今年も残すところ僅か。
年内最後と実家に戻っていた。母は亡くなったが、諸事情あり、父は1人で故郷に居る。私は家族で暮らしているこの土地より、生まれ故郷への思いが強いが(妻も同じで家族としての生活を考えれば、本当は良くないことかもしれない)、父はずっといろいろ苦労(母もだが)が多かったせいか、特に強い思い入れのある場所は無いという(何故かは母の死去でいろいろ話してよくわかった)。強いて言えば人生のほとんどを過ごしたこの町か、と言う程度だ。
高齢で雪降しはもう無理なので、雪降しをしなくても大丈夫なように2階の物を下ろした。畳も剥がし、電灯器具や建具まで外して、これでもかと軽量化して柱への負担を無くした。これまでも何度となく、不要なものを処分し、兄弟家族で使えるものを分けて片付けていった。それの仕上げである。
これまでで推計2、3トンは消えたと思う。積雪重量はこれを軽く上回るが、それでも柱への負担は無くなり、人も行かなければかなりの軽減にはなるので、暖冬で積雪があまりなさそうなこの冬は雪降しをしなくても済む可能性が十分にある。念のため、1月にも戻って雪降しをする予定だ。
あまり使われていない、ある部屋で片付けしていて手が止まった。卒業アルバムが多く残されていた。兄弟のもあった。兄弟には来た時に持ち帰られるよう置き場所を連絡し、自分の分をほかの持ち帰り品とまとめた。それがいま手元にある。
小学、中学のものだ。違いはたった3年間だが、周囲の様子が劇的に変わったのか、ずいぶんと背景の様子に違いがあるように思われた。それでも、どちらも昭和の風情ではあるが。
どちらのアルバムでも、集合写真には写ってなくて学校行事には写っている、あるいはその逆の人たちが何人かいる。途中で転校して行った、そして転校して来た同級生たちだ。もしかしたらどちらにも写らずに終わってしまった仲間もいるのかもしれない。転校を一度も経験しなかった自分には親の仕事の関係で全国あちこちに動いてばかりだった子供たちの複雑な思いを十分に推し量ることはできそうもない。
自分を今あるものにしたのは故郷の町でこの小学、中学の頃を過ごしたことが大きいと母の死後、自分の人生を振り返り思う。高校時代は好きではない。だから浪人であっても高校から離脱できたことの方がある意味嬉しかったし、大学に入って全く新たな世界が始まったことはとても自分には大きな変化だった。
それでも、大学が生活の糧こそ授けてはくれたが、自分を創ってくれたという気はあまりしない。自分というものを創ったのは生まれてから中学まで故郷の町で過ごしたことだった。
自分にとって今年を一文字で表すなら間違いなく「死」だ。今月に入っても会社の同期や大学院の同じ研究室の同期生も亡くなった。
親族や知己にとどまらず、ご近所での死も続いた。しかも早世が非常に多い。一体、今年は何なのか。これほど身近に死が集中したことは無い。いや、あまりに集中し過ぎだ。(明日は我が身か)
自分も人生としては一般的に言ってピークを過ぎたと言っていいだろう。あとはどう後始末をしていくかということに尽きる。
これまでの人生への向き合い方を180°変えさせられた年だった。