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An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

犬を飼われている方は、毎日の散歩で大変な思いをしているのではないかと思う。かくいう我が家も大変である。散歩、食事、トイレは三位一体だからだ。それらは犬の心身の健康状態に直結するし、家族との関係も決める。

散歩の必要性やメリットはもうネット上にたくさんあがっているので、ここでは繰り返さない。ここではあがってないものを話す。


多くの方の散歩距離はどうなのかはよくわからないが、年配の方やお子さん、主婦の方が多いので、それほど長距離ではないと思う。大きな公園でボール遊びでごまかすならなおのことだろう。大体は3キロ程度までではないかと思う。ご近所での例では5百mもないというのもある。


我が家の犬はボールで遊ぶが、それで飼い主と遊ぶ気は全くない。そのため、ただただ一緒に歩く以外になく、飼い主負担が大である。毎回、4キロとか5キロとかが当たり前になってしまう。中年年齢で保護団体から引き取った犬なので、元々活発ではなかったが、それでも散歩では元気である。若い犬だと30キロ、40キロは平気だとも聞くが、短くても本人は不満はないようだ。ただ、人間には毎日の散歩距離としてはなかなかきつい。


こう伸びた理由の1つは、どれぐらい歩けばこの犬は嫌がるかと思ってどんどん伸ばした。天気によって違うようだが、15キロが1つの目安とわかった。幸い、市街と田園の境にある我が家からは住宅街を回ることも農道やちょっとした山道を使ったコースも多彩に組むことができ、何百(千未満と思う)という散歩で全てコースはわずかでも途中で異なったものとなっている。その方が人間も飽きなくてやる気が増すだろうというのもある。

そしてもう1つ。これが一番重要だと認識したのが、長い時間と苦労の共有による心的一体感を得られることである。


どんどんと距離を延ばしていく過程である変化を感じた。声かけもときどきしながら散歩をするが、長いだけにあまり声かけの頻度は多くない。だんだん、散歩というよりは旅に出てるというか、猟にでも出てる感じで、山あり谷あり、砂利道あり、石段やら登山道みたいなものまでいろいろあるので、散歩という感じよりサバイバルっぽい様相になってくるのである。

車でそういう場所まで行って、短時間それらのオフロードを楽しむことはできる。最初、そのようなこともしてみたが、どうもその安易さはダメらしく、それまでの散歩と何ら変わることはなかった。しかし、それを自宅から時間をかけて苦労しながら散歩を続けていくと互いに一緒に居る必要性を感じるわけである。何せ頼れる他人も場合によっては家さえもない場所を歩くわけである。


市街地だけをぐるぐる回って15キロとかはどうなるのかというのはやっていないのでわからないし、今となってはそれにより心的状況がさらに変わるとは思えないので何とも言えないが、それでも長時間同行するということは何がしかの変化を生むのではないかと推察される。わが犬も市街地で長距離化してしばらくした頃からその傾向が出始めたからである。ただ、決定的なのはやはり自然の道も取り入れたまるで遠足のような10キロ前後散歩するようになってからである。


犬はもちろん家族の一員だが、長距離散歩を一緒にしている私への態度は少し違う感じだ。ひとつ問題はこれを家族全員がやるのは不味いかもしれない。犬として誰が一番かを決めかねるようなのは混乱を招くだろう。私とともに家族も同行してなら問題ないが、私がおらず、誰かが長距離散歩をするとリーダー交代を示すことになるだろう。

なお、長距離としての目安はわが犬の感じでは5キロ超かつ時間にして1時間超である(これが1回分。1日分ではない)。10キロでも自転車では意味がない。2,3キロからいきなり10キロ以上は犬も困るから、徐々に伸ばしていくことが重要。毎日2回もやることなので、疲労蓄積に陥らないよう(疲れたら距離を縮め、回数も1回にするなど)注意が要る。我が家も今は長くても10キロ程度に抑えている。

平日は難しいだろうから、休日に試してみてはどうだろうか。



こういう逆の意見もある。

http://blog.livedoor.jp/nanakailua/archives/51530421.html

わが犬の場合、テンポは決まっていて人間の速足くらい。人間が走っても速度はほとんど上げてくれない。なので速さは適切なのはわかっている。距離は短くても長くても戻ってきて不満そうというのはない。ならば、短くていいことになるが、実際にはやはり力が余っていたり、長い距離では疲れがみられたりするので、適切な距離として4、5キロに収束してきた。3キロ未満はやはり不足のようである。引き取った頃は2キロ前後の散歩に終始していて特に力が余っていた。距離を伸ばしたのはこのような背景からだ。

もう1つ。一度は散歩でへたばらせてみるのがよい。疲れたときの様子を見ておいて、病気のときに間違った判断をしないためである。長距離はなかなかつらいかもしれないが、それで絆が強くなり、かつ健康状態の確認の基礎データが得られて一石二鳥なので是非やってみてほしい。ただし、それで人間の健康を害さないように。これは危なそうだと感じたら躊躇うことなく中断を。機会はいくらでもある。

2日連続で日本人からノーベル賞が出た。もし、今日の化学賞で受賞者が出れば初の3分野同時受賞という快挙になる。ラグビーの快挙とは何の関係もないが、こちらでも快挙が起きることを望む。なお、文学賞はもらえないだろう。すでに世界的な人気作家で文壇の後押しのない村上春樹がもらえるとは思えない(各国の賞に輝いているが、翻訳では性的記述が除かれているらしいので、かなりの欠落になるらしく参考にならないだろう)。


さて、今回の2人の受賞者は非帝大どころか規模というかランク的にも下の旧二期校というおまけがついている。大学関係者は大喜びだろうと思う。しかし、今年の受賞を見て、もう受賞者の大学で見るのは意味がないと思う。


大村氏は大学院は東京理科大と東大(実質的には理科大の模様)である。梶田氏は東大。それも、2002年にノーベル賞を受賞した小柴氏の直系の後継者である。小柴氏はこれまたノーベル賞受賞者の御大朝永振一郎が理研および東京教育大(現筑波大の一部)で活躍していた頃の弟子である。小柴氏のカミオカンデから戸塚氏のスーパーカミオカンデの流れをつないだ人物。もし、戸塚氏が御存命であれば一緒に受賞となっていたはずである。


お2方とも実験と実践の人である。この環境が続く限り、これらの機関から十数年後にまた受賞する可能性が十分にある。この手の設備はそう作れるものではないし、研究継続や維持管理が大変で、予算が潤沢なごく一部の大学に限られるのはどうしようもないことである(梶田氏も記者会見で答えている)。逆にそういうところに居れば次のノーベル賞の可能性は十分にあるということだ。大村氏も本格的な研究は北里研究所に入ってからのようである。

したがって、今後も山梨大や埼玉大に居てそのまま立派な研究が出続ける可能性があるかというと残念ながらその希望は薄いということになる。どこか別のところに行く方が可能性が高い。逆に、大学院さえ研究に適切なところにいけるのであれば、大学はどこでも構わないといえる。それでも、大村氏のように国立から私学の院は珍しい例だとは思うが。


東京帝大に留学先から戻ってきた実力抜群の北里柴三郎が政治的に追いやられ、それを福沢諭吉が援助した。設立した独自の研究所も東大にまた政治的に吸収され、反発して辞職後新たに作ったのが北里大の前身であり、慶応関係者の天下り先とも聞く。北里は福沢の没後に慶応医学部を整える。どちらも臨床、すなわち我々に対する処方という点で貢献してくれる機関である(東大は研究機関で臨床には力を入れていない)。いかにも現場的な大村氏の研究に合っている環境だったのだろう。

ちなみに東京帝大医学部は森鴎外と慈恵医大の高木兼寛の脚気論争で負けたのは有名。慶応医と慈恵医と言えば、日本医科大もしくは順天堂大と並んでよく御三家といわれるが、東大医はそのうち2つと確執があり、かつ、天皇陛下の心臓バイパス手術では順天堂に執刀を行ってもらうなど、全くどっちを向いても恥ずかしい話ばかり。


今は研究は明治や昭和初期とは違う高度で難しい段階に進んでいる。したがって、出身学部はあまり参考にならない。それは高校での勉強ができても大学ではあまり関係ないというのと同じである。学部では基礎を勉強するが、研究は大学院である。大学は教養をしばらくやって、専門は2年半程度であるが、大学院は博士課程となると5年である。長さもその深さも断然上回る。そこでどう進めていけるかでその後の研究人生が決まる。これまでのようにノーベル賞受賞者の学力の元を出身大学に求めるのは的外れだ。見るべきは大学院はどこを出たか、誰の下で研究していたかである。これからの受賞者の年齢を考えても、もう学部研究ではなく院研究で判断の時代である。


それにしても、普段から研究状況の観察もすることもなく、また、それを判断する眼もなく、予算がかかれば、成果のないものは税金の無駄のように非難しながら、いざ、こういう受賞があると(といってもノーベル賞だけ)、手のひらを返して大騒ぎの上に、陽の目を見ていない研究も大事にしないと、と知ったかぶりの論調をするメディアや評論家には辟易する。



化学賞は逃した。自然科学同時3冠ならず。残念。問題はこれまで多くが過去の業績によるもの。文科省の酷い大学院行政で現在はかなりぼろぼろの状態なので、10年後あたりから閑古鳥になる可能性がある。事実、団塊の世代の受賞がないのは大学が当時研究の場としての機能が学生運動によって途絶したからにほかならない。それが今度は行政の失敗によって起きる。

我が家の犬の場合、効果覿面。


家族がにおいに敏感な場合はリモナイトを使っていても臭いと感じるかもしれない。リモナイトをやめると割とすぐにウンチから体臭、口臭までにおう感じだ。数日で変わっていくのがわかる。リモナイトで黒かったウンチが茶色に戻る。

もともと、体臭がきつくならないよう、ドッグフードも脂分のかなり少ないものを与えている(あまりドッグフードでケチると犬の体をぼろぼろにされるのでそれなりの商品を買うほうがよい)。しかし、それでもそうは抑えられない。

添加物的にほかのドッグフードに少量混ぜる品物だが、安くないので躊躇する人が多いと思う。犬種によって効きの程度が違うかどうかはわからないが、大きさや食事量で与える量は調節する。


犬のにおいでお困りの方は少なくないだろう。もし、使ったことがない人は試してみては。効果が明確に出るのは3週間ぐらいに思う(ウンチの色とにおいはすぐ変わるが体臭変化までに時間がかかる)。それで高いからと途中でやめてしまう人もいるかもしれない。まずはひと月は踏ん張ってみることをお勧めする。ボディタオルで散歩の度に体を拭いてやることで体臭を徐々に減らしてもくれるので併用するとよい。また、粒の大きさが違うものが数種類用意されている。効果を出すにはできるだけ小粒の方がいいが、入れる数の扱いやすさからは大粒がいいので、両者の観点から妥当なものを選ぶといい。我が家は散歩2回の食事2回である。

もっと効くのが今後出てくれるとありがたい。スーパーリモナイトとかいうような。



犬猫にはミネラルウォーターがよくないという話がある。リモナイトは阿蘇山の赤土に含まれる鉄を含んだリモナイトというミネラル成分をペットフード的に製品化したものだ。よって、リモナイトはよくないということになる。

ミネラルウォーターがよくないという確固たる証拠はないようだ。ただ、人間でも硬水では胃腸の不調や結石になる人が出るので、犬猫にもよくないだろうが、軟水でもダメというのはないだろう。もし、本当なら、なぜこんなに長く続く生き物が結石などの遺伝病を持っていないのかを考えればよい。現在の水道が整備されたのは人類の歴史でもごく最近だし、川や泉の水を飲んでいたわけで、それが本当に悪いなら、とっくに犬猫は絶滅か減少しているはずである。大体、水道水を飲まない欧米では犬猫もミネラルウォーターだ。それも硬水が結構多い。答えは明白。もちろん、腎臓機能が悪い犬猫に硬水やリモナイトは問題なのは言うまでもない。

(ペット用の水が売られている。業者がこういう都市伝説をバラ撒いたか、すでにあって便乗したのだろう。買う意味はない。日本の消費者はコケにされているか都市伝説に振り回されている。ミネラルが気になるなら水道水を使えばいい。水皿にある間に塩素も抜けていく。もし、水道水から塩素を無くしたら?水道管の内面にカビが生え、ほぼ全住民が病院通いになっていくだろう。健康志向も結構だが、度が過ぎて本末転倒になると元も子もない)

少子化で大手予備校も大変なご時世になっているが、それでも医学系の人気は依然高いようだ。

http://dot.asahi.com/wa/2014041800029.html


故郷で医者を目指した3名を知っている。1人は高校は名門私立にと町を出て行った。合格したかどうか知らない。もう1人は高校の先輩で3浪して合格。2人はどちらも教師の子息。もう1人は金持ち自営業の息子で私立歯学へお金を積んで進んでいる(いわゆる裏入学)。


医者を目指そうと思わなかったのかと訊かれたことがある。同級生だったり、ご近所だったり。

思ったことが無いわけではない。難病で寝たきりの伯母が居た。意識はちゃんとしてるが喋ることもままならなかった。小さかったが、伯母とのやりとりを覚えていて、自分はこういう病気を失くしたいと真剣に考えたことがある。しかし、途中からできる気がしなくなった。


たしか小学の理科でアサリやカエルの解剖をした。臭いがダメだった。血を見るのも平気とはいかない。それらは今でも変わらない。ホルマリンとかアルコールの臭いに長時間晒されるのも耐えられそうにない。病院が好きな人はそういないだろうが、病院への長期滞在は嗅覚や視覚的にきつい。

それに、もし、患者を救いたいとして自分が手を尽くしてダメだったとき、耐えられる自信が全くなかった。いくら手術や処方の腕が上がろうが、手がけた人全てを救えるはずがない。そのとき患者やその家族の人生が自分の腕にかかってくるとなると自分の神経では無理だという気がした。

だから、成績がいいから医学部を目指すなどというのは全く信じられない話だし、思ったこともなかった。


先に、親類が孤独死して司法解剖されたことを書いたが、今考えなおしても自分ができる気は全くしない。立ち会うまたはその遺体を直視することすらできないだろう。医者になるための解剖実習の大変さは以下に十分記されている。

http://ncode.syosetu.com/n8651bb/12/

http://dot.asahi.com/aera/2014042400046.html

これらの書いていることを読んで、頭がいいからとか、本気で難病を克服したいと思えばとかで許されるような気がしない。母の遺体も一部は病気で酷く傷んでいて、死後、急速に表面に出ていた。遺体というものに初めて直面して、やはり自分には何かできる気がしなかった。小さい時からこのような状況に慣らされていたなら違っていたかもしれないと思えるだけだった。


大学の医学部が高い成績を要求しているのは事実である。しかし、成績がいいから医学部という論理も制約もない。

なぜ、医者の親類や知り合いもいない学校の先生が子供を医者にしようとするのか全くわからなかったし(その後の派閥の医者同士の付き合いに親としてうまく対処できるのか)、子供自身が特に強い意識を持っていないならなおさらのこと意味がない。成績や収入で有利そうな医者にでもなろうかというのだけは馬鹿げている。

医者に向いている資質はむしろ違うところにあるようだ。

http://www5f.biglobe.ne.jp/iyatsue/nicepeople.htm


医者に向いていないと思った過去の自分はどうしたか。

得意の理工系で医療機材の技術開発に貢献するのがいいだろうと考えた。そういうところを実際に検討もした。けれども、仕事内容に何か違うと感じ、結果的に今は全く違う世界に居る。



医者の世話にならない健康な生活を送るには何が重要か?それは「家」と「食事」と「規則的な生活」(運動含む)である。後者2つは言うまでもないだろう。問題は「家」。この認識のあまりの無さには驚くばかりだ。

マンションでもいいが、1年を通して肉体的に温度差負担の少ない家は重要だ。血圧が安定し、臓器負担が減る。新築した家で健康になったとか持病が緩和した話はときどき聞く。私も現在の家でまったく風邪をひかなくなった。決して一年中一定温度である必要はない。夏も冬もそのまま外にちょっと出るには問題ない格好で、屋内では快適に過ごせる温度にできればいいのである(除く風呂場)。そうすれば外出による肉体的負担も緩和できる。さらに家の資材費用とエネルギー節約を両立できるはずだ。

遠い親戚でとうとう孤独死が出てしまった。年齢的に仕方がないのだが。。。


以前に書いた が、病院で最期を迎えられなかった場合の問題が現実のものとなった。幸い、現場検証で事件性は無いと判断され、司法解剖だけだった。親戚に警察から連絡はあったが、尋問にはならなかった。


司法解剖の結果、病死とのこと。子供たちは遠く、連絡先も変わっていて不明のため、近くの兄弟夫婦たちで対応、協議してお経も何も無しの密葬となった。

もともと異臭がするということで発見され、大学病院で司法解剖をしたこともあり、遺体は見ない方がよいとの警察の話から、白い特製シートに密封された遺体に、自宅にあった母親の形見の服を被せて荼毘に付したということだった。

お骨は共同墓地にそのまま葬儀屋が合葬する手筈になっている。


自分がそれなりの年齢に達したのだから仕方がないとは言え、今年は本当に不幸が多い。

季節の変わり目、ご年配の方々には体力的にきつくなる時期。周囲の方は、また遠く離れた家族は電話なり、訪問なりで様子を伺ってみてはいかがだろうか。

天候不順のせいか今月は例年より少ない。不在は3日間。原発反対の人はこれ以下のエネルギー消費でしょうね?私は消極的原発容認者。(誤解がほんとに根強いが、福島原発事故は地震では全く大丈夫だったのが津波で予備電源喪失して起きた。予備電源さえ生きていれば無事だったのだ。原因は地震ではない、津波だ)


 電気:119kWh(エアコンや外灯など含め全部)

 都市ガス:5m3(風呂と炊事で全使用)


家の容積は吹抜け含め小屋裏を除き、60坪相当。この夏は猛暑だった。日中も人が居て、この使用量の一般家庭はざらには無いと思う。家族はあまり個々で電気製品を使うことがないのもあって少ない。エアコンは1台のみ。ソーラーなどというエコに反するものは使っていない。生活の工夫はもちろんあるが、家の性能を最大限に活用できるようにしないと大きくは下がらない。省エネ電化製品への買い替えも適宜行う必要がある。

ガスも電気もさらに低いときがある(冷暖房しない時期なら電気は100を大きく切る)。もっと下げたいが、このあたりが普通の生活としては限界とも思う。無理はしていない。

すぐに効果を出しやすいのは湯温を下げること。ガス代が下がる。そして、風呂上がりに汗を再度かくことがなく、着替えたばかりの下着も汚すこともない(これのために湯温を下げた。エコは結果)。エアコンを強くする必要もなくなり電気代が下がる。(我が家の湯温についてはこちらhttp://ameblo.jp/speedflex/entry-11950220578.html

原発を減らせるし、温暖化も抑制で異常気象を減らせる。デモに出てばかりで我が家より少ない人もいるだろうが、行った先で使っているのなら意味がない。


不思議に思うのが、反原発の方々によるエコ啓蒙活動が見られないこと(再生可能エネルギー推進はエコロジー推進ではない)。少なくとも前面には見受けられない。常日頃からそれを行っている上での反原発ならもっと共感を得られるはず。

3.11から4年半だが、これまでソーラーをあちこちに設置して電力会社が苦しくなった話はあるが(それで大儲けしたのが孫。一般人は逆に負債化し始めている)、消費量そのものを落としてジリ貧に追い込んだ話はない。どうして、2方向から攻めなかったのか。

デモに出かけたり、大声を上げる元気を自宅の消費を抑える努力に回してみませんか?高給の電力会社の連中の収入を減らして苦しめてやりませんか?



以前住んでいたアパートの部屋は古い鉄筋コンクリートの20坪で今と同程度の光熱費がかかっていた。なので、古い建物に住んでいても光熱費は我が家程度には抑えられる。

ただ、ここまでのエコな生活をしていること自体、お金持ちになれない証拠でもあるだろう。(笑)


※※

CO2の観点からは車通勤の人は軽やハイブリッドでなければガソリン≧電気+ガスだろう。極力、公共交通を利用すべきだ(私は徒歩+バス)。我が家は出掛け先をまとめ、回数と距離の最小化を図っている。1円でも安いガソリンスタンド探しをする人は、そんなことより回数と距離短縮をした方がずっと安くつくので考えるべきだ。タンクを満タンにせずに運転すれば燃費もよくなる。


※※※

反原発でJR東日本に放火した自称ミュージシャンがいるが、本人もJRを利用していただろうし、エレキギターやバンド活動で電気を消費するのは問題視しないようである。反原発の人々にはこういう天然矛盾系が多いように思えるが。。。

坂本龍一も同じ。原発大国アメリカで優雅な暮しで好きなだけ電気を使っていながら、「たかが電気」と言ってのける愚かさだ。我が家よりずっと低い消費量を示した上で言ってもらいたい。我が家は消費量は少ないが、たかが電気などと思ったことはない。むしろ大事な電気だからこそ無駄な消費はしない。

先に集団的自衛権について不要と書いた。それについて書いておくことにする。そのときも書いたが、私は中道よりやや右寄りの立場である。左ではない。また、法律に関する知識は大学受験程度しか持ち合わせていない。それも理系なので深くはないことを明記しておく。


まずは、憲法9条と自衛権の関係、さらに自衛権から集団的自衛権(国連との関係)、そして憲法との整合性を簡略にわかりやすく解説している記事を挙げる。

http://biz-journal.jp/2015/07/post_10761.html

読んだ方は憲法と何ら矛盾はない、むしろ国民を守ることができるいい法案だと思うことだろう。驚くことに、これを書いているのが弁護士なのである。今もって自衛隊を違憲としてその存在を忌み嫌いデモを起こしているどうしようもない人たちがいるが、そういう連中は放っておくとして、単独国としての自衛権は認められるのはほぼ現実的として、集団的まで拡張しようというのが今回なわけである。


皆が納得する例として安倍首相は日本人を載せた米艦船が第三国から攻撃を受けた場合をあげている。かつ、予測はだめで実攻撃があった場合としている。上の解説でも最後に引用されている。これだけならば大変ごもっともである。国連レベルの集団的自衛権をより限定した日本版集団的自衛権のできあがりである。

今まで誰も国会の場に上げなかった案をどうして首相がここに来てあげてきたのかまでは調べていないが、現時点の国際情勢では詭弁である。


米艦隊が例に出ているが英艦隊ならどうなのだろうか。日本はNATOに批准していない。日米安保と国連だけである。

国際的にというか国連的に認められている集団的自衛権では防衛で敵対する相手に対して参戦表明する必要がある(推進論者の人もこの点を把握していないのでは?国連の集団的自衛権というと聞こえはいいが、何のことはない第二次大戦勝利国を正義とした複数国による成敗で、それも利権が得られないと思うと、どれだけ市民が死のうが動くことをしない)。この日本版では果たしてどう処理されるのか、宣戦布告の無い集団的自衛権は果たして国連的に認められるのか、それがよくわからなかった。少なくとも幽霊みたいなわけのわからない主張に見えるのではないかと思う。(大体、国連なんてものが、その長が中国の軍事パレードにへこへこ出ていくような、かついつまでも大戦の戦勝国が強いままという全く公平中立的でない組織である。NATOにも入っていない中で安保に注力した小泉元首相は正しい。日本は自力か日米安保しかない)

首相の例では、想定は国内領域ではもちろん無く、国外のどこかでの活動ということになる。宣戦布告が要件であれば、交戦権の放棄とは矛盾する。つまり、外に出て行って武力行使を容認するということである。


首相の例を替えよう。遠くの国が他国によって侵害され、そこに米軍基地があり、現地在住の日本人が助けを求めて集まったとする。当然、自衛隊も防衛にあたる。しかし、どこまで攻撃をするのか。基地への攻撃を司令している敵国の首都の軍本部を叩くしかない場合もあるはずだ。艦船の場合は移動して攻撃可能域から離脱できるが、陸地はそうはいかない。もし、米軍と一緒に攻撃国の軍隊の拠点に攻撃するとなると通常の戦闘と何等変わらない。艦船の日本人は攻撃に参加して守るが、基地だったら守らないとでも言うのだろうか。

いや、それは米軍の仕事だ。そう思うかもしれない。しかし、自分の持ち出し負担は減らしたいのはどこも同じだ。米軍は属国の日本の自衛隊にお前も一緒にやれとどの道言ってくる。相手の立場に置き換えてみれば明白だ。集団的自衛権で仲間としてなら、一緒に行動を求めるのは当然だし、それができないのならのこのこ戦場に来るな、である。足手まとい以外の何物でもない。憲法9条容認の自衛権がここまで認めるものではないのは明らかだ。

実際にその例に似た状況を我々は見てきている。ウクライナ紛争だ。ロシアがロシア人を守るとして軍人をウクライナ東部に送り込んで平穏だった国を掻き回したのはつい昨年のことだ。それさえ国連やNATOは解決できないで泥沼化しているし、NATOの各国と米の足並みは揃わず、軍事行動はなし崩しになった。揃っていたら、米は米だけでなく地元のEU諸国にはっぱかけるのは明らかだ(米はブダペスト覚書で当事国。ウクライナはNATOに入っていないので米の集団的自衛権でNATO発動のはずである。国連では発動できない。ロシアが拒否権を使う)。


あちこちで世界の警察として活動している(好き勝手にちょっかいを出しているという方が正しいが)米が、実際のところ、米軍の手下として自衛隊を活用しないわけがない。海自は米海軍以上の戦略能力を持つとまで言われるが、同時に米海軍との一体感もよく話題になる。日米同盟合同練習でもわかるとおり、共同作戦の状態で戦闘行動が綺麗に分離するのは不可能だろう。作戦続行中に、作戦室で隣にいるのに、私らここまでなんで、ハイさよなら~、などと済むわけがない。国連だろうが日米同盟だろうが、ひとたび集団で行動を共にすれば、非武装後方支援以外はその戦闘の当事国であって、余計な犠牲を負うことに必ずなるのである。

私は国連を評価しないし、ましてその軍事発動については大国利権が絡むことがほとんどなので、そんなものに付き合って日本の大事な若者を犠牲にする必要はないと思っている。


私は今回の法案がはたして、国際的に本当に実のある形で認められるものなのか、拡大や暴走を抑制する手段がどこにあるのか、これまでの自衛権の範囲で活動するので十分なのでは、といった疑問が残るわけである。だから、必要ないのではないのか、本当に必要な事象が起きてからでも十分ではないかと思っている。

それに憲法改正は難しいから解釈変更で押し通そうというのもいかにもせこい。こじつけ解釈で何でもできるなら、もはや法治国家ではない。


人によっては中国があれだけの軍事パレードによる示威行動や近隣諸国への領地干渉している点を言うかもしれない。たしかにその中で日本人に危険が及ぶことはあった(軍ではなく暴動だが)。しかし、今回の改変案は国民の犠牲を防ぐためだけでなく、多くの自衛隊隊員を積極的に犠牲にする話で、もっとよくない話である。

他国にいる日本人を守るというのは本当に難しい(外務省は自国民を守る気は全くないようだが)。それは米にとっても同じである。結果的に大きな犠牲が出るかもしれないが、それと米の手先になって肩組んで他国を攻撃して犠牲者を自国と他国の両方に出すことを積極的に進める意義などどこにもない。犠牲を最小限にする努力をする。それしか有事では目指すべきものはない。

ここは憲法9条のこれまでの解釈でその精神を引き継ぐべきだ(第9条を持つような平和希求の憲法はおそらく日本だけである。残念ながらそのことは世界的には知られていない。左の政治家は是非世界に発信してほしいが今までそのような話を聞いたことがない。やるべきことをやっていない)。今回のはさすがに9条が泣くだろう。


日本は米の排除は難しいが、もう国連などといういい加減な組織も適当な付合いにして、世界的にもまれな自国の平和的自衛権を軸として歩むべきである。それは自衛隊を無闇に世界展開しない、無駄死にさせないということである。それに自衛隊だけでなく、海上保安庁の強化にも注力してほしい。日本の周りは海しかないのだから。



上海に住む日本人女性の話。これからすれば中国国民もそれほど愚かではない人も少なくない。問題は国民ではなく中共だけともいえる。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150908-00044729-jbpressz-cn


※※

永世中立国として有名なスイスは今世紀に入るまで国連に入っていなかった。現在は国連PKOに非武装で人道支援に積極的に参加している。NATOには加盟していない(パートナーシップに参加)。日本は時計だけでなく軍事もスイスに倣った方がいいように思う(徴兵制は不要だろう)。


※※※

この法案を出すように仕向けたのは米ではないかという考えは当然にある。やりとりはあったはずだ。無いのがおかしい。安保同盟国なのだから。では、それだけで押し通すことにしたのかというとそうは思えない。日本はオバマの原爆投下の謝罪(キューバ国交回復同様、オバマパフォーマンスと思うが)という大統領直々の事案を拒否している。言い返すことは可能である。また、国内が整わないと今回のような強硬路線はとりにくい。事実、共同戦線の公明党がずっと難色を示してきた。安倍政権内に強い思いがないと難しい。軍事と言えば石破氏。そして党総裁選で野田氏擁立を目指した。見事に潰されている。2人は犬猿の仲とよく知られている。首相の器の小ささもまた有名。徹底的に石破は不要であり、自分で国防を変えて見せるというつまらない見栄と(元々、自衛隊の拡大展開の論を張った石破氏のお株を取った形)、対話が成立しない駄目国家韓国は無視を決めているが、中国はそうはいかない。その中共への楔を目指したのではというのが今回の印象である。つまり、中国に対して弱腰のオバマ政権が見透かされているので、いつまでも米の後についているのではなく自分たちが前に出て、それなりの目に遭わすことはできるんだと示すため(負担が減るからオバマは反対しない)。が、真相はもちろんわからない。

外注さんの息子さんが私立中高一貫校に合格した話を昨年書いた(今年進学している)。そして、最近も高校生から大学新入生とそのご両親向けにYouは何しに大学へ? を書いた。ほかのところでも度々、海外にも目を向けた視点でいろいろ書いてきた。


日本の受験の世界では東大さらには東大理Ⅲを頂点とし、そこに何名送り込んだかを指標として受験校の名声を確保することが行われて来た。基本的に全国的にその傾向は依然崩れていない。灘や開成といった伝統的名門校はどう建学の精神を語っても永くその視点で運営されてきたのは事実だろう。

では、その優秀な東大出身者なり、京大出身者なりが日本をうまく導いてくれたかという点ではかなり疑問だし、個人的にはノーだと思う。とりわけ中央官公庁では東大出身者がはびこり、その保身にどれだけ企業や市民が理不尽に振り回されてきたかはわかっている。官公庁は原則、否を認めてはいけない組織だからである。責任は取らない。それは今回の五輪関係の騒動でも明白だ。そして、よい天下り先を見つけて退いて行く。本業の教育の改善をまともにできないのに、自分たちが生き残るためには矛盾するようなことでも平気で行う。

http://matome.naver.jp/odai/2144056354338544801


一方、日本のガラパゴス社会を避け世界に飛び出す傾向は僅かだが出てきている。東大も相手にせずとして。それは私立の中高一貫校から起きている。しかも名門ではない。

http://utsunomiyasoh.blog.fc2.com/blog-entry-249.html

中でも渋幕はこの3年間でプリンストンやハーバードなど海外に75名が現役で合格している。(私学が多いから、円安で授業料は年間200万から300万ぐらいか)

http://www.shibumaku.jp/mk-nyushi01/university/

こういう手筈を整えられる高校が存在することに少々驚いた。私立とは言え、それほど対応できる人材は多くないはずだからである。小論文(たぶんapplicationと一緒に出すessayのことと思うが)などのネイティブの指導者が居るということなので現地の業者を引き抜いたか何かだろうと思う。

この点については、予備校の方が対応が遅れているようだ。留学のためのシステムの準備はいろいろあったが、それはどちらかと言えば企業人向けで特に大学院(MBAや理工学)中心で、現役高校生への勧誘とか指導とかを行える体制はできてなかったと思われる。希望数も少ないし、それができる人材も東京あたりでも極く限られている。


日本という狭い世界を飛び出てやっていくというのは大変結構なことである。できればその後は日本に戻って来て先導してほしいところだ。それがなかなかこれまでないのは日本の社会、特に官公庁と大企業が閉じた対応しかしていないからである。わが社にも英米の有名大学の博士を持った人間がいたことがあるが、結局出て行かざるを得なかった。

グローバル教育とか言っても、文科省や日本の大学のほとんどおよび企業も見せかけで保身的で閉鎖的なところはそのままなわけである(まあ、海外の大学や行政にだってあるのだが)。まず、ここは将来的に改善は必要だろう。ただ、これだけで済むわけではなく、我々含む日本人社会の問題も根強く、それはまた別の機会に話すかもしれない。



さて、本題はここから。

以上は今まで言ってきたことと一致して賛成した意見を強化している形で話してきたが、私の主張とはまた違うというのを感じている。


では、彼らは何故、海外を目指すか。たしかに違う世界である。勉強も格段に厳しい。授業の後で数冊の分厚い原書を渡されて、明日とか明後日までにそれらのレビューとそれを踏まえた自身の展開案を示せとか当たり前にある。徹夜の連続になることは特別ではない。しかし、そういうことは別に自分で課してやれないこともない。大学に入ったのだから勉学に励むのが本分だ。

私には東大ではありきたりでつまらないからという面も少なくないのではないかと思えてしまう。すなわち、大学の世界ランキングがあるが、何のことはない、国内の偏差値ランキングを世界に広げただけで、自分は東大よりも上の世界的に名のある大学を出たと示したいがためではないかと思う。世界ビジネスのためにハーバードのビジネススクールに入って、MBAコースで世界展開するための仲間を見つけるとか言うなら、日本ではたしかに無理だが、理工系などの場合は必ずしもそれが最終的にアドバンテージにはならない。

(20ケ国のトップ企業の評価では東工大が東大などを抜いて断然トップで世界的にもトップ集団に入る。CalTechより上。北京大は冗談か。そんな実力者はみたことないが)

http://www.nytimes.com/imagepages/2012/10/25/world/asia/25iht-sreducemerging25-graphic.html


大学受験でも自力があればどこの高校だろうが関係なしに有名大学に進めてしまう連中がいるのは大学になっても同じである。センスもあってガンガン勉強していく奴には敵わないのだ。ただし、研究には予算が要るので、予算が多い旧帝あたりだとその面で変に苦労するのが省けるという利点があるので、これまで度々触れてきたわけである。


もともと、優秀というのは何なのか?知識の点ではたしかに試験で偏差値で評価ができる。しかし、高校までの学習内容は楽とは言わないが、それで現実に応用したり活用できるレベルには全く及ばないのである。実際に工業製品を設計しようと思えば、大学以上の数学や物理の知識はないとダメであり、さらに開発ではそれらを使いこなした上でアイデアを出さなければならなかったり、大学院クラスの進んだ理論を要求される場合もある。

大学受験範囲で世界的な研究ができるかどうか判断というのは外しが多いと思われる。世界的にもその傾向はみられて、数学オリンピックでは優秀でも大学以降の学問でぱっとしなくなる例が見られると言う。それほど、学問と高校の学習内容との間には開きがある。それは自分の大学時代を見直してもそう思うし、そう書いてきた。

また、医学部、それも東大理Ⅲ、京大医、慶応医に進んだ人たちの中には数学と物理では同級生に非常に天才的な連中が居て、敵わないので医学部にしたという人が少なくない。こんな形で医学部に進んでいる人たちもいるのは残念だし、それでもきちんと貢献してくれればいいが、学問的な研究ばかりで臨床ができず、天皇陛下の心臓手術では侍医としての面子のために順天堂大からゴッドハンドチームを無理に自分の病院に呼んで違う環境での執刀をさせておきながら、さも自分のところで実施したように見せかけた東大医学部は果たして存在価値はどうなのかと言われても仕方がないだろう(順天堂大学病院でやるべき。心臓バイパス手術なんて高度で微妙な手術を別環境でやらせるとは。人と装置を揃えればいいなんてものではない。うちの会社の東大出身者とまるで同じ。それを許した宮内庁含め、馬鹿さ加減に呆れた)。そういう組織をいつまで頂点として盲目的に崇めるのか受験生側も考えてほしいところだ。


渋幕とかが東大や東大理Ⅲも単なる1つの行き先に引き摺り降ろそうとしている点は東大頂点の日本社会を変える点で画期的なことと思う。それも、個々の私学の独自の教育方針で切り拓いたことに。非伝統校だからできた話でもある。膠着しかない文科省の教育行政に風穴を開けるだろう。が、その裏は単に東大の上に東大の替わりを探しただけとも言える点で本来の教育改善の視点からは疑問でもある。

多くの日本の大学の教育状況には問題が多い。しかし、本当に海外ならいいのかというのもある。海外の出身大学の名で有利にしなければならないなら頑張るしかないし、そこで教授職を目指し、よい給与と名誉を獲得するのもいいだろう。ブランドはどうでもいいなら、大学での研究やその後の仕事で示すしかない。それは必ずしも海外である必要もないだろう。

国内でくすぶっている研究者へのエールと国内の大学の質向上への意味も込めて書いてみた(文科省に期待は不可能。独立行政法人として個々の大学の運営に期待する)。



いかに米国の大学院、特にビジネスコースが異なるか、以下を読めば理解できる。日本とはまるで違う。

http://toyokeizai.net/articles/-/88416

今世紀になって地方再生の1つの手段とみられているのがアニメとの連携である。

おそらくその先駆けは『らき☆すた』の埼玉県鷲宮町(現久喜市)ではないかと思う。アニメにかなり精密な町の再現場面がある。そして、現時点で最もその成功例とみられるのが『ガールズ&パンツァー』の聖地、茨城県大洗町である。ここでのアニメでの町並み再現の精度は非常に高い。そのため巡礼者も多いようだ。ほかには『けいおん!』の滋賀県豊郷町などがある。

現在のアニメとは違うが『ゲゲゲの鬼太郎』の境港も成功例と言える。アニメに拘らなければ、ウルトラマンの生まれた祖師谷などもある。


大洗町の成功は何かというと、実はアニメだけの話ではない。ここに1冊のインタビューをまとめた本がある。

 『ガルパンの秘密』

本書によれば、如何に町おこしとして『ガルパン』に期待し、かつ町民がその支持者として巡礼者と同列になっていったかがわかる。彼らは巡礼者を同士として扱っていくようになるのである。単にお金を落としてくれるお客という意識ではない。そして、製作者側も町側もどちらも、復興としての意気込みはあったが成功するかどうかは未知数だったという。


逆に失敗の代表例としてNHKの「クローズアップ現代」でも扱われたのが『輪廻のラグランジェ』である。数学と物理学に長けたフランスが誇る歴史的天才ラグランジュ(本来の発音はこちら)は自分の名がこんな形で使われるとはさすがに思わなかっただろう。千葉県鴨川市が大映の怪獣映画『ガメラ対ジグラ』ではとっくに効果が切れたのか、アニメとの連携を試みた。しかし、大洗よりも都心に近いにも関わらず巡礼者はほとんどいないらしい。


成功した事例を見ていると以下の要件が外せないように思う(最後のは補強的意味合い)


・アニメそのものが質と人気が高い(ファンが没入できるキャラクターと展開)

・町、巡礼者、製作者の同士感

・アニメと同じ町の雰囲気づくり

・近隣に大都市圏があるかアクセスがある程度よい

・定期的イベントの継続

・他の組織の協賛(『ガルパン』では陸自が協力)


ただ、聖地といっても最長でも10年に満たない。長年続けていくとマンネリ化や終わったコンテンツとみなされてどうなるかわからない(『けいおん!』は既にそうみなされている模様)。トレンドの変化や今、巡礼をしている人たちが高齢化したとき、次の世代に果たして同じように響くかどうかはわからないのである(『ゲゲゲの鬼太郎』は少なくとも3世代から4世代はリメークされている特異な例と言える)。他の町がアニメによる町おこしを考えた場合に成功のためのアドバイスがあるか、と訊かれた大洗の人や製作者も全員、わからないと答えている。


町の活性化の指標として、このインタビューでは特に指摘されていないが、アニメによって人口減が鈍ったかどうかが重要と思う。ガルパンのファンで大洗へ移住した人がいると聞くが、今のところ、人口減が鈍った感じはない。まだ聖地巡礼が始まって日が浅いので早計なのはたしかだが、景気の問題だけでなく、人口減をいかに食い止めるかが自治体運営では今後重要である。聖地化でそれが鈍化するとか逆転するとかまでの勢いが得られるかは今後の経過によるが、厳しいだろうというのが予測だ。観光によって支えられる数はそれほど多くないだろうからである。(大洗町の規模なら可能か)

縁結びで有名な出雲大社は昨年は800万人の観光客があったが、それでも大きな都市になる気配はない。あれだけ有名な『幸せの黄色いハンカチ』でさえ、夕張を元気にはできていない。大林監督の尾道三部作も、その後のアニメ『かみちゅ!』も尾道の衰退を止められない。『北の国から』は富良野を全国的に有名にしたが、それだけではやはり厳しく、ラベンダーの展開や丘の町美瑛との連携、さらには『風のガーデン』と継続的な展開を必要としている。それでも富良野の人口は減り続けた(今年やっと止まっている状況)。地場産業の農業主体の観光でもやっとこの状況。やはり強い生産的産業がないと厳しい。


上記のようにアニメで町おこしを自分の故郷に期待することは難しい。まず、再現する価値があるほど商店街が残っていないし、多くの産業住宅はすでに更地になっている。つまり町がもうほとんど姿を保っていない。大都市からのアクセスも悪い。残された高齢住民がアニメファンと同士感を持てるかどうかもかなり疑問である。大洗のこの対応をできるかと言われれば心許ない。

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20130522/E1369153531767.html

正直、私自身、アニメファンと仲良しになれるかというとその気がしない。アニメを毛嫌いなどしていないが、巡礼するほど入れ込むことはちょっと考えにくい(大洗でもファン層の行動が不安視されたが、ファンのマナーの良さに驚いたという。ボランティアをする人もいるという)。


私見では、アニメ、という時代を反映しやすいものでの町おこしは本質的に無理と思う(映画が衰退したようにアニメが衰退しないという保障も無いし、別のものが流行するかもしれない)。一時的には可能であっても永続させていくのが難しい(その町の産業がアニメになっている場合は別。『銀の匙』など)。町役場への意見箱にこれも意見として出そうかと思ったが、どう考えてもこっちでの成功は望めそうもない、別のもっと地に足がついた方向で考えた方がいいとの結論となった。

アニメ1話30分として製作に2千万円かかるそうで、何話にするか、その他宣伝やグッズ販促などの活動経費ほかを考えると小さな自治体では決して負担の少ない事業ではない。

もう1つ。今の倍もの人口があった昔に戻ることが本当にいいことかも疑問である。これからは少ない人口でゆとりのある土地を持って優雅に暮らすような考えで田舎町としての生き残る道を考えた方がいいだろうとも思っている。都会ではなく地方で生きていくこととはそういうスタイルだということだろう。



聖地巡礼についての取材が別にあった。

http://diamond.jp/articles/-/71868

この場合は地場産業との関係が強く、見込みは高いが、さらに後継ぎまで得られるぐらいになると自治体にとっては大きいだろう。


※※

本ブログはアクセス数は少ない。記事を挙げたときは上がるが、通常は30とか40程度(これでも当初の10倍なのだが)。これまで村上春樹関係で200前後をうろつくのが大体限界。それが400をあっさり超えた。しかも、この記事の閲覧数が251に対し、その次が9。いかに違うかがはっきりとわかる。こんな桁外れ現象は初めて。恐るべきアニメパワーである。(『ガルパン』はYouTubeで部分的に見ただけだが、よくできていて面白い。人気があるのも理解できる。が、DVDやグッズを買う気にはなれない。それより欲しい国内外の専門書籍が山ほどある)

なお、『ガルパン』で最もウケたのは黒森峰という高校名。ドイツの戦車が多いが、まさかシュバルツヴァルト(現地に行くと黒く深い森をたたえた山地がある。その東にはドイツアルペンスキーの聖地ガルミッシュ・パルテンキルヘンがある)をネタにするとは思いもしなかった。こういう気の利いたセンスがあちこちにあるのにはとにかく感心した。製作者の力量と手抜きの無さがよく伝わって来る。

一番魅力を感じる登場人物は西住まほ。MVPらしい雰囲気だ。

https://www.youtube.com/watch?v=fSnTaRHYpyA

自分はやや右の人間だが、かと言って、集団的自衛権を認める気はさらさらない。そんなものの必要性は未来に進んで振り返ったとしてもないだろうと推察するし、現憲法に対して全くの違憲である。当然、反対デモが発生した。


一方、この時期、原爆被災慰霊の式典や終戦記念日でのメディアの取り上げ方にはNHKや朝日を筆頭に、産経にしろ何にしろ強い違和感をいつも覚える。今年は母や叔父の初盆でそれどころではなかったが。


戦争のない平和な世界を目指そう!といつも報道されるが、第二次大戦終結後、世界全体を見渡して、国家、宗教、民族といった間で紛争がなかったときなどたぶん1秒たりともないだろう。常に何らかの紛争や内戦もしくは小さな犠牲を伴った緊張状態(現在の南北朝鮮のように)が世界のどこかで続いている。

原爆被災者の語り部も高齢化して、継承が難しくなっているのはたしかだが、それと「平和の尊さ」を説くのとは別次元だ。平和の尊さを思うなら、現在の世界にある内戦やISISが幅をきかしている地域とかにいけば誰でもわかるし、その取材に注視すれば十分だろう。今でもウクライナ紛争は終わっていない。日本の平和こそ本当の平和でほかの国のはそうではない、などというわけでもあるまい。

話せばわかる、などという絵空事が通じるところはどこにもない(本気で思っている議員は実際にISISと交渉して人質解放の努力を見せるべきだった。まず、実績を作ってから言ってほしい)。停戦や休戦はあくまで交渉でぎりぎりの互いの利益の妥協探しに過ぎない。

日本の中で、いつまでも第二次大戦終結時点の意識で戦争の悲惨さとか言っても、現代の複雑な社会情勢の中で生じた紛争被災とあまりに違うのでピントがずれている。それに日本の平和のことしか触れないが、それこそ世界の平和からの離脱だろう。自国だけで平和が閉じる時代ではない(それがそのまま「今回の」集団的自衛権の正当化にはならないが)。


現在の日本だって、平和と思ってる人がいたら大笑いである。常に中国は尖閣を狙って潜水艦などをしかけてきているし、外交含めてアメリカにも揺さぶりをかけている。その結果、韓国は中国の属国に実質的になった。日本がロシアでなくアメリカの属国となったように(戦後、日本が本当の意味で独立国になったことは一度もない)。ロシアも北海道空域や海域へのちょっかいは定例行事である。彼らはそうやって、自衛隊や海保および官邸との連携や外交とのリンクの度合い、果ては日米ホットラインの動きを見極めるためにやっている。そして、いざというときにはどう攻めるか常にシミュレーションをしている。でなければ、中国やロシアの軍は何のためにいるのか。それが彼らの仕事なのである。

それは当然、自衛隊や駐留米軍にもある。そういった揺さぶりからどうやって自分たちの実力のほどを見せないようにするか、そして、いざというときへの対処に余念がない。


我々が平和と思っているものは、すでに陸海空の自衛隊や海保の防衛の上に成り立っている話であり、核拡散防止条約はあったにせよ、基本的にどの国も軍事力ならびに勢力圏の維持もしくは拡張を目指している。それらに対抗するには技術や経済的な礎がなければ困難だ。アメリカなどは古い自国の戦争機材を更新するために、それらを体のいいようにサウジアラビアに売りつけたりしている。軍事はそれ自体、大きな経済活動でもあるのだ。


左の脳天気さもさることながら、右と言っていいかどうか、自衛隊ファンの類も困ったものである。最近はアニメから自衛隊ファンになっている人もおり、捉え方がやはり軽い。もともとの自衛隊ファンもどちらかと言えば装置オタクの人種は困りもので、いろいろ見学会を通して撮った画像や動画をSNSですぐ発信したりする。それがどれほど中韓にとっておいしい情報か配慮しない。自分がオタクとしての地位を高めるためには自国を危険に晒すことを何とも思っていない酷い連中である。

防衛省にしても国民への自衛隊の理解は必要だろうと思っていろいろ行事を組んでいる。それは間違ってはいないがやり方を考えないと自分たちの首が締まることになる。何せ、見せてる相手が何も考えていないのだから。


現代はまずは情報戦だし、そのための高度な設備や装置が要る。システムと人員体制も要る。昔のような戦争のやり方とは違う。テロ撲滅にしても同じである。すぐにドンパチやるのは愚の骨頂。その前の情報戦と外交戦がほとんど全てを決めると言っていい。ドンパチ機械の充実重視で予算増強や自衛隊支持を声高に叫ぶ右の人は左の天然平和ボケへの反動としての天然軍事ボケと言えるだろう。大体、安保があるといって、どんな状況でもアメリカが日本の味方をしてくれるわけでもない。有事では国の対応はころころ変わるもので、それは先の大戦や現在の各紛争での欧米やロシアの言動を見ていれば簡単にわかることである。つまりは自国は自分たちで守る以外にないのだ。

日本は衛星技術での遅れを取り戻そうと宇宙開発で頑張っているが、これとて災害対策のみならず、国防上も有益である。この方面の技術開発は重要だろう。


平和は庶民には目に見えてはいけないシステム化された防御(見えるようなものはすぐ隣国に制御されて無効化される)があって成り立つものだ。家庭を親がきちんときりもりして子供が余計な不安を抱くことなく過ごせるが如くに。天然ボケの平和主義者(日本より相手国にアピールしてもらいたいものだ)や軍オタこそ紛争地域で身を持って自分の愚かしさを知ってもらいたい。そのまま消えて頂いても結構。日本の国民の平和のためだ。