なぜか突然始まっちゃった「未知との遭遇」の”幻のバージョン”ネタだけれど、一応は今回が最終回(だと思う)。
最初期の試写で「未知との遭遇」の後半で、クリフ・エドワーズの歌う「星に願いを」が流れたという”伝説”について、僕なりにリサーチした結果を元に、「ラストはこうだったんじゃないかな」という復元動画を2種類アップしたけれど、いやあ、色々なご意見がありました。
2種類の動画についてはコチラから↓
フェイスブックの「未知のと遭遇」ファンが集うグループだと、賛否の嵐。
ほぼほぼ”否定”が多いわけだけれど、まあ、そうだよね。
ほとんどの人が、エンドクレジットでインスト版の「星に願いを」が流れる「特別編」を推していた。
僕も、「特別編」が一番しっくりくるから一票なんだけれど、今回は、好き嫌いがテーマではなく、あくまでもダラスで行われた試写で流れたという、”幻のバージョン”の姿が何だったのかがポイントなので、ちゃんと整理していきたい。
そこで、「スター・ウォーズ帝国の逆襲」日本公開版で多大なるお世話になったスター・ウォーズ研究の重鎮の方々からも、ご意見を賜ったので、ポイントを整理する上で、いずれも貴重なお話なので、このブログに残させていただく。
武田英明さんからは、「未知との遭遇」公開当時の状況についてのお話。
『スター・ウォーズ帝国の逆襲「エピソード5」問題と同様に、「未知との遭遇」をいち早く観た(本国版鑑賞の批評家コメント?)層からは、「星に願いを」が含まれているとの言及があったものの、日本公開版はエンディングの該当部分もサントラも、デビルズタワーに向かう道中のサスペンスフルな音楽に差し替えられてしまい、「星に願いを」はどこに行った?と不思議でした。『特別編』やボストンポップスの歌無し演奏で「これのことか」と納得はしましたが、まさかこんな真相があったとは!』
当時は、なかなかアメリカの情報が入ってこないからヤキモキした様子が伝わってくる。
「星に願いを」がエンドクレジットにあったかどうか、情報が錯綜していたのは当然の状況だったと実感が湧く。

続いて、高橋ヨシキさんからは、ラコームと異星人の「手話」部分にクリフ・エドワーズの歌が流れた場合の編集問題について。
『このバージョンであっても、手話部分に音響効果として5音のサウンドを重ねていた可能性はゼロではないのでは?と思いました。当該部分だけ音楽を少し絞って5音を入れても、それはそれで成立すると思うので(その後ウィリアムスの音楽が入ってくるのに向けた流れを考えても、ここで5音をスポイルしたかどうか……。まあ分かりませんが。』
これは、僕も疑問に思った部分だ。
例の5音階のシグナルは重要な要素だから、歌が流れたとしても、何かしらシグナルの音が聞こえてくる仕掛けはあったと思う。
残念ながら僕の入手した音源は、あくまでも音楽のみだから、5音階の扱いはちょっと未解決のままかなあ…。

そして、河原一久さんからは、ラコームと異星人の「手話」にクリフの歌が入ったバージョンが”あり得る”という考察だ。
『後者の方だと思います。昔のスピルバーグってこのくらいウェットな演出してましたから違和感ないです。特に彼のあの曲へのこだわりを知っていればなおさらです。我々はその後の「E.T.」とかも知ってますからね。でも当時の試写に参加した客は「ジョーズ」くらいしか知らなかったでしょうから、失笑もやむなしだったのでは。
いずれにせよ、スピルバーグとウィリアムズのコンビは映像が先でそれに音楽を合わせるのが基本ルーティンだったので、未使用トラックが最大の証拠物件と考えていいと思います。15秒の差はご推察の通りだと思いますよ。
とにかく見ていて違和感を感じなかった理由は、あの場面こそがロイやラコームが「星に願い続けてきた瞬間だった」からだと思います。
あと、情報元となったローリングストーンの元記事の記述にあるように、観客が「呆然となった」のは劇中だったからなんじゃないでしょうか?エンドクレジット中だったらそんなに「呆然」とはならないと思います(笑)』
確かに、ラコームと異星人の対話で歌が流れたからビックリする訳だよね。
あと、この未使用音源の存在そのものが「証拠」だという部分にも、「なるほど」と思った。
そこで、不完全ではあっても、ダラスで行われた試写で公開されたバージョンをまとめると、以下の感じになるかと思う。
<概要>
■1:クリフ・エドワーズの「星に願いを」が流れたのは、エンドクレジット部分ではなく、ラコームと異星人の「手話」部分だった。
■2:正確に記すと、歌は、ロイがマザーシップの中に消えていく部分から、「手話」のパートが終わって異星人がマザーシップに戻っていく部分まで。※それ以降は、従来のジョン・ウィリアムズの曲に変わる。
■3:実際には、歌の長さは、映像より15秒ほど長い。
おそらく、試写で流れたバージョンは、劇場公開版よりも「手話」のパートが長かったのかもしれない。
ダラス試写を受けて、「歌」を削除する際に、映像も編集して、短くなったと考えられる。
■4:なお、「手話」のシーンで重要な要素である「5音階」の手話の扱いがおざなりなのには疑問が残る。
何かしら5音を表現する仕掛けがあったのではないかと推察する。
<考察の根拠>

■1:入手した未使用音源は、ジョン・ウィリアムズの楽曲→ クリフ・エドワーズの歌→ ジョン・ウィリアムズの楽曲という構成だが、映像に合わせると、ほとんどきれいにシンクロする。映像に合わせて音楽を作曲している可能性が高い。
※一部の「歌」については、<概要>3で示したように、歌の方が長い箇所が存在する。
■2:該当部分の曲名は、「ALIENS APPEAR-THE HEAD ALIEN-OLIGINAL FINALE」(異星人たちの登場ーリーダーの異星人ーオリジナルフィナーレ)となっている。
つまり、映画の流れに沿ったタイトルなのだ。

もし、エンド・クレジットに歌があった場合は、「FINALE」部分が該当するはずだ。
ところが、そこに歌は存在しなかった。
歌があるのは、「THE HEAD ALIEN」の部分だったのだ。
■3:「FINALE」の部分には「歌」の代わりに、すでにインストゥールメンタル版の「星に願いを」が含まれていた。
従来の説では、エンドクレジットに流れたエドワーズの歌が不評で、ウィリアムズのサスペンスフルな曲に差し替えた、と言われていた。
だが、もともとクレジット部分にあったのはインスト版なわけで、従来の説には矛盾が生じることになった。
■4:ダラスの試写では、エンドクレジットのエドワーズの歌が不評だったという話だが、実際にエンドクレジット部分に歌を入れて編集してみたら…
確かに、賛否分かれるのは理解できるが、情報元となったローリングストーンの元記事の記述(河原さんからの引用)にあるように、観客が「呆然となった」というほどではない。
逆に、「手話」の部分に「歌」があれば、そりゃビックリするよね。
以上の理由から、「未知との遭遇」ダラス試写版では、ラストの「手話」の部分にクリフ・エドワーズの曲が流れたと結論付けられる。
さあ、このクリフ・エドワーズ版の「星に願いを」を含んだ「未知との遭遇 究極最長版」の制作に入るよ!
今日はここまで!