キャンパス内での花見
今週は良い天気に恵まれ、桜が満開となった。という訳で、近くの桜の名所に簡単な花見に行った。
そこでふと思い出すのが、自分の学生時代のことである。出身校のキャンパス内には桜が植えてあって、一般にも開放していた(開放していたと言うよりも、特に別に制限をしていなかっただけなのかもしれない)。世間では、花見といえばお酒がつきもののようである。そうなると、昼間からキャンパス内に酔っぱらいが多数出ることになる。もちろん、世間に開放しているので、酔っぱらいは学生だけには限らないのだが。
普段は、キャンパス内の食堂でもビールぐらいは飲めるのだが、やはり大学という以上無制限とはいかないので、夕方(4時か5時だった記憶が)からだけ飲めるという制限があった。例外は、大学祭期間中であった。
でも、花見となると、近所のコンビニ等で買ってきたお酒を飲むので、ついに、禁酒令が発令された。けれど、そんな禁酒令は破られるのがオチである。みんな、お構いなしで酒を酌み交わしていた。さすがにその足で授業に出ることはなかったけれど。でも、花見も兼ねた屋外ゼミなんていうのもやったことがあった。
最近はどうなんだろう。
で、今の勤務先というと、ここでも桜があることはある。最近は暖かくなってきたので、昼時、お弁当を広げている学生はいるようだが、さすがに、お酒を飲む者はいないようである。
天気が良かったら、今度のゼミは花見(もう葉桜かな?)を兼ねて屋外でやってみようかな。でも、最近いろいろと本部がうるさいので、どっかで文句を言われるかもしれないかな。
言ったもん勝ち
講義もはじまった。結局3月末から4月頭にかけては何をしていたんだろう、と思う。もちろん、仕事をしているのだが、いわゆる教育と研究の両立は無理だった。強いて言うならば、教育関係に忙殺されたと言って良いだろう。
先日も書き込んだように、新入生向けの泊まりがけのオリエン。数年前、このような方法を導入するにあたっては、教授会でかなりの議論が行われた。代表的な意見は、「これからは学生のケアをきちんとしなければならない。特に、最初が肝心だ」という賛成論。「大学生なんだから自分でできるでしょ」的な反対論。
これらの議論を経て実施するようになったのだが、毎年その実施計画が教授会に諮られるたびに、相も変わらず同じような反対論を展開する輩がいる。それだけなら良い(本当は無駄な時間となるので良くないのだが)。そのような人は、なぜか引率からはずれるのだ。中には、引率者になっているのに、ぶっちぎる強者までいる。
たしかに、そのような人が引率しても、そもそもやる気がないので、そのオリエンの目指す効果が得られないかもしれない。しかし、結局嫌なことは言ったもん勝ちで避けられる。そんな風潮がまだ勤務先の大学には残っているような気がする。会社だったら業務命令違反なので懲戒できそうだが、そんなこともない。やっぱり不思議です。
わたしはだあれ?
講義が始まりました。広いキャンパスに、大学祭以外では学生の数が最も多く見られる時期でしょうか。その数も段々減って、GWも過ぎれば、半減とはいわないものの、3割減ぐらいにはなりそうです。
個人的に面白い出来事を。
新入生に立て続けに「私はどこに行けばいいのですか?」と聞かれました。「○○という教室はどう行けばいいのですか?」ではありません。流石に、「私はあなたを知らないので、わかりません」とも言えないので、「学部は?」「授業は何?」「教室は?」と聞いて、ようやく彼(彼女)らが行きたい先を把握して、「この建物の何階ですよ」とか「そこの先の高い建物ですよ」と教えてあげました。
でも、中には授業名がなんとなく分かる(例えば、英語といわれても、1,2,3,4・・・とありますし、クラスによっても違う)だけで、教室が分からない者もいて(時間割表ぐらい持ってこないのかなあ、最近は)、結局事務に行くように指示したりしました。
また、大学にもよるのでしょうが、勤務先の場合、教室がいくつかの建物に分かれていて、表示が、「建物の番号-教室番号」の組み合わせになっていて、後者の教室番号だけを言われても分からない訳です。ガイダンスで、この辺の見方も徹底していないのか、本人が聞いていなかったか・・・。
確かに初めてのキャンパスでとまどっていることは分かりますが、もう少し質問の仕方があるだろうに、とおもいますが。それともそんなことから教えるべきなのでしょうか。
ガイダンスその2
ガイダンスもようやく終わりました。
新入生向けには、泊まり込みのオリエンテーションと、大学でのガイダンスと、計4日。結構しんどいです。年とったせいかなあ、と思ったりもして。
しかし、年々ガイダンス等に力を入れているように思われるのだけれども、新入生の理解度は???のようです。担当者の説明が悪いのか、それとも新入生の理解力が低いのか。
いったい、どれくらい新入生ガイダンスを実施すればよいのでしょうか。確かに分厚い冊子を渡されて、「詳しくはこちらに書いてありますから、良く読んでおいて下さい」と言われても、今の学生だと読まないだろうと思うし。
新任者との挨拶
新年度に入り(なんか、毎日同じような出だしだなあ)、大学でも新たな人を迎え入れることになる。そこで毎年不思議に思うことがある。それは、新たに着任した人とはどのように最初の挨拶を交わすべきなのか、ということである。
普通に考えれば、新任者の方から「この4月に着任した○○です。よろしく。」ぐらいの挨拶があって良いと思う。
もちろん大学院出たての若い人は自から挨拶していると思う(自分の場合もそうだったし)。しかし、他の大学から移ってきたり、他の業界(企業など)から転職してきた場合で、いわゆる年配の人の場合、このような考え方が通用しない、というのがここ数年の感覚である。
専門分野が同じ場合は、直接間接に知っている場合があるので、目下の方が挨拶に行くことはあるかもしれない。しかし、分野が違えば、特に何の関係もないのがこの業界の不思議なところ。私学の場合、特に文系の場合、教授、助教授、講師という職位は、会社で言う上司・部下の関係とは無関係である。職務の範囲に多少の違いはあるかもしれないが、多くの私学の場合、教授も助教授も教授会では等しく一票の議決権があるし、ある意味対等であったりする。だからどっちが偉いとか偉くないとかは職位だけでは決められないし、他業界から来た人の場合、年上だけれども職位的には下になることもある。
まあ、いわゆる国立からの天下り的人事の場合、こちらからお願いしてきてもらっているので、こちらから挨拶に行くのも致し方ないだろうけど。
別に言い訳をするわけではないが、個人的には目上の人は立てているつもりである。
また非常に個人的なことだが、自分は童顔である。だからなめられているのかなあ、と思ったりすることもある。男も一定の年齢になれば顔に責任を持てといったものだが、こればっかりはどうしようもない。
さて、実はまだ今年の新任の方とは会っていない。明日(実質今日)、初顔合わせとなる。果たしてどうなることやら。
ガイダンス
新年度が始まり、在学生のガイダンスは一応終わった。別に教務の担当ではないのだが、個別に相談に来る(ごく少数の、しかもほとんどはゼミ生である)学生への対応はまだ続くだろう。
そして、入学式を終え、新入生へのガイダンスが行われる。しかし、これがまた厄介である。もちろん、初めて大学というシステムに触れるので、例えば、時間割を自分で決めたりということに不慣れである、というようなことは、個人的には全然問題ではないと思う。問題は、やはり至れり尽くせりの配慮である。自分の学生時代を思い起こせば、よけいなお世話、という感もしないではない。
いったい何をするのかというと、「友達作り」を手伝ってあげるのである。そこまでしてあげる必要が本当にあるの?と毎年思う。自分の勤務先だけではないが、ガイダンスを泊まりで行う大学もあるだろう。自分の勤務先では、この泊まりがけのガイダンスの主要な目的の1つが、この友達作りなのである。
確かに、高校であれば、大抵の都道府県では学校区というのがあって、ある程度限定された地域から進学してくるので、生徒同士に接点がある。しかし、大学ともなると、大学によっては日本全国から進学してくるし、高校のように固定したクラスもないので、友達を作るきっかけが少なくなっているというのである。そして友達ができないと、大学に来ても楽しくないので、だんだん大学に来なくなり・・・、という筋書きが背景にあるらしい。
こんなお膳立てをしてあげたって、友達を作れる人は作れるし、作れない人は作れないと思うのだが。友達がいたってドロップアウトする人はすると思うのだが。
こんな風に考える自分が時代遅れなのかなあ、と最近つくづく考えさせられる。
父母会
新年度の行事と言えば、やはり入学式が真っ先に頭に浮かんでくる。最近では、父母の出席は当然のようで、どうも自分の感覚とは一致しない。学校によっては、父母の席の方が多いところもあるようである(幼稚園だと、父母に祖父母と、入園児の数倍の保護者の出席があったりすると聞いたこともある)。
これほど父母が大学に、というか子供の大学生活に関心があるようだと、大学も何もしない訳にはいかなくなる。そのせいだろうか、具体的な名称は異なるが、最近どこの大学にも、父母会のような組織があるようだ(自分の学生時代にはあったのかなかったのかさえわからない)。
多くの場合、学費以外に会費を徴収する。その代わり(?)、様々な情報を父母に提供したり、父母と面談の機会を設けたりする。父母の関心事といえば、当然子供の就職。成績は卒業できるか否かが重要で、その内容は二の次のようである。内定が出ている場合は、とにかく卒業させろ、という親までいたりする。そうなると、本当に大学の役割ってわからなくなる。
「ちゃんと大学に行っているかどうか、出席状況を逐次報告して欲しい」とか言われてもねえ。
「うちの子は毎日ちゃんと大学に行っているのに、どうしてこんなに成績が悪いのでしょうか」と言われても返答に困ってしまう。
確かに、日本の場合、たいていは父母が学費負担者であるので、彼らに説明する責任はあるのだろう。でも、なんとく方向性が間違っているような気がするのは、旧態依然の思考から抜け出せない自分だけなのだろうか。
新年度入り
4月1日です。エイプリルフールです。○○賞を受賞しました、とか、○○大学に移籍しました、とか、○○に論文の掲載が決まりました、とか(特に同分野の)同業者が吃驚するようなことでも言ってみたいなあ。
しかし、そんなことよりも、形式的にも新年度入りです(実質的には、すでに在学生向けのガイダンスなどが始まっていたりします)。あと1週間もすれば講義もはじまります。忙しくなると、あまり書き込みもできなくなりそう。毎日のように書き込みをしている人のブログを見ると、本当に感心します。
リニューアル
ここ数日ほど、サーバーの大々的なメンテナンスが行われておりました。(アメブロにアクセスした方は、その旨の表示があってご存 じかと思いますが。)
で、リニューアルされた画面を見た印象は、どっかのブログと同じような感じ。
で、書き込み等の利用の印象は、余り使いやすくなった感じもしない。はっきり言って、あまり意味無いかも。
なぜ大学には撤退戦略がないのか
18歳人口が減り、大学入学者というパイが減少しているのに、新設大学や新設学部をどんどん認めている文科省の方針もよくわからないが、大学のトップもなぜこうも何か新しい、しかも金のかかるものを作りたがるのだろうか。「これが私の学長時代につくった建物です」とか「私が指示を出した新学部です」とか言いたいのだろうか。
企業では事業の選択と集中が行われているのに、大学では規模を縮小(学部の閉鎖)したりして、特定の学部に力を入れる、みたいな方法はタブーなのだろうか。
もちろん、いろんな大学で学部の閉鎖に類することは行われている。しかし、そのほとんどはいわゆる改組であって、既存の学部を廃止しても結局は新たな学部を作るので、規模自 体は縮小することはない。しかも、廃止した学部の教員の雇用も確保しなければならないので、実質的には似たような学部になるか、全く異なるような学部では教員の純増をもたらして、何のための改組かわからない例もたくさんある。だから、闇雲に新たな学部等をつくることがそれほど良い戦略とは思えないのだが。
もちろん、こんな事書くと、人(教員の雇用)の問題はどうするんだ、といわれることは想定している。でも、このままでは全員共倒れになりそうな感じでいやなのだが。「おまえが学長ならば、クビを切れるのか?」と聞かれても、YESとはいえそうも無いのも事実なのだが・・・。