バルタン星人、ウルトラマン、毒蝮三太夫、ガッツ星人、成田亨、池谷仙克、飯島敏宏、科学特捜隊、昭和、ウルトラ音楽。
パソコン等で読んでね!
音路61.アイサレ星人を探せ・前編(The ウルトラ.6)
今回は、連載「The ウルトラ」の第六回になります。
第一回では、平成以降、現在までの「ウルトラソング」のお話しなどを書きました。
第二回では、俳優の団 時朗さんを偲んで、「帰ってきたウルトラマン」のことを書きました。
第三回では、昭和時代のヒーローや、「帰ってきたウルトラマン」以降の昭和のウルトラヒーローのお話しを書きました。
第四回と第五回は、「初代ウルトラマン」の素晴らしい音楽や必殺技のこと、同時代の音楽のお話しを前編と後編で書きました。
今回の「第六回」と、次回の「第七回」は、あの愛すべき「星人」を中心に、愛される方々のことを書きたいと思います。
◇愛されウルトラ級の、毒を吐く「マムシ星人」
実は、「愛されキャラ」は怪獣たちばかりでなく、ウルトラマンの「科学特捜隊」とウルトラセブンの「ウルトラ警備隊」の隊員の中にもいましたね。
科学特捜隊のアラシ隊員、ウルトラ警備隊のフルハシ隊員です。
役柄では別の人物ですが、演じたのは同じ人物です。
それが、「毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)」さん!
あまりにもインパクトのあるお名前ですね。
「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」のオープニング映像にある、俳優陣の名前テロップの中の「石井 伊吉(いしい いよし)」というお名前は、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんのことです。
彼は、ドラマ「ウルトラマン」の中で、科学特捜隊のアラシ隊員(ウルトラセブンでは、フルハシ隊員)役をしながら、別のあのお笑い番組「笑点」の座布団運びをしていたため、司会の立川談志さんが、新しい名前をつけました。
もちろん、怪獣番組から連想した「毒蝮(どくまむし)」です。
名前を「ヒーロー」の方に寄せていかないところが、談志さんらしいですね。
この毒のある芸名変更は、完全に当りました。
この芸名は、後の彼の芸風やタレント活動を色濃く示すものになりますが、ウルトラシリーズでの隊員役と、この強烈な名前のインパクトこそが、多くの日本国民に受け入れられていったきっかけになったのは間違いないと思います。
彼は、ウルトラヒーローに変身する配役ではありません。
ですが、過去の変身役のスター俳優さんたちに負けない存在感と人気を持つことになりましたね。
名前を育て、名前に育てられ、ウルトラマンにも愛された特別な方だと感じます。
* * *
毒蝮三太夫さんといって思い出すのが、ウルトラシリーズの隊員役と、あのラジオ番組ですね。
TBSラジオ「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」です。
日本各地の商店街やお店、企業、施設に出向き、その場所に集まった多くの一般の人たちとおしゃべりをする ナマ中継の公開ラジオ番組です。
一応、音楽番組ですが、ほぼトーク番組です。
1969年(昭和44)に放送が始まり、今現在も続いています。
ウルトラマンとウルトラセブンの放送が1966~1968年ですから、その放送終了後の翌年から、毒蝮さんのその番組が始まったことになります。
つまり、ウルトラマン、ウルトラセブン、ミュージックプレゼントという流れが、今も続いているのです。
まさに、ウルトラ級のご長寿番組!
「番組」とは書きましたが、この公開ナマ中継は、いろいろな番組内を渡り歩き、それぞれの番組のひとつのコーナーとして変遷し、長く続いてきています。
ある時期までは、平日の毎日に放送されていました。
ですから、独立した番組とはいえないかもしれませんが、強力な単体のコーナーにスポンサー企業がついていたということです。
もはや、恐るべき「ウルトラ番組」といっていいのかもしれません。
* * *
このラジオ番組の最大の魅力は、毒蝮さんと一般の方々とのトーク内容です。
毒蝮さんの、あの有名なフレーズは、この番組の名物!
「ジジィ」、「ババア」!
時に、「生きてるか~」、「死んでんじゃねぇか」などの強烈な毒舌が次々に繰り出されます。
初めて、そのラジオ番組を耳にした方でしたら、あまりの衝撃的な毒舌に倒れてしまうかもしれませんね。
それでも、そこに集まった多くの方々は、彼のその言葉を待っているのです。
できれば「〇〇ジジィ」「〇〇ババァ」と呼んでほしい!
一般の方々は、毒蝮さんを「マムちゃん」と呼び、手を叩いて喜び、涙を流すのです。
これほどの毒舌が許されているのは、テレビラジオ放送の歴史の中でも、毒蝮さんだけかもしれません。
許される毒舌! 愛される毒舌!
集まって来る方々、ラジオ放送を聴く方々は、これを「毒」ではなく「良薬」ととらえているのは間違いありません。
* * *
実は、私も、今から30年くらい前に、自宅の近くのスーパーに中継がやって来ると聞き、その会場に見に行きました。
ちょっと想像を超えた光景がそこに広がっていました。
おそらく会場に集まった方々の平均年齢は、70歳を優に超えていたと思います。
あきらかに80歳以上であろうという方々もたくさんいました。
車椅子、介護人をつれた方も、結構いました。
50歳以下はちらほら程度。
会場は、超満員!
とはいえ、ゆったりとした熱気に包まれていました。
ラジオ放送には、いろいろな公開番組がありますが、これほど独特の熱気の番組は そうはないと思います。
毒蝮さんは、やはりタレントさんとしての華やかさを持っており、身体も大柄ですので、登場すると、拍手喝采の嵐!やっぱり、そこはアラシ隊員!
毒蝮さんが、人気のウルトラ隊員「アラシ隊員」「フルハシ隊員」であったことを知らない人はいないでしょう。
まるでウルトラマンが登場してきたかのような盛り上がり!
たしかに、私も、毒蝮さんの顔を見て、ウルトラマンを思い出さないということは絶対にありません。
「昭和のウルトラヒーローが、目の前にやって来た!今も元気に!」と感じたのは、私だけではなかったと思います。
* * *
毒蝮さんは、大阪市の生まれですが、生後3か月で、今の東京の品川区に引っ越されました。
毒蝮さんのご両親は、関東大震災で被災した東京を離れ、一時的に大阪に来られていたそうです。
その大阪で、毒蝮さんが生まれたということです。
大阪以外の方は驚きますが、大阪には、かつて、近所の知り合いの家にあがって、それほど親しい間柄でなくても、勝手に冷蔵庫を開けるという気風がありました。
私も、大昔に初めて大阪で暮らした時には驚きましたね。
慣れてしまえば、たいしたことではありませんでした。
知らない子供から突然話しかけられたり、大人も知らない子供によく話しかけていましたね。
今でも、そんな気風は生きており、大阪の漫才は、実は日常のことですね。
実は、東京の下町にも、かつて そうした気風が残っており、毒蝮さんのご両親は、大阪のそうした気風にも すぐに慣れたのかもしれませんね。
人間は、「孤独」に身を置くと、激しい攻撃性が生まれやすくなったり、倫理観や優しさを失いやすくなったりするといわれますが、少しくらい面倒な 人付き合いの環境でも、何かの人間同士のつながりの中に身を置いたほうが、心身ともに健全に過ごしていけるのかもしれませんね。
毒蝮さんは、東京に戻ってからの子供時代を振り返り、ジョークをまじえて、「家に鍵をかける習慣がなかった。鍵をかけたら、泥棒に、この家には盗むものがあると思われる」と語ったという話を、また聞きしたことがあります。
人間同士のつながりが、地域を守っていたのかもしれませんね。
(注:今の時代は、しっかり鍵をかけましょう)
ある意味、自由で、あけっぴろげ、隣同士の助け合い、親しい付き合いの中で、少年期を育ってこられたのだろうと感じます。
そのことは、ラジオ番組「ミュージックプレゼント」に確実に生きている気がします。
それは、ウルトラマンやウルトラセブンの世界観ともつながっているのかもしれません。
毒蝮さんは、1945年(昭和20)の終戦からは、東京・浅草で少年期を過ごし、中学生の時には、舞台「鐘の鳴る丘」で戦災孤児の役でデビュー。
毒蝮さんは、浅草のお笑いや落語にも精通されています。立川談志さんとの親交はよく知られていますね。
俳優活動を続け、1966年(昭和41)の「ウルトラマン」、1967年(昭和42)の「ウルトラセブン」やお笑い番組「笑点」に出演され、あの顔と声が日本中に知れ渡りました。
同年に、芸名を「毒蝮三太夫」に変更し、顔・声・名前が忘れられないものになりましたね。
1969年(昭和43)から、このラジオ番組「ミュージックプレゼント」の放送が開始しました。
華々しい成功物語のようにも感じますが、太平洋戦争の惨禍を体験した苦労人でもあり、このラジオ番組内では、お年寄りたちと、戦時中の話をたくさんされています。
大阪と東京下町の気風を持ち、東京浅草で育ち、お笑いの素養を確実に備えていた、ウルトラヒーローのひとりが毒蝮さんだということかもしれません。
時代に、ウルトラマンに、選ばれた人物だったのかもしれません。
ウルトラヒーロー役ではなく、ウルトラマンを助ける特別な隊員役に、もっとも ふさわしい人物であったのかもしれません。
彼の「毒」は「クチに苦し」…、「良薬」であるのは間違いなさそうです。
ラジオ音声
60~70年代は、このような音楽が、商店街アーケードや百貨店、駅、本屋などで、よく流されていましたね。
何か街に出ると、ご陽気な気分になりましたね。
「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」のテーマ曲。
英国のラテン音楽バンド「エドムンド・ロス・オーケストラ」(1967・昭和42)
♪ホイップ・クリーム
* * *
毒蝮さんは、1936年(昭和11)のお生まれで、2023年で87歳。
85歳の時に、なんと「ユーチューバー」デビュー!
昭和のベテランスターなどがゲスト登場し、面白い昔話が たくさん繰り広げられています。
多くのウルトラシリーズ作品で監督をされた「満田かずほ」さんと毒蝮さんの対談です。
ウルトラマンとウルトラセブンの毒蝮さんの話をされています。
さすが監督…しっかり憶えておられます。
「マムちゃんねる」より
1994年(平成6)放送の単発ドラマ「平成ウルトラセブン」では、フルハシ隊員の最期のシーンがありました。
さらば フルハシ!
さて、「ジジィ」になったアラシ隊員は、どこ…?
愛され「マムシ星人」は不死身!
◇愛されウルトラ級の、アイサレ隊員たち!
下記映像は、2011年(平成23)の「ウルトラマン45周年記念番組」です。
毒蝮三太夫さん、黒部進さん、桜井浩子さん、二瓶正也さんが出演された番組です。
キャップ役の小林昭二さんは1996年に…、隊員役の二瓶正也さんは2021年に、ご逝去されました。
小林昭二さんは、「ウルトラマン」と「仮面ライダー」の両方で重要な役をされましたね。
まさに二刀流のショータイム!
二瓶正也さんは、ドラマの中でも、普段でも、底抜けに明るいキャラクターでしたね。
ドラマ「初代ウルトラマン」の中の二瓶さんの重要さは、ウルトラマンに匹敵したと感じます。
* * *
「初代ウルトラマン」の「科学特捜隊」のメンバー5人のそれぞれ個性的な「愛されキャラ」が、後の多くのウルトラシリーズの地球防衛隊の礎になったのは確かだと思います。
ドラマ「ウルトラ・シリーズ」に登場する「愛されキャラ」は、決してウルトラヒーローだけではありません。
「科学特捜隊」をはじめとする、各種の地球防衛隊の隊員たちも、重要な「愛されキャラ」でした。
彼らがいなかったら、このドラマシリーズは大人気になってはいないと断言していいと思います。
俳優さん方には、胸を張って、ぜひ誇ってほしい実績だと思います。
ありがとう! アイサレ隊員たち!
昭和時代の警備隊音楽
◇愛すべき悪役たち
ここからは、素晴らしいデザインの怪獣や星人たちのお話しです。
ウルトラシリーズのファンの方々は、おそらく、それぞれに大好きな怪獣や星人がおられると思います。
まさに「愛すべき悪役たち」!
* * *
昭和時代の怪獣たちのデザインは、平成以降の時代に比べ、シンプルでありながらも、非常に個性的で、記憶に残りやすいものが多かった気がします。
実際にいる動物や昆虫などをモチーフに、かといって それらが巨大化しただけではなく、デザインの中に斬新さや芸術性を備えたものも多くいましたね。
特に、宇宙人たちのデザインには目を見張るものも多くいました。
実は、ウルトラシリーズでは、ウルトラマンだけでなく、怪獣たちも、各時代の先進的なアーティストが、そのデザインやアイデアにしのぎを削っていました。
少しだけご紹介します。
◇成田星人 vs. 池谷星人
多くの怪獣デザインで活躍された「池谷仙克(いけや のりよし)」さんの怪獣作品に「ガッツ星人」というものがあります。
とにかく脳が発達した宇宙人です。
初期デザインでは、脳ミソがむき出しだったようで、円谷英二さんの指示で、強烈さを和らげたそうです。
ともあれ、あの丸い大きな頭とクチバシ、奇妙なデザインの身体…ひと目見て、忘れられないデザインです。
そして、あの微妙な手の震えも…。
ウルトラセブンに登場した「ガッツ星人」
* * *
「帰ってきたウルトラマン」には、やはり池谷さんがデザインした怪獣「タッコング」が登場しました。
タコをモチーフにした怪獣デザインですが、いくらタコとはいえ、このようなデザインにするのは日本人しかいないかもしれません。
あまりの斬新なデザインに驚愕しました。
「タコ」と「キングコング」の合体名や、当時の日本の石油依存を反映させたオイルを食糧とする怪獣設定など、円谷プロはさすが!
私は、このデザインの元は「タコ焼き」かと思っていましたが、いいえ、ひょっとしたら「ガッツ星人」ではなかろうかと感じます。
* * *
ガッツ星人と怪獣タッコングに共通する、でっかい丸みに、素っとん狂な小さな顔…、手がブラブラ…!
私は、池谷さんの怪獣デザインには、いくつかの必殺技があったと感じていますが、まさに必殺の丸み!
他の必殺技としては、エレキングやグドンなどの、長いものを振り回す系!
怪獣「エレキング」は、まさに「電気」+「牛」!
そのエレキングは、ウルトラマンのデザイナーの成田亨さんがデザインした怪獣「ミクラス」と真っ向対決!
ミクラスは、まるでインカ帝国の牛!
まさに、「池谷ホルスタイン vs. 成田バッファロー」!
デザイン対決でも負けられない!
私の勝手な想像ですが、あえて闘わせた…?
* * *
長いものを振り回す系の怪獣「グドン」は、やはり池谷さんデザインの怪獣「ツインテール」と闘います。
「ツインテール」は、まさに奇想天外な複合技のデザインで、これも衝撃的なデザインが高く評価されています。
下記映像の、地面近くに顔のある怪獣が「ツインテール」です。
女性が髪の毛を二つに束ねた髪型を、日本では「ツインテール」と言いますね。
略して、ツインテ!
ですが、これは和製英語ですので、英語圏では「ピッグテール(pig tails)」と言います。
つまり、二つに分かれたブタの尻尾!
髪型「ポニーテール」は、日本語でも英語でも共通ですが、さすがに、日本では「ブタ」は避けたのかも…?
「ブタ」と言われて、泣いてしまうか、言った男性を蹴り倒すか、やはり女性は二つに分かれる…?
前述の怪獣「ツインテール」に、その名称を付けるとは…!
この怪獣のあのツインテールを見るたびに、女性の髪を思い出してしまう!
* * *
一方、初代ウルトラマンやウルトラセブンをデザインした成田亨(なりた とおる)さんがデザインした怪獣は、レッドキング、ガラモン(ピグモン)、ゴモラ、ゼットン、キングジョー、ジャミラ、ペスター、ダダ、メフィラス星人、バルタン星人、メトロン星人、ゴドラ星人、プロテ星人、ケム―ル人、ジェロニモン、ペガッサ星人、シ―ボーズなどなど、幅広いデザインの怪獣が多数。
宇宙のどこかに 本当にいても おかしくないようなデザインに感じますね。
まさに「怪獣の創造者」といっていいほどの成田さんのお仕事です。
成田さんと池谷さんのデザインの違いを感じてもらえるはずです。
デザイナーはみな、ライバルを意識しながら、アイデアの闘いを繰り広げていますね。
「怪獣のデザイン」と あなどることなかれ!
私は、工業製品や家庭用商品、自動車や家電、洋服や装飾品、美術などのデザイン開発も、こうした怪獣のデザイン開発と変わりはないと思っています。
デザインという創造力においては、違わないと思います。
世の中には、成田亨さんや池谷仙克さんを始め、多くの怪獣画集が出版されていますし、ネット上で画像検索されると、多くの怪獣画像を見ることができます。
「着ぐるみ」とはまた違う、迫力のデザイン画を見ることもできます。
将来、デザインを仕事として目指したい方は、どうぞ見ていただきたい作品群です。
昭和生まれの男児たちの多くは、子供の頃に、自分が想像した怪獣を描いていたはずです。
うちにもいるよ… ママゴン!
◇着ぐるみの世界
デザイン画を 怪獣の「着ぐるみ」にするには、いわゆる造形作家の手によって製作物を作る必要がありますね。
ある意味、デザイン画がいくら素晴らしかったとしても、それをしっかり造形物として再現できる方がいなければ、世の中に怪獣は生まれてきません。
下記は、ウルトラ作品の多くの怪獣の「着ぐるみ」を製作した、高山良策(たかやま りょうさく)さんが残した貴重な映像です。
前述の「ガッツ星人」の製作から、円谷プロに納品するまでが残されています。
テレビの中の怪獣たちは、日々、こうした作業の中で生まれていったのですね。
映像を見ると、「それを着る」というよりも、「その中に入る」という風に見えてきます。
本当は、それぞれの怪獣の皮の中に、人間が入り込んでいたのかもしれません。
◇バルタン星人とケム―ル人
有名な「バルタン星人」の初期デザインは成田亨さんですが、あの妙な V字形の「角」や「巨大なハサミ」は当初はなかったそうです。
周囲からの要望で、組み入れられたようです。
成田さんのお気に入りの星人に「ケム―ル人」がいますが、これは「ウルトラマン」の前身の番組「ウルトラQ」にも登場し、後のウルトラシリーズにも何度か登場します。
「ケム―ル人」は、地球侵略を目論む大王のようなメフィラス星人の手下として、地球に何度もあらわれますが、煙のように消える…「ケム―ル人」です。
「ケム―ル人」は、「ケム―ル星人」ではありません。
本当に宇宙人なのか…?
不思議で奇妙なその顔のためか、子供たちに人気があったとはいえませんね。
あまりにも異様な顔ではありますが、地球人とこれといった身体的な違いはありません。
今の地球人にはない特別な能力をたくさん備えており、まさに宇宙人の侵略の先鋒役をつとめる「ケム―ル人」です。
当初は、このケムール人の発展形がバルタン星人であったようです。
ひょっとしたら、当初のバルタン星人のデザインは、ケムール人に近いものだったのかもしれませんね。
* * *
バルタン星人の当初のデザインは、もちろん、昆虫の「セミ」がベースです。
バルタン星人の顔や身体の中に、セミの面影がありますね。
成田さんのそのデザインに、周囲から特別な要望が加えられ、バルタン星人のあの有名なデザインができ上がります。
巨大なハサミ、妙なⅤ字形の角がまさに、バルタン星人の象徴として加えられます。
そして、数千匹にもなる仲間、忍者のような「分身の術」、あの鳴き声「フォッ、フォッ、フォッ」…。
長い歴史のあるウルトラシリーズの中で、おそらくは、もっとも知られているだろう、その姿と名前の星人が誕生しました。
◇バルタン星人物語
実は、「バルタン星人」の当初の世界観を創ったのは、その放送回の監督と脚本をされた飯島敏宏さんでした。
飯島敏宏さんは「バルタン星人の生みの親」と呼ばれています。
子供向けシリーズ番組では、初期の数作品がその後の人気を決定づけるともいわれますが、このバルタン星人は初代ウルトラマンの第二話に登場し、まさに「怪獣人気」を築いたといっていいのかもしれません。
* * *
飯島さんが作った、「バルタン星人物語」です。
このバルタン星人が地球にやって来た目的は、当初は地球の侵略や征服ではありません。
宇宙をさまよう難民としての移動中に、故障した宇宙船の修理のために、地球に立ち寄ったのでした。
自分たちの故郷であるバルタン星が、自身たちによる核実験により爆破消滅し、たまたま宇宙船で旅行中だった20億3,000万のバルタン星人が帰る故郷を失います。
身体を相当に小さなサイズに縮小し、難民の放浪の旅をしていた多くのバルタン星人たちは、たまたま立ち寄った地球を気に入り、ウルトラマン(ハヤタ隊員)の忠告を聞かず、地球を住処(住み家)にしようと考えを変えます。
バルタン星人とウルトラマンの会話の中で、バルタン星人には「命の大切さ」という概念が、地球人とは異なることがわかります。
昆虫のアリやハチは、多数で集団生活をし、組織の中で自身の役割を全うしようとしますね。
個の「死」という犠牲が、種や集団の維持のためのひとつの重要な概念のようです。
バルタン星人も、それに似た概念を持つ生きものなのかもしれません。
「個」よりも「集団」を絶対優先する思想も連想させますね。
「死」や「命の大切さ」という概念が、ウルトラマンや地球人とは、あまりにも違うのです。
もともとは、核開発の実験の中で自身の星を失った、宇宙をさまよう難民が、バルタン星人です。
監督の飯島敏宏さんは、バルタン星人を非道の悪者として描きたくなかったと語っていました。
ひょっとしたら、いつか地球人も、地球を失い、バルタン星人のように宇宙をさまよう日が来るかもしれません。
どこかに住めそうな星を見つけて、もともとその星にいる生命体が共生を拒絶した場合、地球人はどうするでしょうか…。
「死」の概念を変えてでも、先住民を追い出し、あるいは殺戮し、侵略・征服の道を選択するかもしれません。
地球上の長い歴史を振り返ってみると、他民族への侵略・征服を繰り返してきた地球人ですね。
地球人も、他の星の星人からみたら、未知の宇宙人です。
バルタン星人は、未来の地球人なのかもしれませんね。
バルタン星人ほど、ウルトラシリーズの中でたくさん登場する星人は他にいません。
ウルトラシリーズに登場する「バルタン星人」や「ケムール人」は、未来や過去の地球人なのかもしれませんね。
両人は、煙のように消えます…。
地球人も、いつか、ケム―ル…?
* * *
バルタン星人の初期の世界観を作った「バルタン星人の生みの親」と呼ばれた飯島敏宏さんは、TBS(東京放送)のヒットドラマを多数手がけられたプロデュ―サーでもありましたが、意味をしっかり持ったドラマ作品を多数 残されました。
未来の地球人かもしれない「バルタン星人」にも、新しい命と役目を吹き込んだのかもしれませんね。
飯島さんは、2021年(令和3)に、89歳でご逝去されました。
初代バルタン星人を悪者にしたくなかった… 飯島さんの強い願いでしたね。
初代ウルトラマンとバルタン星人の闘い…
ああ、東京・明治神宮外苑の絵画館が…
バルタン星人は、これまでに初代から6代目までいます。
「バルタン星人の生みの親」である飯島敏宏さんが、2021年にお亡くなりになり、残されたバルタン星人の運命は、どのような道に進んでいくのか…。
宇宙忍者「バルタン星人」は、まさに神出鬼没!
バルタン星人の未来など、地球人に わかるはずはない!
フォッ、フォッ、フォッ、フォッ!
* * *
この「バルタン星人」という名前…不思議な名称で、忘れそうにない名前ですよね。
この名前の秘密については、次回の「アイサレ星人を探せ・後編」で書きたいと思います。
2023.5.30 天乃みそ汁
Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.