幸四郎の舞台の録画を見終わり、改めて塩野七生のカエサルを斜めに読んでみた。

シェークスピアとバーナード・ショーのカエサルの戯曲も借りてきたがこちらは進んでいない。


あらためて、カエサル(ガイウス・ユリウス・カエサル、ジュリアス・シーザー)に思うことを連ねておきたい。



 ガリア戦記の文章が、カエサルの人物を表象している。実務的な名文で、同時期の演説家の美文名文のキケロとの好一対。カエサルは、戦士であり政治家であり文章家だった。

 戦場における彼の禁欲的生活。属州の総督としての特権的生活でなく、兵士同様の生活を厳格に守った。カエサルの軍団の忠誠心は強固なものがあった理由のひとつだろう。戦いごとの見事な戦術の展開も連中を勇気づける。

 ガリア、ゲルマニアなどの属州を征服するが、降伏した相手はローマ人に取り入れる道を開き、抵抗した相手は徹底して殲滅した。このことが被征服者を懐柔する大きな手立てだったと思われる。しかし、天文学的な借金を帳消しにする戦利品もあったわけだ。征服された側の歴史や著述はない。

 共和政の存続か帝政による独裁か?良い独裁者による帝政を目指す。元老院による共和制は時間と費用がかかりすぎると思ったに相違ない。小沢一郎と似て非なるところがある。

 具体的にカエサルは独裁官として共和政から帝政への移行のため、政治・経済・社会等、次のような諸制度の改革を行うなど実に実務的であった。(以下はウィキペディアより抜粋)

 後継者に18歳のオクタビアヌス(アウグストゥス)を遺言するが、彼の病弱な性質を補佐する勇猛果敢なアグリッパを併せて指名し軍事は任せさせるという慧眼。私情ではなく冷徹に我が後継者を見ている。

塩野七生は、オクタビアヌスはカエサルと違って「偽善」を演出できる、と言っているが、そのような性格も必須としてカエサルは読み取っていたのであろう。

 カエサル暗殺の首謀者は、カエサルの生涯の愛人の子である「ブルータス」(マルクス・ユリウス・ブルトゥス)
であるのが定説である。一方で、カエサルの腹心の部下で第2後継者として遺言に指名していたもう一人の「ブルータス」(デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス)
も17人の暗殺団の一人であった。

「ブルータス、お前もか」というカエサルの最期の言葉は、首謀者であったマルクス・ブルータスに対して発したというのがこれも定説だが、塩野七生は第二後継者に名指ししていたデキムス・ブルータスに対してだったという可能性が高いと推測している。

そして、暗殺の後、カエサルの遺言が開かれ、その中に第2相続者として名前があることを知ってデキムス・ブルータスの顔色は灰色になったと言っている。

 カエサルが女たらしと言うかプレーボーイであったのはほぼ定説で、塩野七生は愛人の誰一人彼を悪く言わなかった理由を3つ、女性の視点から推測している。第一に多額の借金をしてまで豪華なプレゼントを多数送ったこと、第二に愛人の存在を全く隠さなかったこと、第三に誰とも決定的には別れなかったことだそうである。カエサルの大きな一面が見えてくる。クレオパトラ20数歳カエサル50歳の関係だ。勿論、双方の政略も多いにからんでいる。

 借金王としてのカエサルもユニークだった。31才のまだ政界に出ないうちから11万人の軍を1年間養える額を個人的借金としてもち、その後公的生活に入っても私財を投じて見世物や街道修復など行い人気取りをしたので、天文学的数字に膨れ上がったろいう。借金もここまで大きくなると破産させられないことを逆手にとった。最大で国家予算の10%に及んだと言う。

三頭政治の一翼をになう大富豪のクラッススが彼の最大の貸主でありまた庇護者で双方に手を組む理由があった。大した度胸とブラフの持ち主であったといえる。しかしそんな天文学的借金も全部返して余りがあるというのだから、桁違いのことだ。遺産相続人のアウグスツゥスは1億セステルテイウス(250億円位か)より名を継ぐ方が価値があるといったそうなので、結局、晩年にはカエサルは相当の個人資産を残していたことになる。

アウグスツゥスは一読でで身分の低い騎士階級名前(ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス)であったが、カエサルの後継者となることで名前も相続して(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス)、将来の皇帝になるにふさわしい名前を名乗ることに満足しカエサルの配慮に感謝したことだろう。

 「ローマ帝国衰亡史」の作者エドワード・ギボンは、カエサルの人物を講評している。

『あの抜群の統率力、素晴らしい寛容性、また享楽好きと知識欲と

燃えるような野心とを見事に調和させた多彩多能の才幹』

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塩野七生がローマ人の物語の中で文庫本で6冊分で表したユリウス・カエサルの一代を数時間の舞台でとても現せるのもではなく、戯曲化するにはもともと無理がある。

良いとこ取りのオムニバスにならざるを得ない。

が、シェークスピアやバーナードショーに列するチヤレンジは是としたい。



カエサル亡き後のローマ人の物語は、これから延々と続くことになる。

今度は幸四郎のカエサルをじっくり通して見てみようと思う。