
意外ともっている?
あくまでも個人的な感想。
18歳人口がどんどん減っていくのはずいぶん前から分かっていて、一方で大学の数は増えて、となればこうなるのはわかっていたはず。最近は短大など募集停止が増えてきているけど、四年制大学が経営破綻したり募集停止したりするのは、意外と少ないと思っていた。
もちろん、そこには補助金が・・・、という話につながっていくのだろうけど。
母校がなくなると寂しいと思うので、そうならないほうがいいとわかっていても無理な話。いつ荒療治がはじまるのか、それとも自然に淘汰されるのを待っているのだろうか。
今年も安泰?それがかえって・・・
すでに投稿したように、入学式がありました。
所属学部&大学全体で、今年の入学者数も、定員を少し上回る水準で、目標達成、といえます。もちろん、志願者数も一定数いるので、入試の倍率も1倍を割るようなことはなし。定員割れをしている私立大学が相当数に上るとの報道もありますが、その意味では今年も安泰だったのでしょう。
この定員割れも数%の定員割れなのか、数十%の定員割れなのかで状況が随分変わってきますけど、報道だとその点は明確ではないですね。
しかし、勤務先のこのような状況が、かえって危機感を持たない人が多いような雰囲気をつくっているような気もしないでもないです(まどろっこしい文章ですね)。いやいや、君たちもっと危機感持った方が良いよ、と言いたい。
危機感を持って色々と改革をやらされるよりも、研究業績を上げて他校に栄転することを目指しているのかもしれませんが。
入学式も終わって新年度始動
入学式も無事終わりました。
来週から、前期の講義が始まります。
個人的には新たに担当する科目があるので、2~3月は、その準備に結構時間を費やしました。
遙か昔前任校で担当していた科目でもあるのですが、その後の展開などを反映すべく、シラバスを作成する際にはじっくり考えたのですが、思いの外手こずっています。
AIを上手く使いこなせれば、スライド作成も楽なのかもしれません。新技術への、個人的な対応の遅れもどこかで取り戻さなければならないですね。
まとまるのか?
昨年末頃から所属学部で改組の検討が始まった。
皆、大学を取り巻く環境を考えれば、改組自体には賛成だが、その内容になると考えていることが違う。まさに総論賛成各論反対、という状況だ。
果たして本当にまとまるのか。危機意識を共有できればいいのだが。頼むぞ、学部長!
令和6年(2024年)の年初のご挨拶
あけましておめでとうございます。
謹んで新年のご挨拶を申し上げます
昨年の新年のご挨拶では、例年同様、「更新頻度は相変わらず低いですが、ひっそりと続けていきます」と宣言して、前半は例年に比べて少しばかり多めに更新しましたが、後半失速しました。よって、相変わらず「更新頻度は相変わらず低いですが、ひっそりと続けていきます」。
また、現在改組を進めているので、守秘義務に反せず、かつ身バレしない程度にその状況を書けるといいのですが。
令和6年が皆様にとって良い年になりますように。
2023年を振り返ってみた
抜けている年もあるけど、大晦日恒例の最後のエントリーとして、研究等を振り返ってみます。
いや、正直いって何もしていないので振り返りも何もない。
改組することになったため、学部の管理職の業務にがっつりはまってしまった。
科研費に代表として採択された共同研究をまとめるのが来年の目標です。
それでは、皆さん、良いお年を!
一 般常識、あるいは大学の常識は世間の非常識
言い古されていることだが、大学の常識は世間の非常識。
確かに議論していても、それって一般常識とか社会通念に照らして、どうなのよ?と思う主張が展開されることも多い。そんなに大学の先生って偉いの?というやつも含めて。
そこで、ふと思ったのは、世間の非常識にまみれている大学教員が学生に一般常識や社会常識を説く、という図式は矛盾していないか?と思ったり。
世間の常識のとらわれていては、飛び抜けた研究はできないでしょ、という批判がありそうですが、それはその通り。これは、とんでもなく飛び抜けた研究者に教育、特に学部のにどこまで関わらせるか、という問題でしょうね。
カリキュラムは権力闘争の結果?
現在、所属先では、現在のカリキュラムの見直しが行われている。
前回の改正から時間も経っていること、退職された方の補充人事によって、教員もだいぶ入れ替わっていることなどから、見直しは必須なのは間違いない。
でも、議論で出される意見の一定割合は、学部の教育をよくするため、と言いながらも、結局自分のやりたいこと、楽になることを実現することを目指しているように思えて仕方ない。
そもそも、補充人事は前任者の担当科目を担ってもらうはずだったのに、それに代えて新設することは、どういうことなんだろう。カリキュラム全体の整合性をもう少し詳しく説明してもらわないと思うが、今はこういう分野が主流だとか、自分の研究はこれがメインだから、と言われても、そう簡単には腑に落ちない。
もちろん、自分も楽になるならそれに越したことはないので、他人を批判できるほど高潔な人間ではない。
はたして落とし所はどこになるのやら。
研究力と「選択と集中」、そして「新しい資本主義」
SNS上では、先日のNHKの日曜討論で、大学ファンド関連がテーマらしく、日本の研究力の低下は集中と選択ができないとの発言が経済界の人からあったとのことで盛り上がっていた。それに対して、研究はどこから芽が出るかわからないので、広くまいておいた方がいいという大学関係者の反論。当然自分は大学人なので、この研究費は広くという主張には賛同する。一方で、まだまだ新設大学や学部が認められるという現状があって、大学が多すぎるという指摘にも同意する。
もちろん、本当に成功する研究を見抜く力があれば、選択と集中もありだろう(と、多くの人が言っていること)。
しかし、個人的に面白かったのは、あくまでもSNS上の批判だが、当の発言者が証券業界の人とのことで、特定の銘柄に集中投資するアクティブ運用に対し、広く分散投資するパッシブ運用に長期的に勝てないとことを知らないのか、というもの。
そして、昨日の内閣改造のニュースを見ていて思い出したのが新しい資本主義の話。ショートターミズムに陥るから、四半期決算を止めさせようという議論があったはず。
基礎研究なんて、そんな短い期間で成果が出るわけではないはず。そして幅広い(裾野の広いといってもいい)基礎研究があってこその応用研究だと思うと、大学の研究に対しても、ショートターミズム批判があっても良いのではないかと思う。
ということで、岸田首相には、新しい資本主義の精神で、長期的な視点で日本の大学の研究力増強につながる政策を実行してもらいたいものですね。
まあ、お気楽ブログの戯れ言ですが。