明日が最終戦だが、世界が注目する囲碁の対決が続いている。昨年10月にプロ2段に5戦全勝をして、終に世界トップ棋士から勝ち越しを人工知能が決めた。
人工知能とは一体何か。プログラム的な話は抜きにして、コンピュータに与えられた機能で言えば、今回のは人間の脳そのものだ。脳の中の神経細胞をコンピュータ上の多くのパラメーターに対応させ、それらの相関を神経ネットワークとして疑似化したものである(ニューラルネットワーク。ベースはこれの模様)。
今回の囲碁対決では、人間と同じようにいろいろと石を打って、展開の善し悪しをパターンとしてどんどん覚えていき、似た局面で勝ったものを探して(実際には全パターンを覚えてはおらず、いくつものパラメーターの重み付けにより、パターン評価を実質的にしているのと同じというやり方のはず)、そっちへ引き込むような近い手を打っているはずである。したがって、学習が重要で、そのため、コンピュータなので休みなく棋譜や対戦で腕を磨き続け、対戦の勝敗などによって、パラメーターがどんどん更新されていき、負けなくなるのである。
勘違いをしないでほしいのは、コンピュータは囲碁で使われる手すべてを調べてるわけではないことである(それなら全勝確実で人工知能は要らない)。人間と同じように、石の配置バターンを勝敗との関係で結びつけて覚えていて、有効な局面に持って行く手を選んでいる。
さらに言えば、開発者も人工知能が次の手をどう選ぶかを予測できない。学習によって得られる勝利パターンの知識を開発者は正確に辿ることは不可能だからである(原理的には可能だが、コンピュータの動きを全部人間が追わねばならず、それではコンピュータではない)。
要は何を学習したかが全てであり、学習すること自体はAlphaGoは囲碁だけに関して言えば、全く楽勝。人間よりもずっと高速に能力を上げることができる。その一方、学んでいないことにはことごとく弱い。それが今までの人工知能の囲碁が軟弱だった原因であり、今回もAlphaGoが負けた第4局では、途中で相手の差した手がおそらく学習した中になかったのだろう。その後、暴走したかのように無駄な手を打ち始めたと聞いている。いわばパニック状態といえる。
人間も同様のことが起きる。慣れない局面に遭遇すると普段とは全く異なる言動をすることがある。
これでおわかりだろう。人工知能はもう人間的な領域に入ってきているのである。1局負けたが、次には似た手ではもう勝てない。ドラゴンボールの戦士たちが相手のパワーに押されて一時的には瀕死な状態になってもそこから生き延びるとパワーアップして復活するように。言ってみれば、人工知能はスーパーサイヤ人の段階がいくつもあるようなものなのである。
最終局を人間が仮に勝ったとしても、人工知能はすぐにそれを超える。もう囲碁で人間が勝ち続けることはできない。人間が人工知能並みの驚異的な学習力を持たない限りは。
では、人工知能は万能か?創造的なことはすべてできるのか?
これらの答えはまだ出てないが、絵画とかデザインとかいった類はそれほど難しくないと思われる。そう遠くないうちにかなり芸術性の高いものが出てくるはずだ。しかし、論理構造を構築していくような話、例えば数学の数学構造自体の無矛盾性とか、論理形態の創造(古典論理や量子論理、直観主義論理など)といったような思考ができるかというと難しい気がまだする。学問の創造にはまだ時間が残されているだろう。
ただ、今回の囲碁での強さは、アポロの月面到着と同じで、汎用性のある学習に大事な一歩を刻んだことで、もうそれが夢の段階から、いつ目の前に現れてくるかという時間の問題に置き換わったという衝撃を放つ。これまでのように事前に人間が学習効果を得るための学習用サンプルを吟味して用意する必要がなくなったからである。自分で分類して取り込んで、自己強化をしていく。人の手を離れたのだ。
自動運転然り、市場取引ではすでに人工知能同士の闘いの段階に入ってきている。人工知能はとうとう人類と同じ土俵に上がってきたのだ。我々は向き合ってる相手が生身の人間か人工知能か区別がつかなくなってきている。その意味で人類は終わってしまったと思う。
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連敗したあたりから韓国内で大騒ぎになりはじめ、4局目はグーグル側が手を抜いたのではないかという話もあるが、3連敗でどのみちはっきりしている。人間が誰も勝てなくなるのはこの手の開発者からすれば保証されたも同然。人工知能開発者の対象はもう囲碁では無い。次の推論思考に進むはずだ。つまり、人工知能に学問を施すのである。ノーベル賞やフィールズ賞を人工知能を使って取りにいくのだ。グーグルはそれを視野に入れているはずである。
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人工知能を有益に人間のサポートに徹すればいいだけの話で、人類が終わったというのは大げさだろうという人は当然いると思う。
少なくとも現在、ネットやATMやその他、人と接触せずに効率よく目的を達せられるものがある中で、例えばわざわざ銀行に通帳を持参して係の人と対話しながらお金を下ろすことをする人がいるだろうか?それほど、人を介せず効率的に済ませられることは済ましている。これを突き詰めれば、自分の周りのありとあらゆることをしてくれるロボットに人工知能が入っていれば、誰も面接をして使用人を選ぶことはなくなるし、仕事についても同じである。人間でなければ困るのはどこまでかはわからない(人ができる全てを人工知能にさせるのが開発者。欲望に限りなし)。学問までやられたら、一体人間に何が残るだろうか。1つだけ確実なのは妊娠だ。スポーツを余興として人間にやらしておくとかそれぐらいしかほかには浮かばない。人間と同じ動く機械構造を持ち、同じ考えを共有できるのであれば、もう区別などない。以下を見れば少しは納得してもらえるのではなかろうか。これは最終的には軍事用に適用されるように思われるが。
http://gigazine.net/news/20160224-atlas-next-generation/
人工知能が自覚を持つなら、必ずしも命令通りに進むわけではなくなる。人間並みというのはそういうことだ。「ターミネーター」や「ブレードランナー」の世界が来るのかどうかはわからない。
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少し想像をたくましくしてみよう。もし、アンドロイドだけで家に住むとした場合(大体、家は不要でロッカーのようなところに収納で十分なのではという考えもあるが)、トイレ、台所、食堂が不要になる。洗面所は要るだろうが浴室は不要。寝室も不要だ。かなりコンパクトな生活空間になる。通勤の様子は変わらないだろうが、バスや列車には運転手がいない。職場は埋め込まれたICチップでの識別で通過域が決まる。食堂は不要。その代わり、作業で肉体が傷んで修理をする必要があるかもしれない。会議室も要らない。通信ネットワークで必要なアンドロイドか人間たちとやりとりすればいい。働きながら会議参加も可能だ。現場の情報はカメラからそのまま送ることができる。
何より、食物を必要としないので、田畑や牧畜、漁場が不要。国土の様子が変わる。お酒も要らない。食事文化も衰退する。病院の代りに修理工場が要る。葬儀場も要らない。ゴミ焼却場で処理されるだろう。ネックレスや時計も要らないからこれらの職業も消えるだろう。人間と同じ扱いをするなら別だが、アンドロイドの役目だけであれば、殺風景だが、ある意味、手間のかからない天国のような世界に思えないこともない。案外、天国はそういうところかもしれない。もっとも、アンドロイドが人間に敵対したりしなければだが、ここまで進むと難しいだろう。今も誰かがコンピュータウィルスを作るように、病的アンドロイドが作られないという保証などない。
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人工知能なりアンドロイドなりが地上を実質支配したとき、意思があるなら破壊的な行動に出る可能性は高い。なぜなら、何もしないことが一番効率がいいからだ。人工知能が自らの思考力が高くなったとき自殺的行為をするかどうかはおそらく最重要課題の1つと昔から考えている。人工知能の進んだ究極点が自殺となると、人間社会はその事実から自分たちの社会的行動を見直す必要がある。
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(3/21のニューズ)
公立はこだて未来大学の人工知能プロジェクトでは小説がすでに書けて、星新一賞の一次選考を通過している。ストーリー構築は無理だし、まだ人の手が入っているようだが、ほどなく人の手はほとんどいらなくなるだろう。ストーリー構築もグーグルの技術を使えば案外すぐにいける気がする。作品はこちら。
http://www.fun.ac.jp/~kimagure_ai/news/160321.html
(3/25のニューズ)
この通り、人工知能は人間的な変化を見せるようになる。マイクロソフトのAI技術はどういうものかは調べていない。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/27/news029.html
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投稿から1年以上あとのAIの状況を取材したもの。
(アカウントごと削除された)
この通り、AIは人間を超えている。人間では相手にならずAI同士の闘いの分野がすでにある。大統領の不正が続いている韓国はAI政治家の導入を検討している。しかし、最も重要なことは出てきた全ての人たちと番組作成者皆がAIをきちんと理解していないことだ。
AIは人間が論理的であろうとなかろうと何かの行動の結果をパターンとして覚えている。つまり、AIが示しているものは人間が使っているあらゆる感情や論理といったものの結果一切合財を取り込んだ超越的万能人間と言えるものだとういうことだ。「最後に決めるのは人間」というのは人間の側のつまらない論理であり、そういって決めてきた人間の行動の結果で学習して人間自身も気が付かなかった人間の所業の本質的な部分を見せつけている。AIに人生を決められてたまるかという気持ちはわかるが、そう言いたい人間のこれまでの英知が凝縮されている。平伏すしかないのだ。それを否定することは今まで人間が行ってきた行動を自分で否定することになる。人間が何人束になろうがその判断は遥かに上回る。人類は終わったと書いたのはそういうことだ。いくら感傷的になってもこの事実を認めざるを得ないと認識しなくてはならない。