予算配分上、五輪と関係してるのかもしれないが、終わった翌2021年度から大学入試の共通テストの英語試験が大幅に変更予定と知った。昨年、受験を手伝った関係先のお子さんの大学受験時に絡む。
そのお子さんが受けるときは2020年度で現行のリーディングとリスニングだが、2017年から試行テストを行い、2021年に実施という計画になっている。新たにライティング、スピーキングを加えていく方向のようだ。そして、TOEFLの活用も検討するという。
試験内容が大きく増えるから、英語塾(学習塾とは別種)からTOEFL対策をした方がいいと言われたという。その塾でそのうち対策コースを設けるはずで、焦らせる作戦のようだ。なぜなら、文科省はTOEFLをそのままやるとは一言も言ってない。もし、日本人の大学生の英語力を上げるためにTOEFL全面導入なら、なぜ80年代からやらなかったのかと非難される。それは責任を取らない霞が関として絶対に避けなければならない。
さらに、TOEFLは民間業者でやっている。しかも米国だ。米の大学に行くならいざしらず、日本の大学までTOEFLに合わせる意義は日本全体としてあるのかという問題もある。イギリスでさえTOEFL採用を今になって取りやめたぐらいである(裏は国策と思われる)。だから、独自の試験を検討し始めるとしたわけだ。TOEFLは換算対応か、大学によってはそのまま得点採用するなどの対応になると思う。
これで、英語教育はかなり変わるだろうが、うまくいかないはずだ。外見的には見栄えのよい英語使いが巷にも溢れるだろうが、実質は中途半端な実力でとどまるだろう。何より、これだけ負担が増えると高校、中学、そして小学から脱落者が噴出する。勉強嫌い英語嫌いが増えるだけ。世界に通用する英語教育は大学以上でやるべき。中学では最低限、生活上の会話ができるものを教える程度で十分。
高校どころか大学も全入の時代、高校、大学ともにまず整理すべきだ。高校以上で本格的なリーディングを行い、大学で世界に通用する英語が使えるように教育していくのが筋だ。中学を出ていれば、拙いながら会話はでき、高校を出ていれば、多少の英文テキストを読んで書け、大学を出ていれば世界の人とやりとりすることができる。それはネットでチャットをするのとは別次元のものが要求される。
現実は何より、企業から選別された留学者のTOEFL予備校での成績(彼らは集中的に勉強した上で予備校の2,3週間長期缶詰コースに入り、仕上げで受検)はそれほどでもないし、留学から戻ってきた人の英語力が大したものではないことは周囲で確認済である。どうして留学でこのレベル?というのばかりである。昨年ノーベル賞を受賞した中村さんの英語はそのいい証拠。それぐらい日本の精鋭が頑張ってもうまくいっていない。TOEFLやTOEICの対策ばかりでは意味がないと言い続けているのはこういう事実背景の下でのことである。(私は留学経験なし)
前にも書いたが、日本人が英語ができないのはその必要性がないからだ。人によっては学校出てから一生、外人と話すこともない中で英語の力を確保し続けるのは無茶な話である。だから、どんな教育に変わったとしても使う場が無いのだから、維持改善のしようなどない。
この前は香港の話を書いたが、今、世界が注視しているパリだって、大学生で英語がしっかり使える人間は驚くほど少ない。フランス人の英語の酷さはつとに有名だ(発音は日本人並みに酷い)。日本学生とほぼ同様の人も少なくない。フランスでは英語無しで全く問題ないからだ。逆にアニメ人気で日本語の方が達者だったりする。
私にしても、論文を読むとか出すとかネットから海外の技術情報を得るとか、特許関係とかで使うことがあるから、毎日それなりの時間を割いているだけの話で、その必要がない同僚は英語力は下のままだ。英語の稼働率は私でも恐ろしく悪い。2、3%もあるかどうか。そのために学習に一杯時間を割くことは本当にいいことかどうか、文科省も国民も考え直すべきだ。我々の社会では英語ができないと食うに事欠く社会ではない。本当に自在性と正確性を要求されるのはわずかな人々だ。(ノーベル賞受賞者の益川さんは英語を捨てたことでは有名)
日本語と英語は親和性も悪い。アフリカあたりの言葉とは良いと言われてるようである。ロシア語も英語と親和性は低い。よって、ロシア人も習得に時間が多くかかる。それは自分を省みてもそう思う。多少効率を上げても、何だかんだと社会人になって以降、TOEICに見切りをつけて10年ぐらいはやった。それぐらい平気でかかるし、通訳なんて人は毎日朝から晩までびっちり英語英語でも1人前になるのに10年はかかる。それぐらい身に付きにくい。それをよく把握した上でどこまで身につけるか考える必要がある。
いま中学2年以上の世代はたしかに大変だ。浪人にでもなったら、一挙に試験内容が変わり、点を得にくくなるのは確実だからだ。全国の高校でそれらに対応するのも大変で、先生方も参ったというところだろう。今になって自分の能力以上のことを要求されることになるからだ。しかも4能力全方位となるとそれに対応した教育環境を用意したり提供できる学校や予備校といったところが圧倒的に有利になるようなことが起きるだろう。
私学の有名進学校ではもう対策を始めているかもしれない。ごく一部は大学から英米の有名大学へ送り込んでいるところもあるので、何を今更といったところだろうが。(大学からずっと英米で過ごしていれば英語力はかなりのものになるが、人も変わる。日本に戻ってきたときに日本社会では特殊な振舞いをする彼らを受入れる企業は少ない。向こうで骨を埋める覚悟があるかが重要)
関係先の人から、ときどきでいいので息子さんあてに英文メールを送ってほしいとお願いされた。あんまり無碍にはできないので、たまにならということで承諾した。すでに1通送付してるが、見せるタイミングをはかっているとのこと。
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なぜ、TOEFL、TOEICといった試験と実力に齟齬があるのか。それは国語の試験や漢字の検定と、実務上の種々の文章書き(編集者、記者、言語学者など)の素養と関係があるかというのと同じである。試験はあくまで他人が他人を測るために便宜的に作ったもので、強制的に相手にこちらのやり方に対応を求めるという限定性にある。枠がはめられていて測定に限界があるということである。あくまである面でのスクリーニングを行っているに過ぎない。300点とか400点では何にしろ全く話にならないが、900点はなる。しかし、実際の業務レベルはもっと先にあり、その内容を問うてはいない。だから試験対策が効率的で功を奏するわけである。そして指標としては序列的で有用だということである。
いや、そんなことはない、ちゃんと相関はある、という人は、目の前にある英文をとことん理解できていると自分が納得できてるかどうかを問うてみてほしい。私は今もよくその点ではため息をついている。
TOEFLをもとにTOEICのひな型を最初に立案したのはある1人の日本人だが、私はTOEFL、TOEICともに評価しない。日本の英語教育に改善は必要だが、これまでの大学入試の良問を、そしてそれを解けるように実力を涵養することを支持する。社会人で安くリーディングとライティングの評価をしてもらうなら、今はZ会がいいかもしれない。いつの間にか院試対策コースまである。
http://www.zkai.co.jp/ca/daigakuin/index.html
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周囲に有名難関大の院卒とかごろごろいるので大学時代の周囲の様子を訊いてみた。難しい入試を突破した連中なのに、やはり大学の中で英語ができるという人間はみかけなかったという。理系だからというのもあるのだろうが、いても1人とか2人ぐらいの様子。私学あたりは帰国子女がいたりするが、彼らを除くとまずいない。数年前に京大修士で入ってきた人間に訊いても同じだった。
それじゃ、現状の入試問題を解けるよう努力しても意味がないように思えるが、実は違う。入試問題が解けるようになったら、そこからガンガン読んで書いてということをしないと使えるようにならない。出発点に立ったに過ぎない。英語は日本人には染み込みにくいので、とにかく毎日の練習が要る。それを実行する基礎の一つの指標が入試問題だ。問題が解けるということに留まらず、その先へと進まないと使えるレベルにならない。読んで書いて、それらを面倒がらずに普通にやれるようになれば、ネイティブとのコミュニケーションはとれるようになるはずである。絶対的に日本人は練習量が足りず、それはオツムの出来ぐらいではカバーできないようだ(やりとりする中身は違うだろうが)。
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今まで日本で一番英語を使った場所はどこか?国際会議場とか除けばダントツで旭岳ロープウェー。成田空港以上。オーストラリア、ニュージーランド、果てはスウェーデンからとバックカントリーをやりに多彩に人が来ていて、乗客の半分近くが白人だった。食堂もそうだった。常連の日本人の話では、これでも減って一時期は8割が白人だったという。どこの国かと思う状況だったと。彼らはあいさつぐらいしか日本語ができず、英語は問題なく通じた。カムイスキーリンクスにもたくさん来ていた。南半球から来た人たちの話では、あと富良野にもよく行くし、一ヶ月バカンスを取っているので、ニセコやトマムにも行ったりするという話だった。冬、北海道にスキーに来て、彼らと話して英語の腕を磨いてみませんか?(ホントに白人、多かった)
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分野限定と言えるがこのような日本語が強い世界が実在する。