ソリューション・トークの会話例 46
ソリューション・トーク(ソリューション・フォーカスを使った会話)を日々ご紹介していきます。
Cl: 私には無理です。
Co: 何かきっかけで、そう感じられるようになったのでしょうか?
ワンポイント
肯定も否定もせず、自己理解を深めます。
おおざっぱな仏教の歴史 4 最澄と空海
仏教を葬式以外では知らない方のために、予備知識として、
仏教の歴史を書いています。
日本仏教の展開
平安仏教時代
日本仏教史上、5つの大きなポイント、
二番目は、平安時代 最澄と空海の登場です。
最澄が比叡山に天台宗、空海が高野山に真言宗をひらきます。
この二人は、独自の思想に基づく日本独自の仏教を始めます。
舶来の中国仏教をありがたがるのではなく、日本の仏教を、思想的理論的バックボーンをもって、高らかにうたいあげたのです。
なかでも空海は、日本史上まれに見る超天才です。
(世界的に見ても、超天才ですが。)
空海は、日本古来の神々を奉り、神仏を融合させます。
また、『声字実相義』など、二十世紀の言語哲学につながるような理論書も現しています。
寺の中で修行するだけでなく、四国満濃池の工事など、社会のなかで活動します。
世界に先がけて無料私学をつくるなど教育に力を入れます。
天皇、貴族から厚い信任を受けるとともに、民衆からもお大師さま(弘法大師)として信仰の対象となります。
当時仏教が信仰を集めたのは、雨を降らせたり、病気を治したりする不思議な力があると思われたこともあるでしょう。
このような神変加持の力を持つものとして、仏教は国家からの保護を受けて発展します。
浜岡停止は米国の要請か?
原発のあるところは、交付金があるから廃炉に反対し、
次々と同じ地域に原発がつくられています。
原発が問題を起こせば、離れた地域でも被害に合うのに、交付金はもらえません。これは不公平です。
浜岡原発も、米国から停止しろと言われているようです。
ここが福島のようになると、横須賀が使えなくなるからです。
原発は、一地域の問題だけではないのです。
民間企業に、国家戦略の重要課題や生活インフラの責任を任せるのは、これを機会に改めるべきでしょう。
菅総理の今回の決断は、それなりに評価はしますが、
あえていえば、
1.
停止をするなら、福島の事故の直後にすべき。
今新たに危険が増えたわけではないので、今停止する根拠が薄くなります。
2.
今停止を言い出すのであれば、2ヶ月時間があったのですから、今後の見通しや、想定されるリスク、不利益への対処も同時に発表すべき。
政府がどこまで考えているのかよく分からないので「場当たり的」と批判されます。
ビジョンとリスクへの対処を示すことが、リーダーには必要です。
ソリューション・トークの会話例 45
ソリューション・トーク(ソリューション・フォーカスを使った会話)を日々ご紹介していきます。
Cl: 私には無理です。
Co: 自分には無理だと感じているのですね。
ワンポイント
事実として語ったことを、知覚として返します。
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おおざっぱな仏教の歴史 3 聖徳太子時代
仏教を葬式以外では知らない方のために、予備知識として、
仏教の歴史を書いています。
日本仏教の展開
聖徳太子時代
インドでは滅んだ仏教は、中国に伝わって生き残ります。
これを北伝仏教といいます。
スリランカにも仏教は伝わりました。
これを南伝仏教と言います。
日本には中国系の北伝仏教が伝わります。
私は日本仏教史上、5つの大きなポイントがあったと考えています。
まず一番目は、聖徳太子時代 仏教伝来です。
神道の国 日本に、仏教が公的に導入されたのです。
これにより天照大神の子孫である天皇家が、仏教という外来の宗教を奉じるという、日本独特の体制が構築されます。
日本人の精神に与えた影響として、それまで死者は恐れられ、忌み嫌われていましたが、仏教により成仏できると考えられ、死者が敬われるようになったとも言われています。
一方、仏は外来の神として扱われ、神々の一種として受け入れられています。
本来、仏は神ではありませんが、これはひとつの日本文化として、その後の日本仏教の展開に、大きな影響を与えたように思えます。
ソリューション・トークの会話例 44
ソリューション・トーク(ソリューション・フォーカスを使った会話)を日々ご紹介していきます。
Cl: なんか気分が沈んでいるなあ。
Co: 上を向いて歩きましょう。
ワンポイント
姿勢や動作を変えると、感情が変わります。
おおざっぱな仏教の歴史 2
仏教を葬式以外では知らない方のために、予備知識として、
仏教の歴史を書いています。
インド仏教の展開
大乗仏教時代
大乗仏教がいつどのようにして誕生したのかは不明です。
諸説入り乱れ、これだけで数冊の本になりますし、その論議も楽しいものです。
大乗仏教誕生は、紀元前後と考えられています。
『般若経』『法華経』『華厳経』『浄土三部経』など、日本で有名な経典は、この頃に誕生しています。
ここでは、菩薩という考え、自分の悟りよりも他人を救済する(自利よりも利他)が強調されるようになります。
その後、大乗仏教の超有名人、「ナーガルジュナ(龍樹、龍猛)」という人が現れ、『般若経』で説かれた「空」という思想をまとめ、中観派というグループの祖となります。
また、深層心理(無意識)を探究し、識(心)から世界を理解しようとした「唯識派」も誕生します。
一説にはマイトレーヤ(弥勒)が「唯識派」の祖であると言われます。
大乗仏教が発展したこの時代は、一方でヒンドゥー教が発展した時代でもあります。
後期大乗、密教時代
四世紀にグプタ王朝が成立してから以降、インドではヒンドゥー教が中心となっていきます。
インドの国家は基本的に仏教も保護しましたが、国の中心となる宗教はヒンドゥー教であり、民衆の多くも仏教よりヒンドゥー教を求めるようになりました。
この時代、仏教はインドの伝統的な思想や行法を取り入れながら密教化していきます。
しかしインドにおける仏教衰退の動きを止めることはできず、
十三世紀には、インドから完全に姿を消してしまいます。
仏教は密教化してヒンドゥー教と差がなくなり、そのために滅んでしまったと言う人がいます。
しかしインドでは、部派仏教(小乗仏教)と大乗仏教と密教は、長い間共存して存在していたのです。
仏教の衰退期においてさえ、部派仏教は存在したのですから、仏教とヒンドゥー教に差がないということはありません。
七世紀に三蔵法師(玄奘三蔵)がインドを訪れた時、既に仏教は衰退期に入り、密教も存在したのですが、玄奘の記録によれば、それでも部派仏教(小乗仏教)の寺院の数が一番多くなっています。
したがって、仏教の密教化が衰退の原因とは考え難いでしょう。
では、なぜ仏教がインドで滅んでしまったのか、
その理由は未だによく分かりませんが、
1.仏教の僧侶は、冠婚葬祭などの儀式に関わることが少なく、大衆を組織化することがなかった。
2.元々仏教は、国家の保護の下、都市の商人を主な支援者としていたが、北インドの商業の衰退、異民族の侵略などにより、国家や商人などの支持基盤が失われた。
3.侵略された時、仏教の僧侶は戦うことを好まず、他の地へ移っていくため、残された民衆は他の宗教へ改宗していった。
などの理由が考えられるでしょう。
母に感謝する こどもの日
こんにちは、心のソムリエ橋本文隆です。
今日はこどもの日。
こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日です。
5月5日は、元々端午の節句、男の子の祝いでしたが、男女を問わない「こどもの祝いの日」となり、さらに母に感謝まで入ってきました。
こどもにとって母の存在は大きいということで、「母に感謝」が入ったそうですが、何となく無理やりくっつけたような気もします。
(入っていて悪いわけではありませんが)
「こどもの日」「母の日」と対象が明確な方が、分かりやすく盛り上がります。
対象(顧客)を明確にすることは、マネジメントやマーケティングの基本です。
なお、「こども」を「子供」と書かないのは、「供」には「つき従う」や「供え物」という意味があり、こどもの人格を尊重する精神に合わないからという説があります。
しかし、もともと「ども」は複数形を意味し、「供」は当て字として使っただけで、漢字には意味がないようです。
語源にさかのぼって差別的な漢字をすべて禁止すると、多くの漢字が使えなくなるため、ある種の言葉狩りとして、批判する人たちもいます。
伝統を重んじる人のなかには、「こども」や「子供」という表記が正しく、「子ども」という表記は好ましくないと主張する人もいます。
しかし、最近は「子ども」という表記が多いようです。
ソリューション・トークの会話例 43
ソリューション・トーク(ソリューション・フォーカスを使った会話)を日々ご紹介していきます。
Cl: 子どもが言うこと聞かないの。
Co: どうして言うこと聞かないのか、子どもに聞いてみましたか?
ワンポイント
従わせようとするのではなく、子どもの気持ちを理解しようとする姿勢を示し、対等な会話を始めます。
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おおざっぱな仏教の歴史
仏教を葬式以外では知らない方のために、予備知識として、
仏教の歴史を簡単に書いておこうと思います。
これから数回に分けて書いていきます。
インド仏教の展開
根本仏教(初期仏教)時代
お釈迦さん(ブッダ)は、紀元前4~5世紀頃、インド・ネパールあたりにシャカ族の王子として、母マーヤーから生まれました。
お釈迦さんの本名は、「ゴータマ・シッダールタ」と伝えられています。(ゴータマ族の成就者という意味で、後世名づけられたとも言われています。)
お釈迦さんは王子として何不自由なく裕福に暮らし、妻をめとってラーフラという息子もできますが、どんな裕福な暮らしも人生の苦悩からは逃れられないと思い、すべてを捨てて出家します。
(当時シャカ族は、国家というより共同体レベルの組織だったようです。王子といっても、それほど裕福ではなかったという説もあります。)
出家したお釈迦さんは、覚りを得てブッダ(仏陀)となります。ブッダとは「目覚めた人、覚りを得た人」という意味です。
誰でも覚りを得ればブッダ(仏)になれるというのが、仏教の基本的な考え方で、天地を創ったり人を創ったりするような超越的な神は想定しません。
仏教では、法(ダルマ)という言葉がよく使われます。法(ダルマ)は、世界の根本的、根源的な法則と言っていいかもしれません。
法(ダルマ)を理解し、法(ダルマ)に従って生きるのが仏教だとも言えます。
部派仏教時代
お釈迦さんが亡くなると、高弟が集まって、お釈迦さんの教えを確認するようなことが何度か行われます。この中で、最初の経典がまとめられていきます。
しかしその後100年もすると、教団は時代に応じて戒律を変えていこうとする革新派と、戒律を守ろうとする保守派などに分裂していきます。
分裂は繰り返され、二十ほどのグループに分裂していきます。このように多くの部派が競い合った時代を部派仏教時代と呼んでいます。
この時代にアショーカ王という王様が登場します。アショーカ王は戦に戦を重ねた後、仏教に帰依します。アショーカ王は、仏教を保護し、仏教の普及に大きな力を発揮しました。
お釈迦さんの時代は新興の宗教や思想家が輩出した時代で、ジャイナ教を始め、仏教によく似た思想は他にもいろいろありました。その中で仏教だけが大きく勢力を伸ばせたのは、アショーカ王の働きによるところが大きいとも言われています。