少子化で大手予備校も大変なご時世になっているが、それでも医学系の人気は依然高いようだ。
http://dot.asahi.com/wa/2014041800029.html
故郷で医者を目指した3名を知っている。1人は高校は名門私立にと町を出て行った。合格したかどうか知らない。もう1人は高校の先輩で3浪して合格。2人はどちらも教師の子息。もう1人は金持ち自営業の息子で私立歯学へお金を積んで進んでいる(いわゆる裏入学)。
医者を目指そうと思わなかったのかと訊かれたことがある。同級生だったり、ご近所だったり。
思ったことが無いわけではない。難病で寝たきりの伯母が居た。意識はちゃんとしてるが喋ることもままならなかった。小さかったが、伯母とのやりとりを覚えていて、自分はこういう病気を失くしたいと真剣に考えたことがある。しかし、途中からできる気がしなくなった。
たしか小学の理科でアサリやカエルの解剖をした。臭いがダメだった。血を見るのも平気とはいかない。それらは今でも変わらない。ホルマリンとかアルコールの臭いに長時間晒されるのも耐えられそうにない。病院が好きな人はそういないだろうが、病院への長期滞在は嗅覚や視覚的にきつい。
それに、もし、患者を救いたいとして自分が手を尽くしてダメだったとき、耐えられる自信が全くなかった。いくら手術や処方の腕が上がろうが、手がけた人全てを救えるはずがない。そのとき患者やその家族の人生が自分の腕にかかってくるとなると自分の神経では無理だという気がした。
だから、成績がいいから医学部を目指すなどというのは全く信じられない話だし、思ったこともなかった。
先に、親類が孤独死して司法解剖されたことを書いたが、今考えなおしても自分ができる気は全くしない。立ち会うまたはその遺体を直視することすらできないだろう。医者になるための解剖実習の大変さは以下に十分記されている。
http://ncode.syosetu.com/n8651bb/12/
http://dot.asahi.com/aera/2014042400046.html
これらの書いていることを読んで、頭がいいからとか、本気で難病を克服したいと思えばとかで許されるような気がしない。母の遺体も一部は病気で酷く傷んでいて、死後、急速に表面に出ていた。遺体というものに初めて直面して、やはり自分には何かできる気がしなかった。小さい時からこのような状況に慣らされていたなら違っていたかもしれないと思えるだけだった。
大学の医学部が高い成績を要求しているのは事実である。しかし、成績がいいから医学部という論理も制約もない。
なぜ、医者の親類や知り合いもいない学校の先生が子供を医者にしようとするのか全くわからなかったし(その後の派閥の医者同士の付き合いに親としてうまく対処できるのか)、子供自身が特に強い意識を持っていないならなおさらのこと意味がない。成績や収入で有利そうな医者にでもなろうかというのだけは馬鹿げている。
医者に向いている資質はむしろ違うところにあるようだ。
http://www5f.biglobe.ne.jp/iyatsue/nicepeople.htm
医者に向いていないと思った過去の自分はどうしたか。
得意の理工系で医療機材の技術開発に貢献するのがいいだろうと考えた。そういうところを実際に検討もした。けれども、仕事内容に何か違うと感じ、結果的に今は全く違う世界に居る。
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医者の世話にならない健康な生活を送るには何が重要か?それは「家」と「食事」と「規則的な生活」(運動含む)である。後者2つは言うまでもないだろう。問題は「家」。この認識のあまりの無さには驚くばかりだ。
マンションでもいいが、1年を通して肉体的に温度差負担の少ない家は重要だ。血圧が安定し、臓器負担が減る。新築した家で健康になったとか持病が緩和した話はときどき聞く。私も現在の家でまったく風邪をひかなくなった。決して一年中一定温度である必要はない。夏も冬もそのまま外にちょっと出るには問題ない格好で、屋内では快適に過ごせる温度にできればいいのである(除く風呂場)。そうすれば外出による肉体的負担も緩和できる。さらに家の資材費用とエネルギー節約を両立できるはずだ。