日時計主義の生き方 -14ページ目

悪しきことはただの妄想?



善き事を思えば善き事があらわれる。

その善き事は実在界の延長である。

それは実在性をもっているのである。



然しながら、悪しきことを思えば゛悪しき事゛が

現われる・・・・しかし、その゛悪しき事゛は善き事と

同じく実在性を持っているのだろうか???



悪しき事は想念のただの妄想であって、

それは実在界の延長でもなければ、

真に存在性をもっているものでもないのである。



催眠術をかけて、蝋燭をバナナだと暗示して披術者に

与えると、披術者は蝋燭をバナナだと幻想しおいしそうに食べる



しかし、実際にはそこにはバナナなど無い、

それと同じく病気を想って、病気が現われ、

災害を想って災害が現われるのは何故か?



それは、人類の心的経験として、

それが立体的に感じられるに過ぎないのである。



どんな悪でも、病気でも、災害でも、貧乏でも、失敗でも、

如何なる不幸でも、それらに襲われたときには、



直ちに「それは仮想で幻である、現実性の無いものであるから、

頓着する必要はない。実相は既に完全である。

自分は神から与えられた使命を唯果たすだけだ」と念じて、



日常生活の為すべき事をただ素直に当たり前に行じて行くことによって、

病気き消え去り、不幸や、災害は遠ざかってしまうものなのである。


不幸や病気には実在性はないのである。


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さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


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過ぎ去るものは実在にあらず


外界に何が起ころうとも、供給の本源を神に帰せよ。

供給の本源は神であって常に無限であるのである。



その無限が断ち切られるのは、

真に断ち切られたのではなく、



意識の世界に於いて「神とのつながり」を忘れてしまうがゆえに、

無限供給から断ち切られた如き現象を現すだけのことなのである。



たとえ現象の状態がどうあろうとも、

神はあなたに宿り給うて、



あなたの必要とするものを求める形に権限すべく

永遠に働いていたまうのである。



どんな状態が現象界に起ころうとも、

現象の変化に心動揺させてはならない。



「神の他に何ものも無い。」

自分を生かしているのは全能の神なのである。



自分に供給を与えているのは供給の神だ。

神のほかには何も無いのだ。



悪は無いのだ。不幸は無いのだ。災害は無いのだ。

現象はただ影なのだ。



影は幻の如く一瞬一瞬消え去っていくのだ。

昨日の事も、先ほどのことも・・・



過ぎ去るものは実在にあらず、

実在にあらざるものを我と云うべからず。



仏心こそまさに我なり、

金剛心こそまさに我なり、


不壊なる者こそまさに我なり。

死せざる者こそまさに我なり。


尽十方に満つる者こそまさに我なり。

現象はただ影、影は幻の如く一瞬一瞬消え去っていくのだ



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神は生きている


神は決していと遙かなる天国にいられるのではない

神は今ここに自分に於いて体験し得る。



自分自身の生命が神なのである。

神は生きているのである。



「今ここに私の内に神は生きていたまう、神と私とは一体である。

私と神とは一体なるがゆえに、神の持ち給うすべての善きものは

今既にここにあるのである、ゆたかなる生命力、ゆたかなる知恵、

ゆたかなる愛、ゆたかなる富、それらはすでに与えられている」


このように念じて神に祈りを捧げるとよい。



ただ方便として祈るのではなくして、

現象の壁を突き破って、実相のゆたかさを

直接に見つめつつ念ずるのである。



そして、一椀の食事も、一枚の着物も、一着の洋服も、机も椅子も

悉く、自分の力で来たものではなく、



神の知恵と愛と生命との顕現として

尊敬し愛する実践がなければならない。



今ここに私の内に神は生きていたまう、神と私とは一体である。



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山川草木ことごとく仏の生命


釈迦がお悟りになったとき、「山川草木国土悉皆成仏」

とお知りになったのです。



今まで物質だと見えていた山も川も、草も木も、国土も、

悉く皆物質ではないのであって、現状せる仏のいのちだ、

と悟られたのであります。



又「有情非情同時成道」とも

その悟りを表現しておられます。



情あるものも、情あらざるものも悉く

今ここに現成せる「道」である。



「道」とは大生命である。

大生命が一切であって、大生命の他に何物もない

ということを悟られたのです。



同時と言うのは「無時の時」である。

「今、此処同時」である。



時間なきところ、時間によって生ずる本源の「無」、

その「本源の無」に於いては一切の事物が「同時存在」である。



釈迦はこの「無時の時」に於ける「同時」に於いて、

一切のものを観ぜられたとき、



生きとし生けるもの、ありとしあらゆるものが皆、

大生命(神)の現われであると悟られたのである。



大生命が一切であって、大生命の他に何物もない



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永遠の富を得るには



誰でも自己の内なるキリストに振り向いて、

自己の神性を自覚したとき、



劣等感が消滅し、何事を為すにも常に永遠に

勝利者となることができるのである。



『富を得んとして富が得られないのも』

それは自己の劣等感(罪悪感を含む)が、



自縄自縛して自由自在の知恵の働きを駆使して、

適当な時に適当な処置を取らせないからである。



゛自由自在の知恵゛と言っても、

自分が利益になることなら、他の人の損になっても構わない



機敏に立ち働けば善いなどと云うような利己主義の人間知恵

では一時は栄えても、やがて滅びることになるのである。



自己の内なるキリストに振り向いて、

其の神様から泉でるところの叡知を汲んで、



その導きに従って行動するとき、には、

人類に貢献する大事業を成しながら、

自分も又富むことができるようになるのである。



この時はじめて、「与える者は与えられる」の

心の法則が成就するのである。



「富」というものは、決して単なる「物質の集積」ではないのである。

「人の為になるもの」を造るのは゛知恵の働き゛である。



だから知恵こそが、本当の富の゛実質゛である。

「人の為になるもの」が富である。




その゛実質゛が現われて゛現象゛の富となるのである。

だから私達が富を得ようと思ったならば、



゛心の目゛を物質に向けることなく、

神のほうに振り向け、゛神の叡知の降下゛を祈り、



゛心の目をもって、自分のすべての行動及び

自分を取り巻く一切の事件及び事物に



゛神の叡知゛が降り注ぎ浸潤している光景を思い浮かべて、

それを瞑目のうちに凝視するようにしなければならない。



その時、自分の行動及び自分を取り巻くあらゆる事件

及び事物が神の知恵に導かれて、



社会、国家、人類に貢献しながら自分自身も

豊かに富んだ生活を送ることができるようになるのである。


「人の為になるもの」が富である。


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環境は神からの回答


神に求めて、神が応えたまわないと

云うことは決してないのである。



神は常に応え給うているのである。



あなたの現在の境遇、環境、あなたを取り巻く人々が

あなたに如何に立ち向うか、

全てあなたの心に対する神の答えである。



あなたは、周囲の人々のあなたに対する

処置が苛辣であるとしても、



それらの人々を恨んだり憎んだりしてはならない。

それは神からのあなたへの回答であり、

あなたへの点数である。



それはオートメーションの計器のように、

あなたの心と行動との点数が現われているのである。



しずかにその計器と目盛りを見て、

自分の心と行動とをあらためた上、



神に祈りを捧げ、損得の観念に捉われず、

「これを成せ」と心の底から浮かんでくるところの

正しい事を確実に実行するとよい。



困難な問題があるならば、

暫くその問題を心から放ち去って、



別の方面に善い事を実践しているなら、

困難な問題は自然に解決するのである



神は常に応え給うているのである。



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施しをする豊かな心とは?


今貧しさが現われていたなら、

過去の自分の心が貧しかった

ことの投影であるのであるのである。



如何に自分が知恵を施すのにケチであったか、


如何に自分は愛を施すのにケチであったか、


如何に自分は生命を奉げるのにケチであったか、


又如何に公のために財を施すのにケチであったか、


を反省して、そのケチの心境を捨て去るべきである。



ケチなのは゛心の貧しさの証拠であるから、

その現われが貧乏としてあらわれて来るのは当然である。



釈尊が「飢饉の時ほど托鉢せよ」

と教えられたのは、飢餓で貧しくなるのは、

自分の心がケチであった反映であるから、



「施し」をする豊かな心を呼び出してあげるために、

「施し」を受けるための鉢をたずさえて飢餓の村々

を廻れと教えられたのである。



裕かなる心のみが豊かなる物を生み出すのである。



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あなたの内に一切がある



今ここに自分の内に神が在すのである

神は無限の全であり、無限の愛であり、

無限の知恵であり、無限の供給であるから、



今、此処に無限の善が無限の祥福が

自分の内にあるのである。



キリストは「神の国は汝の内にあり」と教えている。

まことにもあなたの内に一切があるのである。



それなのに外にそれらのものがあると思って、

自分の内を磨くことをしないで、



外にそれを掴もうとするところに間違いがある。

それは恰も映画のスクリーンに向かって、



スクリーンにある映像を掴もうと思って

跳びついて行くようなものである。



映画画面上の画像は、それ以前に作られた

フィルム上の画像であるように、

現象界の事物は、それ以前に作られてある。



あなたが自己の本性の完全さを自覚すればする程、

現象界にはその完全さを実現するために

自然的順序ある動きが現われてくるのである。



あなたの内に一切があるのである。



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起きた事件や問題に感謝する



いくらなんでも、あんな酷い目に合い

感謝なんかできっこない、と思うかもしれない。



しかし或る意味に於いては感謝できない場合は、

心の底で不平に思っているか、憎んでいるか、

恨んでいるかしているのである。



そして、不平や憎みや恨みは一種の呪いであるから、

相手の人又は事件又は環境を呪っているという事になる。



そして、あなたが呪っている限りに於いて、

自分の受けた禍害は去らないのである。



環境を呪っている限りに於いて悪しき環境は去らない。

環境に感謝したとき環境が一変して天国浄土となるのである。



人を呪っている限りに於いて、

その人の意地悪は消えない。



その人を祝福し感謝するようになったとき、

その意地悪だった人が深切な味方に一変するのである。



不快な事件を憎んでいる限りに於いて其の不快な事件が後を引く、

「その事件があればこそ」とその事件に感謝するようになったとき、



その事件から受けた痛手はその影を消すのである。

まさに感謝は全てを癒す万能剤である。



起きた事件や問題に感謝したとき一変して天国浄土となる



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問題は自己反省の機会


問題が起こった場合、その問題は一見

誰か「他の人」の失錯又は悪意が原因に

なって起こったと見えるかもしれない。



しかし、そんな場合でも、決してその「他の人」を

恨んだり呪ったりしてはならないのである。



「一切万事我より出で我に還る」のが心の法則であるから、

現象的にはその事件は他の人が起こしたように見えても、



実はその人自身の心の波が「波長の合うもの」を

引き寄せたのである。



人が悪い悪いとと思っていたら、

「立ち向かう人の心」は自分の心の鏡であって、



「心の法則」が自分自身の心の状態を

「他の人」と云う「鏡」に映し出して自分自身の

心を反省して改めるように摂理されているのである。



自己反省の機会として与えられているのが、

所謂「問題」であるから、本当に自己反省が徹底して、



自分の心が改まったら環境も改まってくるし、

問題も解決してしまうのである。



相手や他の人や環境に罪をきせて、

自己反省もせず、自分のいいのがれを

しているような事では問題は解決しないのである。



自己反省の機会として与えられているのが、「問題」である



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