今日も仕事で「在り方」について
学び、受け取ることがありました
皆さんに質問です
「手柄、横取りされた!」
って思ったことないですか?
「私がやったのに分かってくれてない」
みたいな経験、1回くらいはあるんじゃないかな
ところで、今日の昼ごはんは「柚子むす」♡ほんわり柚子の香りがするいなり寿司で美味しかった♡
この「私が」の出しどころって
意識してないと振り回されるな〜と思いました。
今日の私の例で言うと、
「××さんが直した原稿を参考にしてください」って言われて
「それ私が作ってんけどな」って言いたくなって。
でも、言うには、どうしても
タイミングが変
てか、今の業務には関係ない文脈。
今、どーでもいいこと、全体にとって。
そこに対して「私が」を出しても、
ウザいだけのやつになる。
自分もそこにいづらくなるし。
この変な空気、処理できんってなるし。
「わかってほしい」
「評価してほしい」って
本当にウザいなと思うから。
それは、自分が自分に思うこと。
他人が言うことじゃない。
もし、他人に言われたとしたら、
他人に言われた言葉は実は、
自分が思ってたことやから
深く刺さったりするねんよなあ。
それを覚えとこうといつも思ってる
私たちは、
どんなに消極的に見える人でも
圧倒的に「自分」で生きてる。
自分(魂)が思ってることが正しいって
無意識で信じてる。
だから、
思考(魂じゃない脳みそ)で
こねくりまわしたことを
口に出してしまったり
やってしまったりしたら
魂(本当の自分)が怒ってくる。
もし、私が今日「私が作ったんです、」って
言い返してたら多分、
「は?何言っとん?今、ウザいやつやで、アンタ(自分のこと)!そんなん言いたかったわけじゃないやろ?」
って魂に怒られてたと思う
それが分かってたから言わんかったし、
なんで言いたくないような
エゴを言おうとしたかというと
修正のタネを作った自分のこと、
棚に上げようとしてたことに
やましさを感じたからやと思った
そして、素直になろうと思った
「ありのまま」が、生きてるエネルギー満載で1番美しい♡
みなさんもありません?
魂が怒ってきたり
疑問投げかけてくること
魂「(ほんまは悪くないのに)今、なんで謝ったん?」とか
(でも、これは私がこの人と
うまくやりたいからやから
別に嘘でも謝ってよかった
とかって思えたらそれもいいと思う
魂が納得してたらOK)
魂「(こっちの方が安いからと買ったものに対して)いやいや、それはほんまに欲しいと思ってなかったやろ?なんで欲しい方、選ばんの?我慢することが家族のためなん?ほんまに?」とか
(うん、ほんま。だって今は
この選択が最善やもん。
納得してるで。そしてまた
新しい選択肢を考えるわ
とかってこれまた魂が
納得してたらいいねんけど)
私の魂は
めちゃくちゃ問いかけてきます
そして、その問いに対して
脳みそが答えを用意するようになってきました
この脳みそが用意する答えが
思考であり、
その思考は
設定からできていると思います。
思考が出した変な答えは
魂が却下してくる。
「間違ったな」っていうのは、
自分(魂)で分かるはず。「うわぁ」っていうやつ。
そういうときは
素直になろう。
それが設定に気づくヒントだと思う。
自分の非を認めるというか、
そこに意識を向けるというか。
その「うわぁ(なんか分からんけどこんなことやってもうた)」
「うわぁ(こんなこと言いたくなかったのに)」
っていう
その「うわぁ」(引いた感じ)に
めちゃくちゃ設定が埋まってるから
お宝、ザクザクだから
ちゃんと見て♡
例えば間違いを指摘されてむかつくのは、
私の設定的にも「こんな間違いあり得へん」って
自分で思ってるから。
思ってなかったらむかつかないしね。
むかついたなら、
それは申し訳ないと思ってるってこと。
その思いにまっすぐ行動してあげようということ。
他人にひれふせと言っているわけじゃないよ。
指摘にむかついたのは
なんでなのかを、
徹底的に見るということ。
そして、相手がもっともやと思ったら
謝ればいい。心の中でもいい。
なのに、謝りたくなくて
本当は言いたくなかったことを
ポロッと言ってしまうことがある。
私は、今日あった。
本当はああ言いたくなかったというのを減らすには、
自分の本当の気持ちを見る練習をしておかなくてはならないです。
自分のエゴを見て、自分にがっかりして、次はやらないと決めることです。
絶望⇨決めるの繰り返しが、自分を願いが叶う方向へ操縦していく方法です♡
自分が分からないなんて、
もう言えなくなるし
自分が分かるから
もっと望みをまっすぐ持てる♡
だから叶う♡
絶望は悪いことではないと
設定変更してください
こうやっていつもクリーンな
在り方でいることが
気持ちいいなと学びました。
本日も、お読みくださり
ありがとうございました