大学という斜陽産業
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令和6年(2024年)の年初のご挨拶

あけましておめでとうございます。
謹んで新年のご挨拶を申し上げます


昨年の新年のご挨拶では、例年同様、「更新頻度は相変わらず低いですが、ひっそりと続けていきます」と宣言して、前半は例年に比べて少しばかり多めに更新しましたが、後半失速しました。よって、相変わらず「更新頻度は相変わらず低いですが、ひっそりと続けていきます」。

また、現在改組を進めているので、守秘義務に反せず、かつ身バレしない程度にその状況を書けるといいのですが。

 

令和6年が皆様にとって良い年になりますように。

2023年を振り返ってみた

抜けている年もあるけど、大晦日恒例の最後のエントリーとして、研究等を振り返ってみます。

 

いや、正直いって何もしていないので振り返りも何もない。

 

改組することになったため、学部の管理職の業務にがっつりはまってしまった。

 
科研費に代表として採択された共同研究をまとめるのが来年の目標です。
 

それでは、皆さん、良いお年を!

一般常識、あるいは大学の常識は世間の非常識

言い古されていることだが、大学の常識は世間の非常識。

確かに議論していても、それって一般常識とか社会通念に照らして、どうなのよ?と思う主張が展開されることも多い。そんなに大学の先生って偉いの?というやつも含めて。

 

そこで、ふと思ったのは、世間の非常識にまみれている大学教員が学生に一般常識や社会常識を説く、という図式は矛盾していないか?と思ったり。

 

世間の常識のとらわれていては、飛び抜けた研究はできないでしょ、という批判がありそうですが、それはその通り。これは、とんでもなく飛び抜けた研究者に教育、特に学部のにどこまで関わらせるか、という問題でしょうね。

カリキュラムは権力闘争の結果?

現在、所属先では、現在のカリキュラムの見直しが行われている。


前回の改正から時間も経っていること、退職された方の補充人事によって、教員もだいぶ入れ替わっていることなどから、見直しは必須なのは間違いない。

でも、議論で出される意見の一定割合は、学部の教育をよくするため、と言いながらも、結局自分のやりたいこと、楽になることを実現することを目指しているように思えて仕方ない。

そもそも、補充人事は前任者の担当科目を担ってもらうはずだったのに、それに代えて新設することは、どういうことなんだろう。カリキュラム全体の整合性をもう少し詳しく説明してもらわないと思うが、今はこういう分野が主流だとか、自分の研究はこれがメインだから、と言われても、そう簡単には腑に落ちない。

 

もちろん、自分も楽になるならそれに越したことはないので、他人を批判できるほど高潔な人間ではない。

はたして落とし所はどこになるのやら。

研究力と「選択と集中」、そして「新しい資本主義」

SNS上では、先日のNHKの日曜討論で、大学ファンド関連がテーマらしく、日本の研究力の低下は集中と選択ができないとの発言が経済界の人からあったとのことで盛り上がっていた。それに対して、研究はどこから芽が出るかわからないので、広くまいておいた方がいいという大学関係者の反論。当然自分は大学人なので、この研究費は広くという主張には賛同する。一方で、まだまだ新設大学や学部が認められるという現状があって、大学が多すぎるという指摘にも同意する。

 

もちろん、本当に成功する研究を見抜く力があれば、選択と集中もありだろう(と、多くの人が言っていること)。

 

しかし、個人的に面白かったのは、あくまでもSNS上の批判だが、当の発言者が証券業界の人とのことで、特定の銘柄に集中投資するアクティブ運用に対し、広く分散投資するパッシブ運用に長期的に勝てないとことを知らないのか、というもの。

 

そして、昨日の内閣改造のニュースを見ていて思い出したのが新しい資本主義の話。ショートターミズムに陥るから、四半期決算を止めさせようという議論があったはず。

 

基礎研究なんて、そんな短い期間で成果が出るわけではないはず。そして幅広い(裾野の広いといってもいい)基礎研究があってこその応用研究だと思うと、大学の研究に対しても、ショートターミズム批判があっても良いのではないかと思う。

 

ということで、岸田首相には、新しい資本主義の精神で、長期的な視点で日本の大学の研究力増強につながる政策を実行してもらいたいものですね。

 

まあ、お気楽ブログの戯れ言ですが。

一言で定員割れと言われても

ネーミングは大事:マッチングアプリ?

定年が先か、経営破綻が先か

大学の将来が危ぶまれて久しい。もちろん、日本の大学の質の問題もあろうが、私学にとっては、なんといっても18歳人口が減ることによる経営へのダメージをどう避けるかがメインである。だから現在も生き残りのための改革を進めている。

なんだかこの業界に入って、大学教員の本分と思っていた研究・教育以上に管理業務や見直しやら改革に時間を取られているような気がする。

 

大学定員、2050年に2割埋まらず 入学者49万人に急減

 

しかし、こういう記事を見ると、あと27年後だったらもう定年だから関係無いや、と思う教員も一定数いると思う。自分も定年をとっくに迎えている時期である。さて、自分はどうすべきなのか。もちろん、卒業生などを思うと、母校が潰れるのは寂しいはずだ。自分だって自分の母校が潰れたら嫌だ。だから手を拱いている訳にはいかないが、決定打もないように思う。「おまえの智恵が足りない」という批判はあるだろうが。

ボーナスの季節

カネの話ばかりで恐縮だが、大学教員だって普通に生活があるので、賃金に無頓着ではいられない。

 

ということで、今年も無事に夏のボーナスが支給されたのである。

現政権が退職金に対する税制も変えると言っているので、やはり使わずに、貯金か投資か。しかし、物価もあがってきているので、もう少し金利が上がらないかな。

世間とずれていることは変わりない?

よく、大学の常識は世間の非常識、などといわれ、大学業界は世間とずれていると批判があったものだ。というか、いまだってあるのだろう。

世間では、物価が上がっていると言われ、企業も製品を値上げし、そして、物価上昇率と比べるとかなり低いものの、賃上げも行われている。でも、自分が知る限り、業界的に賃上げの話は殆ど聞かない。もちろん、自分の知る非常に狭い範囲の話に限定されるけれども。

 

水道光熱費、その他の値上げは、当然大学の運営コストを圧迫する。それに加えて人件費まで上げられない、ということらしい。じゃあ、企業と同じように、学費を値上げすれば済む話でもないので、賃上げは期待できない。

 

かといって、賃下げやボーナスカットにはなっていないから、まだましなのか。いやいや、そういう知った風に納得してしまう思考が、優秀な人をアカデミックな世界から遠ざけてしまう要因なんだろう。

 

 

 

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