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An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

せっかくなので、英文がどこまで読めるのかやってみてほしい。

以下の英文は古い英語雑誌(高1から社会人まで対象となっているが、プロ入門レベルと思う)に掲載されていたちょっと長めの文とその訳である。

 

My father who did well at primary school and was always at the top of his class wanted to go on to middle school, but his parents did not let him.

(父は、小学校の成績がよく、いつも首席で、上の学校に進みたいと思っていたのだが、両親が許してくれなかった。)

 

英文を読んですぐに違和感を覚えた人はそこそこの実力を持っていると言っていいと思う。

実はこの英文と訳は逆なのである。なだ いなだ著の『親子って何だろう』という本の中の一文を日本語が達者なイギリス人でれっきとした院卒の翻訳家が英文に訳したものだ。つまり日本語が本家になっている。

さて、問題の部分はわかっただろうか?

もし、whoのところですぐにあれっ?と思った人は常日頃から英文に親しんでいる人だろう。そこまででなくてもwantedで、んっ?と思った人もそれなりによく読める人だろう。ここまでヒントがあればかなりわかる人が増えると思う。答えはこの2つの単語の前にカンマが抜けている。えぇっ!そんな細かいことまでわからないって?

高校で関係代名詞の用法をちゃんと学んだ人はご存じの継続用法と限定用法の違いだ。上の文は限定用法を使っていて間違いなのだ。なぜか?普通、常識的には父親は1人しかいないからだ。もちろん、育ての親が別に何人もいる人もいるだろうが、ここではそれはない。

My father, who ...class, wanted...

というのは自分の父が1人だけで、その父親に関する情報として2つのカンマの間の関係節が説明として挿入されたものだ。元の英文は父親が1人のはずなのに、関係節がまるで何人かいてそのうちの1人について限定しているという、意味的に捻じれた英文なわけである(文法上の問題はない)。

 

whoのところで違和感を覚えても、本当に父親が何人かいるという情報がどこかにあれば、元の英文は間違いではなくなる。しかし、いきなりMy father との出だしをしている以上、通常1人と思うのが当然で(複数の中の1人と示すならOne of my fathersかA father of mineになる。したがって、情報なしにmy friend とやると寂しい人生を送っていることになる)、内容的にも1人しかいないと思えるので継続用法にしないとおかしいわけである。日本語なら外人だと明確にわかるような「てにをは」の間違いといったところか。

この英文はカンマ無しで雑誌の解説の途中で一度出てきていて、最後の全訳文ではカンマがちゃんとついていた。おそらく、原稿を書いた人のミステイクか印刷所の見落としではないかと思う。

解説のところで間違いに気が付き、慌てて最後のところを確認したところ、正しかったので、ああ、何かの手違いだなとわかってほっとしたわけである。もし、この英文を読み切って何の疑問も持たずにいた人は、英語の理解ひいては実力としてまだまだ先が長いということになる。

今回は父親の人数は1人というかなり強固な条件があるからまだ気が付きやすいが、微妙な前後関係を活用した英文を理解するのはやはり骨が折れる。それに向かっていくもよし、こんなのやってられない、いちぬ~けたもよしである。

 

 

文法に厳しい人は示した英文は文法的に重複文と指摘するだろう。タイトルの語呂の関係で1文の意味で単文とした。

受験も終わり、大学なり高校へ進む者、再度、受験で希望先を目指す者といろいろだろう。受験が希望通りにいかなかった人も、ここでめげずに頑張って進んでいってほしい。

 

そんな中、入試の英語問題をチラと見る機会があった。難しいところはたしかに難しいし、とても量が多いなと思うことがある。明らかに帰国子女レベルと思えるものもある。正直、このレベルを普通の日本の受験生が頑張って突破しようというのは無理があり、賛成しない。このクラスは自分とは別と考えて違うところを受験した方がよいように思える。帰国子女というのは一般日本人とは別の人種と言っていい。言葉もそうだし、ものの考え方も違う。日本社会に触れている期間を失っていることがほとんどなので、日本的感覚が無いからだ。そういう人たちにこれまで何度も遭遇している。彼らはあちらの人間でこちらの人間ではない。異文化交流の点からはいいことだが、彼らに伍して授業を受け続けるのは相当大変だろう。成績も悪いグレードになって、就職に影響する可能性もある。先生方もシビアに見る人もいるだろうから。

 

以前に「TOEIC神話にうんざり」という記事を書いた。TOEICでいくら高得点を得ていても、それはあくまでテスト対策の結果であって、実力とはあまり関係ないし、本当に要求される実力は高得点者でも大抵は持っていないという事実を書いた。

英語の実力と一言で片づけるのは簡単だが、実際に何を意味するかは人に依るところが大きい。ある人は俗っぽい英会話ができることだろうし、ある人はビジネスだろうし、文学の人もいる。

 

 

ここで自身の実力も大したことがないことを承知で、あまり世間では言われたことがないであろうことを述べてみたい。

自分の日本語を考えてほしい。読むことはできても、人に見せられるような文章を簡単に書けるだろうか?たぶん、多くの人は否だろう。おそらく、読めるもののうち10分の1以下の拙いものしか書けないという人がほとんどではないだろうか。

英語も同じで、書けるものは読めるものより少ない。英語をそれなりに使ってる人も学習者も同じ。特に学習者はまともな英文などまず書けない。

 

しかし、自身をよくよく振り返ると、少し事情が違うという気がしている。多くの英語ができる人たちはどうなのかわからないし、お前ごときでは参考にならんと言われればそれまでだが、つとに感じるのはちゃんと読めているものは少ない。しっかり読めているのは書けるレベルのものまで、ということである。

つまり、書けることの何倍も読める、という日本語で常識的なことが外国語習得では当らず、書けるもしくは話せるレベルのものしか読んだり聞いたりできないのが実態ということだ。かなりの時間をかけても、外国語について差して理解していないし、使いこなすこともできない、という状況ということである。言語の小さな部分でしか読んだり書いたりができず、それらの大きさはほぼ同じで、読む部分だけ大きく先行することは習得が進むと無いようなのだ。

 

いろいろな論文、特許、解説文、ニューズと読んだり聞いたりしている時間が毎日少しはあるが、スっと理解できるのは、自身が話したり書いたりできるレベルの英文であって、見たことも聞いたことも無い表現は当然わからない。もちろん、前後から推察できる部分はあるが、しっかりとは把握できない。ニュアンスなんか絡んだものは無理。

一方、書いてるときは、全体の主張や目的を決め、段落に分解し、各文に落し込む。そのときに日本語の論理は使っていない。英語の論理で進める。文章を作っているときは日本語は出てこない。英語の論理とコロケーションでポコポコと英文が続いていく。論理とかコロケーションは多読しないと習得できない。コロケーションについては辞書読みで獲得したものである。(「英語習得法」

 

おそらく、多くの人が会話やライティングで文法的に間違わないようとても注意を払っているはずだ。それが通用しないものがある。例えば

 She don't look normal.

これは実際の女性に対しても使えるが、車とかバイクなどの所有物に関する場面で男性がよく使う表現だ。見た目がぶっ飛んでる、という意味である。doesn'tで無いところが何とも俗っぽいが、don'tはよく使われる。こういうのはどういう状況で使われるのか知らないとできないし(知ってても使わない方がいい)、どんな相手に向かっての発言かによって、自分の評価にさえ影響しかねない(特に英国)。そういう類の表現だ。

短文ではあるが、この英文が使える前後の文はどんなものかが推定される。少なくとも公式文書ではない。この前の経産省の関西弁による報告書みたいなものと言えば解り易いだろう。

 

書く、と単純に言うが、現実には文が論理と展開を規定しているし、逆にそれらから規定されて、この文しかない、となることが多い。特に英語ではそう成り易いと感じる。関係詞で繋ぐか、分詞構文か、と考えるのではなく、その文章の雰囲気(論理)と流れ(展開)から多読していた蓄えとコロケーションによって具体的な文となって姿を現す。こればかりは自身がどうこうしている感じがしない。今まで見てきた英文が、こうしなさいああしなさい、と言ってくる感じだ。この拘束は日本語より強い感じがいつもする。好き勝手に文と単語を繋げられる感じではない。概して、日本語では論理の飛躍が可能だが、英語ではできないことがそうしているのだろうと思う。

こうして、書くときはニュアンス含め、かなり緻密な関係の元に書いている(つもりである)。では、読む方は何でも読めるか?読めない。知らないニュアンスまで把握するのは容易でない。入試の英語のようにそういった文化背景が強く絡まない場合は何とかなるが、小説や文学作品になると途端に厳しい。そういう意味で読めないことが多い。書くときに使っている論理とコロケーションを超えるものはお手上げだ。これは予備知識だけの問題ではなく、作家の文体などに変形して現れるので、味わうことがとても難しい。語彙が増えたら解決なんて代物でもない。このあたりがプロと素人の技量、蓄積、経験の差なのだろう。

ただ、新たな英文の世界に触れることで、論理とコロケーションが拡大してより読めるように、書けるようになって、自分の中に英語の世界が少しずつ構築されていくわけである。この人の英文は好きだが、この人のはひねくれ過ぎてて嫌いだといったことも起きる。

 

文法がある程度身についていないと英文を読めるようにはならないが、文法は論理と展開を扱わないので、多読が必要なのはこういうことからも当然の帰結なのはわかって頂けると思う。読書で理解したもの=書ける文体の蓄え、である。

よって、読むだけでなく、それを使うこと(書く、呟くなど)をしないと身につかない。理想はネイティブと同じ暮らしを毎日再現しろということになってしまう。だから、TOEICの受検対策は試験内容があまりに表面的すぎる上に、やり方に問題があり、点数アップには有効でも実力にはなかなか結びつかないのである。他方、構文から離脱できない伊藤和夫を筆頭とする予備校英語も実力をつけるには不適当もしくは不十分である。(「伊藤和夫という幻影」

それほど大変なら英語習得を捨てて翻訳ソフトに期待する、のも無理からぬことではある。自身ここまで来たから今更だが、「英語ぐらい」は身につけたいという、言語習得の何たるかも理解してない軽い感覚の乗りの人にはほどほどの会話でやめておいた方がいいと思う。探偵小説一つとっても童話なんかでも、作者の言語能力によって凝縮された英文は一筋縄ではいかない。

 

要は、英語に触れる機会が圧倒的に無く、母語が類似言語でないノンネイティブの我々にとって、使い方ふくめ隅々までよくわかっている表現というのは、自分が書けたり、話したりできるものに限られるという当り前のことに過ぎない。

ここから学ぶことがあるとすれば1つ。大量インプットがよく外国語学習では主張される。自身を顧みると、そのエネルギーと時間を見直し、有効な表現の獲得としてのインプットに効率化すべきということである(それでも何年もかかる)。そういう観点からも辞書読みはこの効率化と語彙拡大の両立に最適なものと思っている。もちろん、辞書読みは下地を蓄えるだけの話で、具体的な作品での表現を理解するためには別に訓練が要る。

こう書いてきたけれども、夏目漱石が言ったように、英文法をやったなら、あとは読むだけとし、それも学習などのノルマとして読むのではなく、気楽に好きなものをあまり几帳面に読み込まない程度にして人生を無駄にしない方がいいと今は思う。自身が紆余曲折してずいぶん無駄に時間を取られてしまった。英語は日本人にはハードルが高過ぎる。TOEIC対策の訓練で表面的な英語使いは今後も増え続けるのは間違いない。しかし、英語をきちんと理解できる人の割合はまず変わらないだろう。そうではない私のような人間はただただ時間と努力を費やすだけ。英語しか取り柄のない人間になるつもりがないなら、そんなに英語ができなくてもいいではないか。

 

 

最初、学習者は主語とか述語とか時制とか文法事項を教わって、それを1文ごとに当てはめていくだけで精一杯。しばらくすると、文の構造が浮き出て見えてくるようになる。それで読めるようになったと勘違いする(受験英語の多くがここまで)。さらに多読すると、段落とか節とかのレベルでの色合いが見えてきて、それぞれの文の位置づけがわかるようになってくる。そのとき、作者の文に対する思い入れがやっとわかる。全体と個々の文の関係をしっかりとつけていることがわかって来て、作品と作者の力量に感嘆したりできるようになる。いわゆる名作は1文たりとも1語たりとも疎かにされていない。もっとも、大した考えもないというつまらない作品の方が現実には多いが。

 

※※

『続 日本人の英語』でマーク・ピーターセンはあとがきに書いている。

「前著は日本人は「読む」のは得意でも「書く」のは苦手という前提から出発したが、その前提を疑ってみたらどうか、というのがこの続編を書くきっかけであった。どこまで正確にその英語の微妙なところまで読まれているのかを中心に考えてみたかったのである。」

その通りで、前提は成立していない。書くのも読むのも苦手なのだ。ピーターセンは学生たちの様子から確信を持ってそのことに気付いていた。自分は読めているという人はこの書を読んでみるといい。小説などではこの書の例よりもっと厄介なニュアンスを読むことを要求されることが少なくないことを付け加えておく。(例えば 'The Maltese Falcon'。その解説の『「マルタの鷹」講義』を読むとよくわかる。学習者レベルでは手が出ない。ハードボイルドの原典にして文学の作品でもある)

 

※※※

帰国子女は日本でどういう扱いになるかというのは、沖縄出身でバイリンガルでもあった昔のアイドル、南沙織の話からわかる。上智大学の国際学部に進んでいる。時代が今とは違うが、多くの日本の会社などでは今もこういった要素は残っていると思う。

https://www.youtube.com/watch?v=sCWB1wpXxgk

 

私に定義可能な「英語が本当にできる人」というのは、会話ばかりで本やネット記事を読まないような人は対象外として、文法は修めていて、かつ中辞典クラスを2、3冊は軽く潰している人のことだ。当然、潰すだけ読んだり書いたりということである。それぐらい要る。反例をみたことがない。辞書読みを何度もあげるのはこういう事実にも基づいているし、伊藤英語が不要な理由でもある。最終的には却って弊害になるあんなものを一所懸命やるより、高校から大学までに正しいインプットとアウトプットを心がけたらかなり実力がつくだろう。英語学者になるのでなければこれで十分。これでも喉から頭から英語がぽろっと出かかるはずで、ネイティブ級となると始終英語が頭の中に巣食うことになる。もう、半分、日本人ではないだろう。それを良しとするかどうかだ。

村上さん、とうとう本気で動き始めたようだ。

http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/865028/1

 

作品のあらすじは他人からの情報で読んではいないが(あんな作品群、勘弁してほしい)、地下鉄サリン事件の取材(『Underground』)は、事件そのものは世界的に衝撃ではあったものの、所詮国内の話で今一つ世界へのアピールが弱かったからか、今度はとうとう国外との関係のある、しかも、現在一番の超大国中国との関係で最も微妙な話題で人権派的装いを加えて活路を見出そうという戦略のようだ。これには正直驚いた。まさか国際的な受賞をいくつも成してきた村上春樹が炎上作戦などというチンケな手段で攻めるとは予想できなかった。

 

多くの作品は存在感の薄い、わけのわからない若者たちが出てきて、全く不可解な状況で性行為にいきなり入るとかいうような、現実的でもないし、嫌悪感しか浮かばないような話の展開ばかりだったのが、一転してこれ。

こういう題材を正面切って扱うなどというのはそれなりの考えがなければ彼が作品化することに馴染まないはずだ。さらに、彼は国家というシステムに対しての対抗心を強く持っているようだから、日本に対して思うにしても、中国に対してはもっと強く思わなければおかしいのに、どうも左の非法治国家中国は日本よりもずっと望ましいものと思っているようだ。ここまでバランスを欠くと白けてしまう。
 

文壇には全く属していないから、日本の作家たちの支援は個人的限定的だし、公的なものも得られない。なので、もう手段がなくて諦めたのではないかと思っていたが、ところがどっこい、この手を使って来るとは。今後、日本国民がどういう不利益を受けようが知ったことではない、自分の受賞の方が大事だということ以外の何物でもない。できそこないだらけの民進党や捏造記事で国益を損した朝日新聞のやり方と同じだ。

これで本当に受賞でもしようものなら、受賞者が題材にしたということでさらに中国の誇大な言い分までも強めてしまい、事実化されて今後ずっと日本の重石となる。子供がいないし、住んでもいないからといって、こんなことをして、それほど未来永劫、日本人を貶めたいのか?村上さん?

貴方がた左の人たちの多くは、自分たちが安泰な立場にさえあれば、あたかも正義のように国なりブルジョア(昭和の響き)を批判し(日本社会党の北の拉致事実否定など)、それがときに日本人にどれほど不利益を与えようと、喝采や栄誉や富を手に入れて満足してきたのではなかったか?それを地でいこうというのか?

 

いよいよ世界的な名声を利用した炎上による彼のある意味最後の足掻きともとれるこの思い切った作戦がはたして功を奏すのか。一度受賞さえしてしまえば、後は何が起きようが関係はない。ここは勝負と出てきたようだ。はたして左傾向を好むノーベル賞委員会はどう評価するだろうか。翻訳が行き渡り、世界的な評価が出回るであろう来年以降、今回の新作の影響がどこまで出ているか見ものではある。

もし、これでもダメな場合、次はどうするだろうか。日本を全く含まない話は取材も難しいだろうから、どこにネタを持ってくるか。従軍慰安婦あたりか。しかし、朝鮮民族は世界的にはあまり好意的には受け取られていないから、今回以上の炎上効果は得られないはずだし、一歩間違うと多くの日本の読者が離反していくことになる。まあ、受賞できれば関係ないか。

 

 

案の定、中国で現地翻訳版が大増刷。

http://jp.xinhuanet.com/2018-02/10/c_136964636.htm

 

報道でお馴染みの金正男暗殺であるが、暗殺そのものはロシアなどと同様、北の通常活動の一部に過ぎない。今回、とても驚いたのがマレーシアの態度だった。

どうして、北と仲好くしてきたマレーシアがここまで強硬な態度に出たのか。

 

今回、思ったのはマレーシア警察はかなり有能で、それに政府も連動していることに驚いた。北の大使館員が主導していたことまではっきりさせたことには特に。

マレーシア警察はかなり早い段階から状況を把握していたと思われ、情報を徐々に出し、各国の反応を見ながら開示するものを決めていたようだ。今回の事件は殺された人間が人間だけに、国家間に及ぶ。当然、政府の意向を確認してからでないと国際発表はできない。北朝鮮と人と経済で強く結び付いていることで、どう扱うのかと思っていた。全く思ってもいない動きにびっくり。今回の事件の扱いはマレーシアにとって北だけでなく、中国との関係で重要だからだ。

 

ラングーン事件も北のテロだが、これを機に国交のあったビルマは北と長きに亘って断交した(今は復活)。大使館主導で好き勝手に暗殺で動き回られたことにマレーシア政府は激怒したことだろう。自分の庭に他人が入ってきて、さらにまた他人が入ってきて、先の人間を殺していって、どっかへ消えていかれて怒りを覚えない人はいないだろう。しかし、北と仲のいい中国様が北を擁護するのであれば、正面対決はできない。マレーシアは最近、急速に中国と接近していて、経済的協力やAIIB(アジアインフラ投資銀行)の創設メンバーに参加している。南沙諸島問題を棚上げにしての急接近である。

 

マレーシア政府は中国政府に絶対打診したはずだ。で、たぶん中国は黙認を返答した。そして、それを対外的に静観すると表明するところまでを確認して、少なくともマレーシアを邪魔しないということがはっきりし、徹底的に北への傍若無人ぶりに対して抗議する方針を固めたのだろう。表面的には非難しても、実質的には北を擁護し続けてきた中国。とうとう堪忍袋の緒が切れたようだ。それを証拠立てる記事がある。以下から2頁分が重要な内容だ。

http://diamond.jp/articles/-/119004?page=2

 

中国と手を組むことに転換したマレーシアはもう北に依存する必要はなくなった。そしてその中国が黙認を公表したわけで、俄然、マレーシアは自国主権の立場で北に立ち向かうことができる。それが主導した大使館員の発表にまで進んだ背景だ。国交断絶も視野に入れた行動だ。

これにより、北はますます孤立化が進む。何より、一番の後ろ盾の中国を実質失ったわけである。さすがにこれは北の将軍様も焦っているのではなかろうか?今まで擁護してくれたのだから今回も当然と思っていたに違いない。今はマレーシアとの駆け引きが続いているが、今後、アメリカや世界に向けてどうするか、北は重要な転換点にいる。

 

 

ここで、私が恐れている点が1つある。

韓国は朴大統領の失脚で政治が不安定な状態に陥ったままだ。韓国人の中には、北と統一した暁には北の核を借りて一緒に日本を脅そうという考えの人たちが少なくないのである。しかも、米国にさえ刃向うことができるのは、北のこれまでのやり方ですでにはっきりしている。朴大統領は米国より中国へと舵を切った経緯があり、米国から見放されていた。タイミングからすると、米国が裏で情報リークで朴を追いやった可能性もある(南のメディアの取材能力の無さは有名)。で、もし、南がこの政治混乱の中、後ろ盾のない北に崩壊をしかけたら、中国がこれまでと違って南に大いに味方して統一を支援し、日本や米国に対抗する可能性が大きく出てきたことである。

南に米軍がいるからそれはないだろうって?3年前にクリミアで起きたことを思い出してほしい。南の軍人が仲間である米軍を邪魔することができれば、それほど難しくはない。米国は赤っ恥となる。

中国は、もう北は駄々ばかりの困り者なので、今回の暗殺をきっかけとして南と一緒に取りこむシミュレーションもしているはずだ。そうすれば一挙両得である。北の崩壊による難民問題は無く、しかも南までついてきて自分の味方になるのだから。そして、中国が後ろ盾になった朝鮮統一国家は日本を敵国としてますます図に乗るという構図が出来上がるわけである。

中国にとって支援の不安材料は南北国民間の近親・肉親憎悪の度合いだろう。統一どころではなく、内戦状態に突入した場合はその混乱が自国に大きく波及してしまうリスクがある。それでも、日本を未来永劫懲らしめるために統一せよと唆されたらホイホイとやってしまいかねないところが恐ろしいところだ。

 

今回、大きく困るのはいつも日本に向いて単独でワーワー言ってくる南が、北と一緒になって核を持ちかねない上に、その背後に中国が付いて、さらに極東支配を強めることである。たぶん、これぐらいの危険性は日本政府もブリーフィングしているとは思うのだが。。。

我々は正男暗殺をスパイ作戦の謎解きのように楽しんでいる余裕はないのだ。

 

 

後日、この記事が出た。これで朴政権を潰したのは米国とわかる。(日本も似た目に遭ってきている)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170227-00051039-gendaibiz-bus_all

しかし、米国が思うようには運ばない。以前は考えることもできなかった中国とロシアの蜜月関係ができている。となると、ロシアは今、シリアでそれどころではないから中国が中心に動く。中国がどんなシナリオを持っているかによる。どう韓国を誘惑するかだ。来年は冬期五輪も控える中で(五輪建設費肩代りは中国が景気減速でできるのか?)。どちらにしろ、正恩体制は崩壊する方向で急加速が始まっているのはたしかだ。

これが、日米陣営への流れになってくれれば、拉致被害者の遺族たちの長年の苦しみは大きく消えることになる。それを望みたいが、現状では厳しい気がする。仮にこちらの陣営になったとしても、南は自分たちの拉致被害者の処理を優先するのは目に見えているし、被害者たちを取り戻した途端、日本の被害者については一転して対応が悪くなる可能性があるからだ。そういう不思議な切換えが平気でできるのが彼らの特質だ。(だから、韓国会社であるLINEなんか怖くて使えないからスマホもしない)

 

※※

最新のマレーシアとの外相級交渉がうまくいかない場合(北が譲歩しない限りうまくいかない)、次に北朝鮮が起こすのは、再度核実験とミサイルを打つことだろうと推察している。四面楚歌でどこにも調整役国がなくなった北としては圧力しかなく、それをこれまでと違って東南アジア諸国に向けて打つ。南沙諸島のさらに南に落下させることを狙うだろう。言うことをきかないとミサイルに核を載せるぞと。そのときには本気で中国中心、ロシアサポート体制で外からは軍事的に内からは工作員を使ってクーデターで潰しに行くだろう。その前に屈服するかさらに暴走するか。予断を許さない。米国も黙ってはいないから、極東でシリア内戦のような状態になる可能性があり、日本に大きく影響する。韓国の富裕層などはいつでも逃げられるよう、日本や他国に住む場所を確保し始めているはずだ。

北が大きく動く時、中国も動くだろう。日本海にちゃんとイージスは配置されているのだろうか。。。

スキーシーズン真っ盛り。もちろん受験シーズンも真っ盛りである。海外は9月入学なので、どうして日本は4月なのかと昔から恨みに思った。スキーを楽しめないからだ。 

いまはブログの記事でも受験に絡んだものがとてもよく参照されている。受験生はとにかく本番で実力を出すように体調管理含め調整してほしい。実力出せずに落ちたときぐらい悔しいものはない。

 

さて、昔から不思議に思っているのが、どうして高校には浪人コースがないのかということ。国公立の高校は別にしても、私立高校ではやってできない話ではないと思ったからだ(やっているところがあるのかもしれない)。もともと、私立では1年早く進めて大学受験に備える。それでも失敗は起こり得るし、全員が入れる保証などない。で、ほとんどが予備校に行く。自宅浪人もいるだろうが少ない。

これだけ少子化と不景気が続いていたら、高校も奪い合いになる。事実、公立では少子化で統廃合が進んでいる。それに地方からだと予備校に通わせるための費用がバカにならない。そんなとき母校でそのままというのがあってもいいのではないかと思うわけである。

 

多くの有名大学に合格させている私立高校であれば、教師陣も予備校に引けをとらないだろう。むしろ少人数でその前からの流れで個人的によく知っているわけで、親身な指導ができる。しかし、一番はやはり経済的な問題として救われるというのが大きい。有名大学合否は親の所得にどんどん依存する状況になっている。公立高校でも可能であれば、お金がなくて地元に残って自宅浪人するなら、高校の浪人コースを利用できるというのはかなり家庭として楽なはずだ。都市部の予備校に行ってから生活が荒れるのもいるので(寮であっても、変な奴がいると酒、たばこ、パチンコなどに染められてしまう)、親元から通えるメリットは決して小さくない。

 

法的な問題は当然存在するが、少子化で縮小する地方高校の一つの策として考えてもいい。高校で受け入れるのが当たり前になれば、予備校ビジネスも縮小していくだろう。優秀な人材が金銭的に苦戦して大学を諦めるのは日本の将来にとってマイナスなのは確実で、こう予備校ビジネスが蔓延ると経済弱者は生きる道を失う。少なくともその学生分は人口も確保され続けるし、地方再生の小さな1つの手段になるのではと睨んでいるのだが。

もし実現すれば、予備校は主に模試提供や受験書籍販売に集中することになるだろう。予備校ビジネスの一部を無くし、各高校が担うわけである。予備校講師が消えることはないにしても、それを受けることができるのはお金が十分にある一部の家庭だけ。特に遠い地方の一般家庭には困難になる時代、こういう対策が検討されてしかるべきではないだろうか。

 

 

費用については大学にも当てはまる。東京の大学に地方から行くとなると、生活費が一挙にのしかかる。そのため、地方の大学に変更するという状況が進行するかもしれない。東京近郊で同居で通学というのも一つの手だが、はたして、一人で暮らす術を身につけるべきときに親と同居というのはどうかという気がしないでもない。まあ、就職後でもいいのだが、就職したらそんな余裕や余力はまずないだろう。

医学歯学を除けば大学院は希望の研究室を狙うとして、大学は地元とするだけでも親の負担はかなり減る。こういう方法が今後増えていくのではと思う。少なくとも理系では現代では大卒で何かができる時代ではなくなっている。予備校も院試を取り込み始めているので、長い先までの計画を考えておく必要がある。

先月『デジタル寡占(泥棒男爵)』で他のプロバイダーに移る用意があると書いた。強い味方が出現。NOKIAだ。

http://business.newsln.jp/news/201612140837310000.html

 

最初がガラケーで、驚異の1ヶ月間のバッテリー寿命を誇る。NOKIAは続いてスマートフォンも出している。

http://business.newsln.jp/news/201612020123090000.html

 

記事にもあるとおり、以前は携帯と言えば世界的にはNOKIAだった。それがiPhoneが登場してスマホが急拡大し、ほとんど業界から消えたも同然の状態に陥っていた。逆襲だし、目先を変えてきた。それだけではない、米国内だけではあるがグーグルは何と固定電話サービスを開始。

http://business.newsln.jp/news/201603292159290000.html

 

グーグルはネットの巨人としての地盤を固める意味もあって、もともとのインフラを活用する形で無線ネット世界のみに牛耳られないようにとの戦略と思われる。

 

面白くなってきた。

それにしても、こういう戦略を持ち合わせないauやドコモはオワコンと思われても仕方ないだろう。

次を見てほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=ma-VWL225XE

視聴した人は多いはずだ。車は関係ない。BGMを聴いて何か気が付いただろうか?このBGMは若者を中心として今とても人気らしい。

 

以前に『錦織圭の英語に違和感』という記事を書いた。彼の英語は真似ない方がよいという趣旨のものだが、今回も同じ。このBGMの歌詞がある。著作権があるので、ベタで埋め込みはせず、別枠表示にした。

http://www.uta-net.com/song/200718/

 

さて、タイトルだが、こんな表現は存在しないはず。 Stay tuned. ならある。引退したCNNの Larry King が自分の番組で Stay tuned! Don't go away! (チャンネルはそのままで!)の一連のフレーズは有名だ。最近の若者の言葉や黒人の言葉など、新しいあるいは崩れた表現がよくあるので断言はできないが、stay の用法から言ってこのタイトルはあり得ないし、意図している意味がわからない。おそらく、tunedのdが聴き取れなかったのだろう。Stay tuning ならあり得るし、そうかとも思ったが、tuning 東京では意味をなさない(tunedでもわからないのは同じだが)。tune、tuned、tuning、別にどれでもいいじゃないかって?相手が、「てにをはが」の使い方が出鱈目な会話をしてきて話が成立するか、イライラしないか、それぐらいはさすがにわかるだろう。

 

Oh Good time 癒えない like The “Dead rising” soon

 

意味不明。A good time (冠詞を付けなさい。もしくは複数)でも癒すことができない(何をかは記載がない)という意味なのだろうと思うが、それはthe dead(死人たち) がすぐに現れてくるからだと言いたいらしい。"Dead rising"が何かはすぐにわからなかった。固有名詞か何かかと思ったら、ゾンビゲームの商品名と判った。それで引用符で挟んでいたわけだ。しかし、引用符のままでは使えない。それにTheはないだろう。ここでは素直にtheでいい。likeの使い方もおかしいが、言いたいことがわからないのでどうしようもない。

 

Oh even a good time can't heal me, the dead (are) rising soon.

 

といったところが言いたいのだろうか。。。A good-timeであれば享楽的な過ごし方のことと言えるが(good time と a good time は全く別ものという認識がない)、とにかく英語が悪く、内容が不明過ぎでわからない。曲は良いのに、歌詞にゾンビゲームの名前とか、まるでお子様ランチ。

次にあーぁと溜息のこの文章。

 

I always searching for a piece so long time

 

名詞句とかの小さな塊りでなく、英文1つ丸々が日本の歌詞の中に入っているのはそう多くないと思うが、それがこのレベル。。。

中学生でもわかる欠点。どうして進行形なのにbe動詞がない?主語が I だから amかwasあるいはbeenといったものがついていないのは違反。分詞構文でないのは明白だからだ。さらに正確には amやwasは使えない。long timeがついているからだ。always まであるとなると完了形しかない。しかも、so long time などというおかしな表現を使っている。soを使うならso longで形容詞どまりとする。long timeが大事ならvery をつけるか such をつけるか。もちろん、冠詞を忘れてはいけない(どうしてもsoを使うならso long a timeだが、あまり使わないし、男性のきつい表現の中でこのやや女性っぽい印象はそぐわない)。long timeがなければ、always search for と現在形で表現することもできるが、感情が強そうな意図があるようなので、以下の方がやはりまだ適すと思われる。

 

I've always been searching for a piece such a long time.

 

句読点も全く考えていないので(幼児っぽく映る)、それも加えた。堅苦しい内容では無いから I've と短縮形にもした。 とここまで来ると十分かというと、この歌詞の内容とこの英文はまったく似合わないのだ。求める女性を a piece としているようだ。とすると、探し求めるという感覚とは合わない。the oneとか the queenみたいな表現が適切だ。「探す」という意味合いでsearch for を採用しているが、まず、会話とかで使われることは多くない。よく知らない相手にしても滅多にないだろう。使うとすれば評論ぽい対話の中で出てくる場合だ(他の出鱈目さからすると、なぜここだけ和英辞典で調べて引っ張ってきたようなことをするのか理解不能。伊藤和夫とか構文主義者は気にもしないだろうが)。普通は look for 。このことからしても、この詞を書いた人物は留学経験は無いだろう。無理に訳すと

 

「あまりの長間、ハッキリとはわからない上玉そうな女を、調査探索してばかりいた」

 

みたいな、ヘンテコな日本語になる。正直、どこもまともに納まっている部分がないので、手直しのしようがない。感覚だけで英文を書くとこういう何を言ってるのかさっぱりのものしかできて来ない。

以上から、この詞を作った人たちは英語の曲とかはよく聴いても現地での英語にほとんど触れていない。どれほど自分たちの英語がナンセンスかをわからない人間が書いているからこういうことが起きる。

 

この歌は、曲は90年代を想起させるちょっと古い感じのもの。歌詞の方は何がいいたいのか自分にはさっぱりだ。今の身の回りへの不満が爆発しているのは間違いないと思うが、どうも、これといった女性が見つからず、こうして東京をさまよっているとでも言っているのか。

大体、この歌には話の筋があるのか、それをきちんと歌詞にする気があるのかさえよくわからない。ボブ・ディランの最も対極にあるいい加減さに見える。(『ハリケーン(英文学の片鱗)』参照)

 

また、演奏バンド名が”Suchmos”(サチモス)となっている。Satchmoに肖っているとのことだが、地域の違いはあるにせよ、ほとんどの英米人は”サッチモゥズ”と発音するはずだ。つまり発音もわかっていない。Such-mosとすれば意図通りに呼んでくれるだろうが、本来の狙いとは違う(まあ、サッチモの偉大さを真似るのは土台無理な話だが)。

 

英語をきちんとしたレベルで使うことができるように、特に歌詞のようなレベルでまともにというには相当にハードルが高い。そのことについては『英語習得法』『英文法』のところで詳述した。今回の彼らは反例としていいサンプルだ。彼らは英語らしきものを作り上げ歌っているが、中身は無茶苦茶だ。どうしてか。上っ面ばかりでちゃんとやらなかったからだ。ではちゃんとやろうとするとどうなるか?かなりの時間を要する。だから、彼らのような若さで自在に使えることは勝手気儘にやっていてはできないことを見事に証明してくれている。簡単に習得することは不可能だ。両言語は違い過ぎる。

ほかにもおかしいところが一杯あるが面倒だ。この1件を、彼らの歌詞で言うとこうだろう。

 

英語を偶然に身につける?うんざりだもうっ!

きちんと学ばないヤツ もうGood night!

 

ゾンビは歌ってる本人たちだった。見た目生きたまともな人間のように見えて実はそうではない、というのが彼らの英語にそのまま当て嵌る。

では、彼らはどうすべきだったか。せいぜい、名詞句とか動詞句とかいった程度で抑え、かつ表現が正しいかどうかを辞書で調べるぐらいのことはすべきだった。もしくは日本語だけにする。手抜きの上に公表しているのだから目も当てられん。日本の歌の中の英語の質としては明らかに30年以上前より悪い。中学からやり直せ。いくら何でもこんなもので世界に打って出られたら、日本が笑い者になるだけだ。

 

 

ちゃんと英語を身に付けるなら、彼らの歌は害なだけだ。しっかりした英語での歌を聴くべき。下手に口ずさんで間違った英語が最初に沁みついたら取り返しがつかない。黒人ヴォーカルでも発音や歌い方は良いという見本を名曲中の名曲2つから。前者の歌詞はかなり易しい部類だ。

https://www.youtube.com/watch?v=youYairWMFM

https://www.youtube.com/watch?v=Njwasr1OOuc(ちなみに「ジャスコ 中央バス」と聞こえる)

いけない、いけない。Stayという単語からすると次のを上げないわけにはいかない。

https://www.youtube.com/watch?v=F9w9nG6O74k

オリジナルはもっと古い。

https://www.youtube.com/watch?v=BAVsEkgH_NQ

次は50年近く前の子供向け映画のエンディング。「Go ahead!」と正しい表現を使っている(航海用語の「前進」)。大阪万博を控え、アポロ11号が月面に着陸したとは言え、日本の子供向けアニメ映画で状況に適した英語表現が使われていたことに今は驚きを覚える。

https://www.youtube.com/watch?v=JOPjiEKIeZ4

音楽ならYouTube含め、学ぶ場はネット上にいくらでもある。その恩恵を存分に受けてきた世代でこの体たらく。日本の未来は明るい。まったく。

 

※※

出だしや間奏などでバックで喋っているフレーズは何と言ってるかはエフェクトや日本人式発音の崩れもあって聴き取れない。terrific goddam, terrific goddam counterspy ではないかと思うが(正解だとして、'terrific, goddam' のミスで terrific and goddamの意なのか'terrifically goddam'の間違いなのか不明)、冠詞に無頓着だし、まともなフレーズになってるか疑問で自信はない。

 

日本に生れ育った人間が英語に学校以外で最初に触れるのはTV・ラジオから流れる音楽と思う。親が映画やニューズを見ていたなどは多くないだろう。ビートルズ、カーペンターズ、ビリージョエル、U2、マドンナらの歌が好きでその意味を知りたいと勉強した人は少なくないはず。原書からなんてのは稀だろう。私もそう。そしてそれらの歌詞に驚いた。以来、中身の無い日本の歌にはほとんど興味を持っていない。もともと歌詞の意義が違う。向こうはメッセージ性が強い。文化における詩の位置づけの違いからだ。

英語は各地域で独自発展している。シンガポールやフィリピンなど。英本国とは違う英語ができる(米語もそう)。 pidgin English などと揶揄されることがある。だから日本語式でもいいという意見はあるだろう。残念ながら違う。日本のは日本語を通してできた和製英語という全くの別物。pidginでもない。和製英語は英語圏の人間には理解不能。今回の歌は和製英語でもなければpidginでもなく、単語は英語だがネイティブには暗号的にしか聞こえないような中身で英語ではない(ゾンビ英語?)。ネイティブに訊いてみるといい。日本滞在が長い、配偶者が日本人という人を除き頭が?となるはずだ。

なぜ、英文を挿れたか知る由もないが、ネットで世界で視聴できるところに配信した以上、当然海外でも視聴され、日本人の英語としてみられる。挿れなければ純粋に日本の歌として受け入れられるだろう。思うに英語と日本の歌詞は親和性が低い。単語程度にしておいた方がいいと思うし、バイリンガル級でないと無理だろう。らしかったのは宇多田ヒカルぐらいか。でも、英詩のエッセンスは感じられないから英語的とも言いにくい。日本人の新たな英語表現と言えるかは現時点では不明。STAY TUNEにその可能性はない。因みに非英語圏の有名歌手グループABBAの歌は英語だが、中身がないとネイティブも言う。

英歌詞から英米文化を覗き見れる。物の見方がわかる。The Eagles の Hotel California などはその典型。英文をただ取込んでも英語にならない。低い英語力ででも歌詞に入れたのは意図あってのことだろうが、日本を浅はかな国とみなされるようなことはやめてくれ、力をつけてからにしてくれということだ。

最後にエルトン・ジョンにご登場頂き、歌詞らしくない歌詞に曲をつけてもらおう。

https://www.youtube.com/watch?v=8GuI4UUZrmw

たぶん、徴兵制復活だろう。
すなわち、自衛隊を軍隊にすることである。かなり本腰と思う。

このままの少子高齢化では国防に必要な人員が確保出来なくなる。問題を起こす隣国の人口たるや桁違い。だから、同じく桁違いの人口で隣国と仲が悪いインドを友好国にする必要がある。外交の基本。

社会的要因も見逃せない。防衛大を出ても民間に行かれては困る。と言って景気が悪いのも困るが。

メディアコントロールも始めている。主要メディアの政府への批判はかなり抑えられて来ている。特に新聞はネットでじり貧化しているため、消費税を5%に特赦された。その見返りが現状だ。安倍はプーチンを見習ったのかも知れない。

最後の砦が憲法改正。道筋がはっきりしている。それからしても安倍政権の本気度がわかる。天皇陛下さえもリベラルなために御用学者の会議体で封じ込め蔑ろにしている(天皇陛下もご不満の様子で食事会を欠席されている)。これを結果的に許している流れを作ってしまった公明党には大きな責任がある。

私は少し右の人間だが、天皇陛下を蔑ろにするようなくそったれ首相は不要だ。

さて、我々国民はどう考え対応するべきか。

 

 

会議体の酷さはここにあるとおり。酷い記事で有名なリテラだが、天皇陛下と首相の反りが合わないことはよく知られている。右の人たちの間でもこれについてはまず触れない。

https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1218/ltr_161218_1258625446.html

http://lite-ra.com/2016/11/post-2684.html

一言で言うと、健さんが撮影したところは消えて行く、というものである。

 

健さんが亡くなられて2年過ぎたが、ひょんなことから気が付いた。JR北海道の廃止検討で上がったのですぐにわかる部分しか把握できていない。ほかにもあるかもしれない。

 

 

『網走番外地』:士別で撮影。少し北の名寄から稚内までの路線が廃止検討

『幸せの黄色いハンカチ』:夕張線は昔からあったが、石勝線が通ってから支線となり、夕張市が今年、支線廃止に対して合意で廃止決定。

『遥かなる山の呼び声』:中標津周囲で撮影。後に標津線全線が廃止。

『駅』:留萌や増毛で撮影。今月5日、留萌から増毛までの路線が廃止。留萌本線自体も廃止検討対象。

『チロルの挽歌』(NHKドラマ):芦別で撮影。根室本線の滝川-新得間が廃止検討対象。途中の島ノ下駅(富良野市)は廃駅が事実上決定。

『鉄道員』:幾寅(南富良野町)と滝川で撮影。『チロルの挽歌』と同じ路線上。

『あなたへ』:長崎県平戸で撮影。松浦鉄道が経営的に厳しい状況。沿線自治体からの支援が決定している。

 

 

なお、『ホタル』は鹿児島県垂水市で撮影されているが、撮影時点ですでに大隈線は廃止されているので、あくまで撮影後にとしている。『海峡』の青森県津軽線はもともと北海道新幹線の影響が見込まれていたのでこれも外してる。

健さんは各地域にとって疫病神なのだろうか。。。

 

健さんと言うと、あまり賑やかな場所での撮影とかストーリーが無いからどうしてもこういう傾向になるのだろう(『新幹線大爆破』とか『ブラック・レイン』は例外的)。特に北海道は人口密度が無いから、こういう結果と関係がついてしまう面は否めない。逆にいくら国民的有名俳優の健さんの威光を持ってしても地域の活性化には結びつかないことを示している。観光での活性化は基本的には難しいと思っていた方がよいだろう(「アニメで町おこし」参照)。その一方でSNSで話題になって活気を帯びているところがある。ただ、それもいつまで続くかという問題が付き纏う。

工業化に向き過ぎて農林水産にあまり力を入れてこなかった自民党の失政の賜物と思う。

auの携帯ネット上に何やら告知が出た。Facebookへのリンクが今月16日からできなくなるという。全く一方的な通告。ガラケー兵糧攻めの一つか。

 

アマゾンからも珍しく連絡メールが来た。アマゾンで購入していないものは週に5つまでしかレビューが書けないというルールに変更になるという。

これまで散々人に書かせてそれをタダで活用し、売上を飛躍的に上げておいて、いざ、独り勝ちになったら、顧客の自由度を制限して自分の都合のいいようにする。まったく、寡占している企業は好き勝手やってくれるなと。ちなみにアマゾンは本国でも雇用を奪っている泥棒男爵だとのレポートが出ている。

http://gigazine.net/news/20161202-amazon-robber-study/

アマゾンに限らず、現代のデジタル寡占企業は皆そうだ。

 

注文しておいたガラケーの予備電池を取りにショップに再び行き、もう一度、一番小さいiPhone7を操作してみた。まず、多くの年配者は絶対に使えないだろう。老眼では見えない文字の大きさやボタンマークが多い。指が太い私は爪でタッチしない限り誤打鍵を防げず、非常に神経を使う。指が細い女性向き。自分のW63KはiPhone7よりずっと細く少し長い。持ち運びし易いかどうかは何とも(その場でポケットに突っ込むわけにもいかないので)。何より重さを感じた。機能はとても多く、1つで何でもできるが、これじゃ自分の情報がどれだけ突っ込まれるかたまったものではない。健康情報、書籍、交信内容、自分や知合いの画像などなど。

逆に恐怖感を覚えた。みんな、こんな小さな装置に自分のほとんどを埋め込まれて、ずっと1日中まとわりついたように過ごし何でも出てきて便利だが、その大量の情報を回線から引き出すことはシステム管理者には難しくないし、電源はまずOFFしないからPCと違って常に危険に晒され続ける。スマホさえあれば貴方の全てがわかるわけだ。壊れたらとても困るだろう。盗まれでもしたら大変なことになる。(南米で実際にプロの強盗グループらしき人物に奪われて、たぶん、海外渡航経験が少なかったのだろう、追いかけた若い日本人男性が刺殺されている)

 

私はスマホ嫌いだが、他人がスマホを使うことについては特に関知しない。自分の道具ではないというだけだ。が、スマホが多いのでガラケーは面倒みませんと言われたら、スマホの弱点を話すしかないだろう。何度も書いているように災害に遭ったときの強さが違うからだ。山に入ったり、雪に埋まったことがない人にはピンとこないだろうが、もし地震で瓦礫に埋まって運よくまだ生きているとき、何ができるかだ。それもよく言われる生存限界の3日間の間に。1週間生き埋めながらに生還した例も今年あった。指がガラケーに届いていたら1週間かからずに助かる可能性は高い。問題は完全な水没の場合などは防水力が低いのが弱点になるが、私の場合はその可能性は少ない。釣り人は却って防水に強いスマホの方がいいかもしれない。

 

さて、ここで自動車を見てみよう。世間で多いのは軽自動車だ。小回りが利き、値段も維持費も安いからだ。燃費は抜群にいい。それに政府も目をつけて税金を上げてしまった。取りやすい先から取るのが彼らのやり方だ。一方で高級車の売行きも悪くない。つまり、2極化が進んでいる。ここで、高級車だけにしますと全メーカーが言ったら、世間から猛反発が来るはずだ。なのに、ガラケーでは起きないのはなぜなのか。我々は身を削ってなぜ泥棒男爵に貢がねばならないのか。

 

以下の意見がある。スマホ嫌いの人に向けたものだ。きちんと使い分けられないユーザー側が問題であってスマホではない、との主張である。コメントは相当あったのか、後で閉鎖したようだ。

http://yasashikunet.com/sumaho-anti/

一見、正しいように思えるが、よくわかっていないと思われる。iPhoneなどのハイエンドスマホはやはりヘビーユーザー向けで車種では高級車だ。機能ふんだんで、もしガラケー程度の使い方なら勿体ない。そういう人にはこの人は容赦なく、あなたはスマホユーザーとして失格と烙印を押すだろう。で、使い込んでいればいるほど、1日中使うことになるわけで、スマホと一体になった状態におかれる(情報管理の危険性については上述した)。それは使い方が悪いと今度は非難するという両立しようのないことを正論的に見せるという、よくある半端知的人物風の意見でしかない。ガラケーは完全な日常の足としての軽自動車だ。高級車が使えないのはおかしい、使おうともしないのはまともな人ではないのではないかと言っても誰も共感しないだろう(まるでオルダス・ハクスリー並みの詭弁)。使い方の問題ではない、生活様式の違いだ。

どの分野でも必ず市場が飽和すると2極化する。そして多くは下の部類が数的には上回ることを、スマホ化が簡単に行き渡ると誤解して携帯プロバイダーが市場として十分認識していなかったのが問題だろうというのが私の主張だ。ガラケーを邪魔もの扱いにしたツケがいま深刻になってきたわけである。はたして、簡易スマホやガラホがそれを担うのか、これまでのガラケーかはそれこそプロバイダーの向き方次第だろう。

 

どこかの会社がガラケー専門回線を維持してくれるのであれば(3G通信規格で十分と思うが)、喜んでスマホしか相手にせずのauやドコモから離れてユーザーになる用意がある。早くにどちらかでも打って出ていれば、今頃は他を引き離すこともできていただろうに。auもドコモも戦略の方向性が狭い。

日本人にとって害しかない孫率いるソフトバンクは論外(一般ソーラーユーザー資産を負債化加速させた張本人だ。よく考えず調子に乗ったユーザーも悪いが、同じ在日首相を巻き込んで堂々やったという罪は拭えない)。

 

今、スマホ所有の人が今後ガラケーに戻す可能性を持っているなら、今年度限りで新規契約は難しくなり始めるので、一時的にまずは戻しておく、あるいは別回線として新規に持つなどしてauやドコモを少し驚かしてやることはできる。数が予想を超えれば彼らも考え直すだろう。

ちなみに、アマゾンの方はいつもアマゾンを最後に検討するようにしている。それでも、アマゾンの扱い数がずっと多いのは事実だ。理由は手間と時間である。注文ではアマゾン発送でない業者を選択している。商品に問題があったときに値引き交渉などができるからだ((アマゾン発送では返品のみ。クレーム対応コストが馬鹿にならないので、それをできるだけしない仕組にして顧客を蔑ろにしているのがアマゾン)。また、できるだけ出身地の業者を利用するようにしている。

 

 

もし生き埋めとなり、携帯を手にできたとする。こっちの声や携帯の音声が届くかどうかにもよるが、やることは決めている。自宅と知合いに電話をかけるかメールを送るかだ。「助けて」というフレーズのみのメールも蓄えてあっていつでも送信できるようにしてある。空メールが連続してきたら危険信号だ、とも連絡してある。

人生で死んでいたかもしれないというのは、事故などで3度ある(傷跡がある.。普通に生活していての事故)。このままうまくいかないと死ぬだろうという状況判断を求められるようなことも2度3度あった。雪の中で生き埋め一歩手前になったこともある。私のような素人でも、いや、素人だからこそ判断に誤りが生じやすく、早期連絡手段は確保しておきたい。

 

※※

ezアプリに「ナビウォーク」というのがあり、ダウンロードして使っている。意外に精度のあるGPSで、誤差は最大2mぐらいか。山や田舎道などに入るときに重宝(山に入る時は予備電池を持って入っている。ガラケーと言えどこれを使うと消費が激しい)。ダウンロードがうまくいかなかった人は携帯設定で「ソフト更新」を行ったのちにダウンロードができるはずである。

 

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http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM07H27_X01C16A2MM0000/

まったく政商とはよく言ったものだ。同じ阿漕なビジネスマン同士の波長が合ったのか。これだけの投資ができるんですよ?ソフバンユーザーのみなさん。東京五輪が3兆は行き過ぎだと言ってるさ中です。通信料の値下げをすべきだとなぜ叫ばないんでしょうか?しかもこの投資、孫の望むM&Aさえ実現できればよく、それを実現するために早速飛んで行って友達になろうとしただけ。雇用創出云々は全てとってつけたもので、言ってるほどの効果はないはず。自分のことしか考えてない奴だ。まあ、トランプもホイホイと言うことをきくかどうかはまた別問題だが。同じ無慈悲なビジネスマン同士で食い合ってくれることを望む。

http://www.asahi.com/articles/ASJDJ6QGCJDJULFA04C.html?iref=comtop_8_05

北方領土の外交交渉が崩れようがどうなろうが儲かるためなら知ったことではないという、ビジネスマンの鑑ですな。

 

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http://gigazine.net/news/20161213-amazon-worker-sleep-in-tent/

アマゾンの例ではあれど、グローバリズムは巨大寡占を生み、人々はその下に平伏すのみ。

日本のように交通費が支給されれば話が変わるが、欧米ではそんなコストはかけない。