コロナ小噺①全てなくなると、大事なものが見えてくる
みやたかなと申します。はじめましての方はこちらあけましておめでとうございます(遅)年末、3年間で初めてコロナに感染しましてw大打撃で体調戻らぬまま、じわじわ回復してきました♡病気ってスゴイんだなぁって思って、この時間はとてつもなく豊かだったなと少し過ぎてみて思ったので、今回はそんな話を。元気な時って、夢がたくさんあるでしょう?世界を旅したい子供に良い教育を与えたいもっと良い暮らしがしたいこういうものが欲しいなこんな仕事ができたら良いのにもっと綺麗になりたいとか、色々。それでね、いざ病気になって倒れてみると、ずっとパジャマずっと寝てるずっと食べられない何もやる気起きないという、極めてシンプルなただ生きているだけの状態になっちゃう。「成り下がった」という気持ちになりました。そして、なんて価値がないんだろう何にもできないんだなこのまま何もできなかったらどうしよう周りに迷惑かけちゃって申し訳ないほんとにごめんなさい寂しい〜泣孤独感やばい〜泣不安だぁ〜泣どうしよう〜泣やばい、今まで大事だったものが何も大事じゃないかもしれないやっべー人生詰んだ気がする!!!となりました!笑私は服が好きなんですけど、病気だとおしゃれとかどうでもいいですよねw靴も服も髪もコスメも要らないし多額のお金は治療費がかからなければ要らない。必要なのは水食事歯と消化と排泄ができる身体布団パジャマ世話を焼いてくれる身近な人(家族とか)最低限のお金日光以上でしたwちょっとした死を感じた!笑家族って、めんどくさいでしょう?私は子供を愛してるけど子育てが苦手すぎてうまくできないから嫌いだし夫にはムカつくこともたくさんあって、愛してなきゃとっくに離婚してるしw親のことは大好きだけど負い目があって不出来な自分に申し訳なさもあり指針をわかってもらえない切なさとかもあり少し距離をとりたかったりしました。義両親や親族は、頼ってはいけないって思って生来の親族間トラブルによる回避精神が働き仲良しだけど距離遠め。を心がけていました。でも、いざ崩れたら頼りになるのは家族だし何にもできない私を心配してくれたり子供を預かってくれたりしてなんにもできない私を愛してくれているのも家族でした。となると、ありがたさに泣けるとともにやばいことに気づくんです。「私は、自分可愛さに、この世で一番大切な家族を実はないがしろにして心を通わせることをやりきれていなかったんではないか」「母として子育てをうまくできない自分の不甲斐なさに子育てを忌避したい気持ちがあったけれど、本当は、うまくいくことが大切なわけではなくて、ただ子供たちは私に愛されている実感さえあればよかったんではないか」「もっと、子供の気持ちをたくさん聴いてあげるべきだったんではないか。忙しさで、早くしなさいと急かすのではなくて。」「もっとその時の子供の可愛さを存分に味わえば良かったんではないか。ワーママで余裕がなかったけれど。」「どうせ18年間すぎたら巣立つのだから、自立を促す子育てをしてきたけれど、2022年は娘には負担だったのかもしれない。長女の小学校生活は、私のサポート不足のせいで大変だったのかもしれない。」「私は、自分の人生の出来高への焦りがあったけれど、そんなものは要らなかったのかもしれない」と。続く!読んでくださってありがとうございます提供中のMENUはこちらかなのウフフ公式LINEこちらをクリックまたは @wyd1575w で検索してご登録を♡(登録したよスタンプ嬉しいです〜)