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私の人生ストーリー(連載中)
1 心のふるさと、鹿児島
2 大阪 幼稚園時代
3 初めての海外 アメリカ
4 小学校時代
5 「普通じゃない私」
6 ニューヨーク生活の始まり
7 覚醒
こんにちは!
田中友紀(たなかゆき)です
過去を振り返りながら、私の人生ストーリー(世界観)を綴っています
前回まではこちら
1 心のふるさと、鹿児島
2 大阪 幼稚園時代
3 初めての海外 アメリカ
4 小学校時代
5 「普通」じゃない私
6 ニューヨーク生活の始まり
7 覚醒
本日は第8話をどうぞ
8 ニューヨーク日本人学校
父の赴任は2年間と決まっていたため、帰国後は私の高校受験が控えており、両親は勉強に遅れをとらないようにと、日本人学校に入学申請をしていました。
待機していたら順番がきて、数ヶ月の現地校生活ののち、私は日本人学校へ転校。
現地校のときは、週末に補習校で日本語の授業も受けていたので(当時は現地校と補習校のWスクールが一般的でした)本当にめまぐるしい変化です。
この日本人学校で過ごした日々が、私の青春の1ページになりました。
何よりも、学校生活を大満喫。
仲の良いお友達ができて、頻繁に「お泊り会」をしてました。
アメリカが車社会で、子ども同士で気軽に家を行き来できない環境だったからこそ、ですね。
お泊り会のワクワク感…
時間を気にせず思いきり遊んで、一緒にご飯を食べて、しかも帰らなくていい。
最高!
毎回、送迎とご飯やお布団の準備をしてくれた母には心から感謝です。
当時の日本人学校は5年生から中学3年生まで在籍していたのですが、6年生のあとは7年生と呼ばれ、小中の一体感がありました。
中学の生徒会の先輩は憧れで、普段は話しかけられないけれど、卒業のときは中学生校舎まで出向いてノートに言葉をもらいに行ったりして。
いや~まさに青春でしたね!
私の能力が開花したのもこの頃。
日本人学校に入学したのが6年生の終わり。
入ってすぐのテストでとんでもない点数を叩き出した私は、大きな屈辱を味わい、そこから猛勉強を始めます。
父がサポートしてくれたこともあり、徐々に結果が出始め、私はあるときコツをつかみました。
どうすれば学んだことが身につくのか?腑に落ちた感じです。
不思議と、そのときの感覚は今も覚えてるんですよね。
そして、その後の学び方、仕事への取り組み方につながっている気がします。
この間に大量の「モノを書く」という経験をしたことも大きかったです。
友達との毎日の交換日記。(流行ってたんですよね~懐かしい)
学校のレポート課題。
当時はインターネットなどなかったので、日本語の情報源といえば百科事典で、授業でレポートの課題が出されると、百科事典を読み漁って書いてました。
ホリエモンが、「自分は一人っ子だったから家に帰ると遊び相手がいなくて、百科事典を読み込んで丸暗記してた」という話をどこかでしていましたが、なんだかわかる~って思います。
今の仕事では、「膨大な情報から必要なエッセンスを選び取り、自分なりにわかりやすくまとめ、人に伝える」というスキルが求められますが、当時の経験がその土台になっていることは間違いないです。
人前に立つようになったのもこの頃。
日本にいる頃には考えられませんでしたが、学級委員もやりました。
自分が転校を繰り返していたので、転入生のことはすごく気になって、積極的に声をかけてましたね。
あと、元気がなかったり体調が悪そうな子にも声をかけてました。
それがきっかけで友達になり、仲良くなるということもたびたびあって、自分から人の輪を広げることもできるようになっていきました。
今でも初めての場や人に全く躊躇がないのは、この頃の経験のおかげ。
※どちらかというと、そのあとのほうが課題。笑
ニューヨーク日本人学校は、今は慶應ニューヨーク学院になっているそうですね。
当時とはだいぶ変わっているのかな…いつか訪れてみたいです。