BLoG! BaBY BLoG! Re-Boot!

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名古屋で活動中のPop/Rockユニット、SiNG! BaBY SiNG!のギター兼サウンドデザイナーSHiGe Mのブログです。
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Amebaでブログを始めよう!

 (前回より続く)

 …というわけで、前回エントリーの如く9月28日に自動車学校を無事に卒業した筆者ですが、今は昔『試験前だけ勉強するマン』であった学生時代から何ら成長せぬまま、今回もギリギリにやる気スイッチを起動させ、必死こいてテキストの内容等を脳にねじ込む2週間を送りました。

 大治自動車学校在籍中は教習生用にスマホ、PCで使える良質な模擬試験問題サイトがあったのですが、卒業の瞬間からアクセス不能となったため、試験勉強は学校で配布された問題集、運転免許取得を決心した時にamazonで購入した本、および一般の運転免許関係のサイトにある模擬試験問題を使って行いました。

 一般運転免許関係サイトの模試問題ですが、特に次の2つは一問一答形式で、クリックまたはタップで即回答と簡単な解説が表示されるため使いやすく、非常に重宝しました。

 

  合宿免許ナビ

  運転免許学科試験模擬問題集

 

とりわけ後者は、なかなか、そこを出してくるか?!、という感じでいい訓練となりました。

 

 さて試験当日、受付は朝8:30からということで、筆者は始発バスに乗り込み、地下鉄を乗り継いで一路、平針へと向かいました。

 

 

 地下鉄構内に流れるアナウンス音声に従い、1番出口へ。そのまま平針試験場ゆきの市バスに乗り込みます。

 

 

 バスを降りればそこはもう試験場。受付窓口近くの椅子に腰掛け、同じく試験を受ける若い人たちに混じって時間を待ちます。

 

 受付開始。諸々の説明と手続きの後、2階へ移動。試験会場入室ののち、座席番号のプラカードと携帯端末を収めておくための使い古されたジップロックを渡され、着席します。

 座席には懐かしい小中高校と同じような机ですが、ただひとつ、天板の下の教科書などの物入れの開口部が黒板側に向くように並べられ、くだんのジップロックに収めた自分の携帯端末を自分の向こう側に入れて、こっそり手元で操作するのを防止するようになっていました。

 おまけに、試験解答に使う鉛筆や消しゴムは試験場から全員に貸与され、かくしてデジタル的にもアナログ的にもカンニングの道は塞がれました。

 

 そして、試験開始。

 

 けっこうエグい問題やのう……

 

 3問だけ後で考えるべく"?"をつけて飛ばし、最後まで解答を済ませ、再度確認しながら飛ばした問題を考えます。

 

 何度か確認を済ませたのち、試験終了まで待ちます。

 

 試験終了後は1階の電光掲示板に受験番号が表示されるまで約30分…

 

 

 一発合格です。めでたいです。

 

 合格者はそのまま免許証発行費を窓口で払込んで証紙を受け取り、2階で免許証のための写真撮影。最近はICチップが免許証に埋め込めれていて、4ケタの暗証番号を2組作ってそこに読み込ませるという形になっています。

 写真撮影前に各人に配布された入力内容確認のためのシールには、先ほどの本免試験の点数が表示されています。100点でした。

 

 そして交付された免許証。

 

※平針駅前にて記念撮影

 

 とったどー!!

 

 相方に合格を伝えたのち、その喜びの勢いとノリのまま、朝2時起きにもかかわらず本年3度目となるあいちトリエンナーレ会場に向かうべく、地下鉄構内へと向かう筆者でありました。

 

 道中の地下鉄鶴舞線で、

 

※おい本人が写ってる部分が切れてしもとるがな…

 

 9月いっぱいまでの掲示という話を聞いていたのに、うれしいことに前々回エントリーでお話ししたNagoya POPUP Artistの中吊り広告が10月10日でもまだぶら下がっていて、二重の喜びでした。

 

 かくして、4月末に自動車学校に入学してから、仕事の合間を縫ってコツコツと教習に励んだ5ヶ月後、仮免技能試験のみ1回落ちたのみでなんとか一発免許取得へとこぎつけました。  

 

 まだまだ初心運転者、実際の道路は危険がいっぱい。気をつけていかなくてはなりませんが、気分だけはこんな感じでノリノリでありんす。

 

 

 いやいや、安全運転をこころがけますとも…

 

 

 

 P.S.

 免許取得後、初めての運転が初体験の夜間運転。

 用あって路肩に停車したのですが、なれないものでクソみたいなどん臭い停車でした…

…と思たら、背後からポリスカー!!

   オーマイガー!!!

 もしや酔っ払いか、無免許か、はたまた、あかん薬でもキメて運転してるのか…とでも思ったのでしょうか、ポリス・オフィサーお3方が運転席にやってきましたがな。

 そこで筆者、なぜか(おそらく)ドヤ顔で「すんません、3日前に免許とったばかりの初心者なんです」と煌めくグリーン免許をズビシッと提示。

 ポリス・オフィサーは「…初めて取られたんですか?」と当然のリアクション。

 筆者が肯定するとお3方はいい笑顔で「これからも安全運転で…」と去って行かはりました。

 

……いきなり前途多難ですなあ……

 

 

 

 

※SHiGe M本日の一曲:

The Beatles "Drive My Car"

 

いやもう免許とったらこの曲をタイトルにブログ書くのは必定やないですかのビートルズ、1965年発表のアルバム『RUBBER SOUL』の(当時のアメリカ版を除く)オープニングを飾る名曲。以前この曲を説明するのによく「モータウン・サウンドに影響を受けた…」と本などに書かれていたが、昔からどう聞いてもモータウンではなくスタックス・R&Bっぽいと思っていたら、やっぱりGeorge HarrisonがOtis Reddingの『Respect』の影響のもとにギターとベースのユニゾン・リフにするように提案したらしい。

さてこの曲、以前筆者がとあるバンドのヘルプでサイド・ギターを弾いた時にとりあげかけたのだが、どう説明しても他のメンバーはこのイントロの頭を1拍目ととらえてしまう(実際は弱起で始まり、2音目からが小節の1拍目)ため揃わないなんてことがあったためボツとなった思い出がある。まったく、バンドだからいいってもんじゃ無いわな…ハァ…

といってもビートルズもこの曲の録音時、イントロだけ別に録ったようだが…

 

※ボーナス・トラック:

 

 


 2014年発表のPaul McCartneyトリビュート・アルバム『THE ART OF McCARTNEY』所収の、Dionによるカヴァー。

初めて聞いた瞬間はなんじゃこの歌い方、なめとんのかと思ったが、いやあ実に味がある。ちょっとブルージーな風味もあってなかなかではないですか。

 

 

 

 

 多くの善き人々が悲しむ破壊が行われ、それが「天災」に分類されるものであるとき、あるいは「選ばれし者」とされる人間達による理不尽がまかり通っている時、もしこの世界を統べる「神」という存在があるとすればそれは「悪の神」「偽りの神」である…というグノーシス主義のようなことを脳内でつぶやきたくなるような事象が立て続けに起きている2019年(愛着の無いモノへの愛着を強いる同調圧力ほど滑稽なモノはあるまい?)の秋。

 

 …さて、おっさんたる筆者の人生初(あえてこう強調するのは、筆者が免許剥奪食らった元悪質ドライバーでは無いということの再確認)の運転免許チャレンジのため今年、大治自動車学校に入学、ドタバタズッコケの挙句6月半ばに仮免許を取得し、高速道路路上教習を済ましたところまで既発エントリーで報告いたしましたが、

夏休みに入り、とりわけ学生と思しき教習生が増えた8月の後半以降、路上教習の予約が取れるのが週1時間となり、やがて2週間に1時間程度となりして9月に入りました。

 

 路上教習の他に学科受講もありましたが、これはもう6月のうちに済ませました(6月29日には1日で授業6コマを受講。震えたネ)。

 仮免取得以降の学科試験に関してはパソコンによる模擬試験→パソコンによる本免前効果測定→(自動車学校卒業後)平針運転免許試験場における本免試験、といずれも90点以上で3回合格せねばなりません。

 最初は路上教習の合間に、受けた授業の記憶だけで復習無しの模擬試験を受けてみたのですが、さすがに80点台しか取れませんでした。やっぱり授業の復習というものは大事です汗

 

 で反省して、時々テキストを開いて勉強しつつ路上教習のプログラム(仮免取得後の第2段階は最低19時間受講)をこなしていました。そして苦労の挙句路上教習のみきわめ合格をもらった9月21日、そのノリのままその日のうちに模擬試験→本免前効果測定試験と立て続けに受験し合格、翌週9月28日に卒業試験(路上)の運びとなりました。

 

 当日は仮免試験同様朝9:00集合、教習車1台に2〜3人の教習生が乗り込み所定の路上コースを分担して走るという形で行われました。

 コースで工事中の箇所があったり、引越し車が止まっていたり、交差点のない所を歩行者が横断していたり…とお約束の如くの状況でした。とどめとして、筆者が走行中のコースの歩道に親しい知人の姿が現れて目が点になったということもありましたゲッソリ

 

 …で当日の全員が検定を受け終わった午後、結果発表。

 

 残念ながらMT車で検定を受けたとおぼしき1人が不合格となった以外は全員合格。AT車の筆者ももちろん合格です!

 合格を発表した教官は、我々合格者のあまりのリアクションの薄さに拍子抜けしていたようですが、我々教習生側も合格者番号掲示という形でない為なんとなくリアクションの取り方がわからなかった、という感じでした。

 

 で、教官の祝福の声に送られて教習生たちが退室する中、脳内に???を大量に産出していた筆者は、くだんの教官に質問してみました。

 

   筆者「先生、すごいアホな質問してもいいですか?」

   教官「?…はい、何でしょう?」

   筆者「今日、この後、学科の試験は無いんですか?」

 

 そうなのです。アホな筆者はてっきり、仮免試験の日がそうであったように、技能試験に合格したのち、その日に引き続いて学科の卒業試験があり、それに合格してはじめて自動車学校卒業、そう思い込んでいたのです。

 そのため、路上教習みきわめ合格から卒業検定当日までの1週間、学科試験の勉強をバッキバキに詰め込んでおったのです。

 アホです。

 笑われました。

 

 とにもかくにも、最後の最後まで大ボケかましつつも無事、筆者は自動車学校を卒業いたしました。

 

 大治自動車学校の皆様、

 一緒に受講した教習生の皆様、

 筆者のようなイレギュラーな教習生のお世話をしていただいて本当にありがとうございました。

 皆様、お元気で!

 

大治自動車学校

 

 

Next stop is Hirabari!(次は平針運転免許試験場だ!)

 

 

 

 

 

 

※SHiGe M本日の1曲:

Country Joe McDonald "I-Feel-Like-I'm-Fixin'-To-Die-Rag"

 

 本エントリーのタイトルはこの曲のサビの歌詞からの引用である。この映像は映画『Woodstock(ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間)』より、(あの映画自体が名シーンの連発だが)指折りの名シーン。

1969年8月15日から17日まで行われた(といっても、最終日は18日まで食い込んでいる)、通称ウッドストック・フェスティヴァル。

 本来Country Joe and the Fishというバンド編成で3日目、8月17日に出演予定だったが、2日目、16日に本来出番のSantanaがまだプレイできる状態ではなかった(フェスティヴァル自体の進行が諸事情で無茶苦茶になっており、本来の出演予定時刻でなかったため余裕ぶっこいていたSantanaのメンバーが全員そろってないわ、リーダーのCarlos他はLSDキメてるわ、という理由)急遽ソロ弾き語りで出演したCountry Joe McDonaldの名演である。

 

 本映像、冒頭から30万とも40万ともいわれる大観衆に

 

   Country Joe(以下CJ): 「"F"って言うてみぃー!」

   客:「"F"!!!」

   CJ: 「"U"って言うてみぃー!」

   客:「"U"!!!」

   CJ: 「"C"って言うてみぃー!」

   客:「"C"!!!」

   CJ: 「"K"って言うてみぃー!」

   客:「"K"!!!」

   CJ: 「何の綴りやー?」

   客:「"FUCK"!!!」

   CJ: 「何の綴りやー?」

   客:「"FUCK"!!!」

   CJ: 「何の綴りやねん?」

   客:「"ファーック"!!!」

 

とか無茶苦茶なコールをさせるが、これは本来Country Joe and the Fishのライヴにおいて同様にバンド名"Fish"をコールさせていたところを、前年8月にドラマーの提案で"f●ck"(いまさら伏字にしても遅いわい)に変えて以来恒例となっていたもの。

(こーゆう無茶をしていたため、マサチューセッツ州でのあるライヴののち「公共の場でアカン言葉を発した」咎で当局に500ドルの罰金を食らってしまう)

 

 ヴェトナム戦争真っ只中の世相、そして当時のロック・ミュージックの趨勢を反映してサビの歌詞も以下の如く、反戦に満ちたメッセージとなっている。

 

   いち、に、さん

   俺ら何のために戦うとんねん

   俺に聞くなや

   どーでもえーわ

   次の停車はヴェトナムや

   ご、ろく、ひち

   真珠の門(※注:天国への門。死への入り口)全部開けたってや

   何でやねんとかゆーてる間も無く

   ヒャッハー

   俺ら皆 どうせ死ぬんやで

 

 ところでこのサビ、1926年ジャズ・トロンボーン奏者Kid Ory作(オリー自身は1921年に書いたという。しかしこの曲初録音時のリーダーLouis Armstrongは自分が作曲者で、オリーはタイトルをつけただけと主張している)の有名曲『Muskrat Ramble』に酷似している。

 

 

 

 2001年にKid Oryの著作権継承者である娘が盗作としてMcDonaldを訴えたが、被告側は懈怠の法理(実施すべき行為を行わず放置すること—義務の不履行あるいは権利の不行使—要するに、知ってたくせに訴えるのが遅すぎんねん、という意味)を主張、裁判では被告の主張が認められて原告敗訴、原告側は被告側に法定費用75万ドルの支払いを言い渡される。この支払いのため、オリーの娘は『Muskrat Ramble』を著作権を売却するハメとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ2019年度のNagoya POPUP ARTIST(以下POPUP)の合格者の皆さんが発表されるころですが、我々SiNG! BaBY SiNG!も初年度合格以来何度か市内各所でのライヴ活動をさせてもらっています。

 去る5月下旬名古屋市文化振興事業団より告知があり、名古屋市交通局の協力で、POPUPを周知するため名古屋市内地下鉄各駅および車両内に掲示するポスターの素材(募集時のイメージ画像では約50枚ほど列車と主に子供達の写る写真がコラージュされていた)にする為、POPUPとしてのパフォーマンス中の画像を募集するということでした。

さっそく我々SiNG! BaBY SiNG!もいくつか撮影済みの地下鉄駅構内におけるライヴ映像より規定の5枚分の画像を切り出し、指定のメアドに送付しました。

 約1ヶ月後ウェブにて事業団よりポスターが完成、掲示されたというお知らせがありました。

 

左下にポップアップのポスター

※画像左下が件のポスター。画像はNagoya POP UP ARTISTウェブサイトより。

 

…いや、そりゃねえっすよ…ガーン

 

 そして月日は流れ、忘れの川の水を飲んだが如くそのような募集のことさえ忘却の彼方に去っていた今月、

ふとしたきっかけで応募した画像がポスターに採用され、すでに地下鉄車内に掲示されているとのこと。

 情報を得たその日の夜勤明けの朝、あまり通勤時は利用しない地下鉄の名城線へと突入する筆者SHiGe M。目的はひとつ、中吊り広告の撮影。

通勤時間で人が多いにも関わらず、人の迷惑かへり見ず、決死の撮影を敢行。

 

 

ホーリー・シイイィット〜!!

筆者の顔が車内の照明で飛んでしもとるやんけ!

 

 撮影したスマホの画面を見て表情は穏やかに、内心はブチ切れつつ、折り返して今度は地下鉄東山線に乗り換え、再度の撮影を敢行。

今度は余裕を持って撮影するべく、終点で乗客が一瞬不在になるタイミングを狙いました。

 

 

やりました。

ばっちし写っておりまする。

 

 

3段目の右端、ストラトキャスターを構えております。

 

…というわけで、まだしばらくは車内に掲示されているとのことで、名古屋市営地下鉄をご利用の際は一度このポスターを探して見てください。

 

 

 

 

※SHiGe M本日の1曲:

Jean Wiener Trio(with Jean Wetzel: Harmonica) "Le Grisbi(グリスビーのブルース)"

 

本ブログエントリーのタイトル、「君はメトロ(=地下鉄)の匂いがする」とはジャン・ギャバン(宇宙刑事じゃないよ)主演の1937年フランス映画『望郷(Pépé le Moko)』での有名なセリフ。

…が、どうもこの映画に関して「本日の1曲」のネタにする曲が見当たらないため、やむなく同じジャン・ギャバン1954年主演映画『現金(げんなま)に手を出すな(Touchez pas au Grisbi)』より昔から大好きなこのテーマ曲をお送りします。

テーマを吹くクロマティック・ハーモニカのベンドが何とも悲痛に響く名曲です。途中の装飾音やエンディングの早吹きがどことなくアコーディオンっぽく聞こえるのはやはりフランスだからでしょうか。

 

ところで、パリの地下鉄は話によると何やら臭いらしく、『望郷』に登場するミレーユ・バラン演ずるヒロイン、ギャビーの如くシャレオツ(死語)な女性に「キミ、地下鉄みたいなニオイすんで?」とかゆーたら絶対はり倒されそうな気がするんですが、

案の定これは昔から定着した日本語の意訳で、ギャバンは原語では「君といるとまるで二人でパリにいるような気がする…(中略)…聞こえるのはメトロの音だけ…(中略)…君はメトロを思い出させる」てな事を言っています。

 

※ボーナス・トラック:

 

映画『望郷』がらみの曲が見当たらないと書きましたが、実は取り上げようか迷ったあげくボツになったのがこの曲。

フランク永井『望郷(ぺぺ・ル・モコ)』1959年(映画公開から実に20年以上後)

 

 

※映像がおもいっきし映画『望郷』のネタバレにつき閲覧注意。

 

「あ〜あ〜俺の女(ギャビー)が行っちまう」と映画を見てると泣けるが、見てないと意味不な歌詞が渋い。

なお「俺の女(ギャビー)が」のくだり、最終コーラスのみ「俺のパリーが行っちまう」と見事に「ギャビー」と韻を踏んでいる。(昔はフランスの首都Parisを「パリー」と日本語表記することも多々あった。なお、「パリ」よりもこちらの方がフランス語の発音に近い)

 

 

 

…おお、もう前回のエントリーから2ヶ月近くも経っておるではないの…

というわけで、ブログのネタを抱えたまま又もご無沙汰のSHiGe Mであります。

 

 

 夏休み期間ということもあり、なかなかまとまった形の自動車教習予約がとれないこの時期でありますが、それでも地道に路上教習を重ねているところであります。


 そんななかの去る8月2日、恐怖の(?)高速道路路上教習をとり行ってまいりました。

本当はその前の週の7月27日に行うべく予約を取っておりましたが、あいにく当日は台風6号が三重県に上陸。

強い台風ではなかったものの、予約の時間帯がちょうど最接近時間帯と重なることが予想されたためキャンセルとしました。

さすがに強風吹き荒ぶ中では文字通りHighway To Hell(地獄行きのハイウェイ)になりかねない…

…とかいう以前に速度60km/h制限がかかる可能性大、それでは何の為の高速教習かわからんですからね。

 

 てなわけで、好天に恵まれた当日8月2日、東名阪自動車道(最高速度80km/h)へ行ってまいりました。

 

 

 通常は2人1組、名古屋西インターチェンジから桑名インターチェンジまで片道1人ずつという形のはずでしたが、当日同時間の教習生が筆者しかいないため、弥富インターチェンジで高速を降りて折り返しという形になりました。

学科で習った通りインターの加速車線で十分に加速し、タイミングを見計らってスムーズに本線合流…のつもりでしたが、

なんと名古屋西インターは構造が通常と違い、料金所の後に加速車線が無く、なんとなく加速して最高速度へ、という形で恐怖の本線合流が無いまま突っ走り始めてしまいました。

 

 未体験の80km/hはもっと怖いものだと思っていましたが、(多少手汗はかいたものの)存外気持ちの良さが先に立っていました。

なにせ歩行者も自転車も猫もいませんし(途中蟹江インター近辺で「鳥に注意」とかいう表示はありましたが)、基本ブレーキペダル使用はNoという点に注意すればそんなにビビる程ではなく、むしろ弥富インターで一旦下道に降りてから折り返すまでの一般道の方が妙なプチヘアピンカーヴとかあって怖かったりしました。

あ、弥富インターでは学科通りの加速車線経由の合流も無事体験できました。

 

 かくして、縁起の悪いタイトルに反して高速道路のお星さまにもならず地獄にも落ちず、こうして無事(1ヶ月も経ってから!)いつもの駄文をこき書き綴っております。

 

 そして同日、高速教習を終えた帰りのバスの中で見たネットニュースに触発され、サイコーにハイな気分のまま発作的に『あいちトリエンナーレ』開催中の愛知芸術文化センターへ向かう筆者でありました。

 

 

 

…で、3日で終わったアレを2日目に見たわけですよ。

 

※この画像くらいは投稿したっていいよね?

 

まあ、何ごとも自分の眼と心で観て判断するべきなのですよ。

 

 

 

 

 

※SHiGe M本日の1曲:

Deep Purple "Highway Star(Edited Version)"

 

無残にも短縮された筆者の高速教習を記念して(???)お送りする、アメリカで1972年にシングルカットされた同曲の編集ヴァージョン。

オルガン・ソロも無ェ、3番コーラスも無ェ、ブラックモアの歴史的名ギター・ソロ(ソリ)も無ェ、みんなバッサリ切り捨てて6分強の原曲を見事(?)3分に聴きやすくしましたって何じゃこりゃのクソヴァージョン。

忙しい時にどうしても『ハイウェイ・スター』が聴きたいよって時に最適(?)。

 

 

※お口直しのボーナス・トラック。

AC/DC "Highway To Hell"

 

 


 筆者ごときが語ることも無い(いちおうアメブロ公式ジャンル分けに「音楽レビュー」となっているのにこの手抜きぶり←)、AC/DC1979年のヒット曲。

衆知のごとく本曲を含む同名アルバムを最後にリード・シンガー、Bon Scottが33歳で非業の死を遂げる。

あとは…もはや歴史となっている…

 

 

 

 

 

 

 前々回のエントリーで筆者がおっさんだ、とか書いたらそのワードに食いついて来たか「いいね」を押していたのが『毛根活性法』とかなんとか、とにかくそっち方面カモり目的のブロガー(?…当人はどうやら件のアカウントは既に消した模様)。

勘弁してくれたまえ。たとえ(ryとはいえ、誰しもが同じ悩みを共有しているわけでは無いのだよ。

 

 かの偉大なブルーズ・シンガー兼アルト・サックス奏者、故エディ・"クリーンヘッド"・ヴィンスン氏も代表作『Cleanhead Blues』で歌っておられるが如く、

    

  ♪兄弟

   君には君の

     僕には僕の悩みってもんがあるのだよ

 

…ほんまに【以下凄絶な罵倒が続くため削除】

 

 さて、気を取り直して本日のエントリー。ただし、前回の続きということで、視覚芸術系の話に興味が無い皆様はこの辺でArrivederci(ではまたお目にかかりましょう)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ええか?

ええのんか?

ではスタート。

 

 

 前回愛知県美術館で心地よいひと時を過ごした筆者は、神社仏閣あるいは古戦場等をへめぐる歴女のごとく次なる物件(物件いうな)を求め、

去る5月16日(いつの話やねんpart2)自動車教習所への通学路にある大一美術館へと行き、ガラス工芸品を鑑賞してまいりました。

 

 

 

当日は1Fでルネ・ラリックをはじめとするアール・ヌーヴォーからアール・デコ期のフランスの作品の展示、2Fで『デイル・チフーリ展』および『第4回'18日本のガラス展』が開催されており、近代と現代のガラス工芸の美を堪能しました。

 

 そして5月23日、こんどは名古屋市美術館へ行き、『印象派からその先へ—』と題した吉野石膏コレクション展を鑑賞してまいりました。

 

 

 

 

 これまで美術の教科書やら画集で見て来た歴史に名を残す巨匠の作品が並ぶだけあって、さすがに会場はなかなかの人出であり(混雑とまではいえませんが)ひとつの作品の真ん前で長々と鑑賞するわけにもいきませんでしたが、そうした作品の本物を目の前で見ることができたのは、いやー溜息の連続でありました。

個人的には生カンディンスキーやら生シャガールを堪能できた事が最も感激でした。

…細部をもっとよく見るためのモノキュラー(単眼鏡)が欲しいな、とこの時思いました。好きなものをもっと堪能したいと思う様子を、通ぶっていると見られるのも癪ですがね。ま、知ったこっちゃありませんが。

 

※同展示会のパンフレットと図録

 

 

 だいぶ駆け足ではありますが、本日の日記はここまで。他にもまだ見に行ったアート・イヴェントはいくつかありますが、それはまたいずれ。

 

 

 

 

 

 

※SHiGe M本日の1曲:

Emerson, Lake & Palmer "Pictures At An Exhibition(展覧会の絵)"

 

…えっと、どう見ても前回と同じ曲なのですが、この曲といえばこちらのカヴァー・ヴァージョンを取り上げないのは考えられないので…

1971年録音/発表のELPの同名ライヴ・アルバムで披露されたムソルグスキー作品のプログレッシヴ・ロックアレンジ版。ただしこの映像はアルバム収録(ニューカッスル・シティ・ホール)の前年12月にロンドン・ライシアム・シアターで収録されたもの。

 

 

 

※ボーナス・トラック(?)

 

 


冒頭で引用したEddie "Cleanhead" Vinsonの代表作"Cleanhead's Blues"。

親切にも歌詞の訳の字幕付きだが、なかなかにエグい歌詞/訳のため閲覧注意(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、前回エントリーのとおり筆者はおっさん、ではなくてただいま自動車教習所に通っているところなのですが、

スケジュールの都合上座学や実車教習に通えるのは週2〜3日、かつ教習予約や学科時間割の関係で通常1日2〜3時間程度の拘束時間であるため、幸いと言うべきか1日の教習後に自由に使える時間が出来ました。

筆者自身も拙いながらイラストを少しばかり描くこともあり、画集やデザイン集も若干所有したりと、以前から視覚芸術にもかなり興味があったため、この機会に名古屋市内でそうしたものを鑑賞できる施設を見て回ろうと去る5月9日、手始めに愛知県美術館に行ってまいりました(いつの話やねん)。

 

愛知芸術文化センター

※愛知芸術文化センター/愛知県美術館2F入り口よりオアシス21およびテレビ塔方面を望む

 

※当日開催中の中部自由美術展目録と光風会展パンフレットおよび図録

 

 当日は自由美術協会による『中部自由美術展』と、光風会による『第105回記念光風会展』および愛知県美術館リニューアル記念『アイチアートクロニクル』が開催中でした。

記憶する限り生涯で始めて美術館という場所に足を踏み入れたのですが、筆者の好みに非常に合う環境であると認識しました。

ブログ入力時現在梅雨どき真っ盛りの名古屋ですが、晴れの日は教習所へは片道約30〜40分の道のりを自転車こいで通っており、当日も教習終了後そのまま「チャリで来た」状態。当然初夏の日差しwith紫外線に汗ばんだものの、美術作品保護の為に温度低めに保たれた館内は実に快適でありました。加えて、筆者は「ファズ大好きエレクトリック・ギター弾き」かつ「騒乱音楽打ち込み野郎」にもかかわらず基本的に静寂を好む性格ゆえ、BGMひとつない美術館がとても気に入ってしまいました。

 

 絵画・彫刻等のアート作品をこうした形でまとめて鑑賞したのは初めてであり、それぞれの作品ないし展覧会に関して論評するような眼力も知見も無い筆者でありますが、

「画集・図録は2次元であるが、絵画は3次元である」と言う当然かつ忘れがちな事実を体感できた事が新鮮でした。

絵には、それを描くのに用いられた画材の質感や作者の筆致、そこに込められたエナジーなどが立体的に盛り上げられており、観る者の眼(+心)それぞれのなかで完成と未完の流転を繰り返し、息づいているものであるという概念を得られた体験でありました。

 

後編にto be continued→

 

 

 

 

 

 

 


※SHiGe M本日の1曲:

Modest Petrovich Mussorgsky "Pictures At An Exhibition(展覧会の絵)"

 

モデスト・ムソルグスキー1874年作のピアノ組曲。動画は1951年4月のヴラディーミル・ホロヴィッツによる録音。

友人の画家ガルトマンの遺作展の展示作品の印象を元に、各絵画を表現した曲の間を、観覧者が美術館の中を次の絵画へと移動する様を表現した「プロムナード」という同一メロディで挟むという形式の作品。おそらくムソルグスキーの最も有名な作品のひとつ。

 

前述のように元々ピアノ曲として書かれた作品であるが、何人かがこれをオーケストラ用にアレンジしている。

中でも著名なのが指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーの依頼によりフランスの作曲家モリス・ラヴェルが1922年に手掛けたヴァージョンである。

 

 

 

(後編に続く)

 

 

 

 

 みなさま、梅雨空のくそ暑いさなか、いかがお過ごしでしょうか?
 
 さて…相も変わらず超不定期更新の当ブログ、此度(こたび)突然の更新と相成りましたのは…
…いきなりのカミングアウト(んな大げさな)ではございますが、わたくしことSHiGe Mは現在、人生初の運転免許を取得するべく自動車教習所に通っております。
 去る4月末に教習所に入所…だとなんかやらかしたみたいだな…入校後週2、3日のペースで通学、6月中旬に幸いにも仮免許を取得いたし、現在路上教習中であります。

 

※『学科教本 統合版』より引用
 

 

 まあ筆者はおっさんゆえ、指導教官の皆さんが年齢を見ただけで明らかに「こいつ免許取り消しくらって再取得しようとしとるんちゃうか?」ってな表情をなさるのも納得ですし(だって皆さん初対面時に必ず「初めて免許を?」と訊くんですもの)、
筆者がハンドルを握る度に「初心者やな」と得心がいったってなリアクションを取らはるのもしゃーない話です。

 おっさんゆえ(ひつこいな)実技試験は1回滑りましたが、学科は幸い満点で合格いたしました。

 

 路上教習を始めてわかったのは、教習コースとして通る馴染みの通勤コースがこんなにも違う風景/違う世界なのだなという、至極当たり前の事がひとつ、そして、教習所の場内で出す35km/hのスピードにおける恐怖心は、路上での50km/hのそれにも満たない事、それだけに安易にスピードを出す危険を伴うものであるという事でありました。

 

 新しい年、新しい時代、それから筆者にとってラッキーな年とかいう今年に、すこし新しい事を始めて、今の所まあまあうまくいっています。

現状は、絵的にはこんな感じ(?)ですが…

 

※モンク御大、すんません…

 

本免許取得の暁には、またライヴ活動を再開し、ナゴヤポップアップアーティストとしてのみならず、もう少し活動範囲を拡げてみようかと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ※SHiGe M本日の1曲:

Simon & Garfunkel "Baby Driver"

 

S&G、1969年のシングル"The Boxer"のB面として発表後、翌年発表のラスト・アルバム『Bridge Over Troubled Water』にも収録。さまざまな音楽のパロディ/オマージュに彩られた同アルバムでもひときわ印象的なサーフィン/ホット・ロッド風ナンバー。

「うちのとーちゃん我が家のベース弾きだった/うちのかーちゃんエンジニアだった」と歌詞ものどかに始まるものの、2番の歌詞は「とーちゃん凄腕潜水工作員だった/かーちゃん今は海軍予備役」と時代が時代だけ(ヴェトナム戦争中)になかなか不穏なものとなっている。

筆者もかつてこの曲のギターのコピーを試みたことがあるが、独特のオープン・チューニングのためてこずったことを思い出す。

のちアカデミー賞3部門にノミネートされる2017年のアクション映画『Baby Driver』のタイトルの元となり、ラストシーンで印象的に用いられている。

 

 

 

当ブログにお越しの皆さま、あけましておめでとうございます。

 

昨2018年は我々SiNG! BaBY SiNG!にとっては「選ばれる」ことの多かった年でした。

2月には全国のCDショップ、レンタルショップ、楽器店等に配布されるフリーマガジン『skream!』の『BIG UP!』特別号Vol.1に注目アーティストとして、東海・北陸・信越地区代表6組として選出(Vol.1掲載アーティストのみ他薦、以降は応募による自薦)、全国区の印刷媒体への初露出を果たしました(とかまあ、ええ風に言わしといてーな)。

 

(参照エントリーその1その2)

 

4月には滋賀県草津市の株式会社えふえむ草津様の運営するコミュニティFM局『Rockets785』内のラジオ番組『愛民のLove melody』という番組で、私たちの楽曲が2曲オンエアされました。

 

(参照エントリーその1その2)

 

また、『BIG UP! × キャラフレゲームミュージックコンテストspring2018』に応募したSiNG! BaBY SiNG!のアルバム収録のインスト『Snowflake Waltz』が佳作に選出され、ゲームに実装・紹介されました。

 

(参照エントリー)

 

5月には『BIG UP! × Die Milchリミックスコンテスト』でSiNG! BaBY SiNG!による人生初の他人様の楽曲のリミックスへの挑戦作が見事最優秀賞に選出されました。

 

(参照エントリーその1その2)

 

そして筆者個人としては、遅ればせながらボーカロイドを用いた創作作業も開始、初音ミク嬢には新曲の仮歌およびレコーディングのバックコーラスにも参加していただいております。

 

その一方、ナゴヤポップアップアーティストとしてのストリートライヴは11月、12月に数回ずつながらも再開。うーん…な日もありましたが、これまでになく(物心共に)まことに実り多き日々もありました。

残念ながらその実り多き日のうちひとつ、今年の掉尾を飾るライヴはバカタレ3人のおかげでちょいとばかりケチがついてしまいましたが…

ほんとは久々にマジで怒りを覚えたその事に関してブログに書きたいと思った時もありましたが、まあ手打ちも済んだことですし、過ぎたことをいつまでも…ってのも性に合わないのでお蔵入りとさせていただきます。

 

昨年暮には久々ヴォーカルのレコーディングおよびミックス(筆者の風邪のため中断もありましたが)も行ったことですし、今年はさらにいろいろやっていきたいと思っております。

 

なにせ今年は射手座生まれである筆者にとって12年に1度の幸運の始まりということで、張り切らない理由は何一つありゃしませんのことです。

…単純バカ?上等さ。

…楽しい気分になれてるからいーじゃないの!

 

今年もよろしくお願いいたします。

 
皆さまにとっても、今年が良い1年でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※SHiGe M本日の1曲:

Oasis "Don't Look Back In Anger"

 

1995年のセカンド・アルバム『(What's The Story) Morning Glory?』よりシングルカット(同アルバムより5枚目)され、彼らにとって2枚目の全英ヒットチャート1位となったナンバー。この曲でリード・ヴォーカルをとるのはバンドのリード・シンガーであるリアム・ギャラガーではなく、その兄でバンドのほとんどの作品を書いたノエル・ギャラガー…なんてことはいまさら書くまでもなかったりするが、とにかく数多くのヒットをもつ彼らのなかでも指折りの名曲のひとつ。

タイトルはデイヴィッド・ボウイの1979年の曲『怒りをこめてふり返れ(Look Back In Anger)』(アルバム『Lodger』所収。なおこちらのタイトルはジョン・オズボーン1959年作の同名の戯曲とは無関係だそう)に由来する。

コード進行を思いついてしばらく後、彼らにとって初の大きなギグであるシェフィールド・アリーナでのサウンドチェック時にノエルがアコギを鳴らしながら作曲途中のこの曲をなにげなく鼻歌で口ずさんでいたところ、弟のリアムが「なにその曲? "So Sally can wait" (「だからサリーは待つことができる」)とか歌ってた?」と聞き間違いを口にした。それを聞いたノエルは「それサイコー」と楽屋に戻って書き留め、そこからはあっという間に完成したという。

 

2009年にオアシスが解散して後の2017年5月、彼らの地元マンチェスターのマンチェスター・アリーナにおけるアリアナ・グランデのコンサート終演直後に自爆テロとみられる爆発が発生(マンチェスター爆破事件)、多くの死傷者が出た。

事件翌日に同市の音楽学校の生徒達によって歌われたのを皮切りに、そのまた2日後、市中心街に追悼のために集まった市民の間で自然発生的に、「起きてしまった過去にとらわれず、未来に向かって前向きに」という、この事件に対するマンチェスター市民のスピリットを世に示すアンセムとして『Don't Look Back In Anger』は歌われた。

 

 

 

この映像は事件発生の翌6月4日にマンチェスター市内のクリケット場で行われたグランデ主催による追悼チャリティーコンサート『One Love Manchester』においてイギリスの人気バンド、コールドプレイのリード・シンガー、クリス・マーティン(と同バンドのギタリスト、ジョニー・バックランド)によってカヴァーされた同曲。同コンサートにはリアムもサプライズ出演を果たす。なおノエルは参加は出来なかったものの、多額の寄付を非公式に行っていたもよう。

 

 

 

 

去る2018年9月29日、シカゴ・ブルーズの巨人、偉大なる左利きギタリスト/シンガー、オーティス・ラッシュ(Otis Rush)氏が83歳で亡くなられました。

2004年ジャパン・ブルース・カーニバルのための来日公演の半年足らず前に脳梗塞で倒れ、リハビリののち急遽カーロス・ジョンスン(Carlos Johnson)をサポートギタリストとして公演をこなして以降、公の場に姿を見せることも稀となったまま他界されました。…本当に残念なことです。

 

ここでMr. ラッシュのバイオグラフィーを改めて記すことは致しますまい。

興味のある方、確認なされたい方は以下のリンク、あるいはGoogle等で検索を…

 

Wikipedia日本語版

Wikipedia English

 

個人的な思い出を語れば、筆者は1990年5月に2度、1992年5月に1度の計3回オーティスのライヴを観ています。

 

1990年はビリー・ブランチ(Billy Branch)、ジミー・ジョンスン(Jimmy Johnson)を伴って来日、名古屋のライヴハウスElectricLadyLand(現在の伏見通ではなく大須通にあった)で見たのち当時大阪で開催中だった国際花と緑の博覧会に、大阪の姉妹都市シカゴから招聘という形で行われたステージの最終日にもう一度見に行きました。

1980年代後半から1990年代初頭にかけ、何人かのブルーズ・アーティストが来日する度に見に行っていたのですが、この1990年5月ほどたくさんの思い出に満ちた時はありませんでした。

花博での会場裏でMr.ラッシュが一緒に写真に収まってくれたこと、

当時のラッシュ・バンドのドラマーの方が「サインは貰ったの?」と訊いたので「書くものがなくて…」といいかけると「OK、ちょっと待ってて」といい、会場に貼ってあったライヴ告知ポスターをひっぺがして出演者全員のサインをもらってきてくれたこと、

 

 

いまやブルーズ・ハーモニカの大御所となったMr.ブランチの招きで一緒に見に行っていた相方と共に御一行宿泊中のホテルに赴き、色々な話をしていたロビーでMr.ラッシュにコーヒーとケーキをおごってもらい、その時Mr.ラッシュの独特な握手の仕方(各自が親指を上に握りこぶしを出し、お互いに上へ上へと重ねてゆく)を教えて貰ったこと…

他にも書き尽くせないほどのことがありました。

 

1992年は開館して間もないクラブダイアモンドホール(現在はダイアモンドホール)で、2日連続で行われたジャパン・ブルース・カーニバル名古屋公演の2日目第2ステージにMr.ラッシュが出演、前回よりもスケールの大きなプレイでした。

(ただ第1ステージのジュニア・ウェルズ(Junior Wells)の演奏中にマナーの悪い観客がいたため、後味の悪い日になってしまいました…)

 

決して順調ではなかったキャリアの中、歴史に残るような凄まじいプレイを音として残して下さったMr.ラッシュ、個人的な思い出も含めて本当にありがとうございました。

あなたが眠るこの世界には、あなたが咲かせた花々が咲き乱れ、その花を胸に抱いたたくさんのプレイヤーたちがさらなる花々を咲かせています。

 

最後に1990年花博での思い出の写真から、肖像権の問題が生じなさそうな一葉を…

 

 

 

RIP

 

 

 

 

※SHiGe M本日の1曲:

Otis Rush "My Love Will Never Die"

 

世評に高いコブラ・レコーズ時代の名作(1956年)。

プロデュースとベースで参加のウィリー・ディクスン(Willie Dixon)の在籍していたThe Big Three Trio1952年作品のカヴァー(あまり原型無いが)ながら、オリジナルを完全に凌駕してしまっている。

コブラ時代のラッシュの録音、特にスロー物はよく日本のブルーズ関係の文章で見られる「悶絶」「必殺の」「エグい」とか、なにやらすんごい表現がぴったりきてしまう凄まじさである。

これらの音源を初めて聴いた時、録音状態やアレンジ等も相まってボードレールの『深き淵よりわれ叫びぬ』なんてタイトルの詩を思い出してしまった。

のちマジック・サム(Magic Sam)やマザー・アース(Mother Earth)、最近でも2014年にホージア(Hozier)の味のあるカヴァーが生まれている。

 

 

 

 

おひさしぶりです。
こたび、そろそろ誰も本ブログをチェックせーへんようになりそなこのタイミングで更新する根性悪のSHiGe Mどす。

さて前々回および前回のエントリーにて記しました、ゴシック・ロリータ耽美系クラシカルエレクトロポップユニットDie Milchさんの作品『あなたのいない世界〜A World Without You〜』を題材としたRemixコンテストにて我々SiNG! BaBY SiNG!によるリミックス・ヴァージョンが見事最優秀賞を受賞しましたが、
いよいよ同リミックス・ヴァージョンのダウンロードおよびストリーム配信が各ストアにて本日開始されました。

前回エントリーのとおりコンテスト応募時には暫定的に従来のSiNG! BaBY SiNG!楽曲と同じジャケット画像を流用した実に紛らわしき状態になっておりましたが、
今回はDie Milchさんの楽曲という点を強調すべく、新たにジャケットイラストを描きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



…またおまえらか…

…失礼いたしました。
いちおうオリジナルアーティストさんの雰囲気のコスを奴らにさせようと試みたのですが、
いかんせん筆者の画力不足なうえにドレープだのレースだのの絵をえがいた経験が皆無なため、鳥のドレスのクオリティがアレなのと、
ヴァイオリン持ったハートの格好がどう見てもアル○ーヌ・リュ○ンに某ツェ○リのおっさんを足したようにしか見えないなどのアラだらけの結果と相成り…
おまけにDie Milchさんのロゴに似た書体がすぐに見つからず、とりあえずそれっぽいブラックレター系フォントで代用しちまいました。

とにもかくにもいよいよリミクサーとしてのS!BS!の作品、配信開始です。

 

★Die Milch『あなたのいない世界 〜A World Without You〜 (SiNG! BaBY SiNG! remix)』アマゾンダウンロード販売ページ

 

 

 


※SHiGe M本日の1曲:
Paul McCartney “Dress Me Up As A Robber”。
1982年の大ヒットアルバム『Tug Of War』ラストから2番目、オーラスのヒット曲『Ebony And Ivory』の1つ前という地味ながら構成上重要なポジションを担うナンバー。
末期ウィングスのヒット曲『Goodnight Tonight』を連想させる、ブラコン(←死語。Black Contemporaryの略やど! 「別の」意味ちゃうど!)系にハードロック的ニュアンスを加え、おまけにスパニッシュ・ギターのソロ(ポールによるプレイ)までフィーチュアされる佳曲。
「僕にどんな装いをさせようが心の有り様や本質を変えることはできないよ…愛があれば変わることはない…ありのままの君を愛するありのままの僕でいて幸せな僕が、変化なんてする意味があるのか?」
遡ることおよそ1年半前の盟友ジョン・レノンの殺害を頂点とする、散々な1980年代の幕開けの暗雲を一掃する(と思われた…この時は)ヒットとなった本アルバムを象徴するような、それまでのポールにあまり見受けられなかった人生や社会へのスタンスを語るような歌詞は(僕は変わらないと言い張る字面とは裏腹に)確かに「彼の中で何かが変わった」と思わせるものであった。