楽山の右翼思想2 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

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  楽山の右翼思想2
 
 『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』佐藤優著
 2020年06月27日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25310781.html
  を改めて批判。
 
 
楽山は、A級戦犯となった大川周明についての記事を載せています。これが、楽山の奥底に隠してきた本音だったのでしょうか。政治思想の記事を出してきた楽山は、軍国青年だったのでしょうか。
 

大川周明については、もう大分前に某リサイクルショップで『米英東亜侵略史』を見つけて読み、「つくる会」の歴史観と同じだと思ったのと、東京裁判での奇行くらいしか知らないので、もう少し知識を仕入れておきたいと思い、本書を読んでみた。
そんな自分が本書の中で特に心に残ったのは以下のことだ。
まず一つ目は、大川周明が語った『米英東亜侵略史』は事実に基づいていたためにアメリカを激怒させたという話。これについて著者は「大川周明という知識人に対してアメリカが激怒したことを筆者は誇りに思う」(p.90 単行本2006年)としている。たしかに対立している相手になめられるよりは激怒された方がよほどましだ。

 
楽山のような、理非を弁えず、人間らしい情緒を持たず、未熟なまま大人になったような人物が、政治思想を語るのは、非常に危険であります。極端に走ってゆく傾向があるからです。周囲の誰もブレーキを掛けなかったのでしょうか。
 
楽山は、対立している批判者を、そして、すべての他者を、無視し続ける男です。そして、全く、真実の交流、本音の話し合い、真っ当な議論のできない人です。
 
「対立している相手になめられるよりは激怒された方がよほどましだ。」などと、よく言えると思います。実際は、対立している相手を完全に舐めて、無視してよいと思っているのが楽山です。
 

二つ目は大川周明が東京裁判に呼び戻されなかったのは、「大川は腹の底から法廷をバカにして」いるようであり、「いたずら心で法廷を喜劇の場にしてしまうことをアメリカは恐れたのではないか」(p.97)という見方である。

 
大川周明は、知能の高い人のようですが、先勝国であるアメリカが、この人を恐れるのでしょうか。楽山は、恐れられるような言論力はなく、代わりに、煙に巻く詭弁と嘘があり、無反省と無責任と無神経ゆえに鈍麻して、実際は、楽山が誰も恐れていないということでしょう。
 

自分としては大川は裁判から逃げたいがために、人の頭をピシャリと叩き、正気を失ったふりをしたのだろうと推測していたが、氏が優れた論客であり、あの場でふざけてみせる図太さがあるならば、たしかに東京裁判を喜劇に変えることは出来たであろうし、アメリカがそれを警戒した可能性もなきにしもあらず。

 
東京裁判を喜劇に変えるのではなく、独りで喜劇を演じることになったのではないでしょうか。梅毒による精神障害と書いてあるようですが。アメリカは、それを警戒するでしょうか。楽山の持ち上げ方は異常だと思います。高い知能を引き寄せて、自分もだと言いたいのでしょうか。
 

三つ目は大川が『日本二千六百年史』において源頼朝や足利尊氏に一定の評価を与えたところ、蓑田胸喜から天皇機関説の疑いをかけられ、修正を余儀なくされたという話だ。この批判は筋は通ってはいるのだろうが、あまりに窮屈すぎて笑いをこらえるのには苦労する。でもこの批判を受け入れる形で当該書籍が修正されたとすると、当然ながら当時は笑いごとでは済まされなかったということなのだろう。

 
どう笑いごとでなかったのか、説明がありません。「筋は通ってはいる」と言いながら「笑いをこらえるのには苦労する」というところに、楽山の、いい加減さが表れています。ブログ読者への説得力など、楽山には、どうでもいいのでしょう。自己愛で、完成しているつもりだからです。
 

四つ目は上と関連するが、蓑田胸喜は自己を復古主義者と規定していたかもしれないが、実際には「典型的な近代主義者」であり、「自らが生きる時代の視座をもって日本の歴史の諸事実をつなぎあわせ、単一の価値観で貫かれた歴史を提示する手法は、典型的な近代ロマン主義である」(p.272)という指摘だ。

 
楽山も、自分はは学者レベルだから偉い!そして言うことはおのずから皆正しい、という単一の価値観のようです。自説に反することは、すべて、無視してきた2年間でした。楽山は、反論・弁明できなくても、笑っていられる体質です。
 

またこれに対して大川周明の場合は、「前近代的な復古主義(プレモダン)であると同時に、近代の限界を超克したポストモダン思想の両義性をもつ」のだという。
これは何やら難しい話ではあるが、自分は後者の方が好みだ。話は少々変わるが、たとえば宗教について考察する場合、信仰、唯心論、有神論という方向からだけではなく、それとは反対の懐疑論、唯物論、無神論という方向からも考えたい性質なので。

 
楽山の語る○○主義を、まともに受け取ってはいけません。字面の浅い概念しか受け取っていませんから、言葉だけ、専門用語を使って、自分を飾っているだけだと思います。キリスト教について、如実に表れていたことです。既に浅はかさがバレているのに、なおも見栄を張り続ける楽山です。
 
楽山の、論、というのが、どの方向であれ、話にならないことを、私は、今までの批判記事に書いてきたつもりです。今回の記事で、危険が増し加わったと思います。これが、自己愛のために知性にも感性にも縁のない、楽山、という暴力的で節操のないサイコパス的人格の思想~妄想です。
 
楽山は、信仰という方向から考えたことはありません。信仰についての話は、幼稚な詭弁ばかりです。恐らく、総ての思想と論理について、楽山は、まともに組み立てて語ったことはなく、ネジが緩んだガタガタの精神作業のために、何も成り立ってはいないと思います。
 
対立する命題から考えるというのは、思考において当然のことです。しかし、心が無ければ、賛否の論も、いっさいは空しく、危険なだけなのです。そこに、楽山の、思い込みから暴力的思考への傾倒が生まれています。
 

つらつらと、とりとめのないことを書き連ねてしまったが、本書を読んだことで、自分は大川周明について、さほどの知識もないままに、偏見を持ち、不当に低く見ていたということがよく分かった。やはり知識が増えるとそれだけ視野は広がるようだ。読書の大切さが身に染みる。大川周明についてはもうちょっと調べてみたいと思う。

 
楽山は、勉強が嫌いで、かつ、宗教が嫌いな、右翼青年だったのかもしれませんが、そういうこととはかかわりなく、「つらつらと、とりとめのないことを書き連ね」たのなら、正当な論者であれば、公開しないはずです。実際、ゴミ箱だけが似合っている楽山の言であります。
 
知識が増えて視野が広がる、と言っています。失ってゆくものに、失われてゆくものに、全く無関心な楽山です。悲しみに共感できる心がないために、自分について、悲劇を想起できないのでしょう。読書の大切さを、ことごとく、自我の満悦のために棒に振っている楽山です。
 
私は、右も左も詳しくはありません。しかし、国家主義・軍国主義が支配した日本の歴史に、誰も否定はできないのは、日本だけで300万人の犠牲を出した戦争があったという事実でしょう。楽山の視野では、不都合は総て無視するので、特に人名や人生や心や命について、楽山は不感症です。
 
楽山には、決して近づかないでください。思っていたとおり、楽山は、危険です。さらに、右翼思想家に傾倒となれば、今後、どういう転帰を辿るか、恐怖しかありません。しかも、楽山は、今までの批判に書いたように、笑うサディストですから、人の人生も命も、何とも思っていないと思います。
 
 
大川周明:
(ネット百科事典マイペディアの解説より)
 「
右翼国粋主義運動の理論的指導者。山形県生れ。東京帝大でインド哲学を学ぶ。1919年北一輝らと猶存社,1924年行地社を結成。啓蒙活動を行う一方,軍部桜会の将校と接近。三月事件,十月事件に関係し,五・一五事件で検挙。釈放後は法政大学教授を務め,《米英東亜侵略史》などを刊行。第2次大戦後,A級戦犯に指名されたが,東京裁判の公判中精神障害を起こし釈放。著書に《日本文明史》,コーランの翻訳がある。
 」
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E-17853
 
 
虚偽と詭弁と偽善の文章に対する厳しい批判とは、対象の文章を見たとたんに生じる悪臭と不快感と怒りを、コントロールしてクールダウンして、冷徹な理路と比喩に置き換えてゆく作業を理想としています。うまくいってるかどうかは、また、別ですが。
 
 
           
                                   妄念思想
 
 
(2020年07月02日)
(2021年07月28日、再録+加筆)
 
 
 
  罪と神の御業(みわざ)
 
病むことの苦しみは
病んだ者にしかわからない
 
病気は罪の結果であり
病人は罪人であり
近づく者さえ汚(けが)れた者とされた時代
一人の盲人について
「誰の罪ですか」と問う弟子にイエスは
「誰の罪でもない
ただ神の御業が現れるためである」と答えた
そのように公然と言うことが、ゆくゆく
どれほど危険な結果を招いていくか
百も承知で
 
負わされることの苦しみは
負わされた者にしかわからない
 
長い間いわれもなく
負わされてきた「罪」が
「神の御業」に言い換えられたとき
そう公言して憚(はばか)らない人が
目の前にいることが
癒し・奇跡と言えるほどの
驚くべきことであったのだと思う
 
聖書はそのあと
盲人の目が見えるようになったと記している
あげれば忘れてしまいそうなくらい
同じような奇跡物語が多く記されている
奇跡が実際起こったのかどうか
私は知らない
どちらとも信じていない
 
疑いの中をさまよいながら私は思う
それでも使徒たちが伝えないではおれないほどに
驚くべき何かがその時々にあったのだ
それはきっと
肉体や物を揺さぶるよりはるかに強く
彼らの魂を揺さぶったのであろうと
 
(90年代か)
 
※ 記事と、詩のようなものは、年代からも分かるように、直接の関連はありません。ただ、少しばかりテーマの類似を考えて、詩のようなもののほうを過去作から選んではいますが、私の感慨に過ぎず、テーマと一致しているとは限りません。
 
 
 
(ネットWikiより抜粋)記事の参考までに:
 「
大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日)は、日本の思想家[1]。東京帝国大学文科大学卒(印度哲学専攻)。
 
1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した[2]。
 
東京裁判においては、唯一、民間人としてA級戦犯の容疑で起訴されたことで著名となった。しかし梅毒による精神障害と診断され、裁かれなかった。なお、晩年はコーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究で著名。
 
大学時代は先賢古聖を思索する中で頓挫・懊悩し、救いをキリストに求めた。キリスト教系の新興宗教団体「道会」に加入。
やがてキリスト教会の物質を偏軽する道徳の虚偽に憤り、社会制度の根本的改造を必要とし「マルクスを仰いで吾師とした」[4]。さらにプラトンの国家理想を知り、「キリストもマルクスも最早吾師に非ずと思った」。
 
貴族院議員の徳川義親侯爵と親交が深く、徳川から金銭的援助を受けており、徳川は、大川やその他日本改造主義者たちの経済的パトロンであった。三月事件・十月事件・血盟団事件など殆どの昭和維新に関与し、五・一五事件でも禁錮5年の有罪判決を受けて服役。
 
満州国の建国を支持して在満邦人と満州人民を政治的横暴から救うという視点から「新国家が成立し、その国家と日本との間に、国防同盟ならびに経済同盟が結ばれることによって、国家は満州を救うとともに日本を救い、かつ支那をも救うことによって、東洋平和の実現に甚大なる貢献をなすであろう」と主張した(文藝春秋昭和7年3月号『満州新国家の建設』)。
 
戦後、民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴された。1946年3月21日に極東軍事裁判被告人選定委員会に提出された報告書によると、訴追の理由として「扇動的な書物を出版し、講演で変革を訴え、超国家主義的右翼団体を結成」「陸軍が合法的独立国家の中国から満州を奪取できるように、満州事変の陰謀をめぐらした計画」が挙げられている。
 
東京裁判には大川は水色のパジャマを着用し、素足に下駄を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり(この場面を記録した映像が現存している。
 
大川は米軍病院に入院させられ(のち東大病院、松沢病院に転院)、主治医の内村祐之により梅毒による精神障害と診断された。
 
東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった。この間、公職追放となる[10]。
 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E
 
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
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(古い記事もインポート済み)
 
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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