辞書が引けない英語マニア | An Ulterior Weblog

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先般、特許英文で苦労した話をした。正式な文章としてやりとりがなされる中で現地のネイティブ代理人に自分の英文がそのまま使われる可能性は十分あるので、いくつもある辞書の中でも今回の目的にあったものを何十冊とある辞書から選択して使った(こういうときにメインで使う辞書の見直しなど図る)。電子辞書はそのサポートとして使った。


今、多くの人は電子辞書を主に使っているはずだ。今回の特許の件で電子辞書を使った割合は3割にも達していない。それも最初に使うことはなく、確認のためや、紙の辞書になかった場合に使う。主に使っている英英や英和(和英は今回のようにきちんとしたライティングが要求されるとき以外ほとんど使わない)が古く、電子辞書に入っていないからだ。

どうしてそんな辞書ばかりかというと自分の言語感に合っているものを探して集めてきたからにほかならない。例えば、大ベストセラーにしてロングセラーだった研究社『英和中辞典』は異なる版でいくつか持っているが、使うことは今はまずない。語法については別の辞書を使っているが、これも絶版でもう手に入らない。そういうものばかりである。


新しい辞書が自分が英語を使うときに役に立つということは滅多に無い。新語はもちろん電子辞書にしか載っていない。場合によってはネットで調べたりする。しかし、言語は新語ばかりで構成されるものではない。今の中高生の言葉は理解できないが、その必要はないし、私の実務上は何も益しない。ファッション関係の仕事とかしていたら別だろうが。。。まあ、使いたくもない。それと同じで、自分の関係ではきちんとした日本語が要求されるし、英語についてもそうだ。流行り言葉など全く関与しない。

むしろ傑出した編集者が精魂込めて作った古い辞書ほど英文に慣れてくると有益だと気づくようになる。特に最近の辞書は巨大コーパスを使い、非常に科学分析的に用例を分けて意味を整理する。当り外れがない精確なものが多い。その代わり個性がない。私の場合は逆で、編者に特徴があり、その辞書がまた大変でもあり、楽しくもある。


例えば、今は大きくなったオックスフォード系の有名な辞書、PODやCODは古い版では少ないスペースに押し込んでいる関係で発音を別表記していない。見出し語にそれらの辞書特有の記号を施して発音を表している。それに当てはまらない特殊な単語だけに表記されるだけである。それについては最初の使い方などに説明されているのだが、読みもせずにPODやCODには発音が記載されていなくて使えないなどという愚か者がときどき居る。(昔のCOD、PODを使いこなすのは容易ではない。私もとても使い切っていると言い切る自信はない)

また、複合語(この前の above-mentioned など)とか連語などは大元となっている語(先のでいえば above のところ)にまとめて埋め込まれていることがあり、その場合、見出し語としてあがっていない。それで、見かけなかったとしてこれこれの辞書に無い(だからよくないと示唆)と平気でネット上に書いてる者も居る。こんな人は1冊としては最大の語彙数を誇る三省堂のグランドコンサイス英和もボロクソに言うだろうと思う。

それに、よく指標とされるのが見出し語数。これの出し方は出版社によるが、収録語数としたり、収録語句とか、収録語義などというのもあったりして、引っ掛け的に大きく見せることもある。だから、同じ20万と言っても中身がかなり違うことがある。そういう区別がつかない人がいる。数字しか見てない。

どれも、辞書の個性の前の段階の基礎的なところで踏み外してしまっている。


驚くのは、これらの人が英語や辞書の初心者かというと、英英とか使うくらいだからそうでもない。いくつも辞書を持ち、英語が大事だと一所懸命に努力、学習しているようなのである。これらの人に見受けられる上のような発言の根源は

 ・自分のレベルをきちんと押さえることができてない

 ・使いやすいかどうかしかなく、理解できないものは辞書の方が悪いと決めつける

  (比較論だけで、その辞書の絶対的な価値を判断できない)

 ・辞書をよく理解して使い込もうという考えがないか努力をしたがらない

の3つと思う。辞書を比較し、中には貶す人もいるわけだが、今一度自分の実力を省みた方がいい。


辞書を作るのは想像絶する作業で、並大抵の神経では続かない。どんなに注意深くあっても、いろいろと間違いが入ったり、使いやすさが今一つとかいうのは起きるのは仕方がないことである。ただ、それが問題というよりは、使う人たちがそれ以前のレベルにしかないことが圧倒的に多いように思える。古いPODやCODなどは慣れないとほんとに使いにくいが、編者の言語感覚に共鳴できると別の世界が開ける。そこまで辿りつくには使いこなしていくことももちろんだが、それなりに英文に慣れて蓄積もそこそこないと感じ取ることは無理だ。This is a pen. というようなレベルで英英辞典なんか使えないのは明らか。最近の辞書は認知科学的に使いやすくなっているし、親切な作りだが、無色透明で個性がなくなっている。それが却って英語力向上の阻害になっている気が最近はする。電子辞書を使っているとよくそう感じる。一方、味のある辞書はとっつきにくい。でも、面白く言語感覚がつく感じがある。世間的には後者の流れはないようだ。少なくとも、普通ではない辞書を使って、あなたの英語力をこういうレベルに上げてみませんかという話を見かけたことはない。

辞書は人を選ぶ。



レベルの高いところでPOD5版について以下のまとめがあった。ここでの指摘は正しいと言える。

http://togetter.com/li/80151

ただし、効率主義的現代的合理性の視点からすればの話である。学習者に寄り添ってないものは使い物にならないという強い批判のように見受けられる。最新の辞書のほとんどはこの視点だろう。悪いとも思わないし、厳しい出版事情の中では仕方がないことでもある。けれども私はもうこの視点には立っていない。多くのベテランで評価の高い翻訳者たちもそうだろうと思う。いや、もっと別次元の視点かもしれない。それは私にはわからない。私の辞書の判断の視点は言わば独自のオーラがあるかどうかということになる。そういう辞書は少ないし、使ってみないとなかなかわからない上、世間一般の評価とまず一致しない。

ただ、言葉の奥深さに魅入られると誰でも行きつく先は決まっている。Oxford English Dictionary(OED) 全20巻だ。私は持っていない。英語でメシを食べているわけではないので。


※※

今回、主体で使っていたのが LONGMAN の辞書群。LONGMAN と聞いて、西城秀樹を思い出す人が多いかどうかは定かではない。今だと、TV版ちびまる子ちゃん世代の反応の方が大きいか。