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An Ulterior Weblog

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Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

予算配分上、五輪と関係してるのかもしれないが、終わった翌2021年度から大学入試の共通テストの英語試験が大幅に変更予定と知った。昨年、受験を手伝った関係先のお子さんの大学受験時に絡む。

そのお子さんが受けるときは2020年度で現行のリーディングとリスニングだが、2017年から試行テストを行い、2021年に実施という計画になっている。新たにライティング、スピーキングを加えていく方向のようだ。そして、TOEFLの活用も検討するという。


試験内容が大きく増えるから、英語塾(学習塾とは別種)からTOEFL対策をした方がいいと言われたという。その塾でそのうち対策コースを設けるはずで、焦らせる作戦のようだ。なぜなら、文科省はTOEFLをそのままやるとは一言も言ってない。もし、日本人の大学生の英語力を上げるためにTOEFL全面導入なら、なぜ80年代からやらなかったのかと非難される。それは責任を取らない霞が関として絶対に避けなければならない。

さらに、TOEFLは民間業者でやっている。しかも米国だ。米の大学に行くならいざしらず、日本の大学までTOEFLに合わせる意義は日本全体としてあるのかという問題もある。イギリスでさえTOEFL採用を今になって取りやめたぐらいである(裏は国策と思われる)。だから、独自の試験を検討し始めるとしたわけだ。TOEFLは換算対応か、大学によってはそのまま得点採用するなどの対応になると思う。


これで、英語教育はかなり変わるだろうが、うまくいかないはずだ。外見的には見栄えのよい英語使いが巷にも溢れるだろうが、実質は中途半端な実力でとどまるだろう。何より、これだけ負担が増えると高校、中学、そして小学から脱落者が噴出する。勉強嫌い英語嫌いが増えるだけ。世界に通用する英語教育は大学以上でやるべき。中学では最低限、生活上の会話ができるものを教える程度で十分。

高校どころか大学も全入の時代、高校、大学ともにまず整理すべきだ。高校以上で本格的なリーディングを行い、大学で世界に通用する英語が使えるように教育していくのが筋だ。中学を出ていれば、拙いながら会話はでき、高校を出ていれば、多少の英文テキストを読んで書け、大学を出ていれば世界の人とやりとりすることができる。それはネットでチャットをするのとは別次元のものが要求される。

現実は何より、企業から選別された留学者のTOEFL予備校での成績(彼らは集中的に勉強した上で予備校の2,3週間長期缶詰コースに入り、仕上げで受検)はそれほどでもないし、留学から戻ってきた人の英語力が大したものではないことは周囲で確認済である。どうして留学でこのレベル?というのばかりである。昨年ノーベル賞を受賞した中村さんの英語はそのいい証拠。それぐらい日本の精鋭が頑張ってもうまくいっていない。TOEFLやTOEICの対策ばかりでは意味がないと言い続けているのはこういう事実背景の下でのことである。(私は留学経験なし)


前にも書いたが、日本人が英語ができないのはその必要性がないからだ。人によっては学校出てから一生、外人と話すこともない中で英語の力を確保し続けるのは無茶な話である。だから、どんな教育に変わったとしても使う場が無いのだから、維持改善のしようなどない。

この前は香港の話を書いたが、今、世界が注視しているパリだって、大学生で英語がしっかり使える人間は驚くほど少ない。フランス人の英語の酷さはつとに有名だ(発音は日本人並みに酷い)。日本学生とほぼ同様の人も少なくない。フランスでは英語無しで全く問題ないからだ。逆にアニメ人気で日本語の方が達者だったりする。

私にしても、論文を読むとか出すとかネットから海外の技術情報を得るとか、特許関係とかで使うことがあるから、毎日それなりの時間を割いているだけの話で、その必要がない同僚は英語力は下のままだ。英語の稼働率は私でも恐ろしく悪い。2、3%もあるかどうか。そのために学習に一杯時間を割くことは本当にいいことかどうか、文科省も国民も考え直すべきだ。我々の社会では英語ができないと食うに事欠く社会ではない。本当に自在性と正確性を要求されるのはわずかな人々だ。(ノーベル賞受賞者の益川さんは英語を捨てたことでは有名)


日本語と英語は親和性も悪い。アフリカあたりの言葉とは良いと言われてるようである。ロシア語も英語と親和性は低い。よって、ロシア人も習得に時間が多くかかる。それは自分を省みてもそう思う。多少効率を上げても、何だかんだと社会人になって以降、TOEICに見切りをつけて10年ぐらいはやった。それぐらい平気でかかるし、通訳なんて人は毎日朝から晩までびっちり英語英語でも1人前になるのに10年はかかる。それぐらい身に付きにくい。それをよく把握した上でどこまで身につけるか考える必要がある。


いま中学2年以上の世代はたしかに大変だ。浪人にでもなったら、一挙に試験内容が変わり、点を得にくくなるのは確実だからだ。全国の高校でそれらに対応するのも大変で、先生方も参ったというところだろう。今になって自分の能力以上のことを要求されることになるからだ。しかも4能力全方位となるとそれに対応した教育環境を用意したり提供できる学校や予備校といったところが圧倒的に有利になるようなことが起きるだろう。

私学の有名進学校ではもう対策を始めているかもしれない。ごく一部は大学から英米の有名大学へ送り込んでいるところもあるので、何を今更といったところだろうが。(大学からずっと英米で過ごしていれば英語力はかなりのものになるが、人も変わる。日本に戻ってきたときに日本社会では特殊な振舞いをする彼らを受入れる企業は少ない。向こうで骨を埋める覚悟があるかが重要)


関係先の人から、ときどきでいいので息子さんあてに英文メールを送ってほしいとお願いされた。あんまり無碍にはできないので、たまにならということで承諾した。すでに1通送付してるが、見せるタイミングをはかっているとのこと。



なぜ、TOEFL、TOEICといった試験と実力に齟齬があるのか。それは国語の試験や漢字の検定と、実務上の種々の文章書き(編集者、記者、言語学者など)の素養と関係があるかというのと同じである。試験はあくまで他人が他人を測るために便宜的に作ったもので、強制的に相手にこちらのやり方に対応を求めるという限定性にある。枠がはめられていて測定に限界があるということである。あくまである面でのスクリーニングを行っているに過ぎない。300点とか400点では何にしろ全く話にならないが、900点はなる。しかし、実際の業務レベルはもっと先にあり、その内容を問うてはいない。だから試験対策が効率的で功を奏するわけである。そして指標としては序列的で有用だということである。

いや、そんなことはない、ちゃんと相関はある、という人は、目の前にある英文をとことん理解できていると自分が納得できてるかどうかを問うてみてほしい。私は今もよくその点ではため息をついている。

TOEFLをもとにTOEICのひな型を最初に立案したのはある1人の日本人だが、私はTOEFL、TOEICともに評価しない。日本の英語教育に改善は必要だが、これまでの大学入試の良問を、そしてそれを解けるように実力を涵養することを支持する。社会人で安くリーディングとライティングの評価をしてもらうなら、今はZ会がいいかもしれない。いつの間にか院試対策コースまである。

http://www.zkai.co.jp/ca/daigakuin/index.html


※※

周囲に有名難関大の院卒とかごろごろいるので大学時代の周囲の様子を訊いてみた。難しい入試を突破した連中なのに、やはり大学の中で英語ができるという人間はみかけなかったという。理系だからというのもあるのだろうが、いても1人とか2人ぐらいの様子。私学あたりは帰国子女がいたりするが、彼らを除くとまずいない。数年前に京大修士で入ってきた人間に訊いても同じだった。

それじゃ、現状の入試問題を解けるよう努力しても意味がないように思えるが、実は違う。入試問題が解けるようになったら、そこからガンガン読んで書いてということをしないと使えるようにならない。出発点に立ったに過ぎない。英語は日本人には染み込みにくいので、とにかく毎日の練習が要る。それを実行する基礎の一つの指標が入試問題だ。問題が解けるということに留まらず、その先へと進まないと使えるレベルにならない。読んで書いて、それらを面倒がらずに普通にやれるようになれば、ネイティブとのコミュニケーションはとれるようになるはずである。絶対的に日本人は練習量が足りず、それはオツムの出来ぐらいではカバーできないようだ(やりとりする中身は違うだろうが)。


※※※

今まで日本で一番英語を使った場所はどこか?国際会議場とか除けばダントツで旭岳ロープウェー。成田空港以上。オーストラリア、ニュージーランド、果てはスウェーデンからとバックカントリーをやりに多彩に人が来ていて、乗客の半分近くが白人だった。食堂もそうだった。常連の日本人の話では、これでも減って一時期は8割が白人だったという。どこの国かと思う状況だったと。彼らはあいさつぐらいしか日本語ができず、英語は問題なく通じた。カムイスキーリンクスにもたくさん来ていた。南半球から来た人たちの話では、あと富良野にもよく行くし、一ヶ月バカンスを取っているので、ニセコやトマムにも行ったりするという話だった。冬、北海道にスキーに来て、彼らと話して英語の腕を磨いてみませんか?(ホントに白人、多かった)


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分野限定と言えるがこのような日本語が強い世界が実在する。

http://togetter.com/li/944766

先般、特許英文で苦労した話をした。正式な文章としてやりとりがなされる中で現地のネイティブ代理人に自分の英文がそのまま使われる可能性は十分あるので、いくつもある辞書の中でも今回の目的にあったものを何十冊とある辞書から選択して使った(こういうときにメインで使う辞書の見直しなど図る)。電子辞書はそのサポートとして使った。


今、多くの人は電子辞書を主に使っているはずだ。今回の特許の件で電子辞書を使った割合は3割にも達していない。それも最初に使うことはなく、確認のためや、紙の辞書になかった場合に使う。主に使っている英英や英和(和英は今回のようにきちんとしたライティングが要求されるとき以外ほとんど使わない)が古く、電子辞書に入っていないからだ。

どうしてそんな辞書ばかりかというと自分の言語感に合っているものを探して集めてきたからにほかならない。例えば、大ベストセラーにしてロングセラーだった研究社『英和中辞典』は異なる版でいくつか持っているが、使うことは今はまずない。語法については別の辞書を使っているが、これも絶版でもう手に入らない。そういうものばかりである。


新しい辞書が自分が英語を使うときに役に立つということは滅多に無い。新語はもちろん電子辞書にしか載っていない。場合によってはネットで調べたりする。しかし、言語は新語ばかりで構成されるものではない。今の中高生の言葉は理解できないが、その必要はないし、私の実務上は何も益しない。ファッション関係の仕事とかしていたら別だろうが。。。まあ、使いたくもない。それと同じで、自分の関係ではきちんとした日本語が要求されるし、英語についてもそうだ。流行り言葉など全く関与しない。

むしろ傑出した編集者が精魂込めて作った古い辞書ほど英文に慣れてくると有益だと気づくようになる。特に最近の辞書は巨大コーパスを使い、非常に科学分析的に用例を分けて意味を整理する。当り外れがない精確なものが多い。その代わり個性がない。私の場合は逆で、編者に特徴があり、その辞書がまた大変でもあり、楽しくもある。


例えば、今は大きくなったオックスフォード系の有名な辞書、PODやCODは古い版では少ないスペースに押し込んでいる関係で発音を別表記していない。見出し語にそれらの辞書特有の記号を施して発音を表している。それに当てはまらない特殊な単語だけに表記されるだけである。それについては最初の使い方などに説明されているのだが、読みもせずにPODやCODには発音が記載されていなくて使えないなどという愚か者がときどき居る。(昔のCOD、PODを使いこなすのは容易ではない。私もとても使い切っていると言い切る自信はない)

また、複合語(この前の above-mentioned など)とか連語などは大元となっている語(先のでいえば above のところ)にまとめて埋め込まれていることがあり、その場合、見出し語としてあがっていない。それで、見かけなかったとしてこれこれの辞書に無い(だからよくないと示唆)と平気でネット上に書いてる者も居る。こんな人は1冊としては最大の語彙数を誇る三省堂のグランドコンサイス英和もボロクソに言うだろうと思う。

それに、よく指標とされるのが見出し語数。これの出し方は出版社によるが、収録語数としたり、収録語句とか、収録語義などというのもあったりして、引っ掛け的に大きく見せることもある。だから、同じ20万と言っても中身がかなり違うことがある。そういう区別がつかない人がいる。数字しか見てない。

どれも、辞書の個性の前の段階の基礎的なところで踏み外してしまっている。


驚くのは、これらの人が英語や辞書の初心者かというと、英英とか使うくらいだからそうでもない。いくつも辞書を持ち、英語が大事だと一所懸命に努力、学習しているようなのである。これらの人に見受けられる上のような発言の根源は

 ・自分のレベルをきちんと押さえることができてない

 ・使いやすいかどうかしかなく、理解できないものは辞書の方が悪いと決めつける

  (比較論だけで、その辞書の絶対的な価値を判断できない)

 ・辞書をよく理解して使い込もうという考えがないか努力をしたがらない

の3つと思う。辞書を比較し、中には貶す人もいるわけだが、今一度自分の実力を省みた方がいい。


辞書を作るのは想像絶する作業で、並大抵の神経では続かない。どんなに注意深くあっても、いろいろと間違いが入ったり、使いやすさが今一つとかいうのは起きるのは仕方がないことである。ただ、それが問題というよりは、使う人たちがそれ以前のレベルにしかないことが圧倒的に多いように思える。古いPODやCODなどは慣れないとほんとに使いにくいが、編者の言語感覚に共鳴できると別の世界が開ける。そこまで辿りつくには使いこなしていくことももちろんだが、それなりに英文に慣れて蓄積もそこそこないと感じ取ることは無理だ。This is a pen. というようなレベルで英英辞典なんか使えないのは明らか。最近の辞書は認知科学的に使いやすくなっているし、親切な作りだが、無色透明で個性がなくなっている。それが却って英語力向上の阻害になっている気が最近はする。電子辞書を使っているとよくそう感じる。一方、味のある辞書はとっつきにくい。でも、面白く言語感覚がつく感じがある。世間的には後者の流れはないようだ。少なくとも、普通ではない辞書を使って、あなたの英語力をこういうレベルに上げてみませんかという話を見かけたことはない。

辞書は人を選ぶ。



レベルの高いところでPOD5版について以下のまとめがあった。ここでの指摘は正しいと言える。

http://togetter.com/li/80151

ただし、効率主義的現代的合理性の視点からすればの話である。学習者に寄り添ってないものは使い物にならないという強い批判のように見受けられる。最新の辞書のほとんどはこの視点だろう。悪いとも思わないし、厳しい出版事情の中では仕方がないことでもある。けれども私はもうこの視点には立っていない。多くのベテランで評価の高い翻訳者たちもそうだろうと思う。いや、もっと別次元の視点かもしれない。それは私にはわからない。私の辞書の判断の視点は言わば独自のオーラがあるかどうかということになる。そういう辞書は少ないし、使ってみないとなかなかわからない上、世間一般の評価とまず一致しない。

ただ、言葉の奥深さに魅入られると誰でも行きつく先は決まっている。Oxford English Dictionary(OED) 全20巻だ。私は持っていない。英語でメシを食べているわけではないので。


※※

今回、主体で使っていたのが LONGMAN の辞書群。LONGMAN と聞いて、西城秀樹を思い出す人が多いかどうかは定かではない。今だと、TV版ちびまる子ちゃん世代の反応の方が大きいか。

この週末は、パリ同時多発テロ一色だった。


シリアからの難民受け入れで揺れている欧州、とうとうその流れに乗ったテロが起きた。

国際軍事的には、難民やボランティア、場合によっては医師や被害者を装ってスパイやテロリストが紛れ込むのは全くの常套手段である。だから、今回の難民の流れに沿って、どこかで大きな事件、もしくは情報作戦的に暴露される暗躍事件がいずれ表に出てくると思っていた。

ただ、その矛先が難民の目指すベルリンとは考えにくく、EU経済の中心フランクフルト、ロンドン(2005年に一度起きている)、あるいはEU本部のあるブリュッセルあたりと思っていた。国連のあるジュネーブやウィーンは世界的反感が強くなる可能性があるので無いだろうと見ていた。


パリとは思わなかった。警備体制が強化されていたからだ。フランスの諜報活動がそんなに低いはずはなく、事実、被疑者たちの動きを一部追跡はしていた(どこまで知っていたかは絶対にメディアには明かさない)。それでこのような事件が起きた。なぜ?フランスは人権にうるさいからなのか?よくわからない。さすがに現在のアメリカやイギリスではここまでの拡大はできない程度に事前に潰す工作ができただろう。


しかも、今回は少し様子が違う。実行犯もしくは共犯に生粋のフランス生まれがいるようで、ネットで感化されて加わったようだからだ。おそらく、貧困とか格差、若者の失業率の高さなどといった背景が大きい影を落としていたものと思うが、このことは我々のすぐ隣りにテロリストが居るということが絵空事ではなく、今後はあり得るということである。必ずしも生粋のアラブ系、ペルシャ系の人たちではない点が異なる。彼らは戦地に行かず、自分の居場所を戦地にするわけだ。


シリアのアサド政権を支援しているのがロシア。プーチンはずっとアメリカを敵視している(チェチェン紛争で見るようにイスラム教徒にも同様)。EUにもほぼ同様だ。裏で手助けしている可能性も十分にある。カラシニコフが使われた点もそれをにおわせる。

このテロが起きた本当の原因はシリア問題を早期に解決しなかったことにある。つまりはオバマが何もしたがらなかったからだ。そこへ持ってきて、影響力を広げたいプーチンが動き始め、慌ててオバマが動き出すといった先読みのできない無能さによるものだった。


こういうテロは日本ではたして防げるのか?おそらく完全には無理だろうが(韓国政府による金大中氏誘拐事件があっさりできる国だ)、何重にも防衛線を築いて、そのどこかでひっかけるしかない。ただ、一番効果があるのは武器調達を防ぐことである。爆弾製作は国内で可能だが、同時多発テロを行うには、製作に場所と技術と時間がかかる。銃器と同様に密輸の方が短期決戦に向く。パリの事件はそのようだった。陸続きなのでそれは容易い。

今回の事件の効果は連続性にある。同時に次々というのが恐怖を増大させる。単発では限定的だ。だから、日本でも一番最初は単発でも、すぐに同時多発か連続させることを狙うだろう。

そうであれば、日本の場合、少しは密輸対策で防ぎようがある。全く違う形でのテロ行為なら別である。電力や水道などを使った生活麻痺や薬毒殺人といったものだ。今のところ、供与されている武器が銃器や爆弾だからこういう事件になっているに過ぎない(テロには必ず武器と資金の提供者が居る)。


それにしても、キリスト教系大国による攻撃とイスラム教系国による反撃の対立的構造(難民と受入れ国民との軋轢も似た構図)は終息するどころか、米国の弱体化でますます激しくなってきた感じだ。

仮定の話だが、もし、欧米を弱体化させ貶めるためにプーチンがFSB(旧KGBと同義)を使って、旅客機撃墜や今回のテロ支援を指示していたとしても驚きはしない(イスラム過激派を敵に回したように装いながらテロ活動を適宜支援し、国際的地盤を得たらその過激派を殲滅)。やりかねない男であることは十分実績がある。ただ、これは真実だったとしても欧米も簡単には公式発表しないだろう。

世界は大国の身勝手さに小国とその民族が翻弄されているのを正義だと思わされているようだが、いつまでこんな詭弁が続くのだろうか。(正義とか民主主義とかイデオロギーを外すだけでだいぶ実態に近づくかが)


日本でテロが起きるのかと盛んに話題にしているが、ムスリムに依るテロはどうかという心配をしているけれども、日本人に依るテロは今までもいくつかある。日本人が世界に向けて一番最初に市民だけを狙った無差別テロを現実化した。テルアビブ空港での日本赤軍による銃乱射事件だ。要人は一切ターゲットになっていない。非常に残忍な行動である。日本赤軍はハイジャックもやっている。近いところでは松本サリンや地下鉄サリンなどの事件もあるし、爆弾なら三菱重工爆破事件もあった。驚くことにこれらのことをTVで出ている人たちが例として触れることがほとんどなかった。化学兵器によるテロはサリン事件が初めてだろうし、しかも同時多発で行われた(もっとも当時のオウムはロシアとの関係が強かったのでその影響かもしれない)。9.11は犯人たちが戦術的に大日本帝国海軍の特攻を真似たのかどうか知らないが(トム・クランシーの特攻を使った作品がヒントかもしれない。ムスリムの自爆テロそのものは前からあった)、十分にその可能性はある。ただし特攻と自爆テロは違う。特攻は市民を巻き込んだことはない。敵艦に突っ込むだけだ。自爆テロは無実の人々を乳児も老人も関係なく殺す。その違いだけは強調したい。

テロ技術に関して言えば、日本は先進国と言える。


 

その後のパリ市内で、追悼のために多くの人が現場を訪れたりしているが、そのときに爆竹がなって皆パニックになっていたのが、3ヶ所放送された。おそらく、愉快犯による悪質な悪戯だろう。酷い輩もいるものだ。それらを見ていると、パリに不安が充満しているように見えた。それでも、来年の五輪が開かれるリオよりも治安は断然いい。1時間おきにどこかで発砲音が聞こえる街とは違う。

あれから4年半以上が過ぎた。

3.11がニュースに出るなり、あるいは何かで話題になるなり、いつも思うのが表題のこと。起きたそのとき、家族には、日本人とりわけ東北の人たちにとって惨劇に違いない。しかし、この時期で東北で起きたことは不幸中の幸いだ、と言った。


関東大震災は火災が被害を大きくした。それは阪神淡路大震災も同じだ。3.11は地震そのものでの直接的被害は意外に少なかった。圧倒的に津波による被害だった。火災は起きたが、それは津波で巻き込まれた車からのバッテリー発火によるものが多かった。


こういう大規模災害が起きたとき何が怖いか。災害のあとの疫病とストレスである。もし、これが真夏に起きたら、どれだけの人が残った汚れた海水と死体の腐敗の影響で疫病にかかったかわからないし(津波のときには海水にかなり油が混じっていて、それで肺を傷めて亡くなられた方も少なくない)、捜索も疫病との闘いが中心になり、成果を得にくかっただろう。また、暑さで更にどれだけ亡くなられていったかわからない。

真冬であれば、凍死で亡くなられる人が多くなり、吹雪の時期なら除雪ができず、自衛隊などの救援活動も何分の一といった成果しか出なかっただろう。山梨の豪雪災害のように物資が届かず、閉ざされた中で餓死する人も出たかもしれない。死傷者はもっともっと増えたはずだ。もちろん、低体温症で亡くなられた方々が実際にいらっしゃるが、全体としてはまだあの時期で被害は抑えられた方だと思う。暖かくはなかったから、まだ冬服のままだった。


そして、ストレス。東北の人の我慢強さはつとに有名で図抜けている。そう簡単にはストレスに負けない。しかし、家族を、家を、何もかも失ってなお耐えるということは全くもって至難だ。いくら我慢強い東北の人々でも現代において最大の苦難だったと言える。ほかの地域の人がああいう過酷な避難生活にどれほど耐えられただろうか。たぶん、北陸とか北海道あたりの人たちまでぐらいだろう。

家族や親族に被害が傍まで来てはいたが直接にはなかったためか、実際に被災した人たちとは何か別の世界に居る感じがずっとしているし、頑張れなどとはとても言う気にはなれなかった。それは今も同じだ。急死ではあるが、母を亡くした今年、なおさらそう思う。頑張れなどというのはあまりに軽々しい。黙って彼らのおかれた状況を忘れないように心に刻むことに励んだ。ボランティアを考えたこともあるが、残念ながら、当時は家庭のことで大変だった時期のため、特産品を買うぐらいしかできなかったのが悔やまれる。


あまり大きな人口密集地が直接の被害を受けなかったことも被害を小さくした。東京で起きたら、羽田空港なんかとんでもない被害者数にのぼるだろう。

避難指示をもっと真剣に受け止めてもらえればもちろんより多くの人が助かっていただろうこともたしかだが、それを今悔やんでも仕方がない。教訓として次の被害を最小化するのに役立てることが先決だ。


あの時期だから、捜索も復興作業も梅雨や暑い夏までの間に少しは動きやすく進めることができたのではないか、そういう意味で、起きることが避けられなかったとすれば、未曾有の災害なだけに、いろいろな面で被害が拡大しにくいあの時期だったのは不幸中の幸いだったのではと思う。いや、そうとでも思わないことにはあれほど多大の犠牲を事実として受け入れることが自分としては難しい。



寄付だけはそこそこしてきたが、一番、役立ったであろうものは、個人でヘリコプターを持って操縦している人たち(たしか40人ほど)の自前ヘリによる物資輸送や救助活動の支援である。被災から3,4日だったと思う。ヘリを持てる人たちだから金銭的にはかなり余裕があると思うが、燃料代は想像以上に馬鹿にならなかった(その時点ですでに全体で数千万とかだったような)ように記憶する。ネットでそのことを知り、すぐに振り込んだ。何せまだ災害が終息していない状況だったし、ヘリの抜群の緊急対応力にかかっていたので急いだ。

いつもながら杉良太郎・五代夏子夫妻もすごいが、個人でありながら逸早く一丸となって活動を始めたヘリ愛好家の方々にも敬服する。

自分が出した日本での特許を海外でも出すことになったのが昨年の初め(出す出さないの決定権は私に無い。国内含め特許にすべきではないと意見したのだが)。出したのはいいが、拒絶理由が何度も飛び込んで来る。


出した先は欧州、北米、中南米、アジア、ロシアである。困り者がアメリカの審査官。本職の範囲ではないのか移ってきたばかりか新人か、とんでもなく技術把握が低く、つまらない難癖ばかり。そのために、教科書的な解説を作る羽目になっている。

現地の代理人も文系のネイティブだから、当然、技術的なことを知らない。説明文を日本語で書いて東京の特許事務所に英文におこしてもらって代理人に伝えてもらうことも可能だが、結局のところ、はっきりしない部分が出てくる。知っているのは自分であり、英文を書くこと自体は簡単ではないが、ほかにわかってる人がいない以上はやるしかない。


日本語の特許の明細書を読んだことのある人も一般には少ないだろう。同じ言語かというほど堅苦しく不自然だが、実は英語でも同じである。一般に英語の方がわかりやすくなることが多いのだが、こと特許に関しては当てはまらない(おそらく特許の独特の書き方は欧米特許の翻訳から来たものだろうから、当たり前なのだが)。1文が5行に渡るのはどうということはなく、長いと10行を超える。しかも、関係節、挿入修飾、分詞構文などなど複雑で堅苦しい文ばかり。単語も熟語もコチコチに硬い。日常的なものはこれっぽっちもない。英文の向こう側に人柄なんか全く感じられない。まともな著者ならどんな科学論文でもこんなことはない。コンピュータかロボットみたいだ。

こういう硬い文章なのに、見かけないものもある。強調構文とか、It を主語とした文、省略や倒置も無い様である。


As to で始まる英文は記憶にない(文中ならある。As for もある)。ameliorate という単語も初めてお目にかかった。普通は硬い文面だと improve とか refine だが、逆にそれを関連特許分では見かけなかった。ちなみに手近のいくつかの和英辞典で、改善とか改良とかを調べても ameliorate は記載されていなかった(和英大辞典でやっと)。POD5版にも記載されているからそれほどの難語ではないのかと思ったが、やはりちょっと特殊なようだ。vicinity なんてのも記憶にない。nearness や proximity ならある。一応、基本語の範囲らしいが、TIhe Economist あたりでお目にかかったかどうか。。。

the above-described ○○○というのも初めて見た。大辞典にもない。above-mentioned は何度かある。普通は○○○ described (or mentioned) above とする。これを発展させればすぐにできるが、あまりにも頭でっかちで重苦しい。大辞典にもないのだから少なくとも一般的ではない。大体、the があればこんな言葉を使わなくて済むようにするのが最も一般的だし、読者への親切というものだろう。すっきりとわかりやすく書くという対極にあって、とにかく付け入る隙を与えないという感じ。


こういうのはTOEIC対策でどうこうできるレベルではない。重い文章でも平気で読めるような訓練をした人なら最初は梃子摺っても、そのうちすぐ慣れると思うが。

国際弁理士としてでも働く気でもなければ、英語の訓練としては向かないだろう。技術的な面が強すぎる上にあまりに日常性とはかけ離れている。むしろ変な癖がついてよいライティングができなくなるかもしれない。ネイティブの社会人も「特許の英文は。。。」と言っていたのがよくわかる。あとは技術系会社の契約関係とかを担当している人ぐらいか。

高校生も大学生も、理系であっても、文学作品とか報道記事などを読んだ方が英語力をつけるにはずっと向いている。


さて、この返答をしてもまた難癖をつけられてしまうのか。。。

因みに明細書含め関係英文書類は全部で200頁近くある。最初はぎこちなく硬い文体に一苦労したが、今は全体を一通り把握できたのと、文体への馴れでそれほど困らなくなった。でも、もう外国出願は御免蒙りたい。

コアヒート使用を予告したので、参考に特徴を書いておく。比較はカーボンヒーターと行った。なお、遠赤外線は赤外線の一部だが、話の展開上、遠赤外以外を赤外として2つに分けている。


<輻射が主>

輻射、つまり赤外や遠赤外がなぜ重要かというと体感温度の主要因だからである。

http://www.ads-network.co.jp/dannetu-keturo/air-con-08.htm

本文では輻射が4割とあるが、グラフからすると5割のようだ。


<出力と発色>

コアヒート(CH-124R、2015年製)は330~1150Wの出力範囲を10段階のツマミで調整。発色から発熱管の温度を推定した。

  ・1段階:実出力推定350W程度 250℃(暗闇でも全く光らず)

  ・5段階:実出力推定750W程度 500℃弱(暗闇ならわかるぼんやり赤み)

  ・10段階:1150W 700℃(暗い赤熱だが部屋が明るくても十分わかる)

これにより、コアヒートで遠赤外線を出すといっても、最大出力ではその割合が減る。遠赤外線は光らないが、温度の低いもの(100℃とか200℃とか)から高い割合で出る。これは温度だけで決まり、物体や物質には関係しない。しかし、低温ならいいかというとそう簡単ではない。

http://www.thermo-lab.com/first/emittance/

このグラフで1000K(=727℃)から2000Kあたりが通常のカーボンヒーターや電気ストーブの使用温度であり、どんどん左の短波長の割合が増える。左側に偏った山になっていることがそのことを示す。

内部によく浸透して温めてもらうには遠赤外線でも、より右の長波長がいい(カーボンヒーターは主波長1μm程度。コアヒートは波長範囲3~20μm)。高温になればなるほど、長波長の遠赤外線(通常5.6μm以上)が発生する。

つまり、中まで温めるにはできるだけ長波長がいいが、それを得るには高温がいいという一方で、高温になると全体での長波長の割合が減るというジレンマがある(これを明確に指摘している説明を見たことがない)。1150Wで出力するとたしかに温まるが、330Wのときより遠赤外線の量は減っている可能性がある(可視光や赤外にばかりエネルギーが使われる)。こればかりは正確なことは測定してみないと微妙だが、理論的にはこの3倍程度の出力差の範囲では330Wの方が遠赤外線の量は多いはずである。

前回、330Wで使うと書いたのにはこういう背景がある。カーボンヒーターは赤熱するのでこの点、コアヒートには敵わないので今回買ったわけである。理想を言えば1150Wでも真っ暗であれば、かなりの効果になるはずだが、いまのところ、全く赤みを帯びないヒーターは市販されていないようだ。


<遠赤外線の温かみは違う?>

よく、遠赤外線で他のヒーターより暖かく、電気代がお得になると宣伝されるが全くのウソである(体の芯まで暖まるというのもウソ。皮膚表面だけ。中まで伝わるのを待つしかない)。エネルギーは保存する。いくら最新型でも昔の電気ストーブでも変わりはない(コアヒート350Wはカーボンの300Wより暖かく400Wより弱かった)。ただ、遠赤外線が違うのはガラスも透過せず、金属以外の物体内部に熱がちゃんと貯まり、そのため表面から熱が抜けていきにくいという点で暖房効率がいいというだけだ。窓の大きい部屋では差が出るだろう。しかし、それはヒーターそのものの性能差によるものではない。窓の無い部屋なら赤外も遠赤外も同じだ。

カーボンヒーターと遠赤外線の特性を積極的に使っていない昔ながらの電気ストーブを比較したことがあるがほとんど違いはなかった。同じ出力、同じ距離で感じる暖かさや蓄熱は同じだった。速暖できて唸り音のないカーボンが便利な程度。

人間の温度感覚ではまず赤外と遠赤外の差はわからないだろう(差を知る方法を見つけたが、誰でもわかるかというとたぶん難しい)。カーボンヒーターと昔の電気ストーブでは差が無かったが、カーボンとコアヒートでは確かに差があり、遠赤外成分は多いようだが、人間がそれを正しく感知するのはかなり難しいし(100μm以上の長波長なら明確にわかるかもしれない)、それより問題は家への蓄熱に差が出るかどうかだ。それはこれからになる。

ただ、同じことをやる人がいるかも知れないので断っておくと、遠赤外での壁面加熱は赤外より時間がかかる。エネルギーがどんどん内部に入っていく以上、また出力も小さいので壁面の温度は簡単には上がらないからだ。初期は糠に釘状態。なのでチセと同じく少しずつ長時間かけて熱を家の構造体に蓄積していかないといけない。気が短い人はすぐに効果なしと誤った判断をするだろう。

夜中や日差しの入る日中は止めるとしても、低出力では少なくとも1週間、2週間ぐらいはかかるのではないかと昨冬の輻射暖房の経験から推定している。曇りで屋内が暖かくても、日差し分を補うため動かし続けないといけない。そのあたりがなかなか実行されにくいだろう。我が家でも口を酸っぱくして、人間を温めてるんじゃない、家を温めてるんだと何度も言っている。人間の温暖感覚でやると家を快適に温めることはできない。(だから、アイヌ伝統の知恵に敬服する)


装置としてのコアヒートの特徴は、横向きでも照射角度を結構変えられる。しかも、首振りの音が恐ろしく静かで、違う方向を見てたら稼働していることがわからないほど。なお、スイッチを入れても安定するのに2,3分かかる。慣れればどうということはない。揺らぎモードとかのセンサーを使ったエコ制御はチセ方式では却って邪魔で、そういう意味でも簡素でせいぜい800Wぐらいの小型の安いヒーターが好ましい。タイマーもあるが連続運転は6時間までしかできない。勝手に止まる。火事対策と思うがありがたいような困るような。どちらかというと今は不便なことが多い。

自分としては、このヒーターの使いやすさには感心したが、もっと赤熱しないように設計されていたらありがたかった。赤熱しない場合は温度が低いわけで、火事にもなりにくいから安心度も増す。コロナさん、頑張ってもらえませんか?発熱管が大きくなって難しいですか?



輻射蓄熱を可能にするには壁面材や断熱材の熱容量が大きい(一般には重いもの)のが望ましい。発泡ウレタンとか発泡スチロールなどの超軽量材を使っているところではこのチセ方式は効果を得にくい。壁面材だけで十分な熱容量を確保するのは難しいと思われる。試そうと思う人は家の構造を確認する必要がある。


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誤解無きようもう一度書くが、ガラスを除けば赤外でも遠赤外でも大差はない。赤外ヒーターでも遠赤外を出しているのは上であげたリンク先のグラフの通りだし、赤外が表面だけと言っても、熱はそのうち伝わって蓄熱されていく。違いは壁内部を温めるまでにかかる時間と効率、そしてガラスの加熱の3点である。あとは家の作りや窓の配置などが部屋の快適性を決める。より快適性と効率を求めてコアヒートを購入したわけである。

冬が近づいてきた。これまでガス温水ヒーター+電気ヒーターで暖房をしていることは何度も書いてきた。これに落ち着いたのは昨冬からだが、今回は最初からこの方式を目指す。特に初期から輻射暖房を積極的に使うことにしている。


これまではカーボンヒーター主体で電気ヒーターを使っていたが、今度は赤熱しない本格的遠赤外専用ヒーターを使用する。カーボンヒーターももちろん遠赤外線を出すが、遠赤外よりも赤外が主体になる点が不満である。


我が家の輻射暖房は人間を温めるのが主目的ではない。家を温めるのが狙いである。これがアイヌのチセの知恵から得たものであることも何度か触れてきた。人間の場合、赤外も遠赤外も大して差はない。しかし、ガラス、壁、家具などの場合は熱の浸入と蓄積が異なる。遠赤外で暖房効率を上げようというのである。その差が出るかどうかを見るのがこの冬の課題。ただし、1家庭では全く同じ条件を用意できないから、明確に違いを出せるかどうかは何とも言えない。

予定している使い方は横向きにしての330W一定出力で屋内全方面照射&熱対流である。


ヒーターはこの種では2つしか無く(パネル式などは効率が悪く、発熱管が剥き出しが必須)、コロナのコアヒートかダイキンのセラムヒート。ダイキンはエアコンで散々な対応をされた経緯もあり、また、ストーブといえばコロナの実績は十分なのでコアヒートの昨年モデルを新品購入した。オークションで中古を安くと思っていたが、特にコアヒートの人気は強く、希望の価格で入手できなかったので、型落ち新品に方針変更した。(それでも2015年製とのシールが。2014モデルは2013モデル以前と機能などに差がある)

もっと小型のものをどこかかが出してくれるのを待っていたが、この冬もこの大型の2機種だけのようだ。(コアヒートスリムは思いのほか小さくなく、横向きにできない)


さて、原理的には遠赤外専用の場合は周囲の熱蓄積(ひいては体感温度)に明確な差が出るはずなのだが、年明け後どんな結果になるか。。。

南沙諸島に米のイージス艦が向かった。今朝のNHKでは元海自の幹部の方が出て、米国が本気を出したという解説をしていた。


見識外れだろう。米国だけでなく世界は中国経済で回るようになった。それは日本も同じであり、それを支援してきたのが日本のODAだ。田中角栄時代からそういう流れになり、90年代に大加速させた。

中国追従は英国もそうだし、フランスも中国経済になびかざるを得ない。親中のドイツのメルケル首相にいたっては日本嫌いでまともに話をしようともしない。


オバマはキューバとの国交回復という、これといって任期中に成果のなかった自分の業績に何かを残したいと行ったものだし、任期ももうすぐ終わる。


中東不安の根源ISISについても明確な初動作をしなかったばかりに混乱が終息せず、結局、大規模な難民問題にまで発展した。

今回も同じ。南沙諸島は貿易ルートとして重要なところにも拘わらず、習の顔色をうかがい、何もしなかった。イージス1隻を出すことなど、中国が出てきたその時点ですぐにできたことだ。ここまで進んで今更のこのこ出てって何ができるか。それに本気なら少なくとも2隻は要る。実際の防衛としては定石のはずである。1隻と2隻の差は大きい。

このあと、すぐにもう1隻投入すれば、そうかなと思うが、たぶんやらず、中国にも手加減を伝えながらの世界向けのポーズだろう。後は後任大統領に丸投げだ。


黒人初というのに、これほどの役立たずで終了とは思いもしなかった。

国連事務総長のパンは無能で知れ渡っているが、ある意味お飾りと考えれば害はない(日本にとって邪魔な行動はするが)。しかし、実行する側としての超大国アメリカのトップが無能なのは世界が混乱するだけだというのがよくわかったこの数年である。


朝の気温が下がってきた。7℃を最近の実測で確認している。晩秋に向かっている。


一方、屋内は22~24℃といった範囲に全部屋が収まっている。湿度も浴室除き60%前半。

暖房器具の準備はまだしていない。今年は例年より遅い。

この時期はLDKで電気ヒーターの最小の200W運転が始まる頃だが、夏からの冷房の工夫はそのまま冬の暖房へと繋がっているのがこの冬は違う点で、はたして効果はどうかがポイントになる。


涼しくなってからは採光を積極的に取り入れ、25℃は超えない範囲で家の中を温めるようにしてきた。

それが徐々に下がっていくわけだが、今回は工夫でこれまでの冬より光熱費が楽になるのではないかと期待している。が、こればかりは何とも言えない。暖冬との長期予測もあり、その場合は工夫の結果なのか、暖冬のせいかはわからなくなる。


ただ、どっちにしてもエネルギーを使わないに越したことはないので、適切な室温へ持っていきたい。さて、これまで何度か快適な室温は19℃、せいぜい20℃という体験に基づいた話を書いた。

今回、冬の望ましい室温として、寝るときの温度はどうかということを気にした。外から戻ってきたときに気分が悪くならないだけでなく、寝るときに快適な温度はどうなのだろうかと。これまでの生活からして、決して高くない、22℃とかそんな温度のようには思えなかった。調べるとそういう記事が存在した。

 冬の理想的な寝室の作り方

これによれば、16~19℃で50%前後が目標範囲となっている。我が家はまさしくこの範囲である。


主暖房のガス温風ヒーターは1Fにあり、19℃、最大でも20℃にとどまるようにしている。そうすると2Fの方が少し低い。大体、15~17℃の範囲が多い。もちろん、昼間は日差しをよく入れて調整する。

当初、これでは寒いのではないかと思ったが、意外に不満なく、夏布団程度でよく眠れるように変わった。以前のアパートのように分厚い羽毛布団は不要になっている。

湿度は壁材などの関係で何もしなくても上記の範囲になっている。

なお、以前に書いたとおり、我が家は輻射暖房を積極的に取り入れている。よって室温より体感温度は高い。

より高温にして、Tシャツで過ごすという考えもあるだろう。まず、エネルギーの無駄であることと、真冬には-10℃ほどの外に新聞を取りに出たり、ゴミ捨てに行ったりと意外と出入りがあるなかでは服装のバランスが大変になる。厚手のパジャマでぱっと出られるなら、それでよく、何もTシャツにする必要はない。それに、災害などで飛び出すこともあり得るわけで、薄着では大変だ。すると適温は前述のような範囲に自然となる。


記事の温度からすると、床暖房を積極的に扱っているお宅は布団では暑くてたまらないだろう。ベッドがその点有利と思う。

それぞれの家の作りを熟知して、冬支度で工夫して快適に光熱費を抑えて過ごすことを考えられてはいかかだろうか?



有名ブログ(と書いてある)の「ストックホルムの空を見上げて」(現在は見れない模様)では

http://ameblo.jp/famousbloggerinterview/entry-10294580717.html

日本の家に対して散々に書いていた記事があった(「日本の住宅が、あまりにもアレすぎる件」)。断熱の薄さ、窓の貧弱さ、暖房の方法などである。そしてお子さんが夏のような格好で家の中で遊ぶ様子も画像がアップされていた。コメントなどで激論がかわされていたが、そこはほとんど読んでいない。

ブログ主は日本の建築には詳しくないと思われた。スウェーデンでの快適な暮らしはいいとして、それが家の作りから来ることもたしかだし、それで快適でない日本の家と比較することも悪くはない。しかし、ピントがずれていることに気がついていないようだった。

日本と欧米の決定的な違いは何か。年間を通しての高い湿度。梅雨や台風といった風雨の規模の違い、温帯のようでいながら冬はヒマラヤから届く偏西風による寒さと積雪の多さ。スウェーデンといっても多くは北海道と同じぐらいで、それほど厳しくはない(最新の北海道の家ならスウェーデンと大差ないはず。札幌では壁厚み200mm基準とし500mm以上まで段階的補助金制度あり)。そして何より地震が無い。壁を厚くすれば耐震力は上がるが、それでも震度7を何度受けてもヒビひとつ入れないようにするのは容易ではない(一度入ればもう次は耐えられない)。最近の日本の家では内壁を組んだあとは丸ごと転がしてもほとんど変形しないような強い構造体もできている。

壁を厚くすればすべて解決というのは日本ではありえない。水蒸気の通気性をどうするかは他のどの国よりも難しいといってよい。北欧やドイツで標準の熱交換型換気ダクトのカビ対策はかなり難しい。地震で停電になり復旧に時間がかかると梅雨時期にはたぶんその日から内部でのカビ増殖が始まるだろう。住人の気管の健康被害にいずれなる。台風などは雨は上からだけでなく下からも吹込み、軒先を傷めつける。もし、仮に地震か何かで壁などのシーリングに弱い部分ができ、内部まで雨水がしみ込んだ場合、壁が厚い分、それが仇となって、おいそれとは乾かない。それは今年あった常総市の水害でも明白だ。そのままでは内部で腐敗し続け、建て替えないと無理というケースが少なくないだろう。そういうことも考慮して構造を作る必要があり、冷暖房だけでとらえても仕方がない。もちろん、日本の家はこれからも壁が厚くなっていくと思うが、欧米よりは薄いだろう。それが技術やケチっての話ではなく風土や地勢上仕方のない面がある。何より、東京や大阪では土地が狭く、壁を300mmや400mmと取ったら居住空間が大きく削られるし、お金もかかる。どこかで妥協する以外ない。感覚的には北海道で300~400mm、雪国を除いて本州では200mmあたりが適切な厚みではないかと思っているが、それはこれからの住宅例が答えてくれるだろう。北海道でもパッシブハウスの600mmは夏はさすがに暑くて行き過ぎのように思う。

ちなみにドイツの窓の収まりは日本の台風に対応できないというのがあった。屋内に水が入った。今は改善されていると思うが、日本の窓は別の意味では強いのである。

何かと欧米でよいことがあると礼賛する意見が上がるが、日本はやはり風土的に特殊であり、その結果文化的にも特殊であることを考慮していないように見受けられる。

家の2軒前のお宅には年配の男性が1人で住んでいる。週末に息子さんが来られるが、基本的にずっと1人。毎早朝、元気に散歩に出かける姿をお見かけしていた。とても元気な歩き方の人である。


お散歩仲間の人たちがいて、いつも来るのに来ないので、心配して電話をかけたらしいが出ない。そこで警察に連絡して、自宅の中で動けなくなっていたのを発見されたとのことだった。救急車で運ばれて行った。

詳しいことは不明だが、昨日まで問題なかったこと、つい最近、人間ドックに入って異常がなかったことなどから、何か突然の病気なり障害と思われる。

退院できるのかなどはっきりしたことはわからない。


さて、そのお散歩仲間という方々はほとんどが1人もしくは夫婦だけの高齢者だそうで、互いの安全と健康を確認する上で連絡しあえるようにしたのだそうである。今日は散歩に姿を見せないから何かあったのかとわかるというわけである。そして携帯に連絡して、とれないとなると何かがあったという信号になるわけである。

それが今回幸いしている。それに限らず、ご近所での声の掛け合いは重要だ。


今年は本当に身の回りで不幸なことが起きる。なぜ、今年ばかりに集中するのだろう。。。


後で、脳溢血とわかったとのこと。おそらく、そのうちお子さんに引き取られることになるのではないかと思う。少なくとももう1人でおいておくわけにはいかなくなるだろう。