ノーベル賞 見るべきは出身大学院 | An Ulterior Weblog

An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

2日連続で日本人からノーベル賞が出た。もし、今日の化学賞で受賞者が出れば初の3分野同時受賞という快挙になる。ラグビーの快挙とは何の関係もないが、こちらでも快挙が起きることを望む。なお、文学賞はもらえないだろう。すでに世界的な人気作家で文壇の後押しのない村上春樹がもらえるとは思えない(各国の賞に輝いているが、翻訳では性的記述が除かれているらしいので、かなりの欠落になるらしく参考にならないだろう)。


さて、今回の2人の受賞者は非帝大どころか規模というかランク的にも下の旧二期校というおまけがついている。大学関係者は大喜びだろうと思う。しかし、今年の受賞を見て、もう受賞者の大学で見るのは意味がないと思う。


大村氏は大学院は東京理科大と東大(実質的には理科大の模様)である。梶田氏は東大。それも、2002年にノーベル賞を受賞した小柴氏の直系の後継者である。小柴氏はこれまたノーベル賞受賞者の御大朝永振一郎が理研および東京教育大(現筑波大の一部)で活躍していた頃の弟子である。小柴氏のカミオカンデから戸塚氏のスーパーカミオカンデの流れをつないだ人物。もし、戸塚氏が御存命であれば一緒に受賞となっていたはずである。


お2方とも実験と実践の人である。この環境が続く限り、これらの機関から十数年後にまた受賞する可能性が十分にある。この手の設備はそう作れるものではないし、研究継続や維持管理が大変で、予算が潤沢なごく一部の大学に限られるのはどうしようもないことである(梶田氏も記者会見で答えている)。逆にそういうところに居れば次のノーベル賞の可能性は十分にあるということだ。大村氏も本格的な研究は北里研究所に入ってからのようである。

したがって、今後も山梨大や埼玉大に居てそのまま立派な研究が出続ける可能性があるかというと残念ながらその希望は薄いということになる。どこか別のところに行く方が可能性が高い。逆に、大学院さえ研究に適切なところにいけるのであれば、大学はどこでも構わないといえる。それでも、大村氏のように国立から私学の院は珍しい例だとは思うが。


東京帝大に留学先から戻ってきた実力抜群の北里柴三郎が政治的に追いやられ、それを福沢諭吉が援助した。設立した独自の研究所も東大にまた政治的に吸収され、反発して辞職後新たに作ったのが北里大の前身であり、慶応関係者の天下り先とも聞く。北里は福沢の没後に慶応医学部を整える。どちらも臨床、すなわち我々に対する処方という点で貢献してくれる機関である(東大は研究機関で臨床には力を入れていない)。いかにも現場的な大村氏の研究に合っている環境だったのだろう。

ちなみに東京帝大医学部は森鴎外と慈恵医大の高木兼寛の脚気論争で負けたのは有名。慶応医と慈恵医と言えば、日本医科大もしくは順天堂大と並んでよく御三家といわれるが、東大医はそのうち2つと確執があり、かつ、天皇陛下の心臓バイパス手術では順天堂に執刀を行ってもらうなど、全くどっちを向いても恥ずかしい話ばかり。


今は研究は明治や昭和初期とは違う高度で難しい段階に進んでいる。したがって、出身学部はあまり参考にならない。それは高校での勉強ができても大学ではあまり関係ないというのと同じである。学部では基礎を勉強するが、研究は大学院である。大学は教養をしばらくやって、専門は2年半程度であるが、大学院は博士課程となると5年である。長さもその深さも断然上回る。そこでどう進めていけるかでその後の研究人生が決まる。これまでのようにノーベル賞受賞者の学力の元を出身大学に求めるのは的外れだ。見るべきは大学院はどこを出たか、誰の下で研究していたかである。これからの受賞者の年齢を考えても、もう学部研究ではなく院研究で判断の時代である。


それにしても、普段から研究状況の観察もすることもなく、また、それを判断する眼もなく、予算がかかれば、成果のないものは税金の無駄のように非難しながら、いざ、こういう受賞があると(といってもノーベル賞だけ)、手のひらを返して大騒ぎの上に、陽の目を見ていない研究も大事にしないと、と知ったかぶりの論調をするメディアや評論家には辟易する。



化学賞は逃した。自然科学同時3冠ならず。残念。問題はこれまで多くが過去の業績によるもの。文科省の酷い大学院行政で現在はかなりぼろぼろの状態なので、10年後あたりから閑古鳥になる可能性がある。事実、団塊の世代の受賞がないのは大学が当時研究の場としての機能が学生運動によって途絶したからにほかならない。それが今度は行政の失敗によって起きる。