
教養とは世の中に溢れるいくつもの正しい論理の中から最適なものを選び出す直感力、
そして大局観を与えてくれる力であるという。
論理よりも情緒が大切だという藤原正彦さんは、国際的センスを持った教養人であると思う。
例えば、外国人に対してその国の言葉を使って、日本の文化や芸術の素晴らしさを語れること。またユーモアのセンスあふれるイギリス人に対してもユーモアでさらりとかわせるところ、さらに夏目漱石の「こころ」での友だちの死の意味をちゃんと相手に伝えることができるなど。
自分を知り相手も知って対応できることはもの凄い才能。
少しでもあやかりたいものだ。
終わりに読書に勝る修養はないなど読書の効用が書かれてあったのはとても嬉しかった。
190P 教養の四本柱
まとめますと、これからの教養には四本柱があります。まずは長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。この三つの柱は誰もが認めるであろう、常識的なものです。
力説したいのは、これに加えて、そういったものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の修得が不可欠ということです。これが四つ目の柱となります。我が国の誇る「大衆文化教養」が役に立ちます。旅に出ることや友達と語り合うことも大いに役に立ちます。(中略)
これら四本柱に触れ、自らの血肉とするためには、どうしても読書が主役となります。
194P
本を読むことで金儲けができるわけでも幸福になるわけでもありません。しかしロシアの作家チェーホフは、こう言いました。
「書物の新しい頁を一頁、一頁読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなっていく」
自分の頭で考えて物事を判断できるようになる、読書の愉しさが分かっている藤原さんからのお言葉は重くて有難い。
198P
良書を読むことで、人間はいくつになっても、あっという間に思考や感覚が鋭く、そして大きく変貌することが可能なのです。(中略)
本を読むことで自己を向上させることができるということです。それは人間としての愉悦と言ってよいことです。
ぼくにとって本のない生活は全く考えられない。
歯を磨くように、食事や呼吸をするかのように自分には当たり前の行為。
人間としていきていきたいという気持ちに共感します。
198-199P
ローマ時代の学者であり政治家でもあったキケロは、「本のない部屋は、魂のない肉体のようなものだ」と言いました。祖父は「一日に一頁も本を読まない人間はケダモノと同じだ」と言っていました。キケロも祖父も同じことを言ったのだと思います。「本を読むということは人間として生きること」なのです。
<目次>
第1章 教養はなぜ必要なのか
第2章 教養はどうやって守られてきたか
第3章 教養はなぜ衰退したのか
第4章 教養とヨーロッパ
第5章 教養と日本
第6章 国家と教養
1943(昭和18)年旧満州生まれ。数学者、理学博士、お茶の水女子大学名誉教授。東京大学理学部数学科卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。父・新田次郎、母・藤原ていの次男
著書に「若き数学者のアメリカ」「遙かなるケンブリッジ」「国家の品格」など。