ほんとーーーに辛い1週間でした。
立ち止まることといえば、布団にバタンキューすることだけ。
ノートに向かう体力も気力もなく、
ただただ、時が流れていってしまった。
やはり私には、時間をかけて物事を理解していく余白が必要で。
今日は朝から、机の上を盛大に散らかして、自己対話しております。
私が知りたかったことは、なんだったのか。モヤモヤの中から、一つの答えに辿り着きました。
「チームのお荷物」
という言葉が引っかかっていたのです。
誰かに「お前はお荷物だ」と言われたことはありません。
ただ、私は人生で何回も自分に対して放ってきました。
それを、もうやめよう
というのが今回のブログのメッセージです。
早朝、冬の北海道♡
先週の木曜日、営業さんから仕事を頼まれました。私の先輩も、ちょうど別の人から仕事を頼まれていて、こちらの話を聞ける状態じゃなくて、私はその仕事を受けるか受けないか、自分で判断しなければなりませんでした。
私は以前、先輩から「(仕事を受けるときは)こっちから情報を引き出すことを意識してください」と言われていました。
スケジュールはどれくらい余裕を持たせられるのか、時間はどれくらいかかりそうか、それによって他案件との兼ね合いが上手くいくからです。
でも、先輩の言葉をこう解釈しました。
「あなたは仕事を受けるとき、判断をよく誤るから、間違わないために、
情報を引き出してね」と。
「私がダメだから言われてるんだ」
「私が仕事を受けるとチームに迷惑がかかる」
「迷惑をかけないようにしっかりしなければならない」
と考えて、仕事を受けるときは極度に緊張していました。
慎重に…慎重に…
だけど、私はまた先輩と違った対応をしてしまいました。
「やっぱり私は先輩のようにはなれない」
「やっぱり私はチームのお荷物」
「やっぱり私は同じ失敗を繰り返す」
という具合に、めちゃくちゃ落ち込みました。
自分の価値を感じられず、すごく会社に行きたくなかったです。
そして今日、やっと言葉になりました。今、書いてきたことは、今、言葉になったのです。何に引っかかっているかも分からず、モヤモヤだったものが、「チームのお荷物」だったと分かりました。
ノートに書いていても、分からず悶々としていたら、ふと本棚の上の方にある本に目が留まりました。4冊引っ張り出してきて、途中まで読んでいたところから読み始めました。
飽きたら次へ、また次へ、と読んでいくうちに、答えに近づいているような感覚になりました。
「苦悩の元になっているのは、私たち自身の考え方や姿勢であり、そういった考えや姿勢の結果、私たちがとる行動が自分を傷つけるのです。」
ー『愛とは怖れを手ばなすこと〜今をよりよく生きるために〜』ジェラルド・G・ジャンポルスキー著/本田健訳ー
これを読んで、いろいろな問いが生まれました。
私が間違ったものの見方をしているとしたら?
間違った解釈で世界を見ているとしたら?
先輩の言葉を間違って解釈していたら?
私は望んで、事実をひん曲げているのではないか?
そうしたい私の目的は何なんだろう?
でも、まだ答えは出ませんでした。
そして、最後に手に取った本に、こう書いてありました。
「乙女座の人々の手は、絵の具やインク、スパイス、アロマオイル、さまざまな薬剤や材料などによくなじみます。熟練の音楽家のように巧みな手つきで、たくさんの瓶から少しずつ混ぜ合わせ、素晴らしいものをつくり出します。」
「乙女座の人は非常にクリエイティブですが、その創造性の源は「分析」と「調合」の秘密にあるのかもしれません。」
ー『3年の占い』乙女座 石井ゆかり著ー
私は太陽星座が乙女座なのですが、これを読んで思い出したのです!!!
仕事を聞いたとき「受けたい」と思ったことを!!!
「できる」と思ったことを!!!
というのも、私が受けた仕事は、営業さんが4つの資料を出してくれて、これと原稿を見比べて、改善してほしいという内容でした。
先輩は「分析して、配合する時間がないから」と断っていたんです。
しかし、私は、その分析と配合のプロセス自体が勉強になると直感的に思いました。勉強になることや今後に活かせそうなことには、苦しみが伴わないことを、どうやら私は知っていたようです。もはやそれは快楽!快楽で仕事をした方が上手くいくと信じている、本来の私の姿だったのです。(快楽で仕事をする方が上手くいくというのは、その方が個性を活かせるからです。)
そして、私は与えられた情報の中から、よりよいものを生み出すことが得意な素材でした。これは自覚していませんでしたが、魂は知っていたと言えるかもしれません。
仕事を受けたこと自体に、意味をつけるとすれば、私は私の素材を生かして、役に立ちたくて、役に立てると思ったから受けたんだと言えます。
それは間違ったことだったんでしょうか?
答えは、いいえ!です。
たとえ、仕事を受けたことによる問題が生じても、私はその責任も引き受けるぞ。そう腹を括りました。(これ無しには多分、まだお荷物。)
そうすると、自分を「チームのお荷物」なんて、捉えられなくなりました。もう立派なチームの構成員です。
あぁ、これが、能動的に働くということか。
これが、個性を活かすということか。
初めて体感として分かりました。だから自分の持っている素材をちゃんと知らなくてなりませんし、それがチームに貢献することなのです。
人に言われた通りにやることは楽だし、できちゃうけど、心がすり減る。透明人間になって、個性もクソもなくて「自分じゃなくてもいいじゃん」となり、やる気もなくなり、信頼も失います。どうしたって、自分の素材を消すことなんて無理なのです!
どうしたって、私は私!
あなたはあなたなのです!
これは、業界や職種はまったく関係ありません。どの仕事をする上でも、同じ考え方を利用できます。仕事内容はまったく関係なく、能動的に働くこと、個性を活かして働くことは明日から絶対にできる!
そして、感じる心を開いていけば、「これはなぜか分からないけど、できる気がする」というような感覚として流れ込んでくるものがあるはずです。私が自覚なく仕事を受けたように。
それは、日々の出来事と、それに対する自分の解釈を言葉にして見てみなければ、感じにくいことかもしれません。
自分のことを「家族のお荷物」「パートナーのお荷物」と思ったことはないでしょうか?
仕事で足を引っ張っている、あるいは、引っ張らないようにしないといけないと身を縮こめていませんか?
もしくは、それを見ないようにしていませんか?
まずは、見ることから全てが始まります。
まずは、出来事を見る!次に気持ちを見る!
自分の情けなさや、がめつさを見ていくうちに、自分にある素材や、自分にある感覚、「これは絶対そうだ」と思うようなことが出てきます。
そしてそれが、本の中の言葉とつながったり、誰かが言ったことにつながったりして、「やっぱりそうだ」となります。
まずは自分の中にあるものを見つめてみないと、何かとつながることはできないのではないでしょうか。
だから、ノートを書くことはずっと続けています。出来事や思ったことをそのまんま書いて、観察することから始めてみてくださいね