ハカセとよばれる社長のブログ
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『 チームビルド 』

何年か前、
マーケティング部門を、

自分で直接見ることになった時期があった。

久しぶりに、

一つのチームの中に入って、

同じ目標を追いかけた。

そこで改めて思った。

チームをつくるというのは、難しい。

厳しいだけでは、

人はついてこない。

数字。

目標。

期限。

結果。

そればかりを追いかけて、

「とにかくやれ」

「結果を出せ」

と言い続ければ、

一時的には数字が上がることもある。

でも、

そのうち人の心が離れていく。

では、

優しければいいのか。

それも違う。

何でも許す。

嫌な仕事はさせない。

失敗しても何も言わない。

みんな仲良く、

楽しく仕事をしましょう。

それだけでは、

組織はいずれ弱くなる。

会社は、

“大人の幼稚園”ではない。

仲良くするためだけに、

人が集まっているわけではない。

会社というのは、

一人ではできない仕事を、

人が集まることで成し遂げる場所だ。

だから、

成果を出さなければならない。

厳しさは必要だ。

でも、

ここで間違えてはいけない。

厳しいことと、人を大切にしないことは、まったく違う。

私は昔から、

人には必ず、

何か一つは良いところがあると思っている。

仕事が速い人。

人と話すのが上手い人。

数字に強い人。

細かいところに気づく人。

誰かを支えるのが上手い人。

前に出るのは苦手でも、

任されたことを黙々とやり続けられる人。

ところが、

本人でさえ、

自分の良さに気づいていないことがある。

まして、

最初から仕事のできる人なんて、

そんなにいない。

だから、

その人の中にあるものを見つけ、

引っ張り出して、

仕事につなげていく。

それが、

上に立つ人間の仕事だと思っている。

もちろん、

時間がかかることもある。

何度教えても、

できないこともある。

「なんで分からないんだ」

と思うことだってある。

それでも、

すぐに、

「あいつはダメだ」

と決めてしまうのは簡単だ。

でも私は、

ここに一つ、

上司が自分自身に問いかけなければならないことがあると思う。

「本当に、その人がダメなのか。」

それとも、

「自分が、その人を活かせていないだけなのか。」

これは、

上に立つ人間には、

結構きつい問いだと思う。

人には、

向き不向きがある。

得意不得意もある。

同じ説明をしても、

すぐ理解する人もいれば、

時間がかかる人もいる。

だから、

仕事を与えるだけではダメなのだ。

「これをやっておいて」

ではなく、

なぜ、この仕事をするのか。

そこまで伝えなければならない。

人は、

自分がやっていることの意味が分からなくなると、

少しずつ仕事を、

「作業」に変えていく。

言われたからやる。

怒られるからやる。

給料をもらっているからやる。

それでは、

仕事は面白くならない。

そして、

そんな人が増えていけば、

チームは静かに弱くなっていく。

逆に、

「なぜ、この仕事をするのか」

「自分の仕事が、どこにつながっているのか」

「誰の役に立っているのか」

それが分かってくると、

同じ仕事でも、

見え方が変わる。

私は、

人が育つ瞬間というのは、

何かを教えた瞬間ではないと思っている。

本人が「分かった」と思った瞬間でもない。

実際にやってみて、

苦労して、

失敗して、

それでも続けて、

ある日、

小さな結果が出る。

「あれ、できた。」

その瞬間だ。

私はこれを、

小さな成功体験

だと思っている。

最初は、

本当に小さくていい。

一件売れた。

一人のお客様に喜ばれた。

昨日できなかったことが、

今日はできた。

自分で考えてやったことを、

誰かに認めてもらえた。

その、

ほんの小さな「やった」が、

人を変える。

義務だった仕事が、

少しだけ面白くなる。

面白くなるから、

もう少しやってみる。

もう少しやるから、

また結果が出る。

結果が出るから、

自信がつく。

そして、

いつの間にか、

「やらされている人」が、

「自分からやる人」に変わっていく。

チームビルドというのは、

たぶん、

この小さな連鎖を、

チームの中にいくつつくれるか、

ということなのだと思う。

だから、

上司は忙しい。

教える。

任せる。

待つ。

失敗させる。

一緒に考える。

時には厳しいことも言う。

できたら、

ちゃんと認める。

そして、

また任せる。

面倒だ。

自分でやった方が、

圧倒的に速いこともある。

「もう俺がやるよ」

と言いたくなることなんて、

何度もある。

でも、

そこで自分がやってしまったら、

仕事は終わっても、

人は育たない。

これが、

上に立つ人間の難しいところだと思う。

そしてもう一つ。

昔から、

私はどうしても好きになれない言葉がある。

「あいつは使えない。」

人を、

道具みたいに言う言葉だ。

もちろん、

会社である以上、

何年経っても求められる仕事ができなければ、

配置を変えたり、

役割を変えたり、

時には厳しい判断をしなければならないこともある。

何でも、

「育てれば何とかなる」

などと言うつもりはない。

でも、

見切りをつける前に、

上に立つ人間には、

やるべきことがある。

教えたのか。

意味を伝えたのか。

本人の良いところを探したのか。

仕事の与え方を変えてみたのか。

小さな成功体験をつくらせたのか。

そこまでやって、

初めて判断すればいい。

人を育てるという仕事を適当にやって、
人の能力だけを評価するのは、フェアではない。

私はそう思う。

そして、

長く会社をやっていると、

もう一つ分かってくる。

人を育てることは、

その人のためだけではない。

昨日までできなかった人が、

できるようになる。

自信のなかった人が、

堂々と仕事をするようになる。

指示を待っていた人が、

自分で考えて動き始める。

そして、

いつの間にか、

今度はその人が、

後輩を教えている。

そんな姿を見ると、

不思議なもので、

育てたこちらの方が、

力をもらう。

教えることは、教わることなのだ。

人に何かを教えようとすると、

自分が曖昧に理解していたことに気づく。

なぜ、そうするのか。

なぜ、それが大切なのか。

どうすれば、相手に伝わるのか。

人に伝えるために、

もう一度、自分で考える。

言葉にする。

やって見せる。

そして、

相手の反応を見ながら、

また考える。

だから実は、

教えた自分が、一番勉強になっている。

人を育てながら、

自分も育てられているのだと思う。

そして、

その部下が、

次の誰かを育て始めた時、

初めて、

チームは本当に強くなる。

強いリーダーがいるチームが、

強いのではない。

強い人間が、次々と育っていくチームが強い。

一人のスーパーマンが、

全部を引っ張る組織には、

限界がある。

その人がプレーヤーであり続けなければ、

止まってしまうからだ。

だから、

リーダーの本当の仕事は、

自分が一番活躍することではない。

自分がプレーヤーにならなくても、
チームが前へ進める状態をつくること。

自分がいちいち指示を出さなくても、

それぞれが考え、

それぞれが判断し、

それぞれが自分の役割を果たす。

そして、

必要な時には、

互いに助け合う。

そこまでいって、

ようやく「チーム」になる。

そして、

自分より仕事のできる人間を、

一人でも多くつくること。

それができたら、

そのリーダーは、

たぶん本物だ。

厳しさを教える。

優しさを忘れない。

仕事の意味を伝える。

小さな成功を一緒に喜ぶ。

そして、

いつか、

自分がプレーヤーにならなくても、

チームが走れるところまで、

人を育てる。

それが、

私の考える、

チームビルド。

チームとは、

人を集めてつくるものではない。

人が育ち、
その人がまた誰かを育てる。

そして、

教えた人間もまた、

教えることで育っていく。

その連鎖によって、

強いチームは、

つくられていくのだと思う。

 

『 無の日々と継続の日々 』

人は、

 

毎日、同じ時間に起き、

 

同じように仕事をして、

 

同じように飯を食い、

 

また一日を終える。

 

昨日と今日なんて、

 

そんなに変わらない。

 

今日と明日だって、

 

たぶん、そんなに変わらない。

 

人生というものは、

 

振り返れば大きく変わっているのに、

 

その一日、一日だけを見れば、

 

驚くほど地味なものだ。

 

会社をつくったからといって、

 

翌日から人生が変わるわけではない。

 

新しい仕事を始めたからといって、

 

すぐに金が入ってくるわけでもない。

 

努力したからといって、

 

翌朝、突然何かが起きるわけでもない。

 

むしろ、

 

何も起きない日の方が圧倒的に多い。

 

私は、

 

この「何も起きない日」というものが、

 

実は人生で一番怖いと思っている。

 

 

失敗した日は、

 

まだ分かりやすい。

 

悔しい。

 

腹が立つ。

 

反省する。

 

そして、

 

次を考える。

 

成功した日も分かりやすい。

 

嬉しい。

 

自信になる。

 

またやろうと思える。

 

厄介なのは、

 

何も起きない日だ。

 

やっても、

 

やっても、

 

何も変わらない。

 

昨日と同じ景色。

 

今日も同じ景色。

 

明日もたぶん、

 

同じ景色。

 

そんな日が続くと、

 

人は思い始める。

 

「これ、本当に意味があるのか?」

 

「このまま続けて、何か変わるのか?」

 

そして、

 

ここで多くの人がやめる。

 

でも、

 

長く経営をしてきて、

 

私は一つ分かったことがある。

 

人生を変えたのは、特別な一日ではなかった。

 

何も起きなかった日の積み重ねだった。

 

会社を起こした一年目。

 

顧客は756人だった。

 

756人。

 

今から見れば、

 

小さな数字だ。

 

それが、

 

100,000人が届くところまで来た。

 

でも、

 

756人が翌年いきなり100,000人になったわけではない。

 

一人増えた。

 

また一人増えた。

 

減った。

 

また増えた。

 

失敗した。

 

やり直した。

 

そんなことを、

 

延々と繰り返しただけだ。

 

たぶん、

 

その途中にいた自分には、

 

未来なんて見えていなかった。

 

これでいいのか。

 

本当に大丈夫なのか。

 

いつまでこんなことを続けるんだ。

 

暗雲が漂うような日もあった。

 

「どうして自分にばかり、こんなことが起きるんだ」

 

そんなふうに、

 

自分を可哀想だと思ったことだってある。

 

でも、

 

ある時から考え方を変えた。

 

これは、誰かに試されているんじゃないか。

 

そう思うことにした。

 

神様なのか、

 

運命なのか、

 

世の中なのか、

 

誰が試しているのかは知らない。

 

でも、

 

そう考えた方が面白い。

 

「お前、ここでやめるのか?」

 

そう聞かれている。

 

だったら、

 

もう少しやってみようじゃないか。

 

そう思った。

 

人生には、

 

何度か長いトンネルがある。

 

出口なんて、

 

まったく見えない。

 

後ろを振り返っても暗い。

 

前を見ても暗い。

 

どっちへ行っても暗い。

 

そんな時、

 

人は立ち止まりたくなる。

 

でも、

 

トンネルの中で立ち止まったら、

 

景色は永遠に変わらない。

 

一歩でもいい。

 

前へ進むしかない。

 

そして、

 

これも長く生きていると分かってくる。

 

出口が見えないことと、出口がないことは、まったく違う。

 

見えていないだけなのだ。

 

あと100メートルなのかもしれない。

 

あと1キロなのかもしれない。

 

ひょっとしたら、

 

あと10キロあるのかもしれない。

 

そんなことは分からない。

 

でも、

 

一歩進めば、

 

出口までの距離は確実に一歩縮まる。

 

人生とは、

 

案外それだけのことなのかもしれない。

 

私は、

 

人生というものは、

 

自分が起こした小さな行動から生まれる、

 

連鎖反応の積み重ね

 

だと思っている。

 

一人に電話する。

 

一通のメールを送る。

 

一つの商品をつくる。

 

一人の人間に会う。

 

一つ決断する。

 

ほんの小さなことだ。

 

でも、

 

その一つが、

 

次の一つを生む。

 

その一つが、

 

また別の一つにつながる。

 

そして、

 

何年も経って振り返った時、

 

「あの時の、あれだったのか」

 

と気づく。

 

人生を変えた出来事というのは、

 

起きた瞬間には、

 

それが人生を変える出来事だとは、

 

案外分からないものだ。

 

失敗しても、

 

何かが起きる。

 

成功しても、

 

何かが起きる。

 

失敗したから、

 

出会う人もいる。

 

負けたから、

 

考えることもある。

 

遠回りしたから、

 

見える景色もある。

 

だから、

 

失敗だって、

 

連鎖反応の一つなのだ。

 

ところが、

 

一つだけ、

 

何も生まないものがある。

 

何もしないことだ。

 

何もしなければ、

 

失敗しない。

 

恥もかかない。

 

傷つかない。

 

金も失わない。

 

人から笑われることもない。

 

安全だ。

 

でも、

 

何も起きない。

 

失敗が起きない代わりに、

 

成功も起きない。

 

出会いもない。

 

偶然もない。

 

奇跡もない。

 

何もしなければ、

 

人生は、

 

真っ白なんだ。

 

私は、

 

失敗した後悔より、

 

何もしなかった後悔の方が、ずっと怖い。

 

「あの時、やっておけばよかった」

 

「あの時、一歩踏み出していたら」

 

「あの時、怖がらずに挑戦していたら」

 

そんなことを、

 

人生の最後に考えたくない。

 

失敗したなら、

 

まだいい。

 

「あれはダメだったな」

 

そう言って笑えばいい。

 

金を失ったなら、

 

また稼げばいい。

 

転んだなら、

 

また立てばいい。

 

でも、

 

やらなかった時間だけは、

 

取り戻すことができない。

 

だから私は、

 

小さな連鎖反応を、

 

断ち切りたくない。

 

大きなことなんて、

 

毎日起こさなくていい。

 

人生を変えるような決断なんて、

 

そう何度も必要ない。

 

今日、

 

ほんの一歩だけ進めばいい。

 

そして明日も、

 

一歩だけ進む。

 

誰にも評価されない日も。

 

何の成果も出ない日も。

 

「こんなことを続けて意味があるのか」

 

と思う日も。

 

それでも、

 

続ける。

 

その、

 

一見何も起きていないように見える時間を、

 

私は、

 

「無の日々」

 

と呼びたい。

 

でも、

 

本当は無ではない。

 

水面の下では、

 

何かが少しずつ動いている。

 

見えないところで、

 

次の出来事につながる何かが、

 

静かに積み上がっている。

 

そして、

 

ある日突然、

 

それまで点だったものが、

 

一本の線につながる。

 

人はそれを、

 

成功と呼んだり、

 

運と呼んだりする。

 

でも、

 

本人だけは知っている。

 

突然なんかじゃない。

 

あの、

 

何も起きなかった日々があったからだ。

 

だから、

 

今日、

 

何も起きなくてもいい。

 

結果が出なくてもいい。

 

誰にも褒められなくてもいい。

 

昨日より、

 

ほんの少しでも前へ進んでいるなら、

 

それでいい。

 

無の日々を恐れるな。

 

継続の日々を疑うな。

 

何も起きていないように見える今日が、

 

いつか振り返った時、

 

人生を変えた一日の一つになっているかもしれない。

 

そして、

 

もし今、

 

長いトンネルの中にいるのなら、

 

これだけは忘れないでほしい。

 

出口が見えないことと、

 

出口がないことは、違う。

 

止まらなければいい。

 

一歩でいいから、

 

進めばいい。

 

小さな連鎖反応を、

 

自分から断ち切らなければいい。

 

人生は、

 

たぶん、

 

そうやって動いていく。

 

出口のないトンネルなどない。

 

ただ、

 

出口に辿り着くまで、

 

歩くのをやめなければいい。

 

『 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 』

雨ニモマケズ。

 

 

風ニモマケズ。

 

 

二日酔いにも負けぬ、丈夫な身体をもち。

 

 

経営をしていると、

 

 

雨どころか、

 

 

風どころか、

 

 

毎日のように何かが降ってくる。

 

 

 

売上が前年を下回れば、

 

 

「何かがおかしいんじゃないか」と考え、

 

 

景気が悪くなれば、

 

 

「この先、本当にモノは売れるのか」と心配する。

 

 

円高になれば円高を心配し、

 

 

円安になれば今度は円安を心配する。

 

 

株価が暴落すれば、

 

 

自分の心まで暴落する。

 

 

政治を見れば、

 

 

「もっとやれ・・・」

 

 

「いや、それはちょっとやり過ぎだろう」と思ったりする。

 

 

「これが人間だもの・・・」

 

 

と、相田みつをさん風に。

 

 

強そうな顔をしていても、

 

 

心の中では、

 

 

毎日、ブルブル揺れている。

 

 

でもさあ、長く経営をしていると、

 

 

分かってくることがある。

 

 

心配したことのほとんどは、まだ起きていない。

 

 

そして、

 

 

実際に起きたことの多くは、

 

 

心配していた通りには起きなかった。

 

 

未来というものは、

 

 

こちらの予想を、

 

 

良い意味でも、

 

 

悪い意味でも、

 

 

簡単に裏切ってくる。

 

 

だったら、

 

 

まだ起きてもいないことに、

 

 

今日という一日を全部使ってしまうのは、

 

 

もったいない・・・

 

 

もちろん、

 

 

何も考えなくていいということではない。

 

 

経営者は、

 

 

誰よりも先を考えなければならない。

 

 

最悪の事態も考える。

 

 

石橋も叩く。

 

 

私はたぶん、

 

 

人よりかなり叩く方だと思う。

 

 

叩いて、

 

 

叩いて、

 

 

叩く。

 

 

それでも心配なら、

 

 

もう一度叩く。

 

 

ただし、

 

 

一つだけ気をつけている。

 

 

石橋を叩くことに夢中になって、橋を渡ることを忘れないこと。

 

 

経営には、

 

 

考えて分かることと、

 

 

考えても分からないことがある。

 

 

分からないことを、

 

 

いつまでも分かろうとして立ち止まっているより、

 

 

最後は、一歩を踏み出すしかない。

 

 

そこで失敗したら、

 

 

また考えればいいんだよ。

 

 

間違えたら、

 

 

戻ればいい。

 

 

壊れたら、

 

 

つくり直せばいい。

 

 

なぜなら・・・

 

 

そもそも最初は、

 

 

何もなかったのだから。

 

 

会社もなかった。

 

 

売上もなかった。

 

 

スタッフもいなかった。

 

 

信用もなかった。

 

 

実績もなかった。

 

 

それでも、

 

 

何もないところから、

 

 

一つずつつくってきた。

 

 

ところが不思議なもので、

 

 

人間は何かを手にすると、

 

 

今度はそれを失うことが怖くなる。

 

 

ゼロだった頃は、

 

 

失うものなど何もなかったから、

 

 

前へ行くことしか考えていなかったのに。

 

 

それなのに、

 

 

会社が大きくなり、

 

 

売上が増え、

 

 

人が増え、

 

 

守るものが増えていくと、

 

 

いつの間にか、

 

 

「どうやって増やすか」より、

 

 

「どうやって失わないか」を考えるようになってくる。

 

 

これは経営者にとって、

 

 

結構怖いことだと思う。

 

 

守ることは大切だ。

 

 

でも、

 

 

守ることだけを考え始めた瞬間から、

 

 

人は少しずつ、

 

 

挑戦する理由を失っていく。

 

 

だから私は、

 

 

時々、自分に言い聞かせる。

 

 

始めはゼロだったじゃないか。

 

 

そう思うと、

 

 

少しだけ怖くなくなる。

 

 

失敗してもいい。

 

 

負けてもいい。

 

 

格好悪くてもいい。

 

 

もう一度やればいい。

 

 

本当に怖いのは、

 

 

失敗することではなく、

 

 

失敗を恐れるあまり、

 

 

挑戦しなくなることなのだと思う。

 

 

雨の日もある。

 

 

風の日もある。

 

 

どうにもならない日もある。

 

 

心が折れそうになる日だってある。

 

 

だから、

 

 

「雨ニモマケズ」というのは、

 

 

雨を感じない人間になることではないのだろう。

 

 

濡れながら、

 

 

寒いなと思いながら、

 

 

時には立ち止まりながら、

 

 

それでも、

 

 

また歩き出すことなのだと思う。

 

 

強い人とは、

 

 

何があっても揺れない人ではない。

 

 

揺れても、最後には自分の場所へ戻ってこれる人なのだろう。

 

 

私の場合、

 

 

戻ってくる場所は、

 

 

挑戦すること。

 

 

転んだら、

 

 

また立つこと。

 

 

負けたら、

 

 

もう一度やること。

 

 

そして、

 

 

自分の仕事が本当に誰かの役に立っているのなら、

 

 

金は後からついてくる。

 

 

そう信じて、

 

 

また明日も仕事をする。

 

 

たぶん私は、

 

 

死ぬまでそんなことを繰り返しているのだろう。

 

 

雨ニモマケズ。

 

 

風ニモマケズ。

 

 

失敗ニモマケズ。

 

 

そして、

 

 

何かを失うことを、

 

 

恐れ過ぎず。

 

 

だって、

 

 

始めはゼロだったのだから。

 

 

何歳になっても、

 

 

もう一度、

 

 

ゼロから始められる人間でいたい。

 

 

サウイフモノニ

 

 

ワタシハ

 

 

ナリタイ。

 

孤独を否定するのではなく、孤独を抱えたまま歩く。寂しさを消すのではなく、寂しいまま自分で決める。

なかなか一歩を踏み出せない人がいる。

 

 

失敗するのが怖いからだろうか。

 

 

もちろん、それもあると思う。

 

 

でも、本当に怖いのは、

 

 

失敗することではなく、

 

 

そのとき、一人になってしまうことなのかもしれない。

 

 

新しいことに挑戦するとき、

 

 

人は少しずつ、それまでいた場所から離れていく。

 

 

誰かが敷いてくれた道ではなく、

 

 

自分で選んだ道を歩き始めるからだ。

 

 

正しいのか。

 

 

間違っているのか。

 

 

このまま進んでいいのか。

 

 

答えは、誰も教えてくれない。

 

 

そんなとき、

 

 

誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしくなる。

 

 

自分の選択は間違っていないと、

 

 

誰かに背中を押してほしくなる。

 

 

寂しくなれば、誰かに電話したくなる。

 

 

苦しくなれば、誰かに頼りたくなる。

 

 

それは、人間だから当たり前のことだと思う。

 

 

私だって、そうだ。

 

 

強い人間だから、一人で歩いてきたわけではない。

 

 

不安になることもある。

 

 

寂しくなることもある。

 

 

誰かに分かってほしいと思うこともある。

 

 

それでも、

 

 

最後の最後には、

 

 

自分で決めなければならないことがある。

 

 

誰かに手を握ってもらったままでは、

 

 

越えられない場所がある。

 

 

なぜなら、

 

 

その挑戦は、

 

 

誰かの人生ではなく、

 

 

自分の人生だからだ。

 

 

自分で決めたことなら、

 

 

うまくいっても、

 

 

失敗しても、

 

 

最後は自分で引き受ける。

 

 

そこから逃げてはいけない。

 

 

孤独は、決して格好いいものではない。

 

 

寂しさも、隠す必要はない。

 

 

夜、一人になったとき、

 

 

「本当は怖い」

 

 

と思ったっていい。

 

 

「寂しい」

 

 

と思ったっていい。

 

 

泣いたっていい。

 

 

ただ、

 

 

その寂しさを埋めるためだけに、

 

 

誰かの人生にしがみついてはいけない。

 

 

自分の人生を歩くためには、

 

 

いつか一人で立たなければならない時が来る。

 

 

その一歩は、

 

 

たぶん、とても怖い。

 

 

誰もついてきてくれないかもしれない。

 

 

振り返っても、

 

 

誰もいないかもしれない。

 

 

それでも、

 

 

自分で決めた道を、

 

 

もう一歩だけ歩いてみる。

 

 

孤独も、

 

 

寂しさも、

 

 

無理に隠さなくていい。

 

 

それは弱さではなく、

 

 

自分の人生を、自分で生きようとしている人が感じる痛みなのだから。

 

 

そしていつの日か、

 

 

一人で歩いてきた道を振り返ったとき、

 

 

あのときの孤独も、

 

 

あの夜の寂しさも、

 

 

それが自分をここまで連れてきてくれたのだと、

 

 

いつかはっきりと実感できる日が来る。

 

 

『 自走 』

のうのうと、

 

 

 

与えられた仕事だけでは不十分なのだ。
 

 

 

与えられた業務範囲を、

 

 

 

時にはその範囲を越えて、
 

 

 

結果を出すための、

 

 

 

自分なりの仮説を立てて実行する。
 

 

 

新しいサイクルを、

 

 

 

努力して実行すればプラス。
 

 

 

努力もせず、

 

 

 

同じことを繰りかえしていればマイナスである。
 

 

 

自分から走り出して、
 

 

 

それで1年動いて見て、

 

 

 

プラスが100個、

 

 

 

マイナスが99個。
 

 

 

成長とはそんなものではないだろうか。

 

『 マフィア型経営 』

私は冗談で、


自分の経営を、


「マフィア型経営」


と言うことがある。


もちろん、


反社会的という意味じゃない(笑)。


私が言っているのは、


仲間に対する結束のことだ。


血がつながっていなくても、


兄弟のように考える。


仲間に何かあれば、


絶対に守る。


だから、


安心して仕事をしてくれ。


その代わり、


みんなで豊かになるために、


みんなで利益を出そう。


一人で戦うんじゃない。


チームで戦おう。


仲間を置いて逃げるなど考えられない。

 

 

そんな関係だ。


「上に立つ人」の仕事は、


この関係をつくることなんじゃないかと思う。


上に立ったから、


偉くなるんじゃない。


上に立ったからこそ、


誰よりも人の面倒を見る。


誰よりも責任を取る。


誰よりも、


最後まで逃げない。


本当に守ってくれる人がいる。


失敗しても、


最後まで向き合ってくれる人がいる。


そう思えた時、


人は安心して力を出せる。


人の上に立つとは、


人を上から動かすことではない。


むしろ、


下から支えることなのかもしれない。


みんなが気持ちよく走れるように、


泥をかぶる。


誰かが転びそうになったら、


手を出す。


誰かが転んだら、


一緒に起こす。


そして、


何かあった時には、


最後は自分が前に出る。


そうしているうちに、


どちらが上で、


どちらが下なのかなんて、


分からなくなる。


たぶん、


それくらいで、


ちょうどいい。

 

『 ポエム58の夜 』

かつて、

「56の夜」という文章を書いた。

人に騙され、

裏切られるかもしれない。

そんな恐れは、

いつだって、

誰にだって存在する。

それでも、

相手を信頼する姿勢、

それを変えようとは思わない。

そう書いた。

今でも、

間違っていたとは思わない。

人を疑って生きるくらいなら、

信じて、

騙された方がいい。

付け込まれたっていい。

痛い目にあったっていい。

意味のない痛みなど、

この世にはない。

ずっと、

そう思ってきた。

でも。

今度ばかりは、

少し違う。

怒っているんじゃない。

腹を立てているわけでもない。

ただ、

残念だった。

本当に、

残念だった。

信じていたからだ。

何ができるとか、

できないとか。

そんな話ではない。

もっと、

その人そのものを、

信じていた。

長い時間を、

同じ方向を向いて歩いてきたと、

思っていた。

だから、

いろいろなことを話した。

いろいろなことを任せた。

仕事だけじゃない。

その人の大切な人たちのことも、

その先に続いていく人生も。

余計なお世話だったのかもしれない。

人には、

自分の人生を選ぶ自由がある。

どこへ行くのか。

何をするのか。

そんなことを、

他人が決めることはできない。

そんなことは、

嫌というほど分かっている。

昔の自分なら、

最後にこう書いたと思う。

新しい道でも頑張ってほしい。

これからの人生が、

素晴らしいものになることを願っている。

でも、

そんな綺麗な言葉を書いたら、

嘘になる。

ただ、

人生の大きな決断をしているのだ。

もう一度だけ、

立ち止まって考えてほしい。

目の前に見えている景色は、

本当に、

そこにある景色なのか。

今見えているものだけでなく、

その先に何があるのか。

そして、

その選択が、

自分の大切な人たちの未来にも、

本当につながっているのか。

 

ここは刹那的な自分だけの気持ちで、

 

後先考えずに判断しては絶対ダメな場面なのだ。

いつもこんなことを繰り返してきたのだろう。

 

何故自分のところで終わらせられなかったのだろう。

全部を見て、

それでも進むというのなら、

僕が言うことではない。

人生は、

自分で決めるものだ。

「56の夜」で、

人生を豊かにするもの、

それは、

人と人との出会い。

そう書いた。

今も、

そう思いたい。

人を信じることを、

怖いと思ったことはなかった。

騙されたっていい。

裏切られたっていい。

また信じればいい。

そう思って、

58年生きてきた。

でも、

今夜ばかりは、

そう簡単には思えない。

信じた人に失望するというのは、

思っていたより、

ずっと、

痛い。

ポエム58の夜に。

『 表情という「見てくれ」 』

「人は見た目ではない。」

 

よく耳にする言葉だ。

 

私も、その考え方には賛成。

 

人として本当に大切なのは、中身だ。

 

しかし一方で、私は思う。

 

人に不快な思いをさせない最低限の身だしなみや、相手が安心できる表情は、大切なマナーではないだろうか。

 

私はそれを、「表情という見てくれ」と呼んでいる。

 

人の状態や心は、不思議なほど表情に表れる。

 

元気な人には笑顔が多い。

 

心に余裕がある人は、自然と穏やかな表情になる。

 

もちろん、誰にでも落ち込む日や疲れる日はある。

 

それでも、人と接するときに少しだけ笑顔を意識する。

 

それだけで、その場の空気は大きく変わる。

 

私は子どもの頃から、人を笑わせることが好きだった。

 

今でも営業や打ち合わせの前には、

 

「今日はどんな一言で場を和ませようか。」

 

そんなことを本気で考えている。

 

なぜなら、人は良い状態でなければ、良い仕事はできないと思っているからだ。

 

会議でも、商談でも、最初に笑顔が生まれるだけで空気が変わる。

 

意見を言いやすくなる。

 

お互いの距離が縮まる。

 

結果として、合意形成も早くなる。

 

私は、これまで多くの人を見てきた。

 

仕事ができる人には、共通点がある。

 

それは、人が集まってくることだ。

 

そして、そのような人は決まって表情が柔らかい。

 

反対に、どれほど能力が高くても、いつも不機嫌そうな顔をしている人には、人は近づきにくい。

 

仕事も相談も、自然と遠ざかってしまう。

 

今の時代、人と人とのコミュニケーションは以前より少なくなった。

 

「おはようございます。」

 

「お疲れさまです。」

 

それだけしか言葉を交わさない日もある。

 

だからこそ、その一言くらいは笑顔で交わしたい。

 

マックじゃないが、

 

笑顔は、お金も才能も必要ない。

 

しかし、人の心を動かす力を持っている。

『 劇画 厨房理論 』

 

 

 

『 厨房理論 』

私は経営の中で、長年ひとつの考え方を持っている。

それを私は「厨房理論」と呼んでいる。

例えば、あなたが飲食店を経営しているとしよう。

調理人が5人、ホールスタッフが数人いる。

しかし、開店してみると客数は伸びない。

売上は目標に届かず、赤字が続く。

そこでオーナーである社長が従業員を集めてこう言う。

「もっと流行を勉強しろ。」
「今の時代に合ったメニューを考えろ。」
「このままでは店は潰れるぞ。」

すると調理人の一人が反発する。

「社長は料理ができるんですか?」

「食材の知識はあるんですか?」

「厨房に立ったこともない人に、そこまで言われる筋合いはありません。」

周囲の調理人たちも同調する。

「そうだ。」
「現場を何も分かっていない。」

そして組織は崩壊する。

この店が潰れた原因は、料理の味だけではない。

社長が現場を理解していなかったことにある。

もちろん、経営者が調理人になる必要はない。

料理人より料理が上手くなる必要もない。

しかし、一度も厨房に立ったことがない人間と、

少しでも厨房に立ったことがある人間では、

見える景色がまったく違う。

これが厨房理論である。

私はもともと金融機関勤務だった。

教育事業の経験はゼロだった。

にもかかわらず、建設業向け教育事業を創業した。

もし、

「教育事業の経験がなければ建設業向けの教育事業などできない」

という理屈なら、

私は最初から起業できなかったことになる。

だから私は現場に入った。

営業をした。

経理をした。

総務をした。

教材を作った。

クレーム対応もした。

そしてホームページも作った。

当時の私はHTMLの知識など全くなかった。

ホームページビルダーを買い、

試行錯誤しながら申込フォームや資料請求フォームを作った。

完成したときは達成感があった。

だが後になって分かった。

ホームページは作って終わりではない。

そこからが本当の勝負だった。

どんなボタンなら押したくなるのか。

どんな文面なら反応するのか。

どこに配置すれば申し込みが増えるのか。

今で言う導線設計である。

当時はアクセスカウンターを設置するホームページが多くて、数字の数が集客力を示すバロメーターになっていた。

毎日自分で何千回もクリックして帰宅したことさえある。

それだけで1時間はかかる作業だ。

今思えば笑い話だが、

その過程で私はWEBマーケティングの本質を学んだ。

そして驚くことに、

二十数年前に身につけた原理原則の多くは、

AI時代に変わろうとする現在でもほとんど変わっていない。

ツールは変わる。

技術は変わる。

しかし、

「人がどう動くか」

という本質は変わらないからだ。

経営者は全ての専門分野のプロになる必要はない。

だが、

少しは厨房に立たなければならない。

少しは営業をしなければならない。

少しは経理を見なければならない。

少しはシステムに触れなければならない。

その経験があるからこそ、

顧客目線で考えられる。

その経験があるからこそ、

現場で何が起きているのか理解できる。

その経験があるからこそ、

専門家との議論についていける。

そして何より、

その経験があるからこそ、

社員は経営者の言葉に耳を傾ける。

人は、

自分の仕事を理解しようともしない人間には従わない。

逆に、

たとえ未熟でも現場に立った経験がある人間には敬意を払う。

厨房理論とは、

「経営者は専門家になる必要はない。しかし、現場を少しでも経験しなければ、本当に見るべきものは見えない」

という考え方である。

そして私は、

経営者の仕事とは、

厨房に立ち続けることではなく、

厨房が見える場所に立ち続けることだと思っている。

 

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