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An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

北朝鮮が水爆実験をし、事実上の大陸間弾道ミサイルを打ち上げた。それで、日本は独自に制裁を発動している。人の往来が今回は大きく制限される点はまあ評価できるが、金銭的には実質変化はないだろう。なぜなら、結局、パチンコを通じてお金が投入されるからである。


故郷にも依然あるし、町は衰退の一途だが、その中では元気はまだまだある。田舎に行っても、小さな駅の前にはパチンコ店だけはある、という光景はよく見かける。

さて、自分は全く知らなかったが、韓国が2006年8月にパチンコを全廃しているという。大きな社会問題になって、メディアが大批判し、ノムヒョン元大統領のパチンコ利権が問題視されて全廃に向かった。そのあたりは以下で解説されている。もっとも、パチンコが無くなったことで暇になり、反日活動は活発化したのかもしれないが。


パチンコに溺れる日本、全廃した韓国


政治家(主として社会主義系)や警察が利権に関わっているのはよく知られた話である。この動画では電通の問題も出ている(別の意味も含めて)。大体、警察と赤が同じものに群がっているなんて構図はとても信じられないことだが、いかに膨大な金のなる木があれば大義など意味が無いかがよくわかる。


この不景気の中、パチンコ店のところだけは車がいっぱいある。しかし、店がなければ何十兆というお金をこんな生産性のない消費活動に使われることはない。これだけのお金があれば、どれだけ日本が豊かになるかということになる。いや、もっと早くにそうしていれば、今頃、我々は生活が豊かに安定していて、北朝鮮の脅威や韓国の穿った繁栄で苦しめられることはなかっただろう。政治が愚かだったし、国民も愚かだった。

日本人は長年、こんな非生産的な娯楽に国家予算レベルでお金を注ぎ、北朝鮮のミサイル開発を手助けしてきたのである。このパチンコに群がる人たちこそがA級戦犯である。


昔、在日韓国人の経営するパチンコ店からお願いされて清掃のバイトを短期間だがしたことがある。清掃員が辞めたか何かによるようだった。そのときにパチンコ店はどういう仕組みかをあらかた知った。本国の経営者の実家に送金しているのはたしかだったし、無税なので日本人経営店では勝負になってなかった。当たり前だが客が儲かることは一時的にはあっても結果的には絶対無い。時間潰しで入るならいざ知らず(それなら喫茶店へ行くべきだ)、毎日入り浸るなど愚かだし病気と言っていい。

バイトしたときは昔ながらのパチンコで今とは違うと言われればそうだが、その代わり、今はより高精度に客からお金を取るようにコンピュータ制御されているので昔よりもっと悪い。コンピュータには今は人工知能が導入され、最後の牙城と言われた囲碁でさえプロが全敗させられている(昨年10月)。株売買も今は人工知能である。ましてパチンコ通いしかしないような人たちの頭と腕で太刀打ちなどお笑い草である。お金さえ積めば、盤面に座ったところで画像で個人識別をして、よく来る客ならそれまでのデータから、どう誘い込み、長時間お金を注ぎこませ、当日は儲けさせて、次回には巻き上げるなんてことは技術的に全く簡単だ。


何だかんだ偉そうなことを言っても、現状、日本人はスマホゲーム含めて子供から大人まで何のことはない娯楽依存症の愚かな民族と言える。経済指標では間違いなくそうだ。とても褒められた民族ではない。パチンコに行くために子供を全裸にして浴室に閉じ込めていくなどということが起きている国はほかにはないだろう。銃規制が進まないアメリカを我々は笑えない。

http://www.sankei.com/west/news/160214/wst1602140051-n1.html

もし、北朝鮮あるいは韓国の反日はけしからん!と思う人はパチンコに絶対行かないことである(彼らを見ていると、日本人を、儲けさせてくれるいいカモだと馬鹿にしていることがよくわかる)。それが最も響く。日本の社会性も少しは回復する。一億総活躍社会を目指すというなら尚のこと全廃すべきではないか。私は慈善家ではないので昔から先のバイト以外行ったことはない。彼らからお金は頂いたが、あげたことはない。

パチンコを全廃し、送金目的だけの在日の方々には祖国へ帰っていただこうではないか。



昔は無税だったが、現在はちゃんと税が徴収されている。でも、韓国や北朝鮮に送金している状況に変わりはない。


※※

スマホでもガチャ規制は効いてない模様。パチンコ依存症と同じ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160218-OYT1T50057.html


※※※

日本では話題になってないが、共和党ブッシュ候補は名前が刻印された拳銃の画像を張って、タイトルをAmericaとした。こうやって物議を醸さないといけないほど、トランプやクルズに水をあけられている。アメリカの病もかなり根深い。名前の前の Gov. は Governor の略で州知事のこと。フロリダ州知事だった。銃規制を訴えるコメントが当然のように書きこまれている。

http://www.msnbc.com/msnbc/jeb-bush-tweeted-photo-gun-because-america

などと書いてすぐに、代表選から撤退と発表。当然の結果。

受験真っ盛りである。

最近、代ゼミ講師の佐藤ヒロシ著『実は知らない英文法の真相75』というのを手にした。こう言っては何だが、やはり予備校の先生は概してダメである。ずいぶん歴史的に戻って調べてしっかりしているところがあるかと思うと投げやりとしか思えない部分もある。信頼は置けない。


まずは次の文を。


I need something to look forward to to get me through this shitty week.


あまり品のいい例文ではないが、ここでは look も to不定詞になっているので to が3つある。多くの学習者は困惑するか、これは getting の間違いだと意気揚々になるかだろう。この文については後で話す。


さて、先の本に戻って、センター試験例として挙がっているのが以下。


I'm really looking forward ( ) there again.

①go ②going ③to go ④to going


もちろん、④が正答。これは③の to不定詞との引っ掛け問題なのは勉強した人は承知のはず。しかし、なぜ④なのかと訊かれるとたぶん答えにくいと思う。それを本書で p.74 から説明している。それによれば、学校文法では to が前置詞だからという説明がされるが、to不定詞の to も前置詞だから説明になっていない、本当は doing の性質によるもので、実行が前提になっている場合、気持ちの上では実現済みとの意識からだという。


I'm really looking forward to going there again. またそこに行くのを楽しみにしています


は実際に行くのは先でも、気持ちの上ではもう行っているから、現在か過去に対応する doing が適切で、未来の行動を表す to不定詞にはならないと。



違うだろう。

ネットで、なぜ to のあとが動名詞なのかと説明をしているサイトがほかにいくつもあるが、2,3見たところではその説明は上記とも違うし、それぞれも異なっていた。私の感覚はそれらとは一致しない。


まず、look forward to ,というのはどういう構成かと言うと、自動詞 look に前置詞 to がついて、見つめる意の look at の at が to になって少し違う意味になっているだけだ。forward は副詞でそれを説明や強調するために動詞にくっついてきただけで、基本は look to。意味は


・目を向ける

・面する

・傾向を示す

・~するように気をつける( look to it that ~の形で)

・世話をする

・期待する、当てにする


といったところになる。さて、 look at と同じで look to もその先に目的語が必要だ。to が前置詞だから当然、名詞相当のものが来る。人物だったり、事象だったり。すると論理的には、


1) look to (it , that, somebody, something, etc.)

2) look to (doing something)

3) look to (to do something)

4) look to (that S V...)


といったものが考えられる。( )の中が名詞相当だ。例えば、


We look to you for help. あなたの助けを頼りにしている


は1)に該当する。


US companies look to doing long-term business in Vietnam. 米企業はヴェトナムでの長期に亘るビジネスを当てにしている。


は2)に該当する。4)については調べ切った感じはしないが、見たことはない。理由は to は that節を持てない。一般に前置詞は that節が重すぎて支えることができない( in と except の2つのみ例外)。一旦、他の名詞を置いて同格接続詞もしくは関係代名詞で付加するか前置詞を落とすということになる。


Look (to it) that this does not happen again. 二度とこんなことが起きないよう注意しろ


to it を落とした場合は look が自動詞から他動詞に役目が代わったことになるが、意味は変わらない。

ここで問題が3)。一般に不定詞は前置詞の目的語になれない(例外がごく一部ある)のと、言おうとしても言いにくいこと。つまり、この形は許されない。そのせいか、次の表現がある。


I look to hear from you soon. すぐのお便りお待ちしています


学者ではないので、歴史的なことなどあまり知らないが、3)が効率化された形で変質したと考えられる。本来は左の to は look に強く付随していて、その後の to は不定詞の塊として存在していて、機能的には全く別の役割のはずなのだが、兼用させたと見ることができる。もちろん、am looking と進行形にして感情を強めることができる(著者が主張している現実感はむしろこっちで表す。動名詞の方ではない)。つまり、


I am looking to hear from you soon.

I am looking (forward) to hearing from you soon.


の2つは意味は同じ。前者が米語に多いという程度の違い。実際にこのように to不定詞の文もあるが、両者はその元となる文の構造の起源が違うため、to の後が原型と動名詞の差となったのだろう。


さて、ここからさらに思考を進めよう。では、実際に


I am looking forward to hear from you soon.


とは言わないのかというと、これが稀にだがある。新しい辞書には挙げているものがある。どうしてこうなるかは、やはり効率化による崩れと look + to不定詞との混用と考えるのが妥当だろう。ただし、ちゃんとした英語を学んでいないと受けとられる可能性は高い。言葉は変化する。以前は明らかな誤用でも時代の変化で正用になることがある。さらに同じ意味で look for というのもあることはあるが、これはネイティブでもかなり古い感じがするようだ。両者の違いの感覚まではさすがにわからない。


I am looking forward to hearing from you soon.


と受験生は今のところは正統的な用法を覚え、それを使うようにした方がいいが、現実にはそうでない場合もある。そのときに、これは正統的な語法に準じてないからダメ、とするのはあまりに狭隘だ。余力を残しておいてほしい。使うことは避けても混乱せずに読めるようにはしておきたい。


最後に冒頭の英文に戻ろう。


I need something to look forward to to get me through this shitty week.

このつまらない週の間、自分をとりこにしてくれそうな何かがほしい。


上で説明したように本来は誤用である。look to get や look forward to getting なら問題ないはずだ。この場合は(to look forward to)がsomethingを形容してるという見方もできるが(意味的には少し難がある感じ)、実はこれまた稀に to不定詞をそのまま使われることがあるらしいのである。たぶん、勢いでそうなってしまうのだろうと思うが、真似るのはやめた方がいい。もっと激しいところでは、


We look forward to to maximising the value of this well-located and popular retail park.

We look forward to to your visit!


という使い方まである。誤植かと思ったが、どうもそうではないらしい。おそらく、look forward to の塊そのものが1つの動詞にされているのだと思うが、このあたりになるとどういう捉え方が妥当なのかすらわからない。意味を取り違えることはないだろうが。

正しい英語を、と言うのは簡単。何が正しいかは難しい。ただ、我々は一般にこれまで正しいとされてきたものをしっかり身につけるに越したことはない。

と、look forward to たった1つでこれだけ大変というお話。

大学時代の友人と話をしていて次のことが話題になった。


 ●東北6県と北海道を合わせた北日本において、第3の人口の都市はどこか?


一番は札幌、2番は仙台は誰でもわかる。しかし、3番目は意外に難しい。

私は、いわき市か盛岡市と睨んだ。福島一の大都市と岩手の県庁所在地のどっちかと。


答えはいわき市だった。新幹線の駅ができて県庁所在地を差し置いて発展した郡山市がいわき市を最近抜いていたがまた抜かれて第5位になる。このあたりは3.11の影響による変動の気がする。


第3位  いわき市

349,190人 平成2811日現在


第4位 旭川市

345,288人  〃


第5位 郡山市

335,933人    〃


第6位 秋田市

319,976人  平成25年12月31日


ほかは各都市のHPで人口を調べるとわかるし、時間が過ぎるとすぐに更新されて、変動するので特に順位を調べてはいない。ただ、いわきと旭川の差は非常に小さい。実は旭川がずっと3位だったのが、ごく最近、いわきが抜いた。いわきは一度は抜かれた郡山を抜き返しただけでなく、旭川まで抜いて3位に踊り出ている。30万あたりに盛岡、青森、福島と県庁所在地がひしめきあっている。

北海道の海の玄関 函館市は地盤沈下で札幌にはもちろんのこと、旭川にも抜かれ、今は他の県庁所在地にも抜かれてしまっている。(前にも書いたが、観光で人口を確保することは至難である。函館ほどの歴史ある観光地でさえ、ペリー提督が寄港した際に良い港と判断して勝手に測量をしていった港町でも、造船業の低下でこうなのだ。とにかく、地場産業の隆盛こそが重要)


福島県はいわき、郡山、福島と同規模の市が3つもあるという変わった県になる。県全体で199万人が住む。仙台擁する宮城県が230万で、東北の中で2県が他を大きく引き離している。秋田県に至っては100万を切りそうな瀬戸際になっている。

北東北3県では379万、南東北3県で554万、北海道が547万である。北日本全体では1480万になる。東京と横浜の合計に近い。北日本、まだまだやれるではないか。

いや、北日本に限らず、北陸や山陰、信州といった地域の雪国全体で頑張ろうではないか!



ちなみに東北にみなされることもある新潟には平成の大合併で大きく人口が増えた政令都市新潟市が80万(昨年末。仙台に次ぐ)、県では237万で、宮城県をも超える。


※※

函館の地盤沈下はかなり深刻な感じだ。旭川もかなり減らしている。それが上の順位をそのうちまた変えるかもしれない。

http://www.ehako.com/news/news2017a/11123_index_msg.shtml

いろいろと話にあがる電力自由化を我が家でも検討した。

我が家は都市ガスを使っているのでそれと一緒で安くなればと思って、ガス会社のサイトの計算例を元に見積もった。


年間使用量で決まっていて、月毎の使用量に段階をつけるなどの体系にはなっていない。それでいくと、我が家はむしろ年間支払い額が何と5%近くも高くなってしまった!

どうしてこうなったか。ガス会社の価格体系の基準は平均家庭モデルの年間電力使用量を基準にして電力価格を決めている。その平均モデルの使用量は我が家の2.5倍だった!


ガスを暖房に使っているので一般家庭よりガス使用量は多いので、何かメリットが出るかと思ったら何も出なかった。ガス会社とはいえ、電力会社のインフラを借りる。そのレンタル料を支払わないといけない。当然、価格的な差異を埋める設定に電力会社はする。談合的に調整されているかどうかは知らないが、その可能性は十分にある。参画者も他人の褌を借りて借主に威張ることはあり得ない。

知り合いもあちこちのところを検討したが、同じように使用量が小さいので(我が家のエコテクニックをいろいろ教えた)、どれ1つ下回ったものはないと言う。


自由化と言うが、エコで過ごしている家庭にはとんだ茶番劇でしかない。これでは自由化の恩恵を受けるようもっとどんどんエネルギーを使って温暖化に貢献しろと言っているようなものだ。貧しく苦しい家庭にとっても何の恩恵もない。

逆にエコになればなるほど安くなるような体系を国が指針として示せば、どれだけみんなエネルギーの無駄遣いを減らすことか、貧しい家庭が助かることか。それこそが大事なエネルギー施策なのだが、役人と企業の繋がりもあるし、新たな雇用の場の確保のためとし、そういうことはしないのだろう。冗談ではなく、かなりCO2削減をできるはずである。


「電力自由化」と響きはいいが、たぶん、仕事を分け与えた見返りとして、役人たちや電力会社の天下り先の拡大を図れるようにうまく滑りこませたといういつもの常套手段の国民騙しだろう。

こうとなればさらにエコをより心がけ、電力会社にもガス会社にも支払いを減らして苦しめてやるしかない。

全豪オープンに参戦している錦織選手。勝ってインタビューを英語で答えてるシーンが少し流れた。注目して見ていたわけではない(基本テレビは家族が見ていて、自分はあまり見ていない)。


んっ?何か変だなと思った。どこで学んだんだろう。アメリカの西海岸か南部か。これで差別されることはないと思うが、こう言っては何だが、あまり正統的な感じがしなかった。発音の仕方がそういう印象を若干与える。表現も(推定だが、彼はちゃんとした英文構成を学んだことはないのではと思う。もう1つ。彼は日本語でもそれほどしっかりした内容のものを読んだり書いたりしたことがないように思われる。インタビューではそのようなレベルの対話を要求されることはない)。


CNNの看板番組の一つにアマンプールというのがある。ベテラン女性キャスターのアマンプールが各界の有名人、場合によっては大統領らと1対1でインタビューする番組だが(日本のTV番組ではちょっと考えられない)、そこにイタリア人女性らしき写真家とのやりとりをした回があった。発音は明瞭だが非常に癖のある(ちょっと下劣な話し方をする)英語で、聞いててイライラさせられるものだった。

そこまで酷くはなかったが、ちょっとそれに近い感じの違和感を覚えた。


改めて彼の英語のやりとりを辿るより、これほどの有名選手、誰かそれなりの人が評価したものがあるのではと探してみたらあった。

http://www.watch2chan.com/archives/38566910.html

なるほど。ウィッキーさんによる納得の解説(それもだいぶ手加減をしているようだ)。

中田のも宮里のも聞いたことはない。もし、参考にするならイチローまで。あとは忘れ去った方が学習者のためだろう。このクラスでわかることは自ら勉強しているということだ。現地に行ったら自然と話せるようになっていたというお伽噺は無いということ。(石川遼がこの順位なのはスピードラーニングのお陰なのかw)

少し英語ができるといろいろ話題にされるが、玉石混交なのでご注意を。

トップアスリートでもエリートでもこういうランキングみたいなことをすること自体、日本人の英語力はまだまだという証拠だが、多くの人が正しく使うような時代がはたして来るのかどうか。



上記URLに宮里選手のインタビュー動画があった。がっかり。発音が日本人的なのは特に問題にはならない程度だし、耳が良く、口も流暢だが、表現が品位あると言えるものではない(教養あるネイティブと思われるインタビュアーとのバランスで。普段着っぽいだけと言われればそうだが、選択語彙が今ふたつ)。これ以外はどうか不明なのでこれ以上の判断はできない。ただ、イチローの方が多くの日本人にはお手本になるだろうと思う。

でも、さすがにこれはね。(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=GtImIqR5neU
マリナーズのいくつかのCMでも活躍したイチロー。

https://www.youtube.com/watch?v=JY7sOYRH6CI


※※

日本人選手で英語で受答えができたと明確に言われたのは1992年アルベールビル冬季五輪でのノルディック複合チームの金メダルでの記者会見だったと思う。選手たちが直接記者たちと英語で質疑応答をしたと言われている(この会見は見ていない。TVでごくわずかに誰かがコメントしたのを聞いただけで、大きな話題にはなっていなかったようだ)。荻原が実力が安定し始めた頃だが、当時、ノルディック部隊はお金がつかず、通訳など当然つけてもらえなくて、自分たちだけでドサ回りのようにレース会場を転々としていた関係で宿の予約やレンタカーなど英語が必要で頑張って身に付けたという話だった。何事も努力せずして身につけるなんてことはできないのだ。

11月に予告したコアヒートでの輻射暖房はカーボンヒーターに軍配が上がった。


今年は暖冬。といっても毎朝マイナスになる我が家の地域。コアヒートをそれほど寒くない段階から一ヶ月半使用したが、カーボンヒーターを使ったときのような快適な温暖環境を実現できなかった。つまり、壁や天井などをうまく温めることができなかった。もっと長期間使えばという可能性はあるが、この程度で出てくれないことには使えない。寒さが本格的になった頃にはさすがに我慢も限界でカーボンに切り替えた。それから2週間ほどで何とか冷えを無くし、今は大体、快適になっている。


いろいろ試してみて、遠赤外の物体への吸収の高さはよくわかったが、それが実は仇となった。部屋の中のコアヒートに近い物体が多くを吸収してしまい、壁や天井に届かないのである。遠赤外ヒーターと言っても赤外線、ごく一部ながら可視光レベルの輻射も出すから全てが全て途中で吸収されるわけではない。なので、一番バランスして快適性が得られるのが遠赤外ヒーターだろうと推定した。それが出やすいような工夫をしてみたが、残念ながら家そのものを温めることには成功しなかった。家財に吸収されることが多く、家自体にはあまり届かない。家財暖房装置になってしまっている。


もちろん、人に直接できるだけ多くのエネルギーを与えて温めるという目的としては高性能だ。カーボンや電気ストーブより上である。しかし、吸収効率があまりによいために、当っている面ばかりが暖かく、反対の面が寒いという状態になる。つまり、裏側に輻射が届かないのだ。したがって、壁がいつまでたっても暖まらない。予想外に遠赤外の輻射吸収の良さがわかった。

快適性で言うと悪化。全体的に包まれるような温かみが作れない。

目的が達せられないという意味では無駄な投資になってしまったが、現在は違う使用目的を探している。それに、来客への即効暖房としては使える。

よく、遠赤外なら電気代半分とかいう謳い文句があるが、完全な嘘っぱちで、エネルギー保存則からもありえない。たしかに人が受ける感じは違うときがあるかもしれないが、長時間の暖房では差が出ない。あとは効率のいい構造かどうかだけである。

輻射暖房の道具としては電気ストーブとカーボンヒーターに差異が無いことは確認している。ほかにかつてのハロゲンヒーターも考えられるが、あまりに可視光域が大きくて、壁材が温まりにくくなる。一般に効率が悪いと言われる所以。それに眩しすぎて使いにくい。よくあるパネルヒーターやオイルヒーター、シーズヒーターなどもコアヒート同様、遠赤外中心なので適さないし、加熱管が剥き出しではないので効率が悪い。少し可視光に近いと思われるグラファイトヒーター(アラジン)も試したがカーボンと差はない。むしろ照射がビーム的で眩しく快適性に難あり。つまり、眩しくならないぐらいの赤熱するものがよく、昔ながらの電気ストーブやカーボンヒーターが結局は理想的な輻射暖房器具で、チセ効果を得るために最適と言ってよいようだ。それに、赤熱するのが囲炉裏の炎と同じで、寒さに立ち向かう気力を与えてくれる。人間には炎が本能的に必要なのかもしれない。

もし、我が家と同じことをしてみようという奇特なお方はカーボンヒーターか電気ストーブで適切な出力のものを選択すること(火災対策で1kW未満)をお勧めする。我が家のカーボンヒーターは大きい方でも最大600Wである。(ただし、漆喰内装で木造の我が家と内壁材や構造材などの違いで効果が違う可能性があるのと、窓がトリプルであることをご了承のほど)

それにしてもこの結果は想定外だった。悪くてもせいぜい変わりがない程度と推定していた。



輻射暖房に拘るのは3つ。まず、体感温度の主体であること。次に温風ヒーターでいくら空気を温めても24時間換気であっさり持っていかれてばかばかしいこと。最後は快適性で、優しく包まれるような温度環境は室内空気暖房では得られないこと、である。うまくいくと、室温下げてエコにできるし、床暖より快適で制御性も高い。高気密高断熱では全館暖房がよいと言われるが、制御性が高い我が家の方式の方がエコになる。

アイヌのチセを知ることがなかったら、こんな暖房を目指すことはなかったし(具体的に示している人はいないかもしれない)、エコで快適な暮らしは実現できなかった。先人の知見には本当に敬服する。今、振り返ってもアイヌの知恵がなかったら成功に至らなかったと断言できる。

チセを知る人は、基礎を温めないと違うのではないかと思うかもしれない。そこはシロアリ対策上、断念している。なので、家の躯体への蓄熱のみを取り込んだ方式となっている。それが成立するかどうか当初は不明だった。適切な暖房器具を選ぶことで可能だとわかったというのがこの1年の努力の結果だ。


※※

室内空気の暖房はガス温水ヒーター(ルームヒーター)である。エアコンと違って乾燥こそしないが、高温の温風は快適とは言えない。エアコンを嫌いガス温水ヒーターにする人も結構いるようだが、24時間換気に向かないし、現時点では一押しの主暖房とはいかないように思う。では他にというとなかなか代替手段がない。床暖の人気はこういった背景もあるかと思う。ただ、温水ヒーターはガスを使ってはいるが制御性は抜群で、地震ではガスの弁が閉鎖、温水量が少なく停止して困ることもない。夏はコネクタから外せて仕舞え便利である。北国を除きあまり使われていない暖房器具の1つと思う。

カーボンと温水ヒーターと2種を使い、陽射しの強さや外気温に合わせ適宜調整して快適性を一定に保つようにしている(カーボンは陽射し代り。快晴の昼間は2つとも動かさないことが多い)。床暖だけではこうはいかない。個人的に床暖は不快で合わないだけでなく、快適性に疑問を持っている。ほとんどの人は暑い状態で暮らしているか特殊な不快性を伴っているはずと思う。床暖を持つ友人の話をきいてそう思う。何よりエコと相反することが多い。我が家はおそらく、できうる最小エネルギーで実現できていると思う。カーボンを動かしていない部屋はさすがに難しいが、動かしている部屋では裸足で過ごせることが多い。ルームソックスを履いて温度を低めに抑えることもある。

一番快適なのは温水パネルヒーターを窓下などに配置したセントラルヒーティングとよく言われる。おそらく厳冬期はそうだろうと思う。しかし、パッシブハウスでもなければ気温や陽射しの変化によって体感温度は大きく変わるし、制御する必要がある。それもできるだけエコに。そうなると厳しい。厳寒の雪国あたりならやる意味もあるだろうが、それ以外の地域ではオーバースペックだろう。それに、温水パネルは設計段階で決めねばならず、出来たあとは家具の配置変更に制約が出たりするし、修理も容易でない場合がある。よっぽど寒い地域を除いて勧めない。冷房はほとんど手段が決まっているが、快適な暖房はなかなか難しい。それを根本から無くそうというのがパッシブハウスである。


※※※

エコに拘るのは、雪国で生れ育ったときの借家が古く、暖房ではストーブでの灯油の大量燃焼に頼ってエネルギーの無駄使いをせざるを得なかったことへの罪滅ぼしである。ここまで明確に温暖化が生じていると我々が暮らしてきた方法に問題があったということに尽きる。しかし、日本がやっとまともな豊かさを手にしたのは80年代と言える。それまでは仕方のなかったことだと思う。少なくとも今のような家を手にすることは当時は不可能だったのだから。その言い訳もこれからは通用しない。

今年も残すところ僅か。


年内最後と実家に戻っていた。母は亡くなったが、諸事情あり、父は1人で故郷に居る。私は家族で暮らしているこの土地より、生まれ故郷への思いが強いが(妻も同じで家族としての生活を考えれば、本当は良くないことかもしれない)、父はずっといろいろ苦労(母もだが)が多かったせいか、特に強い思い入れのある場所は無いという(何故かは母の死去でいろいろ話してよくわかった)。強いて言えば人生のほとんどを過ごしたこの町か、と言う程度だ。


高齢で雪降しはもう無理なので、雪降しをしなくても大丈夫なように2階の物を下ろした。畳も剥がし、電灯器具や建具まで外して、これでもかと軽量化して柱への負担を無くした。これまでも何度となく、不要なものを処分し、兄弟家族で使えるものを分けて片付けていった。それの仕上げである。

これまでで推計2、3トンは消えたと思う。積雪重量はこれを軽く上回るが、それでも柱への負担は無くなり、人も行かなければかなりの軽減にはなるので、暖冬で積雪があまりなさそうなこの冬は雪降しをしなくても済む可能性が十分にある。念のため、1月にも戻って雪降しをする予定だ。


あまり使われていない、ある部屋で片付けしていて手が止まった。卒業アルバムが多く残されていた。兄弟のもあった。兄弟には来た時に持ち帰られるよう置き場所を連絡し、自分の分をほかの持ち帰り品とまとめた。それがいま手元にある。

小学、中学のものだ。違いはたった3年間だが、周囲の様子が劇的に変わったのか、ずいぶんと背景の様子に違いがあるように思われた。それでも、どちらも昭和の風情ではあるが。

どちらのアルバムでも、集合写真には写ってなくて学校行事には写っている、あるいはその逆の人たちが何人かいる。途中で転校して行った、そして転校して来た同級生たちだ。もしかしたらどちらにも写らずに終わってしまった仲間もいるのかもしれない。転校を一度も経験しなかった自分には親の仕事の関係で全国あちこちに動いてばかりだった子供たちの複雑な思いを十分に推し量ることはできそうもない。


自分を今あるものにしたのは故郷の町でこの小学、中学の頃を過ごしたことが大きいと母の死後、自分の人生を振り返り思う。高校時代は好きではない。だから浪人であっても高校から離脱できたことの方がある意味嬉しかったし、大学に入って全く新たな世界が始まったことはとても自分には大きな変化だった。

それでも、大学が生活の糧こそ授けてはくれたが、自分を創ってくれたという気はあまりしない。自分というものを創ったのは生まれてから中学まで故郷の町で過ごしたことだった。


自分にとって今年を一文字で表すなら間違いなく「死」だ。今月に入っても会社の同期や大学院の同じ研究室の同期生も亡くなった。

親族や知己にとどまらず、ご近所での死も続いた。しかも早世が非常に多い。一体、今年は何なのか。これほど身近に死が集中したことは無い。いや、あまりに集中し過ぎだ。(明日は我が身か)

自分も人生としては一般的に言ってピークを過ぎたと言っていいだろう。あとはどう後始末をしていくかということに尽きる。

これまでの人生への向き合い方を180°変えさせられた年だった。

季節の変わり目の食堂メニューのようだが、初めてアカウントを取ることにした。

もちろん、理由や経緯があってのことだが、個人的なことなので伏せる。

アメーバではブログ記事をFBにそのまま投稿することができるが、当然そんなことをやる気はない。


やってみてわかったが、意外と簡単にアカウントは取れるが設定の確認や変更については至って不親切ということ。

例えば、携帯番号を登録している人は公開限定を基本データの編集設定のところだけでなく、プライバシー設定の方でもブロックしておかないと(といっても、お友達まではブロックできない)、知られてしまう可能性がある。無論、いやであれば削除は可能。

http://setsuzoku.nifty.com/koneta_detail/150924000285_1.htm

こんなのはあちこち調べてやっとわかる。それに、取ったばかりのときには公開になっているのは非常におかしい。どういう神経なのかという気がする。知らずに被害を受けている人は案外多いのではないかと思う。

私の場合は情報をかなり限定しており、直接お目にかかった人以外はまず認知できないようにした。

それに、基本的にそこで日記のように何かを書くことは考えていない。ただ、アカウントがあるだけと言っていい状態だ。将来、こっちを捨ててFBだけという可能性もあるし、FBをやめる可能性もある。


主婦や芸能人とかいろいろ更新して、物議を醸すことがあるが、それ自体、戦略的なマーケティングかも知れないし、閉塞的なつらい状況に置かれての唯一の社会との窓口の人もいるかもしれない。それによって精神的に助かった話もないことはないし、物事つねに功罪ある。私自身はネットの内部世界に深く根差す気はないので、アカウントも空き家で終わってしまう可能性は十分。

プライバシーが気になる人でこういう設定について苦手な人は手を出さない方がいいと思う。何だかんだ理由をつけてはいるが、所詮管理会社の都合で適当にされているという感じだ。必要がなかったら、私はすぐに撤退しただろう。

実際に知り合いの人の話では、FBで遠くの人とお友達になり、画像のやりとりをした。その画像を相手が自分のところに張り付けた。すると、全く別の人がその画像をたまたま見かけて、知り合いの存在を知ったという。一緒に知り合いと映っていた配偶者の方を知っていて、それで2人が夫婦であることを知ったという。それで何か被害が出たわけではないが、自分の知らぬ間に人にどんどん自分の情報が晒されてしまう、それも友達にというジレンマがあるようだ。

官公庁などの連絡を逸早く利用するとかいうのならまだしも、こっちの記事や相手の記事でいちいち連絡が行って覗いてと忙しい人には煩わしいことこの上ないだろう。

昨晩、CNNで英国議会の中継をしていた。与党のISへの空爆案の審議だった。現地では午後2時頃。朝から審議していたのではないかと思うが、今朝7時頃、現地時間で夜中近くに投票して採決したことから相当の集中審議を続けていたようだ。


投票の様子は見ていないが、議会の進行の様子は昔ながらの形式を踏んでいて、いつもながら面白い。少なくとも日本の質の悪い政治家連中の戯言を聞くよりは格段に面白いので、一度、見てみることをお勧めする。英語がわからなくても面白い場面が多い。特に今回のような重要審議では。世界史的にも議会発祥の国だけのことはあると感じることができるだろう。


昨晩の段階では野党である労働党の党首コービン(今回、初めてその名を知った)がかなりの時間を使って反論した。アメリカに追従し自国の元首相ブレアが軍を送り込んだアフガニスタンやイラク、どれもまともに終息していない。軍を派遣するより、現地にしっかりとした政権を樹立することが真の安定をもたらすのだと。前の同党々首で首相だったブレアの行動を自省するような話になっていた。

議会場の外では空爆反対のデモが行われていたらしいが、2面に分かれて与党と野党が対峙する議会の雰囲気は完全に空爆容認の流れにあるように思われた。議会進行は紳士的に進める英議会には珍しく、野次のようなものも飛び交い、しばしばコービンはちゃんと話を聴いてほしいと訴える場面があった。コービンの主張にしても保守党の主張にしてもそれなりの議論の中身ではあった。どこかの国のような下らないゲーム未満の審議とは言えないような代物とは全く異なっている。

日本の政治家は酷すぎる。


今朝、投票の結果は圧倒的多数で空爆容認と採決された(労働党内の造反みたいに日本のメディアは伝えているが、党として絶対的制約を持たず、最終的には個人の意見で投票できるところがさすが議会制民主主義の総本山)。空爆では弱体化はほとんどできないから、イギリスはまた出口の見えないものに首を突っ込んだことはたしかだが、はたしてこれでテロの恐怖が薄まるかどうか。却ってムスリムに油を注ぐことになれば、しなかった方がましということになるのではと思う。英国内だけでなく、周囲の国との関係もあるのでそう簡単ではないが。

ドイツは朝の時点ではまだ、参戦について揉めている様子で採決までに至っていないとのレポートだった。

似た話が続く。


おそらく受験、特に大学入試を見据えているご家庭では「スーパーグローバル大学」という制度を目にしたことがあるだろう。各大学からの構想案を受けて37校を昨年認可。その背景と動きは以下がわかる。

http://mainichi.jp/edu/univ/news/20141014org00m100027000c.html

選ばれた大学には毎年特別に補助金が出る。少子化がわかっていたのに、これまで雨後の筍のように増え続けた大学の整理にやっと手がついたという点では望ましい。というか霞が関は何につけ怠慢過ぎだ。

各大学がどんな計画を持っているかはウィキペディアの大学名の右側にある「構想」にpdf資料がある。予算見積詳細まで記載されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6


さて、最初の毎日新聞の記事の中に出てくる国別ランキングを見てほしい。

http://mainichi.jp/graph/2014/10/14/20141014org00m100027000c/001.html

毎日の記事や文科省がこれを元にしているとするなら、いかに物事の判断ができないかという証拠だ。

日本はたしかに少ない部類かもしれない。しかし、ほとんどは米国と英国に集中、たった2つで半分を超えている。二桁なのはほかにドイツとオランダだけ。何のことはない、英語が母国語が有利だというのに過ぎない。英米に世界から集まってきているからである。工業国で欧州でイギリスよりもある意味、教育にうるさく、経済的にもうまくいっているドイツでさえ、英国の半分にも満たない。それで3位である。英語圏を見れば、カナダ、オーストラリア、香港、シンガポールがある。これらも合計すると実に6割を超え、たった6ヶ国で2/3に迫る。

このグラフから出る結論は明白。英米に行け!だ。グローバルと言うが、何のことはない英米のことではないか。


ドイツやフランスに行けばわかるが、ちょっと外れた都市に行くともう英語は通じない。大学のある街でもそうだ。大学内は大体どこでも通じるが(フランスは別)、学生はうまくない人もいる。ベネルクス三国は庶民も大学も英語は通じるが、ルクセンブルグはあまりに小さいせいか挙がってない(大学が1つか2つ?)。オランダ、ベルギーが小国の割に検討しているのは事実だが、これは何より国の歴史的な背景と伝統による。フランスもそうだが、これらは60年代に主にアフリカの国々が独立するまで産業と植民地貿易でしこたま儲けて国力を確保してきた国だ。国力が堕ちたのは比較的最近である。驚くのは大学では伝統のあるイタリアとオーストリアがない。

逆に中国がそんなに値するかという気がする。香港大はイギリス統治が長くあったので当然だが、本土の北京大にしても精華大にしても低い印象しかない。

人が密集しておらず、大学も多くはないカナダは妥当なところだろうし、米が近いので、そっちに行ってしまう。そう考えれば健闘しているといえる。北米外からは米国の有名大は無理とカナダの名門へ留学する人も少なくない。

はたして、この結果を出したところはどういうことを根拠にしているのか。


大学の質ならば、理系は文句なしにケンブリッジだし、ビジネスならハーバードだろう。ケンブリッジのノーベル賞級の受賞者数は圧倒的だ。そのケンブリッジに工学がなく、だから日本に追い越されたのだと故サッチャー元首相は大学の反対を押し切ってケンブリッジに工学を導入した。

日本の官僚は一体、どんな事実を元に何を将来の視野に見据えて改革しているのか全くわからない。


海外から人材が集まるからグローバルなのか、それとも英語で授業をすることがグローバルなのか。

前にも話題にした広島大あたりは郊外の広大なキャンパスを作り、今は産業とのプロジェクトも盛んだし、東南アジアの人が教授になっていたり、学生がいたりとかなり国際色が出ている。日本語が流暢な人もいるという。スーパーグローバル大学にも認可されている。はたしてどうなっていくのか。

日本人講師が英語で授業をする負担は相当重い。まず間違いだらけだろう。前に触れたように中村修二氏でも次の状態なのである。

http://www.enago.jp/drnakamura/

留学していてこうだ。しかも、戻ってきて書いた論文はことごとくレフリーに英文が不味いと。英語ができるということで就職できたのに。現実はこうなのである。私の周りの留学経験者たちと同じだ。彼がどういう学習をしたかは知らないがやり方はたぶん間違っていただろう。40過ぎでも学習効果はそれほど落ちないことは身をもって確認している。やりもせずにこんな結論を軽々しく言われても困る。ただ、この年齢は働き盛りで仕事がガンガン入るのでやりにくいことはやりにくい。


私の結論は簡単だ。国民全部にネイティブ高校レベルの英語を要求するのは無理だ(日本人を捨てるなら別)。高度だし、時間がかかりすぎる。そのエネルギーと時間を無駄にせずに来たから、今の繁栄と安定した日本があると言える。小学での英語はまずやめるべきだ。その前に日本語の論理をしっかり身につけさせる。このときを逃すと日本語が一生おかしくなる可能性がある。

大学の英語は何とかしなければいけない。大体、日本の大学生は楽をしすぎなので、学部3年まで延長して essay 程度は書けるようにした方がいい。院試が4年の秋にあるから、4年の前半まで英語の授業があってもいい。大学時代に院試対策で教養の英語を単位関係なしに受講していた者もいた。そこではTOEICとかTOEFLなどというようなレベルではない、英語が本当に理解でき、使えるようにするための授業とそれに繋がる入試の方向性を見出すべきと思う。TOEFLなどはあくまで補助だ。

留学の受け入れのグローバル化なら、基本は大学院から多くの留学生を入れることにし、そこは完全に英語での授業とする。しかし、学部は日本語で効率よく学問の基礎を吸収させる。このあたりが現実的なところではないかと思う。それに飽き足らない人は大学院から英語圏に行って、成功するなり、野たれ死ぬなりすればいいだけの話である。向こうでの大学院は基本的にベンチャー参画と同じ。

http://www.mag2.com/p/news/17055

日本の大学生が皆、英米でポストを得られるわけはないのだし、その必要もない。最後は日本で頑張ってほしいのだから。



私はこの意見に賛同する。文科省も企業側も民衆もよく状況を正確に呑み込めておらず、日本の独り相撲になっている。

http://www.nippon.com/ja/in-depth/a02803/


※※

小さなときから海外で育ててバイリンガルにしようとする親もいるが、成功した例は皆無に近いと言われている。通常、英語の方が楽で日本語がおかしくなる。しかも途中で日本の学校に戻すものだから、英語も中途半端になり、言語的におかしくなって、どっちも使いこなせないという例が多いと言われる。留学が全く有益ではないわけではないが、効果は限定的だし、時に害となり、特に若年では一生取り返しがつかないことの方が多い。帰国子女が社会的になじむことができずに再度国外にとか不遇な目に遭うとかは、むしろ安易なバイリンガル教育方針によるものが多い。言語ができなければ、その社会に溶け込むのは困難である。
留学するなら、語学のためにではなく、何か仕事で行くのがいい。そのついでに言語の障壁を感じて、克服を目指すのがいいだろう。語学目標で行くと、それしかないので挫折感が強すぎることが多い。


※※※

特許など知的財産を考えた場合、むしろグローバル化などしない方がいいのではないかと思われる。日本の特許庁の閲覧システムを一番使っているのは中国人である。逸早く中国の中で同じことを真似て特許化しようというわけである。それを大学の研究を滅多矢鱈に英文にして匂わせてしまえばすぐ世界的に盗用か真似される。役人の成果づくりのために日本の知恵が容易く外国に流れるのは全くもって国民の努力を踏み躙る話である。下手に特許に出すべきでないと意見したことは最近の記事にも書いた。

http://ameblo.jp/speedflex/entry-12093869803.html