきた中身をじっくり読むと「がん情報センターの使いっ走り」という印象である。

すなわち「国から指示された内容のみを流布する事」と「国に聞かれた事のみを答える」
のが主な任務で、パネルのメンバーになってしまうと「個人の意見」を公表する際にも
(会で得た情報だと疑われる場合)内容、媒体ともに制限が掛かってしまう。

そういった反対意見を言う為にも参加しようかとも考えたが、年間2万円の対価の
為に本ブログを含め、罰則の対象になるのは割に合わない気もする。

先日の記事では「参加を勧めて」おきながら大変申し訳無いですが、
こういう事情の為、私は参加辞退させて頂きました。重ねてお詫び致します。

study2007