昨日は文学が必要かという社会的疑問について答えを書いた。もう少し違う視点でこれについて述べたい。それは日本の作家は大馬鹿者が多いということだ。
例えば村上春樹はハードボイルド文学を原点にしている。ヘミングウェイも対象だっただろうし、ハメットらの推理作家も当然対象だった。ほかに一体どのような作品を読んでいたのかは知らない。源氏物語や枕草子などの古典を読んたのかどうか、あるいは漱石や鴎外などの近現代の代表的作家の著作も読んでいたのか。
それをおいておくにしても多くの日本の作家は欧米の文学作品や日本や中国の古典、そして近現代の有名日本作家の作品を何がしか読んでいるはずであるし、そこから文学を学んでいるはずだ。そして、それ以外となるとまずないだろう。少し毛色が違うところで詩や戯曲から影響を受けてる人がいるぐらいで。
しかし、絶対に中心的には読まれていない立派なものがある(理系でも論文と断片を除けばほとんど読んでいないだろう)。湯川秀樹の著作である。昨日のところにも書いたが、湯川秀樹の著作集があり、そこには専門の話だけでなく講演やエッセーも含まれているが、幼少期から漢文朗読をやらされていたといったことも影響してか、漢文に長けていて、ものの捉え方も中国の大陸っぽいものを持っている。沈思黙考型で、その点で言うとあまり対応する欧米の研究者はいないのだが、同じく昨日触れたイギリスの Dirac が近い。そして、両者ともに当時の物理学者よりもぶっ飛んだところに居た(医学・生物関係でいえば、DNAの発見やiPS細胞の革新性と同等)。アインシュタインも大陸的だが、ほかにはノーベル化学賞で有名なイリヤ・プリゴジンなども同類の感じだ。
ノーベル文学賞を取ればその著作はとても読まれるが、同じノーベル賞でもほかの分野の受賞者の文章が読まれることはまずない。こう言っては何だが、川端にしろ大江にしろ安部にしろ、湯川が成し遂げた新世界観ほどのことはしていない。欧米の進んだ世界の中の天才たちでさえ誰一人できなかったほどの天才が湯川である。その湯川の残した文章というのがこれまた深遠なものが多い。詩というか歌もよく書いている。
なのに、寺田寅彦のあまり科学直結でない随筆あたりについては読んだとか論評が作家の口から出たことはあるが、湯川や朝永などは聞いたことがない。
文学を創造していくべき作家たちが身内ばかりの文章を読んでいるだけで、湯川など他の分野の人たちの言葉に耳を傾けていない。易しくはないが毛嫌いされているだけなのではないかと思われる。視野が狭いのだろう。五木寛之などは徹頭徹尾科学は負の存在などと見下したままの思考的不随者である(自作品がたくさん人に読まれているのは高度な印刷技術や配送手段という科学の恩恵の上にあることさえ認識できない愚か者。若い時からずっと。ボケではなく愚か)。
作家たちは自分たちの文学の場をさも大事な世界だとばかり叫ぶだけで、実は狭隘な精神しか持ち合わせていないだけではないか、というのがあって私は長きに渡り文学嫌いだったのである。そんな狭隘な連中の戯言作品を何でお金と時間を割いてまで読まなければならないのかと。
今は違う。たしかに文学には人間の本質的面がある。我々の母語が日本語であり続けるのだから、それを磨いて高みに引っ張ってくれるのは彼ら日本作家以外にはいない。しかし、彼らは狭隘な連中でもある。そこが問題だ。おそらく、今後も湯川のような文人的科学者は日本から出ることはないだろうと思う。教育事情があまりに違う。となれば、せめて湯川ぐらいは読んでから文筆業に入ってもらいたい。朝永もそうだが、湯川以外にもたくさん刺激的な世界を文章にしてくれている科学者はいる。そういうのを関係ないこととして済ましている限り文学が深みと広さを示すことはないだろう。これだけ、ネットだAIだというものが身近になってきた中でいつまでも文学文学では閉塞するだけだ。現にカズオ・イシグロはそういう面を母語の英語ですでに書いていて映画化までされているではないか。
日本で文学存否論争が出るのはこういう日本作家の質の悪さにあるのではないかという気がする。
早稲田出身の村上さん、理科科目は苦手だったでしょうから、湯川の著作など読んだことないでしょ?自分がコスモポリタンではなく日本人としての作家だともし主張するなら、今後はそれぐらいは当然読みますよね?
ヤレヤレ。w
※
日本の作家はピュリッツァー賞を受けたダグラス・ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』を読んだりもしていないのではなかろうか。仮に通読していても自分の血肉となったという人はまずいないだろう。翻訳はジョイスでお馴染みの柳瀬尚紀ほか2名。彼は数学などにも強い。ホフスタッターは父親はノーベル物理学賞を受けているし、本人も数学と物理学を修めている。それだけでなく、哲学や心理学にも通じていて、かついくつもの言語も操る天才。さすがに日本語はダメのようだが。理系とか文系といった枠を超えた人物で、その傑作だ。ちなみに彼は15才でベケットの Waiting for Godo を読んでいる。
数学者のロジャー・ペンローズの傑作啓蒙書『皇帝の新しい心』はもっと読まれていないだろう。ましてこれらに論評するなどは不可能だろう。
いわゆる作家側からこのような例は洋の東西を問わず聞いたことがない。辛うじて、次の作品ぐらいか。
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ただ、大衆SFと何か違うのかと言われると厳しい気がする。シュールレアリスム文学の代表作となっているが、残念ながら序盤あたりで早世のため絶筆。一般相対論を利用して、太平洋あたりにある強い重力のために誰にも観測されなかった高い山を持つ島に向かい、その山に登りだしたところで終わっている。日本のアニメの方がまだいいかもしれない。例えばラピュタなど。