いまや、ケータイと言えばスマホだが、このまま標準化すれば、日本の産業界はかなり様変わりとういか危機的な状況におかれる。
スマホによって質の問題はともかく、機能的に今後も含めてカバーできそうなものを列挙してみよう。
電話(FAXや会議システム含む)
パソコン
TV・ラジオ
CDおよびステレオ
DVDおよびDVDプレーヤー
カメラ
ゲーム機
フォトアルバム
本
クレジットカード
銀行カード
換金カード(Edy、Suicaなど)
ETCカード
病院診察券
各種認証(パスポート、運転免許証、健康保険証、会社入構証など)
ホテルチェックイン&アウト(フロントが不要)
アパートやマンションのキー(管理人不要)
飛行機搭乗
お仏壇・神棚(お経をあげて、鈴も鳴る)
まだまだ出て来るだろう。大きく影響を受けているのはNTTと電機業界、出版業界。出版業界はだいぶ前より深刻化している。ネット販売だけでなく電子書籍化が出版社、書店や印刷会社を数多く葬り去ってきた。今は一般書籍も底を打ったと言われるが厳しさに変わりはない。電機メーカーはとにかく悲惨になっていくだろう。これまでの文明の利器がことごとくスマホに殲滅されていく。白物家電などは残るにせよ、それだけでは維持は厳しく1社や2社以外は生き残れないだろう。シャープのような身売りの可能性もある。これだけ集約できれば、独身一人住まいの場合、部屋をすっきりにできる。学生なら講義の動画は無理でも音声録音は可能。出席者はわずかでも誰かがデータをくれればそれで点数を取ることができるだろう。
各種カードがアプリで不要になると、カードの作成や材料製造の仕事が無くなる。Suicaがあれば券売機が要らなくなる。飛行機も搭乗は可能だし、自動手荷物受付もできている。あとは税関のパスポートコントロールとセキュリティのみ。それもAIの画像認識セキュリティシステムが遠からず標準的になるだろう。
80年代から広まり始めた電子メールシステムは骨董品と言われながらも生き延びていた。それもLINEなどの登場により、他人との連絡方法が変質してきている。携帯電話なのに通話しない状況が増えている。音声コミュニケーションではなく文字と画像によるコミュニケーションにシフトした。iPhoneが出るまでのスマホはこんなことを想像させるものはなかった。あくまでPCネット接続の補助的な役割だった。しかし、今やネットはスマホ主体でシステムが作られている状態。PCの方が制限されたりする。誰がこんな状態を予測できただろうか。
昔はPCを使うことは特殊技能だった。かなり勉強をしないと使えない。コマンドを打ち込んでファイル操作やプログラムの変更などを行うのは容易ではなかった。それが、Windowsが搭乗して激変、パソコン通信から一挙にネットの時代に突入して、多くの人がPCを操作するようになる。ネットの充実と普及、PCの低価格化が後押しした。しかし、それも20年ほどで中心から退場することになった。今はPCを使えない人が増えている。これからのPCはむしろ昔のように特殊技能の分野に逆戻りするだろう。
TVが家宝として扱われていたのが個人の部屋に置かれる調度品程度になったのと同じように、PCも一家一台から個人の机に載った。TVはスマホに吸収されたがPCはまだである。そうなれば一般対象のマイクロソフトはお終いだ。おそらく、資料作成はスマホで済むようになるが、プログラム開発はどうかは微妙だ。そんな職業の人間がスマホ環境に満足するとはとても思えない。ただ、時間勝負の彼らは何でも利用するかもしれない。あるいは自分でカスタマイズして補助道具とするか。
スマホの成功は、電子部品のミクロ化と、ネットを取り込んだこと、同時期にSNSが拡大したことの3つによる。ネットに個人の居場所を作った。容易にたむろできる場所を提供した。いくらスマホであってもipodのような個人で閉じた使用では広まらなかっただろう。ネットという開いた空間の中でありながら居場所も作ったことが大きい。孫が祖父母と連絡を取るために支援して高齢者を引きこんだことも大きい。
あとは業務関係。会議にしても今ではスマホでweb経由で世界のどこからでも参加できる。あとはPC代わりに資料作成とかデータ加工とかができればもうPCに用は無い。プログラム開発もやろうと思えば環境は提供できるはずだ。マイクロソフトはPCに拘る限り未来は無い。
あと10年もかからずにスマホで日本での生活の様子は一変するだろう。TVや車が一変させたように。ただ、今度のはそれまでのとは全く意味合いが違う。TVと車は人々に働く場を多いに提供した。スマホはありったけ周囲のものを集約し、軒並み殲滅してしまう破壊力を持つ。当然、仕事は減る。このままいけば、スマホに集約される仕事に関連して多くの職場が失われることだろう。そこにAIまで乗り出して来た。アンドロイドが可能になれば、ほとんどの人の仕事は消える。アンドロイドの普及はスマホも減らす。人はいないし、通信はアンドロイド自身が行う。
20年前、携帯電話は普及していなかった。PC向けWindowsが出たばかり。資料作成の多くは一太郎/花子だった。たった20年で人間の生活様式は激変した。今後、人間はどう生きて行くべきかをこの激変した様式の中で見つけ出していかなければならない。昭和1桁生まれの方々が多く亡くなっているが、その当時にあったのはせいぜい映画とラジオ。地域によっては電話どころか電気もなかった。それが子供までスマホを持ち歩き、宇宙旅行も視野に入るまでになった。想像もできなかったことだ。今、生まれたばかりの子供たちが死を迎えるであろう今世紀末、一体、世の中はどうなっているのだろうか。
これらに逆行する力があるとすれば、1つは家族の形態だ。家族が団欒を持つなら共有空間を満たす視聴機材は必要とされるだろう。しかし、産業として特に未来性はなさそうで国を牽引する産業としての地位は難しいと思う。国力衰退は押さえられないだろう。もう1つは金の無い地域の存在だ。インフラが揃わないとできないもの、利用者がいない地域は厳しい。Suicaの装置導入やメンテの費用を賄えるか、アンドロイドを導入する費用があるか、お金があるかどうかで地域によって差が出る。それが解消できないならば、上記のことは都会に限定されて終わることになる。つまり標準化されない。はたしてどうなるかはわからない。
それにしても日本が多くを開発してきた電子製品がことごとく集約されてしまっている。言わばかっさわれた格好だ。電子立国というのは最早過去の話。日本は何のために頑張ってきたのだろうか。携帯が普及して10年未満でiPhoneが出現。あれから10年。新しいタイプの携帯電話は出ていない。アップルもiPhone以降特別のイノベーションを興していない。やはりジョブズの不在は大きいようだ。この調子ではアップルもマイクロソフトのようになっていく。今後一番の敵はしばらくはグーグルだろう。日本の電機メーカーはまだ体力があるうちに何かを打ち出さないと本当に消滅の道を辿るのではないだろうか。
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何度も書いたが、自分はガラケーで、カメラはコンパクトデジカメを使用している。iPhoneもさすがにきちんとしたデジカメには敵わない。それにSNSでそれほど人と繋がっていたいという思いもない。実生活でもそう。ガラケーで済んでいるのはそういう生き方だからだろう。逆に言えば、皆、スマホに生き方を合わさざるを得なくなっているともいえる。ガラケー一体タブレットが希望だが、そのうちスマホに組み込まれざるを得なくなっているかもしれない。携帯自体持ちたくなかったのに仕方なく持ったときのように。
昔も今も若者は自分たちの個性を主張する。若かった自分のときも周囲はそうだった。しかし、下らない主張だと当時でも思った。個性?自立してるわけでなし、中身も対して違いなんかないじゃないかと。むしろ外れたものを馬鹿にする。今だと、中学以上でスマホを持っていない生徒の個性は認められない。つまはじき。どういう生き方だろうが迷惑をかけてないのだからほっとけと自分なら思うだろう。実際に高校以降はそんな生き方だった。同世代には辟易していた。今は大人も子供並みだ。
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こういう記事がある。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51791
半分は当ってるが半分は外れてる。アップルはハードにも強い。マイクロソフトやTwitterの減速はどう説明するのか。それにM&Aによる拡大に触れていない。アメリカでも、挙げられた会社は独占度が高過ぎると批判を浴びている。欧州はグーグルが違反して利益を上げたと告発している。もし、日本が独禁法に厳しくなく、ホールディング会社が早くからこれらのどこかを買収していたとしたら、日本はリードできた可能性がある。彼らは時宜を逃さずうまく売り逃げして拡大したようなもので、ずぼらな庶民が1つだと便利で楽という心理で残っただけの話だ。2つは求められていない。その中で一番の存在となるべく、あの手この手で寡占を図っていった。私がmixiでなくFacebookを選択したのは世界と繋がっている巨大空間だからだ(Twitterにもすぐ繋がるが規模が違う。TRUMPで退会が多いとも聞く)。選択の余地がなかった。一度出し抜けば、坂を転がるように負けた方はj消えていく。LINEのような閉じた空間は消えないにしても世界では主流にはなれないだろう。