大学という斜陽産業 -195ページ目

若くて真面目な人ほど忙しい

大学教員の日常・非日常 休暇名物で、この時期、大学教員が学生から暇そうに見られていることが書かれていました。まさに御意。

ちなみに、世間では(学生も)勘違いがあるようだけれど、私学の大半は、2月3月には講義がないけれど、春休みではない、ということである。入試等で忙しいので、講義をしていないだけである。あるとしたら、通常、小中高と同じく3月末から4月頭までの間である。

まあ、この時期、入試で忙しいというのは、受験生が多数いることなので、ある意味幸せですけどね。

休暇名物では、こんな指摘もあった。


ヒマな先生は、途方もなくヒマそうです。

研究はとうの昔に引退。講義も何十年と使いまわし。
雑務も『使えない』のがわかっているのでまわってこない。

これで年収300万円ぐらいだったら許してもいいんだけどなぁ。
教授ってことは…。



まさにその通り、である。大学では、若いか、真面目な人ほど忙しい、という傾向がある。いわゆる「雑務」と言われる仕事が回ってくるのである。しかし、この雑務という表現、人それぞれの所もあるが、概ね教育・研究活動以外のこと(大学の会議、クラブの顧問、入試業務などなど)を指すようである。

若い場合は、若いと言うことで仕事が押しつけられる。まだまだ研究もしたい(しなくてはならない)年代である。だから忙しい(はずである)。

真面目な人は、真面目に仕事をこなすので、「仕事ができる」、「使える」という評価を得てこれまた色々と仕事が回ってくる。もちろん、研究も真面目にしている。だから忙しい(はずである)。

しかし、この使えるというレベル自体、企業で言うと「使えない」レベルの場合すらある。大学なんて所詮、そんなものである。

使えないという評価を得ると、なぜか仕事が回ってこない。「あの人に頼んでも、結局誰かが尻ぬぐいをしなければならないから、(最初から)別の人に頼もうか」となるのである。企業だったらリストラの対象だ。でも、大学ではそんなことにならない。しかも年功序列賃金なので、若手の講師の倍以上の給料をもらっていても、仕事は半分、なんてこともある。


このように、使えないという評価を得て、雑用から解放されて、その時間をすべて研究に費やして、世界から称賛を浴びるような研究成果を出していればまだましなのかもしれない。でも、そういう人に限って、研究も教育も隠居生活だから始末が悪い。大学の財産は人と言うが、その人が財産どころか不良債権と化しているのに手の打ちようがないのが現状なのである。

確定申告をしました

今日は、確定申告の最終日である。かろうじて今日申告を済ますことができた。

以前書いたように、非常勤講師をしているので、税金を追加で払うことになった。自分の計算ミス(最初、還付される結果が出て思わず喜んじゃった)のせいで、結局、今日一日というか少なくとも半日はこれ費やした。機会費用を考えれば、追加で取られる税金以上のコストがかかったことになる。あ~あ、本当に何やっているんだろう、て感じだ。

以前、年末調整をきちんとしたときに、一旦税金が戻ってきて、確定申告をして税金をさらに払ったことがある。どうせ確定申告でさらに税金を払うことになるのだから、年末調整では生命保険料の控除など、細かい計算はしてもらわないことにした。その代わり、自分ですべて確定申告で計算するので、面倒といえば面倒なのだが、税負担をひしひしと感じる。これが源泉徴収だけで済ますと、税負担を余り感じなくなるそうだ。だからサラリーマンも確定申告をした方が良いと思うのだが。

コンパ会場がわからない

昨日、コンパの会費のことを書いたので、それに関連するネタで。

コンパのようにゼミで学外で集合する場合、集合場所は連絡してくるのだけれど、コンパ自体の会場の連絡がないのも、最近の傾向なのでしょうか。

彼らはこう言う。「集合時間に遅れても、携帯で連絡を取れば大丈夫ですから」と。

自分の学生時代、自動車電話はあったけど、個人で携帯を持つような状況ではなかった。だから、集合場所に行けない場合は、会場に直接行くことになる。

余談だけど、デートで一方が大幅に遅れるような場合、連絡も取れず、大喧嘩になるのは必至である(もちろん、携帯があるからと言って待ち合わせ時間に遅れるのは論外であるのだけれど)。でも、かれらは、○○の辺りに△時頃、という非常にアバウトな約束で待ち合わせたりする。この感覚はどうもわからない。

コンパ

この時期、卒業を控え、ゼミなどではいわゆる追いコンがあったりする。

例えば、この追いコンの場合、4年生を追い出すので、4年が主役というか、4年生の会費を軽減したりするのが普通だと思っていたのだけれども、最近はどうも違うみたい。

新歓コンパだったら、新入ゼミ生の会費が軽減される、迎え入れる方がやや多めに負担する。で、出ていくときには再び軽減されるというかんじで、皆が順繰りとなる。

しかし、最近の学生はこういう負担増を嫌う傾向がある。時代の流れといえばそうなのかもしれないけど、なんとなく寂しさを感じるのは自分だけでしょうか。

名誉教授

まあ、身内のお手盛りというのは民間企業でもあるのでしょうが・・・。

大学によってその要件は多少違うが、長年勤務されたり、業績が顕著な教授が定年退職される場合、名誉教授の称号が与えられる場合がある。しかし、この前たまたま見た名誉教授はすごかった。勤務期間は40年ぐらいで確かに長いのだが、業績がなんと両手で余るぐらいだった。もちろん、業績は数ではなく、質ではあるのだが。

例えば、1991年にノーベル経済学賞を受賞した R.H.コースは、その業績の少なさも話題になったぐらいだが、ここまで顕著な業績なら誰も何も言わないだろう。

しかし、世の中には、この名誉教授職、何らかの報酬が付いていると思っている人が意外と多い。あくまでも名誉。何もない。まあ、大学の施設(図書館等)が利用できるとか、たまにご意見を頂戴するという名目で食事会などの場を設ける大学もあるようですが。

あと、これは私学の場合しか起きない現象なのだが、国立大学を定年退職された高名の研究者、当然その大学から名誉教授の称号を得ている方を迎え入れ、その方が退職する場合に、さらに名誉教授の称号を与えるということがある。でも、その方は、絶対と言っていいほど、肩書きとして○○大学名誉教授と書いても、○○大学は国立大学の方だ。そんな人(いきなりここでの書き方も変えちゃったりして)に名誉教授の称号をわざわざ与えるのが不思議でならない。

追再試験の受験料の謎

そろそろ卒業式シーズン。大学教員も暇そうに見えるのでしょうか。でも、いろいろとあります。その一つが、追再試験。そう、まだ「終わっていなかったんだ」という訳です。

試験が終わっても、今度は卒業や進級が危ぶまれる学生は、いろいろと問い合わせをしてくる。問い合わせぐらいならまだましで、とにかく単位を認めろという輩まで。

かつて、こんなことを言われたことがある。この時期、研究室で成績関係の話を決して二人っきりでしてはいけない。扉を開けるか、他人が近くにいるところでするように、と。

話は変わるが、この追再試に関して、学生が妙に誤解していることがある。多くの大学では、追試や再試を受けるには、多少の受験料を取る。これが、教員に支給されていると思っているのである。自分の経験上、そんなことは一度も無い。

しかし、あの受験料はいったいどこに消えているのだろうか。少なくとも自分の経験上(専任と非常勤とも)、追再試の作問に手当が付くこともなければ、採点に手当が付くこともない。事務職員に手当が付いているのだろうか。さすがに事務職員の手当までわからないが、おそらく付いていないだろう。

この受験料、まるで某自由業の本部のように、大学の本部が上納金のように掠め取っているとしか思えない。

サザエさんの未来図

ブログを始めてから、なんかネタはないかなあ、なんてついつい考えてしまう自分がいます。そんなことに頭を働かすなら研究をしなさい、と言われてしまいそうですが。

そんなとき、別のネタのTBやコメントを追っていくと、国民的アニメ「サザエさん」という話題がありました。

こんな風に専門(?)的に考えたことがないのですが、サザエさんを見るたびに思うのは、オープニング(サザエさんが日本各地を訪れる感じになっている)には、結構最近のことが描かれていたりします。それなのに、本編にはいると、やはり設定が古い。このギャップはいずれ解消されるのだろうかと。

サザエさん一家他の登場人物がいつまでも成長しないのは良いとして、その他の設定は変えていく可能性があるのだろうか。家の電話がプッシュホンにかわったり、サザエさんとマスオさんが携帯で連絡し合うようになったり(職業的には、ノリスケさんの方が先に携帯を持ちそうではありますが)、カツオくんがファミコン(古い)をしたりと。

修論審査

修論審査も一応、学位の審査なんだけど・・・。TBの例ほど厳しくしちゃうと・・・。

日経新聞にも、先日、「最近の修論は10年前の卒業論文以下」なんて書かれていたけど、10年前の卒業論文のレベルがよくわからないので、この点は何ともいえません。でも、就職できなかったから、とか資格試験の免除のため、といった理由で進学してくるのが多いせいか、ひどいのが多いと思う。自分のゼミ生の場合、指導不足でしょ、と言われると反論できないけど、指導以前の問題もあるし(言い訳)。だって、文章が日本語じゃない。主語と述語が繋がっていない。あ~あ。

#おまえのブログも同じだ、といわれたりして。

しかし、修論審査も、理系と文系の差とか、大学の差があって面白いです。勤務先の理系の先生と以前話していたら、理系の場合、(1)少なくとも学会で1回は報告している、(2)学内の(公聴会というほどではない)発表会で発表する、という段階を経て修論を出すに至るらしい。

逆に、別の文系の場合(院生から聞いた話)、教員が一度ぐらいしか論文に目を通さないと言うぐらい指導がない、というケースもあるらしい。このような場合、修論審査では、院生ではなく、指導教授がしゃべりまくるらしい。

この他、最近の問題はやはり留学生でしょうか。内容もそうかもしれませんが、日本語がね。本人が書いているんだか、指導教授が書いているんだか、っていうぐらい区別が付かないケースもあるようで。

卒業判定

先日、今年度の卒業判定が行われました。在学生の約8割が卒業、言い換えるならば、2割が留年です。でも、先日書きました再試験があるので、さらに1割ぐらいが卒業できることになります。

他の学部の状況はわかりません。さらに他の大学の状況もわかりません。これぐらいなんでしょうか。

さすがに卒業判定となると、規定通り判断しなければならないので、「○○君は人物的に優れているので、卒業させてやるべきだ」なんて言う発言はでません。しかし、試験前に個人的に頼んでくる教員は、たまにいますね。

さらに、学部長名で、「ご配慮下さい」(訳:単位を認定して下さい)という文書を受け取ったことが過去に数回あります。その理由は、いずれも当該学部が改組でなくなるので、留年生をあまりだしたくない(もちろん、明記されていませんよ)からです。そうだったら、いっそのこと試験なんてしなけりゃいいのにと思うの自分だけでしょうか。

仕事が進まない

週末なので、自宅にいました。あ、普段から自宅にいるかもしれない。文系だから(笑)。

いつも家族サービスをしているとはいえないのですが、家族がインフルエンザにやられて、看病というか世話をしていたので(当然といえば当然)、何にも仕事が手に付きませんでした。

講義以外の仕事といえば、もちろん研究なんでしょう。理系の場合、以前も書いたけど、実験等で大学で色々と作業をしているので、「お仕事」というような感じもします。でも文系だと、家で本を読んでいたり、ネットで資料を収集したりという姿は仕事と言うより趣味というか、遊んでいるようにしかみえないようで。

確かにこの時期、講義もないので平日の昼間も家にいるときに、近所の人に「今日はお休み?」なんて聞かれたりしますと、答えに窮します。

ちなみに今、抱えている仕事のメインは、本来ならば今頃出ているはずのテキスト系(純粋なテキストではなく、ちょっと研究色(何色でしょう?)の入った感じ)の本(共著)の執筆。再校の段階なんだけど、1週間ほどほったらかしています(ヤバッ)。4月からの講義でテキストにするので、本当にやばい。