ぼの様のリクエスト作品になります。蓮さんがかなり性格違います。スマートで紳士な蓮さんがお好きな方はご注意ください。
これまでの話
真夏の海のA・B・C…D 1
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真夏の海のA・B・C…D -19-
耳に届く救急車のサイレンが小さくなっていく。
その音を聞きながら、キョーコはもう誰もいない護岸に目を向けたまま茫然としてその場にへたり込んでいた。
思わず発せられた叫び。
蓮は驚いたように一瞬目を向けたが、すぐに救助した女性に向き直り心臓マッサージを始めていた。直後に救命道具を持って駆け寄る社が楕円の袋のついたマスクを女性の口元にあてながら、女性を取りかこんだ野次馬に持ってきたカバン預けて何かしら指示を出しているのが聞こえた。
目の前で展開された人命救助と、人の生死の狭間の衝撃的な場面。
救助された女性は要請した救急隊に引き継がれ、女性を乗せた救急車は病院に向かって走り出した。救急車のサイレンが聞こえなくなる頃、ざわついていたビーチも元の賑わいを取り戻しつつあった。
(………わたし、何を考えたの?)
まだ指先は震えていた。
震える指先でキョーコはそっと自分の唇をなぞった。
「……最上さん?」
いつまでそうしていたのか、降ってきた声にキョーコが顔を上げると潮に濡れた髪はそのままに、パーカーを羽織った蓮がキョーコを見下ろしていた。
濡れて束になった前髪の間から、切れ長の瞳がキョーコを捉えている。未だにわずかに震えているキョーコの指先に気が付いた蓮は、安心させるように優しげな笑みを浮かべた。
「大丈夫?」
戸惑うようなキョーコの視線が蓮の上を彷徨う。
いつものような警戒した様子がないことを感じ取って、蓮はビーチにへたり込んだままのキョーコの隣に腰を下ろした。
触れた肩がピクリと小さく跳ねたが、蓮は今はこのくらい…とそのままキョーコを抱き寄せた。いつもなら「結構です!」と突っぱねるだろうキョーコがおとなしく震えたまま腕の中に納まっている。
「怖かった…よね?目の前であんな風に人が溺れたりするの見れば」
「………」
キョーコは黙ったまま、蓮の腕を拒否することもなく今度は俯いていた。
そんなキョーコの様子に蓮は安心させるように大きな掌でキョーコの肩を擦る。
「大丈夫。脈も呼吸も戻ってきてたし、大きな病院でしっかり診てもらえるはずだから」
(………そうじゃない)
自分を落ち着かせるための蓮の手の温かさにキョーコの胸が締め付けられる。こんなにも利己的で自分勝手な自分がいたことに、キョーコは恐怖していた。
(私…人の命がかかってるあの場面で何を考えていたの?)
「最上さんも溺れたことあるから思い出して怖かった?大丈夫だよ」
黙りこくったまま小さく震えるキョーコを蓮が抱きしめる。いつもと違う様子のキョーコにことさら優しい声音で蓮の声が降ってくる。
抱きしめられて、遠慮がちに額にキスを落とされて…。まるで怯える子供をあやすような、その優しさが今は苦しい。
キョーコはそこでやっと凍りついたままだった唇を動かした。
「違う…」
「ん?」
蓮はキョーコを抱きしめて、潮風で少しごわついたキョーコの髪に頬ずりしたままキョーコの言葉の続きを促した。聞き返してきた蓮の声が振動となってキョーコの中に響く。
「違うんです」
「なにが?」
一度収まりかけたキョーコの体の震えが、また少しずつ大きくなる。
「こ…こわかっ…た…」
「…うん」
(怖かった…そんなことを考えた、『自分』が…)
体の震えとともに、キョーコの声も震える。
涙交じりに変化した声に、蓮はそっと腕の中のキョーコを覗き込んだ。目を伏せてはいたが震えるまつ毛に涙の水滴が膨らんでいるの見えて、蓮はそっとキョーコの頬を両手で包み込んでいた。
「泣かないで」
顔を見られまいと弱々しく頭を振るキョーコのささやかな抵抗を無視して、瞼の際に膨らんで零れ落ちそうになっている雫をそっと舌で舐めとった。
塩辛いはずのそれなのに、蓮の舌に甘く感じたキョーコの涙。
蓮はこんな状況なのに、と苦笑した。
「…ゴメンね。君は辛いのに、俺は嬉しくてたまらない。…期待しても、いい?」
いつもの君なら、こんなことを俺に許しはしないだろう?と泣き顔のキョーコに対して、蓮は少し自嘲交じりにそれでも柔らかくキョーコに微笑んでいた。
そんな蓮に、キョーコは更に追い詰められる。
「…優しく…しないで。私っ…そんな資格っ、ない…っ、で…す…」
蓮の言葉に、さっきから降ってくる蓮の『唇』に、キョーコの涙が止まるどころか更に溢れ頬を伝ってぱたりと砂の上におちた。
「優しくしたいのは俺の勝手。君に振り向いて欲しいから…俺の下心だよ?資格なんて、そんなの元からないんだ」
「ちがっ…違うんです…。わたし…っ」
蓮の表情に、キョーコの涙と溢れた懺悔は………もう止まらなかった。
「人の…っ、人の命がかかってるのにっ!敦賀さん、のっ、お仕事なのに…っ…!!」
蓮は救助した一瞬、キョーコから発せられた叫びを思い出していた。
『ダメ!』と自分を制止した言葉の真意に期待して…
「私にしたのと、同じように…、敦賀さんが………」
「…うん」
キョーコのその先の言葉に期待する蓮は甘い声でキョーコに続きを促す。
腕の中で震えるキョーコの動きが少しずつ大きくなる。
「つ…敦賀さんが……っ、…人工呼吸でっ、触れると思ったら!嫌だっ…た…!」
「…うん」
嗚咽交じりのキョーコの背中を蓮の手がゆっくりと撫でる。
子供の癇癪を宥めるような、そんな仕草にキョーコの口から迸る言葉はいつの間にか、怒りに変わっていった。
「……嘘つきっ!私だけって…私だけって!言った癖に!!」
その激情すら、蓮にとっては甘い言葉だった。
力なく、蓮の胸をキョーコの拳が叩く。そんなキョーコを見る蓮の表情は驚きから泣きださんばかりの破顔に変化していったが、涙に暮れて蓮の胸の中で暴れるキョーコはそれに気づかない。
「…っ、…こんな自分…大っ嫌いっ!!!」
最後に向かった怒りの矛先はキョーコ自身。
まるで八つ当たりをするように、大きく振りかぶった両拳がドンっ!と蓮の胸板に叩き落される。それをなんてことないように受け止めて揺らぎもしない引き締まった体躯に、ぶつけ様のない感情がキョーコの中に渦巻いていた。
思い切り叫んで、八つ当たりして、わんわんと泣きだしたキョーコを蓮はただただ甘やかな表情で抱きしめたままで…
キョーコの泣き声が、小さな嗚咽に変わるころ。
蓮はキョーコの涙でくしゃくしゃの顔を覗き込んで囁いた。
「嘘なんて言わない。君だけだよ…」
包み込んだ指先で涙を拭って、その指先でキョーコの唇をなぞる。
腫れぼったい瞼と赤い顔に、愛おしさが込み上げてどうしようもなかった。
「………触れていい?」
きゅっと瞬きしたキョーコの瞳から、瞼にたまった涙が雫となてポロポロと零れ落ちる。
蓮はキョーコの答えを待たずに、そっと近づいた。
触れた唇と絡んだ舌は熱くて
涙と潮で
少ししょっぱかった